将軍様の高笑いが聞こえる。

ロケーションフリーサービス等をめぐる近年の紛争事例に如実に表れているように、「テレビ局」といえば著作権著作隣接権)の保護にかけては極めて“うるさい”アクターとして知られている。


だが、立場変われば何とやら、で、ある。


過日新聞等でも報道された、朝鮮民主主義人民共和国(いわゆる「北朝鮮」)の著作物をめぐる侵害訴訟で、テレビ局側が展開した主張、及びそれに応答して出された判決は、「自分で自分の首を締めてるんじゃ?」と、目を疑いたくなるようなものであった。

東京地判平成19年12月14日(第1事件・H18(ワ)第5640号、第2事件・H18(ワ)第6062号)*1

第1事件・第2事件原告 朝鮮映画輸出入社、有限会社カナリオ企画
第1事件被告 日本テレビ放送網株式会社
第2事件被告 株式会社フジテレビジョン


判決は別々に出されているが、事案の概要、および当事者の主張は概ね共通しているので、以下では第1事件から判旨を引用しつつ進めていくことにしたい。

事案の概要

本件は、「北朝鮮の国民が著作者である映画」を被告がニュース番組で使用したことが、原告の著作権を侵害する、として、放送差し止め及び損害賠償を請求するものである。


後述するように、本件では著作権侵害成否の実質的な判断に入る前に決着がついているため、どのような態様で放送が使われたかは明らかになっていないのだが、被告になっているテレビ局が、かの国に対しては特に批判的な読売・産経系のテレビ局であることからして、凡そ使われ方は想像が付く。


著作物を利用した、といっても、「金曜ロードショー」で丸々2時間放映したわけではないのだから*2著作権法41条*3でも引いて抗弁するのが、通常の訴訟での争い方なのだろうが、本件で被告側はそのような手を取らなかった。


本件被告は、本案前の答弁として、

「原告輸出入社に当事者能力がないことを理由に訴えの却下を求める」

とともに、本案の答弁として、

北朝鮮の国民が著作者である著作物は我が国が条約により保護の義務を負う著作物(著作権法6条3号)に当たらない」

と主張して請求棄却を求めたのである。


中身に踏み込むとややこしいことになりそうな事件において、入り口部分で訴え却下ないし請求棄却を求めるのは、法律家であれば誰でも考え付く手法だろうし、裁判所自身が迅速審理判断の観点から、そのような方向に誘導することも稀ではない。


だが、本件で、本来問われるべき権利制限事由該当性ではなく、それ以前のところで勝負したことで、結論としては、???という結果を招くことになった。

原告輸出入社の当事者能力について

この争点は、純粋に民訴法及び国際私法の観点からの話になるのだが、裁判所は、手続法上の概念である当事者能力について、「法廷地である我が国の民事訴訟法が適用される」と解した上で、民訴法28条に基づき、「当事者能力の有無は、権利能力に関する民法その他の実体法の規定に基づいて判断される」ものとした。


そして、原告輸出入社が北朝鮮の行政機関であり、権利能力の問題は、「その主体が外国の行政機関であるという点で渉外的要素を持つ」ため(しかも、通則法には行政機関の権利能力の準拠法について直接の定めがないことから)、「条理に基づいて、当該行政機関と最も密接な関係がある国である当該行政機関が設立された国の法律(本国法)によると解すべき」とし、北朝鮮民法12条2項により、同社の権利能力を認めたのである。


元々、本案前の抗弁が認められたところで、もう一つの原告との間での判断は必要になるし、実際には何ら問題の解決にはつながらないから、国際私法上の考え方の当否はともかくとして、結論としてこんなものだろう、と思う。

北朝鮮著作物の我が国の著作権法による保護の可否について

続いて、争点は、本件で問題にされている著作物が、我が国の著作権法上保護されるべきものかどうか、という点に移った。


北朝鮮は平成15年4月28日以降、ベルヌ条約加盟国として、国際的に著作権の保護を受けうる立場にあるところ、

ベルヌ条約加入により、我が国との間に条約上の権利義務関係が生じ、我が国においても著作権法に基づいて北朝鮮の著作物を保護する義務が生じる」(原告の主張)

