「法務組織」から逆襲の狼煙が上がるとき。

ここ1,2年、「法務」の意義・役割・機能等々についてあれこれ話題になる機会が増えてきたこともあって、このブログでも、特に今年の春以降は、企業法務の在り方に関する機能論、組織論に言及するエントリーを上げる機会がそれなりにあったのだが、自分自身、「長年地道に築き上げてきた法務組織を一瞬にして吹き飛ばされた」という無念さを抱えて生きている人間、ということもあり、既存の法務組織を維持する、あるいはそのままの形で発展させる、という方向での議論に関しては、どちらかといえば消極的なスタンスだった。

そして、SNS界隈を見回しても、ルフィチックな「○○に 俺はなる!」みたいな威勢のいい人々を見かけることは多かったものの、「組織」として「法務」の本来的機能をどう発揮していくか、ということまで意識した言説はあまり見かけなかったように思う。

だが、そんな中、今週入手した「経営法友会レポート」の持ち回り連載コラム、「法務の眼」のコーナーに実に含蓄の深い論稿が掲載されていたので*1、少し紹介させていただくことにしたい。

(2019年9月12日追記)本エントリーアップ後、各所からの問い合わせ等もあったようで、経営法友会の会員限定公開だった「法務の眼」が暫定的に一般公開されたとのこと。
 事務局の皆さまの迅速、かつ手厚いご対応に、深く御礼申し上げます。


 ◆「法務の眼 Legal Eyesight」https://www.keieihoyukai.jp/345


(本エントリーの対象記事は、2019年9月号「『機能』か『組織』か――組織論なき機能論を憂う」です。)


まず、冒頭に記された問題意識は、以下のようなもの。

「事業サポート・アドバイスを行いつつ、それをチェックする、という法務機能のあり方を発揮するうえで、事業部門から独立した法務組織がある、ということをこれまで所与の前提としていたが、最近の論調は、少しこれとは異なってきていることを感じている。」
「法務という専門知識にこだわらず、経営でも事業でも、何でも自らの能力のままに発揮すればよいのでは、という『素朴』な意見を、主としてスタートアップ業界の法務を担当している若い世代から聞くことがある。しかし、この論調は、さまざまな機能を持った複数の組織からなる会社における企業法務の危機を招かないか。」(強調筆者、以下同じ)

この点に関しては、自分も以前のエントリー*2で指摘したとおり、確かに「個人としてどこまでの仕事をやるか?」という話と、「仕事をするための組織をどう作っていくか?」という話は混同すべきではないと思っている。

そして、前者の話は、意欲のある人なら誰にでもできる話なのに対し、後者の話は、一定以上の規模と歴史を持った会社でマネジメントを意識して仕事をしている層の人々でなければできないもので*3、それだけにこの視点からの発言は実に貴重だ。

法務機能の発揮の十分条件として、法務担当者の知識経験に加え、それを支える法務組織の充実も不可欠である。
独立した法務組織は、法務担当者の職能を育み、向上させる。新任の法務担当者は、充実した法務組織における育成プログラムによって、法的知識に加え、当該企業の事業と組織とを法務という目を通して理解することになる。いわば、法務組織は法務担当者にとっての『ゆりかご』である。」

決して安眠できるような優しい「ゆりかご」ではなかったが、「法務組織」が人材育成基盤として不可欠な存在であることは、自分も全く否定しない。

そして、さらに共感できたのは次のくだりだった。

独立した法務組織は、経営者の自己保身や、事業ラインの論理のみに堕することない、法務としての視点を法務担当者に持たせる。人は一人では弱い。法務組織という看板を背負うことで、法務担当者が安心して経営層や事業担当者に物を申すことができるのである。」

「看板」といったり、「背番号」といったり、呼び方は会社、組織によってそれぞれだろうが、数千人、数万人単位の大組織の中では、これこそが一番大事なところ。

自分は、この「独立した法務組織」に全ての法務リソースを集中させることに対しては懐疑的で*4、「独立した法務部門」から各事業部門に送り込んだ法務職能のスタッフにパスを飛ばしまくるショットガンフォーメーション型の組織(機能分散型組織)を作っていくのが現実的なスタイルではないかと思っているから、

「さらに、法務としての独自の役割・職掌が整理されていればいざとなれば法務が助けてくれるという信頼のもと、経営層、事業部門が安心して自らの役割を突き進むことができる。そうでなければ、紐がないバンジージャンプのようになり、組織のリスク耐性は著しく弱体化してしまう。」

とまで、「法務」と「経営層/事業部門」を分けて考える発想はないのだが、「法務」の役割や攻め・守りのバランスを全社的にしっかりコントロールする「独立した法務組織」が存在することが不可欠という点では、ここも全く異論はないところ。

