言ってはいけないことがある。

東電の「原発事故をめぐる対応」は、実に残念なことに、巷にあふれる“コンプライアンス芸人”の方々が、今後10年美味しいネタとして使えるような、反面教師的題材になってしまっている。

地震直後の初期対応が適切だったのかどうか、ということについては、知識も確実な情報源も持たない自分には判断しようもないし、それと並行して行われていた広報対応のドタバタぶり(事故に関するものも、計画停電に関するものも・・・)も、同じ状況に置かれて自分が完璧に対処できるか、というと心もとないから*1、あまり責めてもなぁ・・・という思いはあるのだが、事故から時間が経ち、状況が多少は落ち着いてきたにもかかわらず、なおも↓のような記事が出てしまうと、首を傾げざるを得ない。

東京電力清水正孝社長は28日、賠償範囲の第1次指針が出たことについて「指針を分析、精査しながら公正に進めていく」と述べ、補償手続を急ぐ姿勢を示した。」
(補償責任が東電にあるとする政府の判断に対して)「清水社長は『(免責理由に当たるという)理解もあり得ると考えている』と政府に再考を求める考えを示した
日本経済新聞2011年4月29日付け朝刊・第8面)

前半のコメントに関しては、第1次指針に関する分析・精査は、確かに必要だろうし*2、補償を急ぐ姿勢を示したところまではこの種の対応として何ら違和感はない。

だが、後半部分のコメントを、わざわざ“社長”の口から出す必要があったのだろうか?

自分は、以前のエントリーでも書いたように*3、立法時の経緯等からして、今回の件で事業者が「免責」されることは考えにくい、という立場だが*4、その議論はひとまず脇に置き、

「東電が原賠法上免責される余地がある」

と仮定したとしても、この発言を今このタイミングでする理由が、自分には分からない・・・。

今、この世の人々、特に原発事故で煽りを食らっている被災地+その他関東圏の人々の怒りや憤りの多くが、東電に向けられている、ということは、当事者であっても十分認識できるはず。

しかも政府も審査会も、公には「事業者に一義的な責任があること」を繰り返し述べている。

そのような中で、たとえ法解釈としては「一つの考え方」として通用するものであったとしても、素人目には単なる“逃げ口上”にしか映らない、あたかも“責任逃れ”を望むかのような発言を会社のトップの地位にある者がすることがどのようなハレーションをもたらすか、想像するだけでも恐ろしい*5

どんなに同情的な立場に立とうとも、渦中の当事者自身が「免責」の主張を公言することが、燃え上っている炎に油を注ぎ、さらなる信用失墜を招くおそれのある行為であることを否定することはできないだろう。

もちろん、東電に向けられている罵声は、必ずしも理性的なものばかりではなく、誤解に基づく情緒的なものも数多く含まれているのも事実だし、自分とて、“理由もないのに自ら頬を差し出して殴られる”ことを推奨するつもりは毛頭ない。

しかし、仮に中身が正しいとしても、時と場合により避けるべきセリフ、というのは必ずあるわけで、多くの人々に災厄を与えた重大事故を自らが管理する施設において引き起こした事業者が、賠償に向けて動き出したこの時期になってもなお、「免責」を求める意向を公言するのであれば、相応のリスクは覚悟しなければならない。

また、その気になれば、政財界のルートを使って、第三者による援護射撃を依頼することも期待できるはずの会社が(現に財界人や一部国会議員等が未だに「免責」の可能性に言及している事実もある)、わざわざ火中のクリを突きに行くような真似をしていることに、自分は大いなる違和感を抱いている。

社長の発言が、リスクも踏まえた上でなされたものなのか、それとも会見に立ち会った記者の“執拗な誘導”に根負けして、ついうっかりなされたものなのかは分からない*6

ただ、少なくとも賠償の話が出始めた頃は、「自らの責任において賠償する」という東電経営陣の発言のスタンスは明確になっていたはずで、そのスタンスが、いつの間にか“後退”している、というのはちょっと解せないところもある*7

いずれにしても、危機時の対応、という点で、いろいろと考えさせられるところが多い発言である。

*1:そういう立場に置かれたことがなく、将来も置かれることはないんだろうなぁ・・・という人に限って、実に口汚く東電の対応を批判していたりもするのだが(苦笑)。

*2:このブログでも、おって紹介したいと考えている。

*3:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20110414/1302933056、事業者が免責となった場合における「政府」の責任について考察したhttp://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20110416/1303046161も参照。

*4:その観点からすれば、何でまた今さら不毛な議論を蒸し返すのか、という思いもあるが。

*5:このような場合の「影響」は、専門家同士で議論をする際の観点ではなく、あくまで“素人”が見聞きした時にどう受け止めるか、という観点から推し量るべき、というのは、この種の対応の鉄則だと思う。

*6:ちょっと昔の話になるが、こういう発言を見ると、尼崎の鉄道脱線事故における“置き石説”会見を思い出す。

*7:デートで男が格好付けて「今日はおごるよ」と言ったのに、いざ伝票を見たら到底払えるような額じゃなかったから、「やっぱり割り勘にしようか」と態度をガラッと変える・・・そんな格好悪さがここにはある。

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