ジュリスト2006年1月1日・15日号(No.1304)

表紙のカラーリングも新たに迎えた新年合併号は、
特集が「行政手続の法整備」。


パブリックコメント」の手続が「行政立法手続」として法制化されるなど*1
近年になって、行政手続のオープン化、透明化が
著しく進んでいるように思われる。


まだまだ不十分という声も当然あるのだろうが、
少なくともここ数年の行政側の努力は、率直に評価して良いのではないかと思う。


反面、企業に対しても情報開示の圧力はかかるようになってきているが、
依然として外に対して閉鎖的な風土は残っている。
個人的には、株主のみならず一般ユーザーその他のステークホルダーに対しても、
もっと開示すべき情報はあると思うのだが、
社内からはなかなかそういう発想が出てこないところに、
問題の根深さがある。


パブリックな存在である、という点では、
行政も巷の大企業も実は変わらないと思っている。
私企業である、という理由だけで、都合の悪い情報を隠しているようでは、
企業としての社会的責任を放棄しているとの謗りを受けたとしても、
文句はいえまい。


以下、いつものように印象に残った記事について。

環境法セミナー

上智大の畠山教授を交えた座談会の中で、
行政事件訴訟法改正が自然保護訴訟に与える影響について議論されており、
なかなか興味深いものがある*2


環境法の講義を以前受けたことがあるのだが、
政策論と条約のスキームの話が多くて辟易した記憶がある*3


もちろん、そういったアプローチが必要なのは認めるが、
法律家に必要な「環境法」の知識とは、
そういったものばかりではないはずだ。


そういう意味で、「自然保護と財産権規制」の問題など、
法的論点もしっかり押さえている本稿の内容は目を引くものがある*4


なお、環境法の世界が独特だと感じるのは、
論文を書かれたり、様々なところで発言されたりしている研究者、実務家
(そして専攻する学生も)が、
みな「環境保護推進側」にたっているように思われること。


それゆえ、同様にイデオロギー的な色彩が濃い労働法分野で、
労働者側と使用者側の論者が均衡しているのに比べると、
いささか議論が偏っている感がしないでもない。


今の時代、露骨に「環境保護反対」と叫ぶのは勇気がいるだろうが、
企業活動の見地から、
あるいはその地域で生活する住民の経済的利益という見地から、
過度な環境規制に疑義を投げかけて論陣を張る研究者なり、
実務家なりがもっといた方が、より成熟した議論になって、
長い目でみれば、適切な環境保護のためのルールの定立につながると
思うのである*5

探究・労働法の現代的課題【第5回】*6

シリーズの第5回は、「公益通報者保護法」をめぐる問題。


施行まで3ヶ月を切っているのだが、
昨年の“個人情報保護法騒動”に比べると、世の中一般的にも、
社内的にも、施行に向けてあまり盛り上がっているとはいえない。


本稿では、まず荒木教授の「公益通報者保護法」の解説がなされた後に*7
使用者側の男澤弁護士*8、労働者側の鴨田弁護士*9の見解が続く。


本法をめぐる関心事は、
内部告発の正当性判断の基準がどの程度のレベルに設定されるか、という点と、
②同法の対象となっていない事項等に関する内部告発について、
判例がどの程度の保護を及ぼすか、という点に集約されるように思われる。


そして、これらの点につき、それぞれの論者の見解は、
いつもながらに大きく食い違っている。


まず、①については、
一見明確に見える事業者内部通報の正当化要件*10でさえ、
「公益性」を要するか否かという点で見解が分かれているし*11
保護要件が加重されている外部通報(行政機関、事業者外部通報)については、
「真実相当性」の要件をめぐって、「確実な資料・根拠」を要するとする見解*12には
異論が出されてもおかしくはない。


また、②については、
「本法の保護対象となっていない場合でも判例法理により保護される余地がある」
という認識自体は、すべての論者が有しているものの*13
その「余地」がどの程度のものなのかは、
論者によって解釈がまちまちとなっている。


