http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060328/1143483073の続き。
さて、ここで取り上げる不競法2条1項7号該当性という争点だが、
第一事件では、これが請求原因の一つとして争われているのに対し、
第二事件では、被告の抗弁、
すなわち、取引基本契約の解約に際しての「やむを得ない事由」
の一つとして争われている、という点で違いはある。
だが、当事者の主張や裁判所の判断を見る限り、
両者を同じ議論の土俵に乗せたとしても問題はないと言って良い。
そこで、以下では、まず、
一連の判決における不競法2条1項7号に関する判断について見ていくことにする。
裁判所における不競法2条1項7号該当性判断の概要
第一事件の地裁判決は、
「売買価格は、民法上の典型契約たる売買の主要な要素であり、契約当事者たる売主と買主との間での折衝を通じて形成されるものであるから、両当事者にとっては、それぞれ契約締結ないし価格の合意を通じて原始的に取得される情報というべきであり、各自が自己固有の情報として保有するものというべきである」
と述べて*1、
「被告ダイコクは原告と共に原告商品の売買の当事者となっている者であり、原告商品の仕入価格(卸売価格)は、被告ダイコクが売買契約の当事者たる買主としての地位に基づき、売主との間の売買契約締結行為ないし売買価格の合意を通じて原始的に取得し、同被告自身の固有の情報として保有していたものであって、原告が保有し管理していた情報を取得し、あるいは原告から開示を受けたものではない。したがって、被告ダイコクとの関係においては、原告商品の仕入価格(卸売価格)は、その保有者から示されたもの(不正競争防止法2条1項7号)ではなく、また、不正な手段により取得され(同項4号)、あるいは取得に際して不正取得行為(同項5号、6号)若しくは不正開示行為(同項8号、9号)が介在等したものに該当する余地もないから、被告ダイコクが、原告商品の仕入価格(卸売価格)を上記原価セールにおいて広く開示したとしても、当該開示行為は、不正競争防止法上の不正競争行為に該当しないと解するのが相当である」(太線筆者、以下同じ。)
という結論を導いた(以上「判旨1」)。
そして、第二事件も第一事件と同じ東京地裁民事第46部(三村量一裁判長)に
係属していたために、
地裁判決においては、「判旨1」とほぼ同じ判断が示されている*2。
一方、第一事件の控訴審(第4部・塚原朋一裁判長)では、
この争点について次のような判断が示された。
「そこで、検討するに、被控訴人ダイコクは、控訴人商品に関する被控訴人ダイコクと控訴人との間における売買代金額(仕入価格)という情報を「示された」ものではないのであるから、これを一般消費者に開示しても、不正競争防止法2条1項7号が対象とする行為には該当しないことが明らかである。原判決もこれと同旨を判示するものであって、相当して是認し得るものである」
「いうまでもなく、売買契約の主要な要素の一つであり、契約当事者が合意することにより形成されるものである。本件においても、控訴人と被控訴人ダイコクが卸し・仕入れとして、売買代金額(控訴人にとっての卸価格、被控訴人ダイコクにとっての仕入価格)を合意したことにより、仕入情報という情報が成立し、双方が保有することになったのであり、控訴人が保有していたものが被控訴人ダイコクに「示された」ものでないことは明らかである」(以上「判旨2」)
控訴人である大正製薬側は、追加主張として
「本件取引においては大正製薬側が一方的に卸売価格を設定している」という事実
(契約条項にその旨明示されていた)
を新たに持ち出してきたが、
裁判所は、
「仮に、本件仕入れがこのような形態でなされたものであったとしても、被控訴人ダイコクの意思により、控訴人が定めた金額で合意して売買契約が成立していることに変わりはないのであって、両社の意思の合致により、売買契約が成立し、その要素である売買代金額(仕入価格)も成立したものであることに変わりはない。したがって、控訴人があらかじめ売り渡す価格を定め、被控訴人ダイコクにそれを示して、売買契約に至ったものであるとしても、控訴人があらかじめ定めた価格が売買契約の要素である売買代金額といえるものではなく、あくまでも控訴人として売り渡す予定価格であると評価されるべきものである」
