ありがちなニッポンの反応〜GDPR“プチ”祭りに思う。

年が明けた頃はまだ知る人ぞ知る、の域を出ていなかった欧州発の「GDPR」だが、ここに来て俄然盛り上がってきた。

これまでもちょこちょこと軽いジャブを打っていた日経紙は、24日の朝刊で何と1面にデカデカと「EUデータ新規制 国内企業8割が対応未了」という見出しの記事を掲載。

良く中身を読むと、GDPR(というか欧州の法律にすべからく共通する)ルールの不明確さが強調されていたり*1、「どこまで対応しようとしているかきちんと説明できれば、いきなり多額の制裁金を科せられる可能性は低い」というIIJのビジネスリスクコンサルティング本部長のコメントが紹介されていたり、と、一方的に対応の遅れを非難するような記事ではさすがにないのだが、それでも、

「流出問題の大きさなどによっては制裁を回避できるとは言い切れない。専門家は「できる限り早く体制を整備すべき」と口をそろえている。」(日本経済新聞2018年5月24日付朝刊・第15面)

と、最後はやっぱり煽っている・・・(苦笑)。

自分は、この問題に関しては、

EU域内に限定した話だと思っていた」

とか、

GoogleFacebookのような一部の巨大インターネット企業に向けられた法律だと思っていた」

といった(記事の中では、一種Disられている)感覚の方が正しいと思っていて、欧州向けの通販サイトや情報サービスサイトを持っていない会社がわざわざコンサルに大金を講じて対策を依頼するのは愚の骨頂だし、仮に欧州向けのサイトや、欧州域内の事業拠点を持っている会社であったとしても、取得した個人情報を取引の処理以上の目的に使用せず、システム上も一通りのセキュリティ対策が講じられているのであれば、基本的にはこれまで通りの対応で何ら問題ないと思っている。

そもそも、Personal Dataの取扱いなんて、当の欧州の中ですら、米国発のインターネット企業を目の敵にする一部の市民運動家以外は、さしたる関心を持っていない分野の話*2。1年くらい前に、現地の法律事務所に別件ついでに感触を聞いてみた時も、反応はびっくりするくらい冷静だった。

今回の件に限らないが、情報源が限られている“海外発”の概念とか法律が出てくると、ごく一部の“有識者”がしゃしゃり出て、自分のポジションから好き勝手煽る、そして、それを真に受けたメディアがそれを拡散して、本来であれば全く縁のないような人まで騒ぎ出す、というスパイラルが始めることがこの日本という国では実に多い。

そして、今回のGDPRの件にしても、そのうち「全てのWebサイトにCookieを通じた情報取得の同意画面ポップアップを設定しないといけない」*3とか、「EU域内から日本にやってきた外国人から個人情報を取得する時は、他の国の人の分とは異なる厳格な同意フォーマットにサインさせないといけない」*4とか、挙句の果てには「欧州に出張して名刺交換するときは、相手から個人情報取得の同意書面をもらわないといけない」*5とかいった話まで出てくるのではないか、と、ワクワク(?)しているのだが、果たしてどうなるか。

あまりに複雑かつニッチな分野ゆえに現在は“プチ”に留まっている祭りが、何かの弾みで大きなお祭りにならないことを、自分は心の底から願っている。

*1:なお、記事の中では、GDPRを「日本の規則と比べものにならないほど細かく、複雑」と評しているが、本文にはほとんど書かれていないことを複数のガイドラインで規定し、かつそのガイドラインも一読しただけではよく分からない、という意味での規制体系の「複雑」さはその通りだとしても、「細かい」というのはミスリードのような気がする。少なくとも日本の規制当局のガイドラインの方がよほど細かく、融通が利かない(それに比べればGDPR自体は、規制というには非常にアバウトなものだ)と自分は思っている。

*2:当事者である著名なインターネット企業に対しては、発効初日から早々に訴訟提起の動きも出ているようだが、そこまでされるほど欧州で名の通ったインターネットビジネス事業者は、日本企業の中にはほぼ皆無、というのが現実である。

*3:少なくとも日本語のサイトにこのような対策を講じる必要はないし、英語サイトでも欧州からのアクセスがほとんどないようなサイトについてまで対策を講じる必要は全くない、と思っている(下手に見慣れないポップアップ画面など設けた日には、あちこちから苦情が殺到しても不思議ではない。