荒木教授は、菅野教授『労働法〔第7版〕』の指摘を受けて、
本法における公益通報者保護の考え方が、本法の対象外の労働者にも適用される
余地があることを示唆されているが*14
そこでは、「正当性判断において(労働者に)「プラスに」考慮される」ことが
念頭に置かれているのに対し、
男澤弁護士は、告発内容が「通報対象事実」に該当しない場合には、
「告発行為全体としての公益性を認めがたいこともあろう」と述べられ、
事業者外部への告発が法の定める正当化事由*15を満たさない場合には、
「事業者外部への告発を保護すべき特段の事情が存するとは考えがたい」として、
本法による場合以外の労働者の保護を極めて限定的に解されている*16


鴨田弁護士が指摘されるように、
「法の要件に内部告発に関する判例が引きずられる危険」はあるように思われ*17
この点については、運用をより慎重に見守っていく必要があるだろう。


法の施行を目前に控え、
法務担当者が内部告発の恐怖に慄いていると思われる方もいるかもしれないが、
少なくとも自分は、“慣性”でしか動かない組織に刺激を与え、
会社の膿を出すためには、一定の内部告発も必要だと思っているし、
長い目でみれば、それが会社の発展にもつながると思っているので、
今回の新法施行は大歓迎である*18


だから、次のような記述は、生理的にはあまり気持ちの良いものではない。

「事業者外部への通報はそれ自体企業に甚大な損害を与えかねない行為である。現代の高度情報化社会にあって、違法行為がある旨の情報が企業外に発信された場合、企業の名誉・信用は直ちに失墜し、経営危機さえ招きかねない。このような企業経営に与える重大な影響を考慮すれば、事業者外部への通報は、事業者内部への通報では違法行為の是正が期待できないなど特段の事情がある場合に例外的に許されるものと考えるべきである。」(男澤・前掲156頁)

「違法行為」というからには、誰かしらの法益が害されているはずであり、
当該行為を行った企業は、真摯な対応をとることが求められるはずだし、
社会的制裁を受けることも甘受する必要があるはずである。
だが、上の記述は、たとえ違法行為がある場合でも、
「重大な影響が出ると困るから、原則として外部通報を許すべきではない」
というふうに読めてしまう。


違法行為でもないのに、あたかも悪いことをしたかのようにバッシングする
メディアやインターネット掲示板の存在を考えると*19
気持ちは分からないでもないが、
幾らなんでも言いすぎであろう。


会社内部の“違法行為”の芽を日々の活動で摘んでおけば、
内部告発が全面的に保護されるようになったとしても、何ら恐れることはない*20


最後に、鴨田弁護士の論文の末尾にある次の言葉を、
企業法務担当者として、重く受け止めたいと思う。

「日本においては、「企業社会」と言われるように、社会が企業を中心にして回ってきたし、「企業社会」の中では、企業の論理のみが通用し、自然人たる従業員の人間としての声は、就業規則で押しつぶされてきた。全人格的忠誠を従業員に強いてきた企業が掌を返したように、多様な個性の尊重とかコンプライアンスなどと叫んでも、にわかに信じ難い。」
「社会全体。ことに企業社会における意識を、生身の個人を尊重し、経済は自然人の下僕にすぎないと明確に意識するものに変えていく努力が様々な場面、レベルで継続して取り組まれなければ、「コンプライアンス」は一時の風潮で終わってしまうか、強い者が都合のよい時だけ声高に叫ぶことになりかねない。」(鴨田・前傾164頁)

時の判例

これまで何度か取り上げてきた関西医大研修医(未払賃金)事件*21について、
最高裁調査官のミニ解説が掲載されている*22

過去のエントリーの中でも、
本判決について、水町助教授、橋本助教授の評釈を取り上げてきた。


水町助教授の評釈(http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20051026/1130346863
橋本助教授の評釈(http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060101/1136114200


そして、上記の中でもっぱら議論されてきたのは、
本判決において、労働者性の判断基準として挙げられている
「使用者のための労務提供」という基準が、
これまでの「使用従属性基準」との関係でどのように位置付けられるのか、
ということであった。


