最近、ジュリスト誌で年2回特集企画が組まれることも珍しくなくなったのが知的財産法分野。
特集が定番化した頃は、年1回でもちょっとした感動を覚えながらページを開いていたことを考えると、随分贅沢な時代になったものだなぁ、と感慨深いのだが、それはあくまで読者側の目線での話なわけで、企画、執筆を担当される先生方にとっては、また違うご苦労もあることだろう。
そんな中、ジュリスト11月号で、
『知的財産推進計画2016』及びこれに先立つ検討委員会報告書を受け、デジタル・ネットワーク化への対応、知財紛争処理システムの機能強化をめぐる諸課題を展望するとともに、近時の特許関係裁判例が実務に与えるインパクトを分析する」(小泉直樹「特集にあたって」ジュリスト1499号14頁(2016年))
という特集が組まれた。
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2016/10/25
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「知財推進計画」自体が毎年総花的な中身になっていることもあって、この特集の下で執筆された論稿も、著作権法から特許法まで、実体法の解釈論から訴訟手続、さらには制度政策論に至るまで多岐にわたるものとなっているのだが、特に16頁〜48頁までの論稿は、現在行われている政策論議の方向性の一端を示すものとして、専門外の読者にとっても有益なものであるように思われる*1。
個人的には、これらの論稿一つひとつに、突っ込んでいきたいところではあるのだが、それをやり始めるときりがないので、ここでは、本企画の趣旨に照らして、もっともうまく纏めておられるなぁ、と感心させられた論稿を一つだけご紹介しておくことにしたい。
金子剛大=小坂準記「柔軟性のある権利制限規定の導入とイノベーションに与える影響」*2
TMI総合法律事務所所属の金子、小坂両弁護士のお名前を見ると、5年前のL&T誌(52号)に掲載された「まねきTV・ロクラク2事件最高裁判決にみるコンテンツビジネスの諸問題」という論稿が今でも鮮明に思い出される。あの論稿は、二大最高裁判決の解説にとどまることなく、当時まだ司法判断が下されていなかった自炊代行の分野にまで切り込んで大胆な試論を展開した秀逸なもので、本ブログでもたびたび引用させていただいたりもしたのだが、今回ジュリストに掲載された論稿も、コンパクトながら一癖も二癖もある内容になっており(特に脚注!)、現在の単線的な議論に一石を投じるものとなっているように思われる。
例えば、書き出しからして、
「知的財産戦略本部『知的財産推進計画2016』(平成28年5月。以下『知財計画2016』という)は、この『柔軟性のある権利制限規定』の導入を視野に必要な措置を講じるべき、と明記している。しかしながら、その正体は定かではない。」
「イノベーションを促進するための『柔軟性のある権利制限規定』とは一体何者なのであろうか。」(16頁、強調筆者、以下同じ。)
となかなか強烈な書きぶりで、続く「文化庁における検討状況」の叙述等においても、知財推進計画で「事実上『柔軟性のある権利制限規定』を含む著作権法改正案を次期通常国会に提出すること」が求められている状況ながら、現時点で改正の手法が何ら決まっていない、ということを繰り返し指摘している。
そして、米国におけるフェアユースの実情の紹介と分析に一定の紙幅を割いた上で、最後に記された「おわりに−『柔軟性のある権利制限規定』がイノベーションに与える影響に関する若干の考察」(22頁)という章でも、
「フェアユース規定を導入すればすぐにイノベーションの創出が実現されるかといえば、事はそれほど単純ではない。フェアユース導入派も指摘する通り、仮に事後規制型の権利制限の最たるものであるフェアユースが導入されたとしても、これを活用する企業や国民の意識、これをサポートする弁護士、さらに条文の解釈を行う裁判官の意識が変わらなければ、イノベーションの創出は達成しえない。」(22頁)
といったように、現在の政策論議の方向性に多くの疑義を投げかけている。