*4:これは「域外適用」の考え方についての誤解で、あくまでGDPRは「EU域内にいる者」を対象にサービスを提供する場合の個人情報の取扱いに網をかける法律だから、日本に入国した後に自社のサービスに接するEU在住者への特別な対策は本来不要である。

*5:全世界的に煽り的な営業をしているコンサルや一部の法律事務所ですら名刺交換については事実上スルーしているように見える。当地の実務家の感覚によれば、「そんなこと法律に書くまでもない常識でしょ」ということらしいが、いずれにしても、「例外規定がない限りクロ」という日本のコンプラ頭で海外の法令を読み解いて対策を講じようとするのは、労多くして実りなし、である。

何度でも言うのだけれど・・・

東京地検がムキになって、大成建設への捜索を繰り返していたのを見た時点で、ここまでやってくることは十分想像がついていたのだけれど、やはりこうして記事になると憤りを隠せないのがこのニュース。

リニア中央新幹線の建設工事をめぐる入札談合事件で、東京地検特捜部は23日、大成建設と鹿島の幹部2人と、大林組清水建設を含む4社を独占禁止法違反(不当な取引制限)罪で起訴した。談合を認めた大林組清水建設の担当者は起訴猶予とした。事件では、高い技術力が必要な巨大事業を進めるため各社が受注調整をしていた実態が浮き彫りになった。」(日本経済新聞2018年3月24日付朝刊・第2面)

捜査のあり方、そして、ほぼ検察官の裁量の悪用と断言して良い個人に対する起訴のあり方など、訴追側の姿勢について言いたいことは山ほどあるのだけれど、それはクドイので繰り返さない。

それよりも問題なのは、「告発&起訴」に向けた動きが強まる過程で、メディアの論調が“推定有罪”に大きくシフトし、比較的冷静な論調だった日経紙ですら、受注調整の存在を前提に「原因」を探るような記事に走ってしまっている。

それだけ、公的な訴追機関の判断が与える影響は大きい、ということの証左なのだろうけど、事実以上にその法的評価が問題になってくると思われる本件のような問題で、現在の検察当局の逸脱した捜査・起訴過程を肯定するような記事を書くのは、後々の他の「経済犯罪」に関する捜査にも悪影響を及ぼす可能性があるし、事件そのものに目を移しても、「受注側の関係者が接触していたこと自体がいけない」というような論調の記事をかき立てることが、一体誰のためになるのか、ということは、もう少し冷静に考えた方が良いように思う*1

そうはいっても、日経紙が社会面で、

「過去には旧日本道路公団など発注の鋼鉄製橋梁工事をめぐる談合事件でも法人のみ起訴された企業はあった。だが関与の度合いに応じたもので、今回のように認否で対応が分かれるのは異例。逮捕と起訴の判断を一手に担う検察は強力な権限ゆえにストーリーありきの捜査を招くと何度も指摘されてきた。刑事事件を担当するベテラン弁護士は今回のようなアメとムチを使い分けて供述を迫るかのような捜査手法を批判する。」(日本経済新聞2018年3月24日付朝刊・第39面、強調筆者)

と、起訴裁量の濫用を批判し、さらに、

「「今回のような形で司法取引を使われたら虚偽供述を招きかねない」との懸念も出ている。」(同上)

と、今、良識ある人々が一番気にしているポイントを端的に突くなど、一応問題意識をもって取り上げてくれているのは救いだったりもする。

自分は、ここから始まる公判期日での攻防で、全てがひっくり返る余地はまだ残っていると信じているのだけれど、願わくば、まだ検察側立証も、弁護人の防御活動も表に出ていないような状況で、メディアが「受注調整/談合の問題点」などを論じるような浅はかなことはしないでほしい、と思わずにはいられない。

そして、こと、いわゆる「経済犯罪」に関しては、刑事訴訟法が改正されたからといって、検察に起訴権限の濫用を安易に許すような運用にしてはいけない*2、という教訓事例として本件を受け止めるのが、正しい理解の仕方なのではないかな・・・と。