この点につき、本稿では、次のような解説がなされている。

「この判断基準は(筆者注:これまでの判例で示されてきた「業務上の指揮監督の有無」といった労働者性の判断基準)、労働者と請負人等との区別を念頭に置いたもの、つまり、労働者性の判断の対象者が「労務の提供をする者」であることを所与の前提とした上で、その労務の提供が「他人の指揮下において」されているものであるか否かを判断するためのものである。」
「(本件では)そもそも研修医が「労務の提供をする者」であるのかが問題とされているのであるから、B(筆者注:死亡した研修医)がこの判断基準を充足することは、労働者に該当するというための必要条件ではあっても、十分条件ではなく、それとは別個に(又はその前提として)、Bが「労務の提供をする者」であることが肯定されることを要するということになるであろう。」(内野・前掲167頁)

結局、最高裁は、従来の使用従属性基準に加えて、
「使用者のための労務提供」という基準をも労働者性の判断基準として認めた、
と理解するのが妥当ということになろうか*23


解説の中では、上記のような解釈をとることで生じる不都合*24についても、
判断の対象となる期間を広くとることによって解消することを試みている*25


個人的には、何となく納得してはいるのだが、
今後もこの論点に関しては、
少なからず議論が集積されていくことになると思われるので、
フォローできる範囲で見ていければ、と思う。

商事判例研究

NTTリース事件*26の評釈が掲載されている*27


なかなか興味深い中身だったので、判決にも当たってみたのだが、
実務的に非常に興味深い事例であるため、
別途稿を改めて取り上げることにしたい。

*1:常岡孝好「行政立法手続の法制化」ジュリスト1304号47頁(2006年)参照。

*2:大塚直=中谷和弘=北村喜宣=畠山武道「自然環境保護法制の到達点と将来展望」ジュリスト1304号134-135頁(2006年)。

*3:この話は以前にも書いたかもしれない。

*4:前掲・126‐129頁

*5:前者はともかく、後者の「居住する住民の経済的利益」については、メディアも含め、もっと目を向けた上でしっかりとした議論をした方が良いと思う。環境を犠牲にしてでも自分たちの生活を確保したい、と思う地域の人々の思いも、環境を保護したい、という“外の人間”の思いと同様に重んじられるべきだと、個人的には思っている。

*6:荒木尚志=男澤才樹=鴨田哲郎「内部告発公益通報の法的保護‐公益通報者保護法制定を契機として」ジュリスト1304号148頁(2006年)。

*7:荒木尚志「労働法学の立場から」ジュリスト1304号148頁(2006年)

*8:男澤才樹「使用者側の立場から」ジュリスト1304号154頁(2006年)

*9:鴨田哲郎「労働側の立場から」ジュリスト1304号160頁(2006年)

*10:「不正の目的でないこと」(2条1項)という要件のみである。

*11:荒木教授(前掲・151‐152頁)、鴨田弁護士(前掲162頁)は不要と解するが、男澤弁護士は必要と解する(前掲・157−158頁)。

*12:男澤・前掲157頁

*13:荒木・前掲150頁、男澤・前掲155、158頁、鴨田・161頁など。

*14:荒木・前掲153頁。

*15:内部通報等をすれば解雇その他不利益な取扱いを受けると信じるに足る相当の理由がある場合、証拠隠滅のおそれがある場合等。

*16:男澤・前掲159頁

*17:鴨田・前掲163頁。

*18:むしろ、不十分というべきかもしれない。

*19:尼崎事故の際のJR西日本に対する報道姿勢が記憶に新しい。仮に事故そのものが会社の管理体制に起因するものだったとしても、何の罪もない他職場の社員の“ボウリング大会”まで叩く姿勢は、現代の“魔女狩り”というにふさわしいものであった。

*20:明らかに虚偽の告発や不正目的でなされた告発については、名誉毀損その他の法律構成によって制裁を加えれば良いのであって、その方がむしろ自然な立法姿勢といえるのではないか。

*21:最二小判平成17年6月3日

*22:内野俊夫「時の判例」ジュリスト1304号166頁(2006年)。

*23:従来暗黙のうちに判断基準とされていたものが、本件のような“特殊な事案”において顕在化した、というべきだろうか。

*24:例えば、講義や見学に終始していた新人研修中の新入社員等が形式的には「労務を提供する者」にあたらない、いう事実など。

*25:内野・前掲168頁。

*26:東京地判平成16年6月18日

*27:金子敏哉「リース先の変更と貸与権侵害・貸与先への不当利得返還請求」ジュリスト1304号184頁(2006年)。

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