「平成」の時代とともに葬り去られた事件史。

金曜日、突如として飛び込んできた「麻原彰晃の死刑執行」のニュース*1
そして、今朝の朝刊を見て、この執行が、元教祖だけでなく当時、新聞、雑誌等で名前を見かけない日がなかった元教団幹部たち6名に対しても同時に行われたことを知った。

法務省は6日、地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教元代表松本智津夫死刑囚(麻原彰晃、63)ら7人の死刑を執行したと発表した。一連の事件で死刑が確定した元教団幹部ら13人の中で初の執行となった。1995年の逮捕から23年。2019年5月の改元を控える中、未曽有のテロや凶悪事件の「平成」決着をにらみ、執行時期を探ったとみられる。」(日本経済新聞2018年7月7日付朝刊・第1面)

事件からもう23年。元代表の刑の確定により、裁判が事実上終結してからも、かれこれ10年くらいの月日が流れている。
元号が変わってからまだ10年に満たなかったあの頃、不幸な出来事が連鎖する時代背景の中、まだちょっとだけ残っていた新しい時代への期待感は「オウム真理教」「サリン」という言葉と共に雲散霧消した。まさに、あの事件は「平成」という時代の運命を決定づけるほどのインパクトがあった事件だったわけだが、今、あの頃の雰囲気がどれだけ正確に伝えられているか、そして、あの頃「謎」とされていた様々なことが、時代の経過とともにどれだけ解き明かされたか、といえば、何とも心もとないところがある*2

自分は決して「死刑反対派」ではない。
むしろ、故意に凶悪犯罪を犯したことが客観的に証明されていて、かつ、自省の念すら示さない者に対しては、極刑をもって処するのが当然、という思想の持ち主である*3

だから、松本智津夫死刑囚に対する執行や、未だに教祖への帰依を続けている死刑囚(実際にいたかどうかまでは承知していない)に対する執行を不当、というつもりは毛頭ないのだが、様々な出来事のディテール、特に、「事件」にならなかった教団組織内でのあれこれが必ずしも全て解き明かされていない状況で*4、今、全ての「生き証人」たちを闇に眠らせる必要があったのか・・・。

法に則った刑事訴訟の手続きが尽くされていればそれでよし、裁判上の記録に残され裁判所が判決で認定した事実が全て、という刑事司法の建前を承知しているからこそ、最後まで「周辺」からしか事件の核心に迫ることができなかったジャーナリズムの非力さを感じざるを得なかった*5


個人的な経験を語るなら、ちょうどあの頃、自分は、大学に入ってくる新入生に「オウムみたいな変な組織に引っかからないでくださいね」と呼びかける側にいた人間で*6、それゆえ、当時問題視されていた「分かっていても引き込まれてしまう若者」とはむしろ対極にいたはずだった。

だが、当時飛び交った様々な報道に触れ、あの、得体のしれない組織に引き込まれていった人々の背景に触れれば触れるほど、当時から“主流”の論調となっていた、

「最大の「なぜ」は、学歴も常識もある、素直で真面目な多くの若者たちが教団に魅入られ、教祖のもとで無差別殺人に突き進んでいったという事実である。」(日本経済新聞2018年7月7日付朝刊・第2面)

という問題提起をする人々の感覚の方に付いて行けなくなっていた自分がいた。

なぜなら、当時の自分自身が、「ありのままの世の中」をストレートに受け入れて、周りの人間と同じように真っすぐに常識的な道を進んでいく、という価値観を全く受け入れられていなかったからだ。

幸か不幸か自分はヨガにも超能力にも全く興味がなく、そして、そういった胡散臭い魔の手に触れる前に、全く正反対の、悪魔的に魅力的な組織、活動の方に足を踏み入れてしまったから、今回の死刑執行のニュースも、コーヒーを飲みながら「他人事」として眺めていられるのだが、それはほんの偶然、運の良さゆえだったのではないか、という思いは今も昔も変わらずに抱いている。

だからこそ、当時は、したり顔の大人たちに対してはもちろん、同世代の人間に対しても、「なぜ社会の本流から外れた世界に魅入られる同世代の人間の感覚を理解できないのか?」という不信感を密かに抱いていたし、あれから20年以上経った今になっても、同じような問いかけが繰り返されるのを見てしまうと、世の中の進歩のなさ、共感力の乏しさに少々がっかりした気分になる。