*1:高度な技術力を持つ大手企業になればなるほど、技術者を囲い込む傾向があるこの国は、高度な経験・知識を持つ技術者がフリーのコンサルタントとして受注側と発注側の間を渡り歩く欧米社会とは全く違う構造で成り立っているから、特に欧州のような情報交換禁止ルールを入れた瞬間に、大規模かつ高度な工事になればなるほどまともな入札ができなくなる、という状況に陥りかねない。そして、そこまで掘り下げて分析して初めて、ことの善悪を議論する資格がある、と自分は思っている。

*2:今の制度の下では、それは弁護人の双肩にかかっている、といっても過言ではない。嫌疑を負わされた人々の中にもさまざまな人がいる以上、そう簡単に「安易な取引をするな」とは言いづらいところではあるのだが、それでも「真相解明を重視するからこそ」の抵抗は、弁護人がどこかで示佐ないといけない、と思うところである。

全てはその一矢、のために。

最近、ちょっと前までなら、「あり得ない」と言われてしまうようなタイプの組織不祥事がとみに顕在化しているような気がする。
ここ数年ずっと世を騒がせてきた某大手メーカーの件しかり、今まさにクライマックスを迎えつつある森友問題しかり。
公益通報した社内弁護士にコテコテの不利益処分をした結果、「訴訟」という伝家の宝刀を抜かれてしまった某精密機器メーカーの事例なども世に晒されているし、某住宅メーカーの社長、会長解任ドタバタ劇にしても、原因となった土地売買問題自体がこの規模の会社なら通常考えにくいレベルの話の上、その後の取締役会で「出来事」が起きた後の処理も不可思議である。

隠したところでいずれバレてしまうような“弥縫策”に走ったがゆえにかえって墓穴を掘ってしまった、というのは、かつては組織の末端にいる人々の失敗パターンだと思われていたし、今でもそういう人々が時々やらかすある種の伝統芸であることは否定しない。
ただ、最近の組織不祥事の中には、同じようなことを大きな組織の上級幹部が、場合によってはそのトップ自身が指示してやってしまう、というものも現実に見られるわけで、後から見れば、誰もが「何でそんなことを?」と思うようなことを「偉い人の指示だから」ということで誰も止められず、そして、その結果、どんどん問題となる作為・不作為がエスカレートしていって、やがて爆発・噴出し、万事休す・・・ということになることも多い。

一度、法を逸脱した作為に身を染めてしまうと、後で我に返って「こんなことをしてはいかん」と思ったところで、自分自身が既に加害者、不法行為者になってしまっているから、それが足かせになって軌道修正ができなくなる。スタンスを180度切り替えて、アホな指示を出した上司、トップを告発しようものなら、自分がしっぽ切りで生贄にされるだけ、だから、結局ズルズルと違法行為の隠ぺいに加担させられてしまう・・・。
森友事件などはそんなパターンの典型だといえるだろう。

こういった現象を、「今までだって多くの企業で起きていたこと」と開き直り、「社会の透明性が高くなったために、今までなら水面下で揉み消されていたものが目に見えるようになった証左だ」といえば、多少聞こえが良いのかもしれないが、意地悪な見方をすれば、かつて、社内外で「実力者」と呼ばれた人たちが絶妙のさじ加減で道を踏み外さずにギリギリのところで守っていたものが、跡を継ぐ人々の能力不足で露骨な違法・脱法行為に転化してしまっただけなんじゃないか、と思うところもある。

で、翻って、このような現象を別の角度から眺めたらどうなるか。

自分は「法務」というのは、たとえ上司の命令だろうが、極端な話、社長から直接下りてきた命令だろうが、“法”という武器を手に正面から向き合い、会社が誤った方向に行きそうになったら必死の覚悟で止める、ということが要求される仕事だと思っていて、それを体を張ってできる奴しか、「法務」人を名乗ってはいけないと思っている。その意味で、日本的な「忖度」は決して歓迎されないし、ましてや目をつむって違法行為の片棒を担ぐことなど到底許されることではない。

そして、組織全体が目に見える形で正義に反する方向に向かっている場合などは、まさに「法務」というセクションにいる者すべてが、職を賭してでも楔を打って、それを止めるために覚悟を決めなければいけない、と自分は思っている。

