国籍なんてどうでもいい。

錦織圭選手の久々の快進撃と、その陰に隠れつつ遂に「確変」を起こした大坂なおみ選手の大ブレイクで、いつになく日本のメディアもヒートアップした今年のテニス・全米オープン

勝ち上がっている間は、「よりによってWOWOWの独占生中継の大会でこんなことになるとは・・・」と、試合をライブで見られない腹いせに悪態をついていたりもしたのだが、大坂選手がセリーナを倒して優勝、という結果の前ではそんなことはどうでもよくなる。

生まれこそ大阪だがまだ短い人生の大半を米国で過ごし、外観も話す言葉も日本のマジョリティではない。
国籍だって、2年後に日本と米国のどちらを選択するか、今の時点で確信をもって断言できる人はいないはず。
だから、彼女が結果を残すたびに、一部で騒ぐ人は必ず出てくるし、「日本人初の」というフレーズに違和感を抱いている人も決して少なくはないと思う。

ただ、個々人の才能と鍛錬が全てのこの競技において大事なことは、既に生きる伝説になっている、あのセリーナ・ウィリアムス選手を圧倒的な力でねじ伏せる選手が出てきた、ということだけで、それを成し遂げたのが日本人だろうが米国人だろうが、はたまた東欧やロシアの選手だろうが、そんなことはどうでもいいことだと自分は思っている。

自分の世代だと、シュテフィ・グラフの黄金時代から、モニカ・セレシュ伊達公子マルチナ・ヒンギスリンゼイ・ダベンポート、そしてウィリアムズ姉妹へと続く時代の大きなうねりを見てきているし、その後のシャラポワ、エナン、クライシュテルスといった選手たちがめまぐるしく入れ替わって世界ランク1位を争っていた時代も見てきた*1

ただ、頂点に立っては一歩後退を余儀なくされる選手が多い中で、21世紀に入って以降今に至るまで、20年近く女子テニス界の顔として君臨してきたのがセリーナ・ウィリアムズ選手だったこと(多少相手の自滅癖が出たところがあったとはいえ)、そして素人目にはほぼセリーナと同じスタイルのように見える若干20歳の選手が、四大大会の決勝で“本家”の上を行くパワーテニスで勝利した、ということが、この試合の「歴史的転換点」としての価値をより高めている。

だから、この日勝った選手が、日本人だろうがそうでなかろうが、そんなことはどうでもいい。
そして、このレベルの戦いになってくると、「日本人初の」というありふれた見出しを超越したところに勝利の本当の価値があるのだ、ということを少しでも多くの人に伝えることがメディアの役割だ、と自分は思うのである。

*1:ここ数年はあまりに群雄割拠過ぎて、もはやフォローしきれていないのだけれど・・・。

120分の死闘と、ホッとした結末。

東京2020を控えて、日本選手団にいつになく力が入っていた2018アジア大会
序盤の競泳で、池江選手を筆頭に金メダル祭りで幕を開け、折り返していつもならペースダウンする後半の陸上競技に入っても男子マラソンの金メダルを皮切りに、●●年ぶり、の見出しが躍る価値ある金メダルがチラホラと飛び込んでくる。
そして、球技でも(いろんな意味で味噌を付けた男子バスケを除けば)、取るべき競技で着実に金メダルを積み重ね、そこまで行かない競技でも軒並み「次」に期待を持たせる結果に。

そして、やはり開会前から最後まで、驚きを与え続けてくれたのが、我らがサッカーU-21代表だった。

他の参加国が23歳以下の世代で構成したチームを送り込む中、「2年後」を見据えた21歳以下のチームで参戦。
メンバー中5名は大学生だし、プロチーム所属の選手たちの中にもレギュラーとして盤石な地位を築いている選手はほとんどいない。
そして、A代表の公式戦ではない、ということで、早熟の海外組は「ゼロ」。

たかが2年、とはいえ、この世代の進化のスピードを考えると、国際経験の差とかプロでの経験の大小は、個々の選手の力量に如実に反映される。

それゆえ、準備期間の短さも相まって、グループリーグの初戦では世界的には無名のネパール相手に1-0の辛勝。最終戦ベトナム戦では歴史的な敗北を喫し、続く決勝ラウンドでは1回戦で早々と散ることも十分想定されるような状況だった。