ここで伏線になっているのは、米国の連邦最高裁がフェアユースの認定にあたって「変容的利用(Transformative use)」のパラダイムを採用し、裁判例の趨勢が「利用目的」(フェアユースの第1要素) による判断にシフトしたことが、結果的に「新技術の開発や新サービスの展開にポジティブな影響を与えている」という前段の記述なのだが、その上で、
「事後規制型の『柔軟性のある権利制限規定』が導入されたとして、日本の裁判所が同様の法創造機能を発揮できるかは定かでない。」(23頁)
(米国の裁判所の判断は)「日本の著作権法でいうところの個別の権利制限規定を裁判所が創出していったに等しく、裁判所の法創造機能が存分に発揮されてきたといえる。翻って、日本の裁判所が同様の機能を果たしうるのか、あるいはそこまでの法創造機能を期待されているのかは、疑問の余地がないわけではない。」(23頁・脚注30))
と指摘するくだりなどは、懐疑ムードにあふれているというほかない*3。
本稿には、
「『柔軟性のある権利制限規定』として選択肢に挙げられている手法は、いずれも司法による事後規制型の手法であり、アメリカ型のフェアユースとその点で共通している。そのような事後規制型の『柔軟性のある権利制限規定』が導入された場合、アメリカのようにイノベーションの創出に少なからず貢献することが『期待』されるだろう。」(22頁)
といったコメントもあり、「知財推進計画2016」が描く方向性を完全に否定しているわけではないのだが*4、“期待”というフレーズにわざわざカギカッコを付けているところに、本稿の懐疑的な姿勢が垣間見えるし、本稿が「イノベーションの創出」を正面から権利制限の目的として掲げることについて否定的な立場を取っている*5、ということにも留意する必要があるだろう。
本稿を執筆された金子、小坂の両弁護士が、現行著作権法の権利制限のあり方について、現在どのようなご意見をお持ちなのか、ということは、本稿を一読しただけでは明らかにならないが、少なくとも「イノベーションの促進、創出」という政策目的一辺倒で「柔軟性のある権利制限規定」の議論を進めることについては明確に警鐘を鳴らしている、というのが自分の理解である。
そして、本稿で描かれている“プリティウーマンのパロディの適法性判断、という文脈から発展した法理が結果として米国のイノベーション促進に寄与することになった”というストーリーをうまく政策議論に落とし込むことが(言いかえると、あくまで「著作権法の目的」という本質に立ち返り、それをより実現するための手段」として、新たな権利制限規定のあり方を位置づけることが)、膠着状態にある現状を打開するヒントになるように思えてならないのである*6。
*1:リーチサイトに対する規制について、法律上、具体的な要件を立てる際にもたらされる問題点の検討を十分行わないまま、「みなし侵害」化を支持する論稿(中川達也「リーチサイトを通じた侵害コンテンツへの誘導行為への対応」ジュリスト1499号24頁(2016年))など、必ずしもすべての論稿の結論、内容を支持できるわけではないが、今このタイミングで載せる価値はあると思っている。
*2:ジュリスト1499号16頁以下(2016年)
*3:本稿ではそこまで書かれていないが、自分は、この種のパラダイムシフトが裁判所によって成し遂げるならば、現在の著作権法の規定の下でも、「イノベーションを促進」する柔軟な判断を下すことは十分に可能だと思っているし、本稿が別途指摘している「『まず自己がフェアと考える行動をし、それに異議ある者が現れた場合には法廷で決着をつける』という意識の企業や国民への浸透」についても同様に考えている。もちろん、法改正のシグナル効果によって、裁判所や、企業・国民の意識が切り替わる、ということは多少はあり得るかもしれないが、そのために「法改正」という多大な労力をかけることにどれだけの意味があるのか、という点については大いに疑問が残るところである。
*4:その辺に本稿に対するもどかしさ、分かりにくさを感じる向きもあるかもしれないが、この点については著者の思慮深さの現れ、ということで、好意的に評価しておくことにしたい。
*5:17頁・脚注4参照。
*6:そして、本稿の筆者の両弁護士には、より自由なメディアで本稿の“行間”についても語っていただきたいものだと思わずにはいられない。