もちろん、悲しいことに、組織の中核にいる人たちの価値観が歪み、文字通り「会社が一体となって」(苦笑)法を犯す方向に向かっているような環境では、法務部門が横から口だしをする機会など、与えられもしないことがほとんど。そして、そんな状況でいくら格好つけて「職を賭してでも」といったところで、通常の日本の組織ではそのカードが一度しか切ることができないものである以上*1、ことの解決にはつながらないし、そういう状況に立ち会えば立ち会うほど、空しさしかこみ上げてこないことも多々あるのだけれど・・・。。

*1:辞めてしまえばそれまでで、それ以上に組織内にコミットすることは不可能である。

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これが許されるやり方なのか?〜リニア談合疑惑をめぐる東京地検特捜部の暴挙

ちょうど一か月前、リニア談合疑惑に関し、被疑事実を否認している大成建設鹿島建設の両社に対して異例の「再捜索」が行われたことについて、自分は憤怒の気持ちを込めて一本のエントリーを上げた*1

それからしばらく静かに時が流れ、そろそろ落としどころも見えてくるのではないか、という期待もボチボチ抱き始めたところだったのだが・・・。
新聞の1面を飾ったのは、より深刻なニュースだった。

リニア中央新幹線の建設工事を巡る入札談合事件で、東京地検特捜部は2日、大手ゼネコン鹿島の土木営業本部専任部長、(氏名略)(60)と大成建設の顧問、(氏名略)(67)を独占禁止法違反(不当な取引制限)容疑で逮捕した。公正取引委員会と連携し、不正な受注調整の実態解明を目指す。逮捕容疑は、2014年ごろから15年ごろの間、大林組清水建設の関係者などと共謀して、JR東海が発注する品川駅(東京・港)と名古屋駅名古屋市)の新設工事の受注企業を事前に決定したほか、予定通り受注できるような価格の見積もりを行うことで合意。自由な価格競争を妨げた疑いがあるとされる。当時、大沢容疑者は土木営業本部の副本部長、大川容疑者は常務執行役員だった。関係者によるとこれまでの特捜部の事情聴取に対し2人は容疑を否認していたという。特捜部は家宅捜索した4社のうち、大林組清水建設の担当者の逮捕は見送った。課徴金減免(リーニエンシー)制度に基づき、違反を公取委に自主申告した点を考慮したとみられる。両社の担当者については引き続き任意で捜査するもよう。」(日本経済新聞2018年3月3日付朝刊・第1面、強調筆者、以下同じ。)

本格的な捜査に着手したのはもう3カ月も前のこと。大林組清水建設関係者の自白調書はもう山のようにとれているはずだし、被疑事実を否認している2社からも、しつこいまでの捜索差押で関係する証拠は(もしあるならば)洗いざらい持っていっているはず。

それにもかかわらず、ここで「逮捕」という原始的な身柄拘束という手法を用いる目的といえば、東京地検特捜部が描いたストーリーに迎合してくれない二社に対する「嫌がらせ」と、国家権力の名の下に行う「恫喝」、といったものしか考えられない。