として、控訴人側の主張を退けている*3。
そして、第二事件の控訴審(第2部・中野哲弘裁判長)。
ここではあっさりと、
「控訴人商品の仕入価格は、売買契約の当事者(売主である控訴人と買主である被控訴人)の合意によって形成されるものであるから、これが控訴人から被控訴人に「示された」とみることは適切でない。」
として「『示された』要件の充足性を否定し、
さらに「不正の利益を得る目的又は控訴人に損害を加える目的」(図利加害目的)の
存在も否定している。
以上のような、裁判所が示した一連の判断をどのように理解すべきだろうか。
「示された」の解釈をめぐる議論の変遷
実は、平成2年に不正競争防止法に営業秘密保護規定が導入された前後に、
不競法2条1項7号の「示された」の解釈をめぐって*4、
華々しい(?)論争が繰り広げられた時期があった。
上記の“論争”は、
営業秘密を自ら開発した従業者が転職後それを用いた場合に、
元の使用者が不競法に基づく差し止め請求等をなすことができるか、という問題に
付随して出てきたものであった。
そして、当初は
①「営業秘密の『帰属』を一定のルールに基づいて決定した上で、それが帰属するとされた従業者(本源的保有者)自身が営業秘密を用いた場合は、営業秘密を「示された」場合にあたらないので、2条1項7号の不正競争行為にも該当しない」
という考え方が、通説的見解として、
立法担当者の解説や鎌田薫教授の論文等で示されたのだが*5、
その後に、
②「不法行為の延長たる不競法においては、営業秘密の『帰属』を論じることに意味はなく*6、『事実の問題』として開示を受けたかどうかによって「示された」場合に当たるか否かを判断すれば良い」
とする見解が、田村善之教授によって提唱され*7、
基準としての明快さゆえか、
やがて後者の見解が有力説として引用されるようになっていった*8。
上の二説は、
「営業秘密を示された」といえるか否かを判断するにあたり、一定の法的評価を経る必要があるのか、それとも、単なる事実関係の問題として処理するのか
という点において大きな違いがあり、
営業秘密保護をめぐる情報保有者と情報利用者の利害調整を考える上で
上記二説の優劣(あるいは上記二説から派生する第三の途)に思いを馳せることは、
十分に意義のあることのように思われた*9。
しかし、不思議なことに、「田村説」が登場して以降、
批判された側からは、何ら応答がなされていない。
近年、不競法の改正が相次いでいるのだが、
その都度出される立法担当者解説の中でも、
(改正の対象となっていない)2条1項7号の解説箇所においてはもちろん、
刑事罰の対象となった21条1項6号〜8号の解説箇所においても、
この点に関する議論には全く触れられていないのである。
さらに問題なのは、
実務の世界においては上記二説とは全く異なる「第三説」が
有力になっていることである。
すなわち、
③「誰が開発した情報であっても、会社がひとたびそれを営業秘密として管理し始めた場合には、開発した当の従業者についても「営業秘密を示された」者として評価すべき。
という考え方である。
上記の見解は、文献等にはさほど掲載されていないが*10、
ある種、“当然の話”として実務者の意識に定着しているものであって、
決して無視できないものとなっている*11。
個人的にはいろいろと思い入れの深い論点だけに、
昨年1月に公刊された書籍*12の中でこの問題が取り上げられていた時は、
非常に嬉しい気持ちになったものであるが(笑)*13、
上記座談会の中でも、一つの結論にまとまる気配はなく、
この問題の難しさを再確認するだけに終わっている。
このような議論の混迷(というより停滞?)は、
既に挙げた一連の裁判所の判示にも、微妙な影を落としているように思われる。
続く(その3)でそのあたりを検証していきたいと思う。
(つづく)
