「株式上場」の持つ意味

株式市場への上場をめぐっては、今年の夏以降の「プライムからスタンダードへの移行雪崩」のような事象もあったし、MBOによる非公開化の例だけでも、東芝を筆頭に最近では決して珍しいことではなくなっているから、そんなに驚くことではないのかもしれないが、それでもこの規模と、会社が一時代を築いていた歴史を知る者として、一報に接した時には驚きを隠せなかった。

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どうしても「少子化」というフレーズで括られてしまう業界だから、報道を見てもその文脈でMBOの意図・背景が語られているものが多いのだが、同じ状況に直面している他の教育産業の事業者が全て今退潮傾向にあるかといえばそんなことは全くないわけで、やはりこの会社の場合、これまでの成功モデルがあまりに強力過ぎたことと、それゆえに事業の構造転換が遅れてしまった、という、リーディングカンパニーゆえの問題が背景にあることは否定できないだろう。

加えて、オーナーから「プロ経営者」に引き継ぎ、次代の成長に向けたスタートを切るはずだった2014年に起きた大規模な個人情報漏洩事故が、その後の経営に暗い影を落としたことも想像に難くない。

業績は伸び悩み、反転攻勢をかけようにも市場の投資家が満足するような経営構想の絵を描けない、という状況の中でしびれを切らしたオーナー一族が「強権発動」した、というのが実態に近いのではないかな・・・と勝手に推察しているところではある。


個人的には、会社が「公」的な存在を目指すのであれば、株式を公開してナンボ、というところは絶対にあると思っているし、オープンな環境であったとしても、方向性を間違えてさえいなければ、事業・経営の構造改革を成し遂げることは十分に可能(というか、ほとんどの会社はそれでやっている)だから、構造改革のためにMBO」というのは正直筋があまりよくないと思っているし、非公開化→再上場に費やす有形無形のコストを考えると、金融投資家以外のステークホルダーには誰にとっても得るところの少ない話だと思うのだが、それでも何年後かにやってよかった、という話になるのかどうか。

資本効率性と「株価の上昇」を追求すべき命題として設定し、”落第”生には株式市場からの退場も要求する今の東証関係者から見れば、今回のような判断もあるべき姿の一つ、ということになるのかもしれないが、市場からの安易な逃避・退出を許す政策は、結局のところその国の市場の信頼を損ねる方向にも働きかねないわけで、願わくば今回のMBOもまた、後世振り返った時に「悪い事例」とならないことを願うのみである。

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