早大COEの一環として発行されている
『季刊・企業と法創造』の最新刊(第6号)の論文を探していたら、
偶然、上村達男教授による刺激的な巻頭言に出会ってしまった。
タイトルは「アメリカ的なるもの〜ライブドアと法曹教育」*1。
以前も取り上げたように、上村教授といえば、
我が国の証券市場の“弛緩”に対して、
極めて厳しい批判を加えられている方であり*2、
その際たるターゲットであった「ライブドア」と
「法曹教育」が結び付けられた時点で、その中身は推して知るべし、
といったところであろう。
この巻頭言は、
「ライブドア事件は、このところの日本の企業法制改革の底の浅さを表現するまさに氷山の一角の事件である」
という書き出しで始まる。
そして、上村教授は、前半部分で、
欧州と対比しつつ、日本の「市場」における性急な“自由化路線”を
以下のように一刀両断されている。
「日本のかつての制限的な諸制度も、不当なものもあれば守って良いものもあったはずだ。しかるに、不良債権処理や金融機関の破綻処理や緊急経済対策を動機とする自由化路線を、原理原則に適ったものであると強弁してきた。そうした法的傾向や思考がもてはやされてきた。動機不純の自由の最大化を、アメリカ的自由の名において正当化する作業が学問とされてきたという面も否定しがたいように思われる。現実肯定ありきであり、日本の社会に相応しい企業社会のあり方を自由な選択として導入したわけではないだろう。」
このあたりの言説は、ライブドア事件や会社法改正に対して向けられた
師のこれまでの主張の延長線上にあるといえるもので、
若干表現が強まっているとはいえ、さほど違和感のあるものではない。
だが、この巻頭言の凄さは、
上記のような批判の矛先を「法曹教育」の在り方そのものに向けたことにある。
上村教授は、前半部分を受けて、
「ロースクール構想」を「こうした状況の生き写し」ではなかろうか、
と述べられ、法曹教育の重要性は認めつつも、
「アメリカに法学部がないから日本も法学部不要と言わんばかりの声に囲まれて誕生した日本のロースクール構想は、多くの場合に多くの地域で法学部を犠牲にしただけでも罪深いように思われる。」
と述べられる。
そして続けて、
①証券市場を運営する上で試されるのは日本人の法的素養である。
②会社法学が求めているのは、新たな時代に相応しい理論の創造であって、この分野で実務家に経験を誇られても困る場合が多く、反面教師でしかない可能性も大きい。
③法曹養成は理論の創造を共に担うという決意と共に語られなければならない。
という趣旨を述べられた後に、
「したたかなリーガルマインドを身につけた層が、国のあらゆる分野に確実に布陣されていること、新しい理論構築のために法学系研究者養成の充実が十分に図られること、そうした土壌の上に法曹教育が確固たる地位を占めるべきなのだ。子供の頃から日常的に厳しい法的センスの世界で生き抜いてきたアメリカに法学部がないのなら、日本にこそ必要であるとの発想必要なのである。」
と、行き過ぎた“実務偏向教育”批判を展開され、
「ロースクールのエリート卒業生が、抜け道探しに狂奔する金融法曹となって、法的素養の養成機会を失った庶民の怨嗟の的になるようなことがないよう祈るばかりである。」
と締めくくられるのである。
本巻頭言における師の“批判”の中には、
必ずしも的を射ていないように思われるものも見受けられ*3、
筆者としては全面的に賛同するものではない。
だが、とかく“実務的技巧”がもてはやされがちな
現在の企業法務の世界において、
一貫して「市場における正義」を唱えられている上村教授のような
“純粋な研究者”の方の一言が、
時に大きな重みを持つことがあるのも確かである。
そして、そういった“純粋さ”の背景にあるものは何か、
ということに思いを馳せれば、
“実務”に流されるだけの“法曹教育”では、
真の意味における「法曹養成」はなしえない、
という師の主張にも、少なからぬ説得力を見出すことができるように思われる*4。
実務にしても、理論にしても、
チーズの切れ端をかじった程度でしかない自分が、
法科大学院における「教育」の質だの内容だのに云々言及するのは、
おこがましい限りなのではあるが、
以上は、法曹養成教育をめぐる議論における一種の問題提起として、
そして何より、日々“技巧”を覚えることに走りがちな
自分自身への戒めとして*5、
ご紹介した次第である。
*1:上村達男・『季刊・企業と法創造』第6号1頁(2006年)
*2:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060130/1138545285の前半部分などをご参照のこと。
*3:特に「ホリエモンを(コケにされたはずの)個人達が英雄視するという構図」と「国民各層のリーガルセンスの涵養(の必要性)」を結びつけるあたりのくだりは、いかにも強引に過ぎるように思える。
*4:もっとも、そこまで徹底して実務に「特化」した教育が今の法科大学院でなされているのか、と言えば、そこには大いなる疑問が生じるのではあるが・・・。
*5:企業法務の「現場」は、法曹を養成する場にはなりえないにしても、広義の“実務家”としての担当者のリーガルセンスを培う場にはなりうるのであって、その意味で、法務担当者は日々業務の中で「教育」を受け続けている存在だといえる。そして、上村教授の懸念は、「法科大学院」における「教育」のみならず、より“実務”に近いところで行われている、我々自身が受けている「教育」に、よりあてはまるように思われるのである。