職場で回覧している「知財管理」が2ヶ月遅れで回ってきた・・・。
(誰だ止めてたヤツは!(怒))
個人的には、7月号、8月号と連続で掲載されていた
金沢大・大友信秀助教授の論説が興味深かったので
ご紹介しておくことにしたい。
「著作権侵害行為の幇助的行為と刑罰規定−いわゆるWinny事件を契機として−」*1
この論説の冒頭で、「本稿の目的」として、
と述べられていることからも明らかなように、
上記論説は、著作権侵害行為の「幇助的行為」の責任に
焦点を当てたものである。
そして「間接侵害」をめぐる議論等、
近年この手の論稿が非常に多く見られるようになっているなか、
本論説は、民事上の責任に関する議論のみならず、
「民事の判例で積み上げられた議論を刑事罰が問題とされる場面で利用する可能性」
についてもあわせて検討しているものである点で、特徴的なものといえる。
そして、ここで述べられている見解は、
これまで積極的に論じられてこなかった幇助行為者への刑罰規定適用につき、
安易に民事的発想が“類推”されることに疑問を投げかけるものとして、
意義深いもののように思われる。
順を追ってみてみるとしよう。
大友助教授は、著作権法違反に伴う刑事罰に関するこれまでの議論を
旧法下のものから追っていき、民事判例についても丹念に分析を加えた上で、
「民事における基準は以上のように、刑事でいう正犯と狭義の共犯を区別しない基準となっている。」(知財管理56巻8号1132頁)
ことを指摘し、
「これまでの民事判例を概観したところからは、刑事事件に適用可能な行為者要件を導き出すことはできなかった。また、民事上の行為者要件を刑事事件に当てはめることは、正犯と幇助犯の概念を混同させるものであり、刑法において狭義の共犯を定めた趣旨を没却するものである。」(同1132頁)
として、刑罰規定の適用にあたっては、
従来の民事上の法理とは異なる要件を設ける必要があることを示唆している。
そして、民事・刑事問わず
「著作権法においては、刑法上の客観的構成要件にあたる利用行為の客観化が重要であり、これを全く考慮しない幇助行為の捕捉は、著作権者と第三者の利益衡量のバランスを損なうものであるといえる。」(同1133頁)
という考え方を前提とした上でさらに*2、
罪刑法定主義の観点から、
(幇助的行為に関する民事判例の基準を)「刑事事件において適用する際には、民事よりさらに明確な責任が認められる場合にのみ幇助責任を認めるという判断が求められるであろう。なぜなら、幇助的行為に対する責任判断の基準は、民事上も議論が分かれており、民事における総合的判断をそのまま刑罰規定の適用に関しても用いることは、あいまいな構成要件を排斥する罪刑法定主義に反するからである。」(同・1133頁)
と述べられているのである。
大友助教授は、Winny開発者が
Winnyをインターネット上にアップロードした行為について、
「支配・管理性」、「利益の帰属」が存在しない、として、
民事上も幇助的行為に対する責任を問えない、としているから*3、
そもそも現行法の下では、刑罰規定の適用もありえないこと、
と考えておられるようである。
そして、処罰を志向する側から出されている、
「Winnyによる著作権侵害発生の蓋然性の高さ」に着目した議論に対しては、
Winny事件で問題となっている公衆送信権侵害が
「親告罪」とされている点において、
非親告罪である技術的保護手段回避行為(法120条の2第1項、2項)とは
刑事上の位置づけが異なる、ということを指摘した上で、
「Winnyというプログラムによる著作権侵害発生の蓋然性の高さをことさらに強調する議論ではなく(立法論としてはともかく)、Winny配布行為が既存の利用行為及び民事で蓄積されてきた幇助的行為に対する責任の基準に当てはまるか、という点から議論を行う必要があろう」(同・1134頁)
と厳しく批判している*4。
また、インターネットにかかわる技術と既存の権利・利益の調整が
利用者のモラルに任せておくだけでは解決できない、ということを認めつつも、
このような問題の責任をWinny開発者一人に負わせしめることは
問題の解決にならない、とし、
その理由として、
「Winnyのような高度なプログラムを開発する能力を有する者にとって、その行為を捕捉されない態様でプログラムを開発・公開することはたやすいと考えられ、Winny開発者への著作権法の適用には、刑法における一般予防機能(場合によっては特別予防機能についても)は全く期待されないからである。」(同・1135頁)
という点を指摘し、政策的観点からも
本件に刑罰規定を適用することの不合理性を説かれているのである。
事案を吟味すればするほど、
刑事責任の追及はもちろん、民事責任の追及すら危うい、
と思わせるような本件において、
仮に有罪判決を下すとしたら、
一体どのような理屈を立てるというのだろうか?
そんなふうに思わせてくれるほど、
説得力のある論説だと思う。
間接侵害者への責任追及に向け、民事法理が日々変容を遂げている中では、
Winny事件のようなケースでも、プログラム作成者の責任を
ストレートに問いうる時代がやってくるのかもしれない。
しかし、もし、そのような法理が形成されたとしてもなお、
“刑事処罰”の特殊性を鑑み、独自の要件の充足を求める
本論説の立場による限りにおいては、
ユーザー側の行動に対する制約に
一定の歯止めをかけることができることができることになろう。
その意味で、上記論説には大きな意義があるように思われるのである。
審判の日まであと2ヶ月あるかないか。
議論はいくらしても、しすぎるということはないだろう。
少なくとも、この論点に関する限りは・・・。