か、

「我が国が北朝鮮を国家として承認していないことから、同国との間でベルヌ条約上の権利義務関係は生じない」

と考えるか、が正面から争われたのである。


この点に関しては、文化庁が平成15年4月22日付け「朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)のベルヌ条約加盟について」と題する書面において、

北朝鮮ベルヌ条約を締結したとしても、我が国は北朝鮮を国家として承認していないことから、条約上の権利義務関係は生じず、我が国において法的な効果は一切生じない。したがって、我が国は、北朝鮮の著作物についてベルヌ条約に基づき保護すべき義務を負うものではなく、北朝鮮ベルヌ条約を締結することによる我が国への影響はない。」

との見解を示していることが判決中でも取り上げられているが、文化庁の見解が必ずしもあてにならないのは、「ローマの休日」や「シェーン」で明らかにされているとおりである。


そこで、裁判所の判断が注目されたのであるが、裁判所は、以下のように述べて、原告側の請求を退けた。

「現在の国際法秩序の下では,国は,国家として承認されることにより,承認をした国家との関係において,国際法上の主体である国家,すなわち国際法上の権利義務が直接帰属する国家と認められる。逆に,国家として承認されていない国は,国際法上一定の権利を有することは否定されないものの,承認をしない国家との間においては,国際法上の主体である国家間の権利義務関係は認められないものと解される。」
「この理を多数国間条約における未承認国の加入の問題に及ぼすならば,未承認国は,国家間の権利義務を定める多数国間条約に加入したとしても,同国を国家として承認していない国家との関係では,国際法上の主体である国家間の権利義務関係が認められていない以上,原則として,当該条約に基づく権利義務を有しないと解すべきことになる。未承認国が多数国間条約に加入したというだけで,承認をしない国家との間でそれまで存在しないとされていた権利義務関係が,国家承認のないまま突然発生すると解するのは困難である。」
「我が国は,北朝鮮を国家として承認しておらず,我が国と北朝鮮との間に国際法上の主体である国家間の権利義務関係が存在することを認めていない。したがって,北朝鮮が国家間の権利義務を定める多数国間条約に加入したとしても,我が国と北朝鮮との間に当該条約に基づく権利義務関係は基本的に生じないから,多数国間条約であるベルヌ条約についても,同様に解することになる。」
(26頁)


裁判所は、上記のような「一般論」を前提としつつ、「条約上の条項が個々の国家の便益を超えて国際社会全体に対する義務を定めている場合には、例外的に、未承認国との間でも、その適用が認められると解される」とし、例外の余地を認めたのであるが、こと著作権法が問題になっている本件においては、

著作権の保護は、国際社会において、擁護されるべき重要な価値を有しており、我が国も、可能な限り著作権を保護すべきである、ということはできるものの、ベルヌ条約の解釈上、国際社会全体において、国家の枠組みを超えた普遍的に尊重される価値を有するものとして位置づけることは困難であるものというほかない。」
(29頁)

として例外となる余地を認めず、結果として、我が国における北朝鮮著作物の保護を否定している*4


そして、これにより原告の請求は棄却されることになった。

本件に対する疑義


被告にとって見れば、「利用態様とそれに対する権利制限事由の適用の可否」というややこしい話題に踏み込む前に結論が出たわけだから、万々歳というべき話なのかもしれない。


だが、国家承認していないことをもって、ベルヌ条約による保護が適用されない、とするのは、いわば「両刃の剣」的な結論といえる。


奇しくも原告は、自らの主張の中で、

北朝鮮の著作物が我が国において保護されないということになると、北朝鮮映画を我が国において無断で上映しても良いという結果を招くことになると同時に、北朝鮮において日本の映画が無断で上映されたり、インターネットを通じて直接日本国民に販売されたりといった事態も生じ得る」

として、このような取り扱いの不合理性を主張しているのだが、この点については、筆者自身にも原告の主張に共感しうるところはある*5


いかに北朝鮮文化省が「日本の著作物を保護する」という意思を有していたとしても、相手の国が自国の著作権を保護しないような“蛮国”ということになれば、相互主義の観点から、「うちもガンガン使ってやる」という発想になっても不思議ではない*6