それが、である。

1回戦、押され気味のゲームで最後の最後に掴んだPKでマレーシアを1-0で下すと、A代表でも苦戦するサウジアラビアUAEといった相手に堂々の勝利。

グループリーグからたびたび入れ替わっていた11人のメンバーも、中盤の松本泰志選手、渡辺皓太選手が核になって、俊足の前田大然選手、得点感覚に優れた岩崎悠人選手が攻撃の主導権を握る、というパターンがほぼ定着。そして先発した試合ではさっぱりだった上田綺世選手を終盤に投入して決定的な仕事をさせる、という森保采配も見事にはまり「想定外」の決勝進出と相成った。

勝戦で当たった韓国は、U-23のメンバーだけでも欧州組を抱えている上に、W杯代表クラスのオーバーエイジ選手をフル活用。
なんといっても「優勝して兵役免除」が必達ミッションだったチームだから、まともにぶつかって勝てる相手では到底ない*1

したがって、一観戦者としては、ここで宿敵相手にあっと言わせて欲しい、という思いを持ちつつも、頭の中では「まぁ無理だろうな」という予想がほとんどを占めていたし、ここで勝ってしまうのは空気を読まないにもほどがある、という気持ちもあった*2

なので、最終的に1-2で敗れて銀メダル、という結果には何の意外感もなく、どちらかと言えばホッとした気持ちの方が強いのだが、圧倒的な劣勢をしのいで互角の攻防にまで持ち込んだ90分間と、2失点後の選手交代で一気に息を吹き返した最後の15分の戦いを実際に見てしまうと、勇敢に戦った日本チームの選手たちもまた金メダルにふさわしい戦いだったな、という思いも当然よぎるわけで、試合後には、韓国に「勝たせる」意味と合わせて、「ここで負けたことが次のステップになる」というありきたりなフレーズを思い浮かべ言い聞かせることで、どっちつかずの応援しかできなかった自分を慰める羽目になってしまった・・・。

*1:同じく「最強」と言われたウズベキスタンともども、決勝戦まで対戦せずに済んだことに感謝しないといけない・・・。

*2:大会前から報道が過熱していたとおり、「ソン・フンミン選手が欧州のキャリアを捨てて兵役に入る」などということになってしまったらアジアのサッカー界にとっては大きな損失だし、ましてや最後にたどり着いた決勝の舞台で日本が敵役になることなんて考えたくもなかった。「病的なまでにヒステリックな世論」という悪弊に支配されている国民の苦しさが一番分かる立場だからこそ(だって、それって日本とまるで同じだから(苦笑))、今回ばかりは負けても失うものがない方が譲る、という判断があっても良いだろうと個人的には思っていた。

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今こそ止める時。止めなければいけない時。

最近、自民党の総裁選をめぐるさや当てが面白くて仕方ない。

石破茂・元幹事長陣営が掲げた「正直、公正」というキャッチフレーズ。
権力の頂点に立とうとする人のメッセージとしては、何ら不思議ではない、むしろ、当たり前過ぎるくらいのこの一言に、なぜか批判が飛ぶ。

それって、普通に考えればそれだけでおかしくって、客観的には、対立候補のアベシンゾウとその取り巻き達が「自分たちが正直でもないし、公正でもない」ということを日頃からしみじみ感じているからこそ、思わず悪態をついてしまっているようにしか見えないのに、そのことにすら気づいていないのかお前らは・・・という何ともシュールな戦国絵巻が展開されている。

個人的には「森友」とか「加計」なんて話は、正直どうでもよいのだけど、自分たちを客観視できない人々に囲まれている政権、というのは、やはり有害無益でしかない。

そしてそれ以上に、この6年の間、今の政権になってから、政府がやたらと民間事業者のビジネスの領域にまで首を突っ込んでくるようになったこと、そして、あたかも「国家主導」で産業政策を引っ張っているような面をしている人間が増えたことに自分は一番辟易している。

元々、経産省界隈にはそういう類の人間が比較的多かったのだけど、それまでは他の役所の牽制機能もあって、何となくバランスがとれたところに収まっていたのところはあった。

それが、今の総理との相性もあって、ここ数年、そういう輩がやたら増殖し、「成長戦略」の名の下に無駄な予算を使っては無駄な“官製事業”を打ちまくり、民間事業者の経営に土足で踏み込んで余計な口を出す。

人工的に作出した金余り現象のおかげで、見かけの経済成長率こそ辛うじて横ばい+αを確保しているものの、内実は全て将来世代へのつけ回しだから、まだまだ先が長い世代の我々にとってはたまったものではない。そして、財政上の問題以上に、今の、この国の生の実態を直視することなく、10年前、20年前の感覚で「技術立国」とか「知財保護強化」といったお題目を唱え続けるセンスのなさもまた致命的だと思っている。