そして、当時、自分が唯一ピンと来ていなかった「なぜ、社会に失望して入信した人々が、閉鎖的な組織の中で作られたヒエラルキー(いわば社会の縮図)の中で、極めて組織的な動きをするに至ったのか?」というテーマも、皮肉ながら、自分のその後の「極めて常識的な」組織(会社や職能団体から、労働組合や異業種横断活動に至るまで・・・)の中での経験で、しっくりと理解できるようになった。

どんな集団でも、普通に日々を過ごしていれば何かしらのヒエラルキーが形成されていく。
そして、その中で一員として認知されたい、という思いが、多くの人々を「組織の論理」に縛り付け、組織が向かっていく方向が「分かっていても引き返せない」状況にじわじわと追い込んでいく。たとえ、それが決してほめられない、場合によっては法の一線を踏み越えるようなことだったとしても。

要するに「オウム」という組織の在り様や、彼らがやってしまったことは、社会に生き、組織に生きる多くの一般市民にとっては決して異次元の話ではないのである。

世間的には一流と思われている業界、会社、団体等の中にも、人々のちょっとした疎外感や挫折感を原動力として膨らんでいく部門やサークル、派閥といった類の組織は必ず存在するし、そういった組織が持つ求心力、一体感が規範を踏み越える方向でことを起こす、というのは決して稀な出来事ではない。

それゆえ「オウム」を語る上で、「カルト」とか「反社会的」といった修飾語は本来不要なものといわざるを得ず、彼らの起こした出来事を「テロ」事象として解説するよりも、「コンプライアンス違反」事象と対比して解説した方が、よほど教訓事例として生かせるのではなかろうか・・・*7

なお、最後に今回の死刑執行に記された「松本智津夫死刑囚」やその他の幹部たちの年齢を見て、あの事件を起こした時の教団幹部たち(それも「年長者」と位置付けられていた人たち)が、今の自分よりも下の世代だったのだ、ということに気付き、軽い衝撃を受けた。

23年前から群れに従うことを好まない、という点では一貫していたから、ズルズルと組織の論理に縛られて何かをしでかすことはないだろう、と楽観視して生きてきたのだけれど、立場上、この先、自分が「教祖」となって誰かの道を誤らせるリスクもまた、常に付きまとってくるのだ、ということを心に刻んで、生きていかねばならないのかもしれないな、と。

*1:もっとも翌日の朝刊にすぐに「特集」記事が掲載されたところを見ると、大手のメディアは既にこの動きを事前に知らされていたか、察知していたものと思われる。

*2:自分が8年前、当時の事件の回顧記事を見て記したエントリーが、http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20100320/1269231039だが、あの頃の違和感は未だ消えていないし、あの事件が「テロ」というフレーズで普遍化されればされるほど、むしろ強まっている。

*3:人間の「生命」がいかに重大な法益だとしても、自らが犯した第三者に対する法益侵害との比較衡量によって、その価値を否定されることがあるのはやむを得ない、という考えに立っている。

*4:なぜなら、これまでに「回顧」録を出している人々は、核心となる事件の最中に「本丸」にいなかったり、仮にいたとしても「周辺」からしか物事を見られなかった人たちだから。

*5:もっとも、終焉の地に移送される直前まで、彼らと接触していた人々は少なからずいたようだから、この後、一つ二つ、“肉声”で核心を解き明かそうとするメディアが出てきても不思議ではないし、そういう動きが出てきてほしい、と自分は密かに願っている。

*6:95年に地下鉄サリン事件を引き起こす前から、「オウム」は既に十分過ぎるほど学生たちを巻き込んだトラブルを起こしていたし、公式行事へのフロントサークル等の参加も厳しく制限される状況だったと記憶している。もちろん、そういったトラブル誘発団体は他にもたくさんあったから、今ほど「特別」な団体として扱われていたわけではなかったのだが…。

*7:その意味でも、事件のおどろおどろしさ、生々しさを極力排除した形で、かつての教団の意思決定過程の深層に迫る記事が、もっと出てきてほしいと思うところである。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html