静かな秋の平日。
山手線の内側は、もっと物々しい雰囲気になっているかと思ったが、ホットスポットをちょっと外れれば、警備の人々の姿を見かけることもなく世の平和は保たれていた。
メディアはもう何日も前から、「世論を二分した」と騒いではいたが、実態はどうかといえば、言うほど「二分」はされていない。
弔われる元総理の熱狂的な信者と、その対極にいる狂信的なアンチ。
そして、元総理本人にはそこまで思い入れはなくとも、それぞれの層を忌み嫌う人々が付和雷同して援護している、というそれだけの話で、両陣営を足し合わせても、おそらく世の中の人々の1割にも達しない。
要するに、招待状が来るわけでもない市井の普通の人々にとっては、「国葬」といったところで、ほぼほぼ自分たちとは接点のない、どうでもよい話だったわけで、いつもと変わらないありふれた都会の光景は、それを如実に表していたように思う。
もちろん、テレビをつければ、否応なしにニュースの映像が飛び込んでくるし、SNSでもひっきりなしに、様々な角度から話題が飛び交う。
それに触れれば、哀悼、共感から、反発まで、様々な感情が渦巻く人はそれなりにいることだろう。そしてそんな時に「世論調査」の電話が来たら、思わず振れた方の感情に委ねて回答する、なんてこともよくあるはずで、それはあちこちで公表された数字にも表れている。
ただ、それも一瞬のこと。
台風で甚大な被害を受けた地域に住んでいる方々にとっては、目の前の生活をどうするか、ということの方が何百倍も切実なことだし、荒れ狂う相場に翻弄されている人々であれば、中間配当またぎのタイミングを明日に控えて損切りかホールドかはたまた反転狙いの買い増しか、という選択に注力せざるを得ない。
かくいう自分も、昼に「岡田彰布監督復帰」のニュースを目にしてからは、来シーズンに向けた希望に胸が膨らみ、どこか知らない世界で行われているイベントへの関心など一瞬で吹き飛んでしまった。
要は、どこまでいっても他人事、だったのだ。この話は。
公表された現総理、元総理の弔辞はさすがに見事なもので、特に共通して挙げられていた「北朝鮮拉致日本人問題への取り組み」のエピソードは、清新な若手政治家として表舞台に登場された頃の故人の活躍ぶりを想起させたし、(当時の進め方の是非は措くとしても)安保法制やTPPに対するアクションが、今の暗雲立ち込める国際政治情勢の下では、政権時代の功績として語られるべきものである*1、ということも再認識させてくれた。
ただ一方で、新旧総理が強調した「美しい国 日本」の唱道者としてのくだりは、かの第二次政権下の7年8カ月を経て、今この国がどうなっているか、ということに思いを馳せた時、むしろ皮肉のように聞こえてしまうところもある。
短命に終わった第一次政権時代への反省を踏まえてか、次の8年弱の間のイメージ戦略は万全だった。
愚直に繰り返される「日本人であることに誇りを」「咲き誇れ日本」的なフレーズは、「諸外国は素晴らしい。それに比べてこの国は・・・」的なインテリの上から目線の紋切り型批評に辟易した人々に恐ろしいほど刺さり、選挙のたびに岩盤的な支持層も増やしていった。
だが、願望だけで世界は変わらないし、他の国の進化も止められない。
この国の成長に向けて華々しく打ち出した経済政策、産業政策は、なかなか実りの時を迎えることはなかったし、選挙での「票」を意識しすぎたゆえか、時に方針自体もどっちつかずになっていた。
さらには、長期政権下で「官邸主導」を推し進めた結果生み出された様々な歪み。「異論」への不寛容さ。
この国を支えてきたはずの霞ヶ関の人事は乱され、政官はもちろん産業界までもが官邸に忖度し、官邸に依存する空気に毒されていく。
「この国に誇りを」という割には、欧米の思想をそのまま持ち込んだだけのように見える施策は多かったし(特に、一連の「コーポレート・ガバナンス強化」に向けられた議論などはその典型だといえる)、現実を見ない「素晴らしい日本」の思い込みは、”インフラ輸出””コンテンツ輸出”等々、数々の無謀なプロジェクトを生み、それにかかわった人々を苦しめた。
贅肉が付きすぎてどこに骨があるのかさえ分からなくなってしまった「骨太」の方針、総花的過ぎて目指す方向を見失う成長戦略。
そんなことを繰り返しているうちに、気が付けば追いかけていた米国の背中は離れ、アジアトップの座も遠くなり、さらにはそれまで支援する先だった東南アジアの新興国にすら猛追撃を受けるようになる。そんな7年8カ月。
気脈を通じた日銀総裁とのコラボで実現した緩和政策は、株価の爆上げと円安による様々なメリットをこの国に享受させた(インバウンド需要の誘発を含め)、という点で成功した数少ない政策事例だったが、新型コロナ禍でインバウンド需要が蒸発し、ウクライナ危機に端を発した物価上昇は長年の緩和政策を今極限まで追いつめている。
だから、国葬が決まって以来、「元総理の功績を讃えて・・・」などと言うフレーズが繰り返されればされるほど、何とも言えぬ違和感に襲われたものだった。
報道された様々なエピソードや間接的に伝え聞く話からすれば、故人が「気配りの人」であり、多くの人に見送られる資格のある人物であったことは疑いようがない。
選挙運動の期間中にテロの凶弾に倒れた政治家を国を挙げて弔うことで、将来、同じような凶行が繰り返されないように牽制する、という発想も理解できなくはない*2。
ただ、口当たりの良い言葉が繰り返された割には、内政面でさしたる「改革」はできず、むしろそこからの軌道修正を強いられている現在の状況に目を向けると、長期政権下での功績を讃える様々な言葉も右から左へと抜けていく・・・。
故人は、首相在任中から、政策でも事件でも論争を巻き起こすことが多い政治家だった。そして、死してもなお、大きな議論を誘発した。
だが、それもこの国葬の終わりとともに一つの終焉を迎え、故人の政策を支持していた人々はもちろん、徹底的に批判してきた人々にとっても、分かりやすい攻撃対象が失われたことによる迷走がこの先、生じるであろうことは、容易に想像がつくところ。
一つの「アイコン」が失われたことで生まれるのはさらなる分断か、それとも、それまでの立場を超えた新しい前向きな何か、なのか。
安易に期待することを躊躇してしまうのは、自分が少し長生きしすぎたからなのかもしれないが、それでも自分は、生きている間にはもう二度とみることはないであろう「国葬」の後に来るのは、「後者」だということを、今微かに信じている。