今必要なのは、この国の現実を見つめること。
そして、財政規律を徹底して、近い将来、国が沈没するリスクを最小限に食い止め、「小さくてもしぶとく生き残れる国」を目指すこと。

なのに、そういった声は黙殺され、決して整合的ではない人気取り施策ばかりが先行することに、危機感は強まる一方である。

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いつか「女性騎手」という見出しが消える日が来ることを心から願う。

週末、土曜日の新潟競馬場で、遂にその日は来た。

中央競馬唯一の女性騎手、藤田菜七子(21、美浦根本康広厩舎)が、25日の新潟競馬12レースをセイウンリリシイで勝ち、中央の通算勝利を35として、増沢由貴子(旧姓牧原=現調教助手)が持つ女性最多勝記録を更新した。また、今年15勝となり、自身が昨年記録した女性騎手の年間最多勝(14勝)も上回った。」(日本経済新聞2018年8月26日付朝刊・第29面、強調筆者)

昨年、女性騎手の年間最多勝記録を破った、というのが話題になってから*11年も経たないうちに、藤田騎手は通算勝利数でもあの牧原由貴子騎手を追い抜いた。

その前の週の日曜日には一日2勝挙げるなどここにきて好調の波に乗っているし、今年に入ってからは関東の若手騎手の中でも騎乗馬が質量ともに増加傾向で、特にローカル開催であれば十分に勝ち負けを争える騎手という存在になってきていたから、先週の時点で、そう遠くないうちに抜くよな・・・と思っていたのだが、想像していた以上に速いペースでの達成。

一部のメディアには「あくまで通過点」といったような本人のコメントも掲載されていたが、その台詞が自然体に聞こえるくらいこのタイミングでの記録更新に違和感はない。

ただ、そうはいっても、現状ではまだ、勝っても負けても「女性騎手」という、よく言えばブランド、悪く言えばレッテルが彼女には常につきまとっているのが、個人的には少々引っかかるところ。そして、先頭を走る荻野極騎手や、三兄弟の次男・木幡巧也騎手、坂井瑠星騎手といった同期のトップクラスに比べると「35」という数字でもまだまだ物足りないのは事実である。

上記の記事が新聞を飾ったその日に、今後、大きいタイトルも狙っていけそうな良血3歳牝馬、マルーンエンブレム*2で36勝目を挙げた藤田騎手の姿を見て、もう「女性」という冠を付けるのは失礼だよな・・・と思ってしまったのだが、それでもテレビメディアはまだまだ藤田騎手の“アイドル的要素”をただひたすら消費することしか考えていないように思えて、ちょっと腹立たしい。

それよりは、今年のうちに重賞制覇とかG1初騎乗を成し遂げ、東西のリーディングで44位(2018年8月27日現在)という現在のポジションをちょっとでも引き上げれば、彼女に対する見方も俄然変わってくるし、遅かれ早かれ「女性である」ということだけで区別して論じるような時代ではなくなると思うのだけれど、今はそれ以前に「大きなケガをしない」というだけをただただ願いつつ、藤田騎手の秋以降の更なる飛躍を期待してみることにしたい。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20171021/1508780371

*2:母が秋華賞馬・ブラックエンブレム、兄・アストラエンブレムは好調な走りで既に賞金1億円越えを達成しているし、その上の兄・ブライトエンブレムも重賞ウィナーである。ちなみにこの馬自身の父親はオルフェーヴル。一発を秘めた血統であることは間違いない。

バックネット裏の思惑を打ち砕いた痛快な春夏連覇。

第100回の記念大会、という触れ込みで、これまで以上に取り巻く大人たちの肩に力が入っていた今年の夏の高校野球

いつも思うことだけど、「負けたら終わり」という一発勝負のトーナメント方式、かつ、事実上、高校生活最後となる大会で“後先考えない”アマチュアの選手たちが必死で全力を出して競い合うわけだから、どの試合も面白くならないはずがない。

フットボールなんかに比べると、チームの力量差が勝ち負けに露骨に反映されやすく、それゆえに、本来、勝負ごととしての面白みは決して大きいものとはいえないのが「野球」というスポーツの宿命なのだが*1高校野球の場合、猛暑の中、地方予選から試合が続くという過酷な環境と甲子園の独特の緊張感が作用して、思いのほか“荒れる”傾向も強いから、何ら人工の“添加物”を加えなくても十分楽しめるコンテンツになり得るのだ。

今大会でいえば、エースの力投で横浜、日大三といった名門校をなぎ倒し、準々決勝では土壇場で2ランスクイズまで決めて試合をひっくり返した金足農業高校の戦いぶりがまさにその典型。

