「訴訟」は最善の解決策ではない。

知財、それも特許庁所管分野の領域の政策決定に関して、”異常事態”が起きている、という話を耳にしたのは、かなり前のこと。

当時、自分が受けた印象は、一部の急進的な与党議員と政治色の強い所管官庁のトップが暴走している、というものだったし、嵐のピークが去った(とされる)今になっても、まだ残り火はくすぶっている。

そんな中、長らく役所の広告塔のような役割を果たしていた日経紙の法務面に、多少はバランスがとれているかな、と思われる記事がようやく掲載された。

「知的財産を巡るトラブルが増えるなか、紛争解決手段を巡る政府と経済界の調整が本格化している。特許法の改正を巡り、対立が続いていた経団連特許庁の間に法務省が入り、知財訴訟をはじめとする紛争解決手段を使いやすくする議論が進む。国際特許の出願で米欧中に先行される状況から脱し、知財訴訟で日本の存在感を高めるための制度設計をどうするか。議論の最前線を追った。」(日本経済新聞2019年11月25日付朝刊・第11面、強調筆者、以下同じ。)

これまでの多くの記事とは異なり、経団連や日本知的財産協会側の主張も一通り取り上げられていて、決して「悪役」一辺倒の取り上げられ方ではない。

そして、既に今年の特許法改正で導入された制度に続き*1、残された懲罰的損害賠償制度や二段階訴訟制度等に関しても、ようやく話し合える機運が出てきた、ということで、いが始まった、ということで記事は何となく前向きな方向でまとめられている。

だから、「これでめでたしめでたし、特許の世界を盛り上げるために、みんなで力を合わせて頑張ろう」というトーンのエントリーを書くのが、本来のお約束事なのかもしれないのだが・・・


水を差すようではあるが、大見出しが知財訴訟 使いやすさ追求」となっている時点で、やっぱりおかしいだろ、っていうのがまず一点。

そして「米中欧に後れ」とか、「低調な訴訟件数」といった小見出しの付け方も相変わらずである。

「日本の特許訴訟は使いにくい」と主張する一部の論者が脳内で描いているのが、「確たる証拠がなくてもガンガン提訴できて、ラフな認定の下で高額の賠償命令を得られる可能性がある世界」だ、というのが透けて見えたからこそ、そして、「濫訴社会」(これは特許訴訟に限った話ではないが・・・)がもたらす理不尽な結末を知っているからこそ、長年その世界でタフな経験を積んできた実務家たちは、ここ数年来、一部の論者の過激な提言に対してこぞって反対に回ってきた。

その結果、ようやく嵐も去り、様々な動きが正常化しつつある、という状況なのに、こんな見出しの付け方をされてしまうのでは、「復旧作業」のために汗をかいている関係者があまりに気の毒である。

裁判所に係属した特許訴訟の勝訴率が低いから、あるいは、請求が認容されても賠償額が低いから日本企業のイノベーションが進まなかったのか? といえば、答えは明らかに「No」。

むしろ、安易に訴訟を解決手段として選ばない風土が定着していたからこそ、真に技術開発の果実を享受すべき者が、粘り強い交渉でひと時の賠償額を上回るライセンスロイヤリティを得た、という事例もあるし、包括的なクロスライセンスによってコストをかけずに競争者間の均衡を保っている例もある。

人によっては、「それこそが大企業の論理だ!」と声高に叫ぶのかもしれないが、世界を見渡せば、特許訴訟の舞台で斜陽の大企業が権利を振りかざし、躍進を遂げようとしている新興企業が防戦を強いられる、という場面も多い*2

現在、多くの日本発のスタートアップ企業が、特許調査に多大なコストを要することなく事業を始められているのは、まさに「特許訴訟が頻発しない社会」だからこそなわけで*3、「下町ロケット」の世界観に引きずられている人々は、そういう現実から遊離したところで生きている、あるいは意図的に目を瞑っているのではないか、とさえ思えてならない。

イノベーション」を第一に考えるのであれば、「特許訴訟を活性化させるべき」などという結論にたどり着くはずがないのである。

自分とて、これからの時代、新しいビジネスを進めていく上で、「一歩進んだ技術」をコアバリューとして戦略を組み立てていくことの重要性を否定するつもりは全くないし、保護に値する価値を有している限り、特許によって事業の土台を固めるという戦略を否定するつもりもない。

ただ、最終的な事業の勝敗を決めるのは、あくまで「ビジネス」の進め方の巧拙であって、技術だけで「GAFA」に迫ることなど到底不可能な話。

そして、これだけ情報の伝播が早く、その時々のトレンドに合わせた技術開発が競合する今の時代に、万人が絶対的な価値を認める特許を取得することもそう簡単なことではない*4

先行する汎用技術との比較で、首の皮一枚程度しか抜けていない特許が、過度に振りかざされ、打ち合いの道具に使われるような時代になってしまったら、肝心のビジネスを進めることすらままならないわけで、そんな世の中にしないためにどうすればよいか? ということを考えるのがこれからの時代のあるべき知財政策の姿だと自分は思っているから、ここからは、ちゃんと地に足の付いた議論をしてほしい・・・。

今願うのは、ただ、それだけである。

*1:「査証制度」をはじめとする令和元年改正に関する自分の考えは、「知財立国」時代の残り香、のようなもの~令和元年特許法改正への雑感 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~で述べた通り。そもそも日本の製造業を取り巻くリアルな現実に目を向け、的確な時代認識の下で検討が行われていれば、こういう方向で法改正が進むことはなかったのではないか、と自分は思っている。

*2:もちろん、いわゆるパテントトロールが大企業を訴える、という構図もあるが、「改革」推進論者もさすがにパテントトロールが儲かる社会を作ろうとしているわけではないだろうから、その話はここでは割愛する。

*3:仮に懲罰的損害賠償制度が導入された場合、大企業にとっては”ちょっと大きめの特損”程度の話でも、生まれたての会社にとっては「即死」になりかねない。

*4:それだけ強力な特許を取得できれば、訴訟の場に出るまでもなく「特許の力」でビジネスモデルを確立することもできるだろうが、そこまでずば抜けた権利を取得することは現代ではもはや不可能だと自分は思っている。

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