*1:この前後に触れられている「一般論」と上記判示とのつながりにはどうも釈然としないところがあるのだが、そのあたりについては深く詮索しないことにする。
*2:余談だが、大正製薬側は、第二事件においてこのことを指摘し「第一審の裁判官が本来回避すべき立場にあったことを無視して判決をしたものであって、違法」という主張までしているのであるが、あえなく退けられている。
*3:このような大正製薬側の主張は、第二事件でもなされているが、地裁、高裁のいずれも、ほぼ同様の理屈によりこれを退けている(地裁:「個別の売買契約は、売主からの申込みを買主が承諾してはじめて成立するものであり、買主の承諾によりはじめて売主から提示された価格が当該売買契約における売買価格となるものであるから・・・被告商品の仕入価格が不正競争防止法上の「営業秘密」に該当するものではない」、高裁:「控訴人があらかじめ一方的に定めたものであっても、被控訴人がこれに同意しなければ売買契約は成立しないのであり、被控訴人は自ら購入した商品の仕入価格としてその情報を保有することとなるのであるから、控訴人の主張は上記判断の妨げとなるものではない」)。
*4:口語化される前の「旧法」においては、1条3項4号の「示サレタル」という文言がこれに対応する。
*5:通商産業省知的財産政策室監修『営業秘密−逐条解説改正不正競争防止法』(有斐閣,1990年)や通商産業省知的財産政策室監修『営業秘密ガイドライン』(知的財産研究所,1991年)といった法改正直後の解説書には一貫してこの考え方が示されている。もっとも、法案審議過程での政府委員の答弁は、衆議院と参議院で微妙にニュアンスが異なっていたりもするのであるが・・・。
*6:中山信弘「営業秘密の保護に関する不正競争防止法改正の経緯と将来の課題(上)」NBL470号6頁(1991年)において最初に示された(と思われる)考え方である。
*7:田村善之『不正競争法概説』(有斐閣,1994年)において既に示されていた考え方である。
*8:特に、土田道夫教授が随所で積極的に田村説を引用したために、これが主流となった感がある(土田道夫「労働市場の流動化をめぐる法律問題(上)」ジュリスト1040号55頁(1994年))。
*9:あくまで私見だが、上記第1説には、アメリカの不正競争法リステイトメント等で示されている考え方を“直輸入”したことによる弊害が如実に表れているように思われ(確かに、米国の判例法においては、「情報の帰属」が「不正行為」(misappropriation)該当性を判断する上での一つの基準になっているのだが、「雇用の目的」(≒当事者間のrelationship)によって「情報の帰属」を決するかの国とは異なり、実定法の規定によって一種“機械的に”「情報の帰属」が定まる我が国においては、そのような「帰属」をもって信義則違反類型たる2条1項7号該当性を判断するのは無理があるように感じられる)、俄かには賛同できない。かといって、第2説は、その明快さゆえに引っかかる(特に使用者の立場からは)面があることは否めない。
*10:自分が知る限り、三好豊弁護士が書かれた解説(飯塚卓也=三好豊=末吉亙『不正競争防止法』(中央経済社,2002年)142頁〔三好〕)と後述する座談会の中での発言程度ではないかと思う。
*11:ちなみに、経済産業省の『営業秘密管理指針〔改訂版〕』には、「従業者等が、在職中に創作した情報であっても、その情報を事業者が営業秘密として管理している場合には、その不正な使用又は開示行為は処罰や差止めの対象となりうる」という記載があるが(7頁)、これだけの記載では、公権解釈として上記③説を採用する、という方針を示したものかどうかを読み取ることは困難であるし、天下の経産省が何の説明もなく、かつて自らが出した解釈を変更することなどあるはずがない(笑)から、読み飛ばすのが吉であろう。
*12:牧野利秋監修・飯村敏明編『座談会・不正競争防止法をめぐる実務的課題と理論』(青林書院、2005年)
*13:座談会の中では、吉原省三弁護士、松尾和子弁護士が第1説の立場から、尾崎英男弁護士が第3説の立場から自説を展開しており、なかなか興味深い。