「県立の星」とか「秋田県勢100数年ぶり」とか「一人で奮闘するエース」とかとかの煽り系の形容詞を付けなくても、彼らの試合の映像だけ見ていれば十分胸にしみるものはあった。

それだけに、個人的には、彼らが勝ち進むたびにヒートアップしていく“判官びいき”的なメディアの取り上げ方に辟易したところは多かったし、だからこそバックネット裏で書かれていた“田舎の県立高校生たちの感動ストーリー”を、圧倒的な力量差と練り上げられた戦術で粉砕し、2度目の春夏連覇という偉業と共にリアルな「現実」を見せつけた大阪桐蔭高校の戦いぶりには素直に驚嘆させられた。

バックネット裏でうごめいていた大会関係者やメディアの浅はかな言動をあげつらっていけばキリがないし、今大会が、真剣勝負の舞台に余計な“教育論”を持ち込む審判団とか、酷暑の中でも日程消化を優先する大会運営のあり方など、「夏の甲子園」に対して様々な疑問が投げかけられる大会となってしまったことは間違いない。

ただ、今は、そんなことより、グラウンドの上で必死に戦い続けた結果一大ムーブメントを生み出した両校の選手たちに、特に、「レベルの高い選手たちが切磋琢磨すれば、毎年選手が入れ替わる高校野球の世界でもこれだけ安定したチームが出来上がるのか!」ということを教えてくれた大阪桐蔭の選手たちに精一杯の拍手を送りたい、と思っている。

*1:それゆえ、どんなに日本がアピールしても、五輪競技としての評価は一向に高まらない。

復活の狼煙と立ちはだかる「世代の壁」

ついこの前始まったと思った夏競馬も、あっという間に終盤に差し掛かりつつある。

この時期になると、「夏競馬」と言っても、下級条件戦(3歳馬の場合)からオープンクラスのレースまで、実質的には秋のG1シリーズに向けた前哨戦、という意味合いが強くなるのだが、今日のG2・札幌記念などは、まさにその典型のようなレースだった。

例年以上に重賞タイトルホルダーが揃う中でも、抜群の存在感を放つダービー馬・マカヒキ
一方で、3歳秋のフランス遠征以降、同馬が輝きを失っていたのも事実なわけで、この日も1番人気ながら、付いたオッズは観衆の“恐る恐る”感が如実に現れている「4.3倍」。

他の上位人気馬も、2番人気のサングレーザーは長らくマイルを本職としていた馬、4番人気のモズカッチャンはドバイ遠征以来の出走、ということで、個人的には、昨年の覇者、サクラアンプルール*1や、マイスタイル、スティッフェリオといった洋芝実績のあるこの夏の上がり馬の方が気になっていて、馬券的には非常に妙味のある一戦だな・・・という印象だった。

蓋を開けてみれば、最終的に上位を占めたのはG1馬2頭と、G1が手の届くところにまで来ているサングレーザーで、思いのほかつまらない結果になっているのだが、1番人気の組み合わせながら馬連が4ケタ配当になっていたり、ワイドもそれなりの高配当になっているところを見ると、筆者に限らず、皆頭を悩ませた一戦だった、ということなのだろう。

そして、そんな懐疑的ムードの中、ようやくマカヒキが“らしさ”を見せてくれたことで、胸をなでおろした関係者も多いはず。
稍重馬場とはいえ、タイム的には決して速い時計とはいえないし、ゴール前であれだけ豪快な差し脚を見せながら、最後の最後でサングレーザーを捕まえきれなかった、というあたりに、昨年来揶揄されている“世代の弱さ”を感じたのも確かなのだが、サトノダイヤモンドに全く復調の兆しが見えない中、世代の元看板馬が、秋の天皇賞ジャパンCで「最強4歳世代」と互角に渡り合えそうな気配をようやく醸し出してくれた、ということにまずは感謝したいと思っている。

久々の騎乗で最後の脚を引き出したルメール騎手が、秋の大舞台でこの馬の手綱を取る可能性は決して高くないし、万が一、この日勝った馬に何かの弾みで乗り替わるようなことになれば、「世代の壁」は、ハナ差なんてものでは済まない高いものに再び逆戻りしてしまうような気もするのだが、今は“復活”に微かな希望をもって、眺めておくことにしたい。

*1:直前の函館記念でも2着に食い込む波乱を演出しているにもかかわらず、今回も7番人気に留まっていた。

「グッドルーザー」と称えるには惜しすぎた。

日本時間、7月16日午前0時から行われたW杯決勝。
延長戦そしてその先のPK戦まで見据えて準備万端で臨んでいたのだが、勝利祝いのシャンパンはもちろん、それまでのつなぎのつもりで用意した酒すら飲み切れないまま、あっけなく90分で終わってしまった。