この逮捕のニュースが流れた直後に、大成建設が、

「到底承服しかねる」
「(被疑事実である独占禁止法違反に関しては)違反に該当しないと考えており、今後の捜査の過程で当社の主張をしていく」

と改めて会社のスタンスを示し、さらに、

「(逮捕された顧問が)「25回、約3カ月にわたり任意で応じているにもかかわらず逮捕された」

と、この手のプレスコメントでは異例の捜査手法批判に至ったのも、容易に理解できるところである*2

思えば、数日前の日経紙では、以下のような不思議な記事が載っていた。

リニア中央新幹線の建設工事を巡る入札談合事件で、大手ゼネコン鹿島の担当者が駅工事の入札から撤退するとの情報を競合他社に伝達した疑いがあることが28日、捜査関係者への取材で分かった。東京地検特捜部はこの情報伝達が独占禁止法違反(不当な取引制限)に当たる可能性があるとみて、ゼネコン4社と担当者の刑事責任追及へ向けた捜査を続ける。関係者によると、大手ゼネコン4社のうち鹿島と大林組大成建設の各担当者は、JR東海のリニア工事計画が国に認可された2014年ごろから、JR東海との打ち合わせの後などに東京都内の飲食店で会合を開き、工法などの情報交換をしていたという。鹿島の担当者はこうした場で、工法が難しい品川駅(東京・港)や名古屋駅名古屋市)の工事について、採算面などを理由に受注する意思がないことを他社の担当者に伝えた疑いがある。特捜部の聴取に担当者は「うちは入札から撤退するかもしれないと他社に伝えた可能性がある」と供述しているという。鹿島の担当者は、社内で知り得た情報を他社に伝えたとみられるが、特捜部はこうした行為が独禁法が禁じる公正な競争を阻害する行為に当たるとみている。一方、別の鹿島の幹部は、この担当者が社内で工事への参加や不参加を決められる立場になかったなどとして、「工事を分け合ったことはなく、不当な受注調整に当たらない」としている。」(日本経済新聞2018年3月1日付朝刊・第46面)

おそらく、検察当局筋からのリークだと思われるのだが、「工事に関する情報交換をやっていたこと」については、既に大成、鹿島の2社も認めている話で、ここでの真新しい話としては「鹿島建設の担当者が一部の工事について受注する意思がないことを伝えたこと」くらいしかない。

確かに、事実上スーパーゼネコン4社しか受注できない工事でそのうちの1社が抜ける、というのは、決して小さな話ではないのだが、一方で残り3社の競争は依然として妨げられていないのだから、競争制限効果としてはそれほどでもない、という見方もできる。
そして何より、当初検察当局から流れていた「落札企業の割り振り」だとか「価格の調整」といった話に比べると、話のスケールがかなり小さくなった感があることは否めない。

そこから推測できることは、検察当局が「描かれたストーリーに載ることを拒む」二社の影響で、最初に描いていた絵を修正することを迫られていた可能性がある、ということ。

そのような状況で、「何が何でも描いた絵のとおりに立件する」という意思を示したのが今回の逮捕劇なのだとしたら、そこには本来検察官が果たすべき正義のかけらも見当たらない、ということになる。

個人的には、今回のようなケースで、客観的にみて両被疑者を勾留できるだけの要件は何一つ満たされていない、と思っていて、刑事司法が適正に機能しているのならば、勾留請求審査の段階で(あるいは遅くとも準抗告の段階では)勾留が却下されるはずだと信じているのだけれど、仮にこのままずるずると言ってしまうようなことになったとしても、既に「リーニエンシーを使わない」という肚を決めている大成、鹿島には、「被疑者の供述調書を取らせない」戦術を徹底する等して、会社としての意思を貫いてほしい、と思わずにはいられない。

残念なことに、今回の「逮捕」を契機に、あたかも4社の独禁法違反が確定的な出来事であるかのように報じ始めたメディアもあるし*3、東京都がこれを受けて大成、鹿島の2社のみを公共入札指名停止処分にする方針、という残念なニュースも流れている。

検察官の判断が常に正しいわけではなく、ましてや本件のように当事者が明確に被疑事実を争っている事案で「一方当事者の意思」だけが一人歩きするようなことになってしまえば、公正な刑事司法など到底実現できない、という危機感をもう少し社会全体で共有してほしいものだと思うのだけれど・・・。

本件は、事実認定の面でも、「許される情報交換の範囲」という規範的判断の面でも、いろいろと興味深い論点を含む事案だけに、一方的な圧力とストーリー仕立てによる解決ではなく、対等な立場での主張立証がきちんとなされた上で判断が下されることが何よりも大事。だからこそ、今回の“暴挙”が事をゆがめないことを、自分は願ってやまない。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20180203/1517760286

*2:以上は産経ニュース(web)。2018.3.2 19:16配信。一方、鹿島建設は、「誠に遺憾で、関係の皆さまに多大な心配を掛け、深くおわびする。引き続き捜査に全面的に協力する」というごくスタンダードなコメントしか出していない。

*3:特に、日経新聞の同日第2面の記事「リニア談合 赤字回避と実績狙う 建設需要 先細りに備え」という記事などは、経済紙にあるまじき軽さで、信じがたいものだと思っている。

“第四次産業革命”の断末魔のような法改正

不正競争防止法改正案が閣議決定された、というニュースが飛び込んできた。
経済産業省のページに飛ぶと、早速、いつものように新旧対照条文まで載っている。
http://www.meti.go.jp/press/2017/02/20180227001/20180227001.html

