勇気ある発言?

ここ数年、ずっと気になっていたことをバサッと切ってくれて溜飲が下がったというか何というか・・・という記事が一つ。

日経紙の朝刊に載っていた有識者コメントで構成されるコラムで、時流に乗って「製造業不正、どうただす」というタイトルになっているのだが*1、その中の一人、倉橋雄作弁護士のコメントの中に以下のようなくだりがあった。

「不正発覚後は、第三者委員会などが原因究明と適切な再発防止策を示すと期待されるが、役割を果たさないケースも散見される。不合理に調査の対象や規模を拡大し、独善的な報告書を公表する事例もあると感じる。」
「マスコミや世間も厳しい事実認定や責任追及をした調査委員会を歓迎し、無批判に報告書を信じ込む傾向がある。こうした状況では、調査委が弁護士にとって魅力的なビジネスとなり果てる恐れすらある。経営者がお手盛りの調査委員会を立ち上げ、保身に利用することも許されない。」
(強調筆者、以下同じ。)

そう、これこれ・・・。


最近、一見すると重大な不祥事とは言えないような会計処理の誤りだったり、不祥事は不祥事だけど構造的には単純な事案でも、複数の弁護士に会計士、さらに補助者として若い弁護士やらコンサル会社を入れて仰々しい「第三者委員会」を立てるような事案がやたら増えている気がする。

確かに、それで決算訂正等を迫られるようなことになれば、内部統制上の不備があったということで内部統制報告書の訂正報告書は出さないといけなくなるし、関係者に対する処分も免れ得ないわけだが、だからと言ってここまでやるか・・・?というようなケースは枚挙にいとまがない。

保守的な監査法人等にあれこれ言われて、やむなく・・・というパターンも多いのだろうが、こういうのは、シューティングすべき課題に比して余計なコストを払い過ぎることになり、そうでなくてもネガティブな対応を強いられている会社の傷口を広げることになりかねないし、何より、外部者だけで構成される委員会に調査を委ねた場合、この手の調査において本来の目的とされるべき真相解明&原因究明からより遠ざかる結果となることも懸念される。

メディア関係者の中には本気で分かっていない方もいるかもしれないので補足しておくと、会社の中で起きた出来事の真相を明らかにし、背景を読み解く、というのは、どれだけ証拠を集め、関係者の聞き取りを行ったとしても、日頃から「内側」の業務の真髄や様々な場面での空気を知悉していない限り困難である。

ましてや、資料の一切合切を強制的に押収し、人海戦術で分析に回すことも可能な検察・警察とは違って、あくまで任意設置機関に過ぎない第三者委員会の場合、どこに重要な証拠が眠っているか分からない、という状況の下で調査に当たらないといけない。

起きてしまったことに真摯に向き合おうとする会社(自分が知る限り、第三者委員会が立つ会社のほとんどはこのカテゴリーに入る)であれば、内部監査や内部通報で端緒を掴んだ段階で、社内のリソースを割き、時にはコンサルまで投入して真相解明の道筋を付けた上で、おぜん立てを整えて「第三者委員会」に引き継ぐ、ということまでするわけだが、そこまでして「二重に」調査をやることに果たしてどれだけの意味があるのか*2

また、そこまでの準備なく、主導権を握っている経営幹部のツテ等でビッグネームや調査委員会ビジネスを生業にしている専門家をかき集めたような第三者委員会となると、もはやカオスでしかない。

資料は端から斜め読みで、報告書は、型にはまったテンプレートに結論ありきのストーリ―をはめ込むだけ。そして最後に「企業風土」に滔々といちゃもんを付けて完結。

「ビジネス」と割り切っている側にとってはそれでも良いのかもしれないが、当事者となる企業にとっては大迷惑だし、何よりもその類の「調査」では、何ら公益に資すところがない。

それゆえ、若干オブラートに包みながらも、上記のような問題点に鋭いツッコミを入れ、その上で、以下のように”あるべき姿”を提言した倉橋弁護士のコメントは大いに傾聴されるべきだと思われる。

「品質不正は外部の批判的検証を一度受けて終わるものではなく、会社が自律的に自信と誇りを取り戻す必要もある。会社関係者と外部の弁護士らで原因分析や再発防止策を練り上げる「内部・外部協働型の調査委員会」が望ましいケースもあるだろう不正の内容や深刻さの度合いによって独立型、内部・外部協働型を使い分ける必要がある。」

倉橋弁護士の他のコメントのうち、

「不正を監査部門や外部の弁護士などに知らせる内部通報制度もあるが、本来は自浄作用を促す仕組みが最初に来るはずだ。海外の著名メーカーを調べたところ、内部通報は最終手段と位置づけていた。」

と、近年の「公益通報偏重」を戒めているくだりにも大いに共感できるところはあるし、何よりも、

「不正根絶は残念ながら難しい。」

という地に足の付いたリアリズムが一連のコメントの通底にあるように思われるところが、コメント全体の説得力を増している*3

「『不正』は異常時だ、撲滅できない会社がおかしい」と批判するのは簡単だが、会社の中で仕事をするのが人間である以上、あらゆる会社から「不正」がなくなる日は決して来ることはないだろう。

だからこそ、日頃の対応も含めて、どこにリソースを割き、いざ起きた時に次の打ち手をどうするか、ということにはもっと思いが馳せられて然るべきだし、そのために必要なのは居丈高な第三者委員会ではない、もっと地道な取り組みだ、ということは、しっかりとここで強調しておきたいと思っている。

*1:日本経済新聞2024年2月5日付朝刊・第9面

*2:三者委員会に入る弁護士、事務所によっては、既に答えが出ているシンプルな問題でも、存在感を発揮するためにわざわざ調査をやり直してかき乱す(散々工数をかけた末に落ち着く先は元鞘、という・・・)タイプの方もいらっしゃるようである。

*3:倉橋弁護士はこれに続けて「企業は困難をしなやかに乗り越える力、レジリエンスを鍛える必要がある。経営者や管理職が現場に課題や責任を丸投げせず「できないことはできない」「守れないルールは変える」「守れないルール無しで成り立たないビジネスなら、ビジネス自体を改める」という覚悟を示すべきだ。」と述べられている。

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