14日付のエントリー*1で引用したのと同じ形式で、決勝の試合を表現するなら、以下のようになる。

勝者 決勝 対クロアチア 4-2
ボール支配率38%、シュート8本(うち枠内6本)/相手シュート13本(うち枠内4本)
シュート者上位:エムバペ3、グリーズマン2、ポグバ2
パス成功者上位:ポグバ29、エルナンデス24、ロリス21

敗者 決勝 対フランス 2-4
ボール支配率62%、シュート13本(うち枠内4本)/相手シュート8本(うち枠内6本)
シュート者上位:レビッチ3、ラキティッチ3、ブルサリコ2 ほか
パス成功者上位:ブロゾビッチ88、モドリッチ68、ブルサリコ61

今大会随所で見られた「矛&盾」対決の中でも、お互いが「攻められる盾」「守れる矛」であった分、極上のクオリティとなったこの戦い。そして、両者の持ち味が存分に発揮された、ということは、62:38というボール支配率の圧倒的な格差と、シュート数と枠内シュート数の優劣が見事に逆転する、というマジカルな結果が十分に物語っている。

そして、セットプレーからあっけなくフランスが先制したのは「青」の勝ちパターン通りだったし、クロアチアが10分後、怒涛のような波状攻撃で10分後にすかさず追いついた、というのも、まさに「赤白」の勝ちパターン通り。

今大会を象徴するようなVAR判定*2クロアチアのプランをちょっとだけ狂わせたが、後半に入ってからも、フランスの攻撃は全く形にならず*3、圧倒的に攻めていたのはクロアチアの方。

決勝トーナメントに入ってから3試合連続で120分を戦い、「もはやこれまでのようなパフォーマンスは期待すべくもない」という大方の想像をいい意味で裏切ってくれたクロアチアの不屈の魂をもってすれば、ちょっとしたきっかけで再逆転、という展開も十分に予想できたし、後半10分にフランスの守備の要、カンテ選手をベンチに追いやったところまでは、まさに「シナリオ通り」の展開になっていたはずだった・・・。

多くの識者は、その後、痛恨の2失点で勝負が決まったこの試合を「後半、クロアチアが力尽きた」と評している。
だが、真実は、カンテ選手という楔から解き放たれ、それまでは多少なりとも守備に比重を置いていたクロアチア中盤の名手たちが、名実ともに「美しく、攻めて、勝ちにいく」というマインドで統一されてしまったことが悲劇の始まりではなかったか。

90分を通じて、「これはやられるかも」というシーンを必ずきっちりと得点に結びつけたフランスイレブンの完成度の高さには、ただただ賛辞を贈るしかないのだが、ポグバ選手の3点目にしても、エムバペ選手のとどめの4点目にしても、守備陣の心がもう少し自軍寄りにあったら、そして、GKのスバシッチ選手がこれまで通りの集中力と反応の良さを発揮していてくれれば、と思いたくなるような代物。

幸いにも、終盤まで「2点」というセーフティリードを保ち続けることができたことで、勝者は準決勝とは打って変わって「誇り高き勝者」のプライドを最後まで保つことができたし、敗者も過度にヒートアップすることなく、「グッドルーザー」としての印象を残すことができた。

だが、それまでの拮抗した戦いの中で、クロアチア人のハートに心打たれ、姑息なフランス人の立ち回りを憎んだ者からすれば、「W杯決勝、あと一つ勝てば優勝」という舞台にしては、時間が過ぎれば過ぎるほど試合が大味なものになっていたことは否めないわけで、振り返れば振り返るほど、この千載一遇のチャンスを逃したクロアチア代表の“惜しさ”に目を向けずにはいられない。

大会が最後まで終わってしまえば、いかに代表チームとはいえ、もう全く同じメンバーで試合をすることはできない。
そして、それが分かっていたからこそ、とことん勝利にはこだわってほしかった。

それが、“にわか”でクロアチア代表のここ数週の試合を見続けた者が抱いた、率直な思いである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20180714/1531595336

*2:いろいろと批判している人は多いが、個人的にはあの「手」は、DFの選手が自分の「意思」で瞬間的に出したもののように見えたし、それまでの「ハンド」に対する今大会の判定と比較しても、「誤審」といわれるレベルのものでは決してなかったと思う。

*3:これまでフランスの攻撃の鍵になっていたジル―選手にしてもパバール選手にしても、味方へのパスはことごとくカットされ、ほとんど機能していなかったに等しかった。

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