相変わらず、特許法の一部改正とか、弁理士法の一部改正とか、はたまたJIS法の改正(昨今の情勢を踏まえた罰金額の大幅引き上げ等)とか、いろいろ盛りだくさんの法案なのだが、正直、全体的に小粒感は否めない。

本丸の不競法改正に関して言えば、ホームページには、

・ID・パスワード等により管理しつつ相手方を限定して提供するデータを不正に取得、使用又は提供する行為を、新たに不正競争行為に位置づけ、これに対する差止請求権や損害賠償の特則等の民事上の救済措置を設けます。
・いわゆる「プロテクト破り」と呼ばれる不正競争行為の対象を、プロテクトを破る機器の提供だけでなく、サービスの提供等に拡大します。

といった記載がある。

そして、今回の改正法で不競法2条1項11号以下に、「限定提供データ」の不正利用に対する規制がふんだんに盛り込まれることになったのだが・・・。

改正法に定義された「限定提供データ」という言葉に自分は違和感をどうしても隠せなくて、特に2条7項にある定義などを読むと、なおさらそう思う。

「業として特定の者に提供する情報として電磁的方法(電子的方法、磁気的方法その他人の知覚によっては認識することができない方法をいう。次項において同じ。)により相当量蓄積され、及び管理されている技術上又は営業上の情報(秘密として管理されているものを除く。)をいう。」(強調筆者)

「相当量蓄積」って何じゃい。「技術上又は営業上の情報」って全部じゃないかい・・・。
といった突っ込みは当然予測されるわけで、それでも審議会の議論を経て、立法することが決まった以上は、腹を据えて向き合わないといけないのだろうけど・・・。

個人的には、今回の改正って、特許でもブランドでもデザインでも世界の競争に勝てず、長年成長を支えてきた虎の子のノウハウさえもはや守るものが枯渇しつつあるこの国で、最後の“資源”を無理くり生み出そうとするもののようにしか思えず、それも、データ活用のプラットフォームを海外勢に占められつつある現状においては、かえって逆効果でしかないような気がするわけで、「第4次産業革命」の辻褄合わせの施策にしては、どうにもおかしなところに行ってしまったな、という感想しか出てこない。

理論的な観点からすれば、今回新設された定義を緩く解すれば解するほど「本来、情報は自由に利用できるもの」という原則との間で緊張関係を生じさせることになるし、逆に実務的には、定義を厳格に解すれば解するほど、この規定が意味のないものになってしまう*1

そして何より、「大事なのはデータそのものではなく、それをどう分析して使うか、その結果をどう見せるかだ」というビジネスの基本が、この妙ちくりんな規定が入ることによって歪んでしまわないか、ということが気になって仕方ない*2

多くの実務家にとっては、当面、現在の不正競争防止法2条1項13号以下の号番号が大きくズレる、ということ以上の影響を感じることはないだろうけど*3、じわじわと変な影響が広がっていかないように、あとは実務の知恵で上手くワークさせるしかないのだろうな、と思っているところである。

*1:「相当量蓄積され」た状態になって初めて保護され、それまでの過程が一切保護されないのだとしたら、保護の抜け道はいくらでもできてしまう、ということになりそうである。

*2:もちろん、こういう規制が入ることによって、新たな「ビジネス」が生まれる余地は出てくるのだけど(弁理士法改正案参照)、それは本来今回の改正が目指すべきところではないはずだ。

*3:最近、枝番で突っ込むパターンに慣れていたこともあって、これだけ番号がずれる経験をするのはかえって新鮮なのだが、ドメイン名(13号→19号)、原産地等誤認(14号→20号)、虚偽告知(15号→21号)等々の番号が全て大きく動くことになる。元々平成27年改正で1号分ずれていたところに重ねて、だから、昔の判決一つ読むにも注意が必要だと思っている。

歪んだ集団心理の真ん中で「法令遵守」を叫ぶことの苦しさ。

一週目にして早くもメダルラッシュの様相を見せている平昌五輪。
本来であれば、のんびり観戦記でも書きたいところなのだけど、残念ながらここ数日、そんな気が湧いてこないほどいろいろとざわついている。

