何歳になっても。

今日の日経の朝刊に次のような記事が出ていた。

最高裁は5日、1年半の修習を終えた58機修習生1058人のうち、過去最多の124人を判事補に採用することを決めた。このうち女性は34人。裁判官を希望したが採用されなかった修習生は9人(うち女性3人)で、2003年の8人を上回り、記録の残っている1966年以降で最も多かった。閣議を経て16日付で発令される(2005年10月6日付日経新聞42面)。

最多とはいえ、不採用者が9人「しか」いない、というのは、
通常の公務員の採用を考えれば極めて異常なことである。


そこにどのような裏事情が働いているのか、
自分は噂話でしか聞いたことはないし、さほど関心もない。


ただ、少し嬉しくなったのは、この後に続く次のデータ。

新任判事補の年齢は23−39歳で、平均は27.1歳。

こういう仕事は新卒がなるものだと思っていたのだが、
最高齢者が39歳、というのはなかなかのものではないか。


この方がどういうバックグラウンドを持っている方か、自分には分からないし、
もしかしたら、「普通の人」ではない、方なのかもしれないけど、
40歳手前でこういう世界に飛び込んでいく、というのは、
いつかは同じ世代に近づく自分にとっても、非常に勇気付けられる話である。


そんなことを朝考えていたら、
夕刊にも次のような記事が。

法務省は6日、司法修習を終えた新任検事96人に辞令を交付した。過去最多で、昨年より19人増えた。うち女性が30人と、2002年の22人を上回り、これまでで最も多い。年齢は23−41歳で、平均は27.9歳。

今度は41歳ですか・・・。
この方が若い頃に合格して修習に入ったのか、
それとも39歳で合格を勝ち取った方なのかは分からないが、
勇気ある選択に、心からエールを送りたい。


願わくば、今行われている司法制度改革が、
高年齢者のチャンスを奪う制度にならないことを祈る。
司法試験への受験機会の問題もさることながら、
修習後の進路の問題の方がなおさら重要だろう。


これまで、一定以上の修習成績を残した者には確実に開かれていた門戸が、
大量に法曹資格者が送り出されることによって閉ざされてしまうのであれば、
それはもはや、「改革」というに値しない愚策に過ぎない。


若さは確かに一つの武器ではあるが、
人より長く人生を生きている、ということに勝る武器はない。


何かをあきらめるまで成長し続ける、
それがヒトという動物である。


ま、既に任官者の平均年齢を越えてしまった自分が言っても、
あまり説得力はないかもしれないが(笑)。

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