そうでなくても、映画好きで知られるかの国の首領さまのこと。


朝鮮中央テレビの電波を使って『Always三丁目の夕日』や『世界の中心で愛を叫ぶ』が流される、なんてことはないのかもしれないが、それに近いことは行われても不思議ではない。


冒頭で述べたことの繰り返しになるが、本件で被告とされたテレビ局は、リストに挙げられている北朝鮮の著作物(映画)を2時間枠で放映したわけでもなければ、ビデオパッケージにして販売したわけでもない。


あくまで「報道」の一環としてニュース番組の中で触れただけなのである。


中山信弘教授は、著作権法41条について、

「本条がなければ事件の正確な報道が不可能になり、民主主義の根幹にも関わる問題となる」

と述べた上で、「その日におけるニュース」等には限られない、緩やかな解釈を認める余地を肯定している*7


このような考え方に照らせば、著作物としての要保護性を認めたとしても、被告側が勝てる可能性は高かったように思う。


「コンテンツ大国」を目指すわが日本国にとって、国内のみならず全世界で自国の著作物が保護される、というのは当然の前提になっていなければならないはずであり、近年の保護期間延長を目指す議論の中でも、その点はかなり強調されているはずなのに、文化庁の見解といい、テレビ局の抗弁といい、そういった流れに反しているように思えてならないのは筆者だけだろうか。


我が国において北朝鮮の著作物を保護する必要性が生じたとしても、報道目的等の利用を除けば、アタリがでることはそんなにはないはず。


その一方で、我が国のコンテンツがかの国で保護されない、となったとすれば、潜在的に何らかの損害が出ることは覚悟せねばなるまい。


知財高裁で、このような憂いを払拭してくれるだけの、心地よい結論が出されることを切に願うのみである*8



(補足)
なお、興味深かったのは「文化庁の見解表明後の各放送局の対応」が認定されているくだりで、本判決同様、文化庁の見解を全面に出して、

「日本と北朝鮮間で相互に著作権の保護関係が発生するまでは、当該映画を、弊方の必要に応じて、なんらの制限も留保条件もなく使用することが可能であることになります。」(21頁)

と回答しているフジテレビと、「報道・引用」の範囲内である、という主張も一応行った上で、政府見解とは別に独自に北朝鮮著作物の取り扱いに関する協議を行っている旨を伝えているNHKの対応(20頁)の違いは、なかなか興味深い。


いずれの対応にも、賛否両論あるところだろうが、他者に対して著作権を振りかざす側に立つこともある放送メディアとしては、謙抑的なスタンスを採るほうが賢明なのではないか、老婆心ながら思ったりもする。

*1:第47部・阿部正幸裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20071217135813.pdf(第1事件)、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20071217141024.pdf(第2事件)

*2:映画の内容自体、明らかになってはいないのだが、全編放映したところで視聴率が稼げるほどのエンタテイメント性がある作品とは思えない。

*3:著作権法41条は「時事の事件の報道のための利用」として、「写真、映画、放送その他の方法によって時事の事件を報道する場合には、当該事件を構成し、又は当該事件の過程において見られ、若しくは聞かれる著作物は、報道の目的上正当な範囲内において、複製し、及び当該事件の報道に伴って利用することができる」という権利制限事由を定めている。

*4:台湾の著作物が保護されることとの整合性については、台湾が「独立の関税地域」としてWTOに加盟しており、TRIPS協定に基づく保護を受けうる、ということをもって、本件とは区別している。

*5:もちろん、原告は「訴訟に勝つために」上記のような主張をしているに過ぎず、心の底から我が国の著作物が無断利用されることを憂いているわけではないのだろうが。

*6:「既に無断で多数使われているだろうから状況は変わらないはずだ」という声もあろうが、少なくとも堂々と他国の著作物の著作権を侵害しても咎めらない状況になったのは大きい。

*7:中山信弘著作権法』285-286頁(有斐閣、2007年)。

*8:著作物としての要保護性についての結論を肯定ないし留保したまま、41条該当性について判断する等、いくらでも方法はあるはずだ。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html