ジュリスト2007年1月1日・15日号(No.1326)・前編

遅まきながら、ジュリスト新年合併号の感想。


特集は、なんと「知的財産法の新展開」である。


世間では何かと脚光を浴びている知財法だが、格調高きこのジュリスト誌においては、年1回細々と特集が組まれるのみであったから(2002年〜2006年(2004年除く))、いきなり年初から特集が組まれ、それも合併号で実に13本の論文掲載、というのは、大変感慨深いものがある。


これまで知財専門誌等に掲載されていた論文をジュリスト読者向けに再構成した、といったタイプの論稿が多い中、「論点の真新しさ」と「実務的意義」の二点から、筆者としては、田村教授の論文を真っ先に取り上げたいところなのであるが*1、美味しいところはとりあえず後回しにして*2、ざっと掲載されている諸論稿を概観することとしたい。

中山信弘「知的財産制度改革の経緯と課題」2頁以下

やはり、この手の特集は、中山先生の基調論文なくしては始まらない。


近年知的財産制度に対する関心が高まっている理由として、「情報化の進展」(世界的潮流)と「日本経済の逼塞状況」(我が国固有の産業政策的見地)を挙げ、これまでの改革の動きを振り返る、という進め方は、各論部分に対する見解も含めて、これまでに何度も拝見したものであるし、「強化と抑制」の観点から知的財産制度の突出を戒める、という秀でたバランス感覚に裏打ちされた数々のご見解も、決して初めて触れるようなものではないのだが、冒頭にこれがあるとないとでは、特集記事全般に対する安心感がまったく違う。


なお、中山教授は、最後の方で「知的財産制度とは正反対の立場に立つ」“コモンズ”の発想を取り上げ、

「知的財産制度とコモンズの思想といずれが優れているかという議論ではなく、今後はこの両制度の間で制度間競争を行ってゆけばよいであろう」(8頁)

と述べられており、分野ごとに最適な制度を選択していけばよい、という見解に立たれているのが注目される*3

塚原朋一「知財高裁における訴訟運営の状況と知財訴訟における専門家の活用の実際」9頁以下

知財高裁第4部・塚原朋一裁判長(知財高裁所長代行)による知財高裁の概況。


お立場上、どうしても淡々とした内容になっているのは否めないのだが、「和解勧試の活用」について「和解勧試が少なくなり、そのようなやりとりの機会が少なくなるのは、惜しむべきことである」(12頁)と述べられたり、審理方式について「1回方式を続けてきた筆者も、この段階で統一の可否や当否についても検討したいと考えている」(17頁)とコメントされているあたりなどは、一歩踏み込んだものといえようか。

片山英二「知財高裁に対する実務界からのコメント」18頁以下

恐らく今回の特集において最も突っ込みどころがある論稿というべきかもしれない・・・。


冒頭で「辛口の意見」と自ら銘打たれているだけあって、企業実務サイドから見て“もっともだ”と思わせてくれる中身もかなり含まれてはいる。


例えば、審決取消訴訟の迅速化について

「短期間に弁論準備手続期日が1回又は2回しか開かれない状況で、当事者が十分な主張立証を行うことができているのか、ひいては、当事者の十分な主張立証に基づいて、裁判所の判断がなされているか、裁判所には、慎重に検討していただきたい。」(18頁)

と述べられているくだりや、「後知恵」により容易想到性を肯定する傾向(20頁)、「専門委員の指定に関して、自由に意見を述べることができる雰囲気作り」の必要性(21頁)等の指摘、そして、大合議における議論の経緯を公表する(少数意見を表明する)ことの重要性を説かれているくだり(23-24頁)などは、頷かされる部分は多い。


だが、進歩性判断に関して、「プロパテントの観点」から述べられている以下のくだりは、やはり、あまり共感できるものではない。

知財立国を目指すのであれば、特許についてプロパテント政策を採らなければならない。そうであれば、進歩性の判断をはじめとして、特許要件は、従来よりも緩やかな基準を採用すべきではあっても、厳しい基準を採るべきという判断は、帰結されないはずではないだろうか。」(20頁)

筆者は“プロパテント”という発想自体、全面的には支持しかねるのだが、仮にその政策を前提にするとしても、「緩やかな基準」を採ることと、プロパテント政策の推進を結びつけるのはいかにも短絡的というべきだろう。


片山弁護士は、上記発想の対極にある考え方として、

「もちろん、無効理由の存在するような弱い特許に強い権利を与えると混乱が生じ、プロパテント政策は強い特許にしぼった上で実行すべきとする考え方」(20頁)

にも合理性がある、とし、これは「果たして現状が一方の端に振れていないかという問題提起である」とまとめている。


しかし、“知財バブル”の勃興期ともいえる2000年前後に成立した特許(特にビジネスモデル系)の多くがその後の実務に大混乱をもたらし、本来前向きな開発に回すべき技術リソースを少なからず侵食していることを鑑みれば、いい加減な特許発明には権利行使を認めない、という現在の運用の方が、真の“プロパテント”ないし“知財立国”政策に資するように思えてならないのである。

菱田雄郷「知財訴訟における証拠法の課題」26頁

2005年夏の特集に続いての菱田助教授の論稿。


主に秘密保持命令に関する問題等が論じられているのだが、菱田助教授ご自身が認めておられるように、「現実の運用に関する情報が乏しい中での分析であり、その意味で不十分な論考」(33頁)になってしまっているのは否めないだろう。


ここまでの運用実績が予想以上に少ないのは、一部の業種を除けば、実際に秘密保持命令を申し立てなければならないほどの大事な秘密は実のところそんなに多いものではない(仮にあったとしてもそれを訴訟の場に提出しなければならないほどシビアな争いになることはそんなにはない)、ということなのではないか、と思ったりもするのであるが・・・。

*1:田村善之「知財立国下における商標法の改正とその理論的な含意」ジュリスト1326号94頁(2007年)。そもそも商標法に関する論文がジュリストに載るなんて、何年ぶりだろう・・・といった感さえある。

*2:言わずもがな、筆者はショートケーキのイチゴを最後まで残す類の人種である・・・。

*3:あらためて触れるまでもないが、クリエイティブ・コモンズ・ジャパン代表は中山教授ご自身である。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html