・・・で、以上のような、法務部門のマネジメントに関与した経験のある人なら誰しもが分かっていることをあえて言語化しなければならなかったのはなぜか?ということなのだが、その答えは、おそらく以下のコメントに凝縮されているのではないかと思われる。

「この点、経営者もスタッフも役割が未分明で『できる人がやる』というスタートアップにおける個々の法務パーソンに求められる役割と、組織が複雑に分化し、さまざまな役割を負った組織が分業をすることにより、個人の延長レベルの集団ではできない高度な業務を行う企業体とでは、まったく前提が異なるのだが、在り方研(筆者注:「国際競争力強化に向けた日本企業の法務機能の在り方研究会」)の議論を見るとこの点はあまり意識されておらず、議論が混乱しているのではないかと危惧する。」

どちらが良い、悪いではなく、日本の伝統企業、外資系企業、新興企業といったカテゴリーや、会社の規模、業界によって当然議論の前提は異なるのに、それを一緒こたにし、さらに「組織」としての機能論への意識が乏しいまま議論が進んでいく、という有様は、「在り方研」なるものに少しでも期待を寄せている人であれば耐えられないのだろう*5

また、関連して、「個々人がスキルを身に付けて、経営層や事業部門からの信頼を勝ち取ればいい」という、ハイネマン症候群的な風潮にも警鐘が鳴らされている。

属人的なスキルのみに依存した法務『組織』は、永続的ではない。」
個々人の技能を超えた組織としての役割を、企業内において整理しなければ、法務機能が本当に充実しているとは言えない。」
「この点、アメリカのGCやCLOといった法務周りの役割論を見ているだけでは足りない。特に日本企業では、人事部が給与体系、考課基準を統一的に管理していた。人事部門や、法務組織と職掌が近い総務部門*6リスク管理部門、監査部門などとの関係も意識しなければ、法務組織論は画餅に帰することを銘ずべきである。」

「法務」の仕事は決して定型的なものではなく、地道なコミュニケーションをとる力から、瞬時の判断力やひらめきまで、様々な能力が要求されるものである。
そしてそれゆえ、どんなに「育成」に力を注いでも、意図したとおり、意図したレベルに育てるのは決して容易なことではないから*7、どんなにしっかり組織を作っても、最後は属人的な要素に依拠せざるを得ないところは出てくる、と自分は思っている。

ただ、最初から「組織としての役割」を意識しない議論だと実益は乏しいし、「トップとの関係」を意識する前に「他の組織との緊張関係」に目を向け、しっかり”武装”しなければ、「法務機能」など埋没するか、社内政治に煽られ、吹き飛ばされて終わり。

その意味で、浮ついた議論にきちんと楔を打ち、「法務組織」の存在、あり様を核とする議論の再構築を求める本コラムの提言には傾聴すべき点が多い。

そして、最後に記された、

「それぞれの企業ごとの事情の違いを超えて、法務組織の役割と意識をもっと深く突き詰めていくべきではないか」

というフレーズが全てかな、と自分は思った次第で。

立場上、総論的な話はほどほどに、それぞれの会社に最適解を提供する、ということに注力せざるを得ない今日この頃ではあるのだけれど、この”狼煙”をきっかけに、再び「法務組織」論が盛り上がるようなことになれば、業界また面白くなってくると思うので、意識の高い法務職能の持ち主が、生き生きと仕事ができる大企業が少しでも増えてくれるとよいなぁ・・・と。

以上、どこかで起きたような、悲劇も過ちも決して繰り返さないでほしい、という思いを込めてのエントリーである。

*1:債権法改正審議の折などにも、産業界を代表して論陣を張っておられた三井不動産株式会社総務部法務グループ長・望月治彦氏の論稿である。

*2:ブログ開設から14年を迎えて~「法務職域論」に関する若干の考察 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照。

*3:したがって、前者の視点でしか語れない人が多いSNS等の場だと、話がかみ合わなくなる

*4:というか、これからの時代に「大きな法務部門」を維持するのは困難、という現実認識に立っているので、自ずからそうなる。

*5:自分は経産省所管の研究会、という時点で、最初から何も期待していないので良いのだけど・・・(笑)。

*6:自分は「法務」と「総務」は、歴史的経緯等を踏まえても、本来似て非なるものだと思っているが、関係の「整理」が必要というのはその通りだろうと思っている。

*7:個人的には、天性の資質とかセンス、といったものが法務の仕事の適性のかなりの比重を占めるのではないかと思っている。これはクリエイティブ系の仕事には大概あてはまることではあるのだけれど。

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