昔、ちょっとした出来心で、1969年前後の新聞記事をクリッピングしていたことがあったのだが、あの時代、特に1968年末から1969年1月にかけて、新聞の一面に「加藤一郎学長代行」のお名前を見かけない日はなかった*1。
崩壊寸前だった最高学府内の混乱を収拾し秩序を回復する、という重責を40代半ばという若さで担うことになった師の心境は如何ばかりだったのだろうか?
最終的には警察力の導入を決断せざるを得ない状況に陥ったとはいえ、当時の学長代行の奮闘ぶりには、識者のみならず、対立サイドにいた学生からも高い評価が寄せられていたことが記事からも伝わってきて、印象的だったのを覚えている。
「民法学の権威で、東大紛争当時に学長を務めた加藤一郎(かとう・いちろう)氏が11日午前8時48分、肺炎のため東京都世田谷区の病院で死去した。86歳だった。」
(日本経済新聞2008年11月12日付朝刊・第39面)
嵐が吹きぬけた時代から、ちょうど丸40年、といったところ。
世紀を超えてしまった今、自分がキャンパスにいた頃ですら既に遠い過去になっていた*2あの時代の話に興味を示す学生がいるとも思えないのだけれど、どんなに時代は移っても、刻まれた歴史から学ぶべきことは、まだまだあるように思う。
そして、研究生活を犠牲にしてまでも、大学の伝統と自主性を守るために心血を注がれた、「元学長代行」の足跡から学ぶべきことも決して少なくないはずだ。
今はただ、ご冥福をお祈りしたい。
なお、民法学者としての師の業績について自分が知っていることは、上記記事の片隅に書かれている中身や、ウィキペディアに掲載されている程度のものでしかなく、わが身の浅学ぶりを恥じいるばかりである。
より謙虚に、学ばなくては・・・。