ついこの前まで“他人事”のように見ていた某O社の話が急に身近なことのように思えてしまうような状況、といえば、概ね察しはつく人もいるかもしれない。
職業上の倫理観と現実のはざまで、忸怩たる思いを抱えながら、行ったり来たりしている感じである。

これまで様々な不祥事事案とか、「経営の失敗」事例に接するたびに抱いていたある種の仮説が、ものの見事に当てはまる、ということが分かったのは、一種の収穫。
だが、できればそういう場面に当事者として立ち会いたくはなかった。

今、改めて感じていることは、「平時」に百度百度コンプライアンス」を唱えることよりも、興奮状態に陥った組織の中で最低限の「法令遵守」を貫くことの方が、ずっと大事だし、難しい、ということ。そして、それをしようと思ったら、自分だけでなく、自分の身近な人々の血が流れることも覚悟しなければいけない、ということ、である。

人生における様々な物事の優先順位の中で、ここに全てを賭ける価値があるかどうか、ということへの逡巡が、自分の動きを鈍くしているところもあるのだけど、これから一晩、二晩、思いを重ねて、冷静に思考を磨き上げた末にたどり着いた結論が、その先の一歩につながるのだろう、と思っているところである。

今さらの保護期間「70年」問題、再燃。

2016年の米大統領選の影響で12ヶ国によるTPPのスキームが崩壊し、既に成立していた著作権法改正案もめでたくお蔵入り・・・と思ったのもぬか喜びだったか。
日経紙に、2年前の議論を再び思い出させるような記事が掲載されている。

「政府は小説や音楽の著作権の保護期間を現行より20年長い「作者の死後70年」にする著作権法の改正案を今国会に提出する方針を10日までに固めた。没年が1970年の三島由紀夫や72年の川端康成ら昭和の文豪の作品の一部は数年内に著作権が切れてインターネットなどで無料公開できる見込みだったが、70年に延長されると先延ばしになる。」
「成立した場合、TPP11の発効で施行する方向。2017年12月に交渉妥結した日欧の経済連携協定(EPA)の発効が先となれば、TPP11の発効前に施行する可能性もある。政府はいずれの協定も19年の発効を目指している。」(日本経済新聞2018年2月11日付朝刊・第30面)

記事の中では「TPP11」が主な理由として挙げられているが、昨年EPAが大枠合意になった時点で「保護期間延長だけは入る」という噂は聞こえてきていた。

元々、保護期間延長、というのは、数年前の一連のTPP対応(著作権保護強化)の動きの中で、その分かりやすさゆえ“攻防”の目玉として掲げられていたが、「青空文庫」のような特殊な利用形態を除けば、著作者の死後「50年」もコンテンツとして消費され続けてきた作品を保護期間が切れたからと言って何の仁義も切らずに勝手に商用利用できるはずもない。

それゆえ、ビジネスベースの「コンテンツ利用」の観点からは、保護期間が20年伸びようが伸びまいがそんなに大きな影響はないわけで、この論点に対する企業実務家の関心は、決して高いものではなかった。

もちろん、50年先どころか、10年先ですら「既存のコンテンツの市場」が生き残っているかどうか疑わしいような、変化の速いこの時代に、「保護期間延長」が新たな創作のインセンティブになることなんて到底期待できないわけで、「創作インセンティブの保護」という著作権法の本来目的に照らして保護期間延長にどれだけの意味があるのか?という問題に何ら答えが示されていない以上、“延長”に手放しで喜ぶわけにもいかないのだが、海外の著作権法制に接していると、無意識のうちに「70年」という数字が刷り込まれてしまうのも確か。

創作者にとっても、ユーザーにとっても大した影響がないのであれば、諸外国に合わせて変えたところで大勢に影響はない、だから変えてしまえ!!という発想も、(少々乱暴ではある
が)当然出てきて不思議ではない。

あとは、おそらく3月になると思われる著作権法改正案の閣議決定のタイミングで、他にどんな規定がセットで付いてくることになるのか。

ユーザーの立場からしたら、本来は

「保護期間延長」を認めても良いけど他の「利用機会確保策」とのバーターで・・・

ということにしたかった話だけに、今後の「新・改正法案」の行方が気になるところである。

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