沈黙の一年を振り返って

毎年、年の終わりには反省ばかりが心をよぎるから、ブログにも景気の悪いエントリーをあげてしんみりと年を越すことが多い。

今年もその辺はさほど状況は変わらないのだけど、実のところ仕事の方では山あり谷あり、いろいろありすぎて、バタバタした感覚のまま休暇に突入してしまった感じなので(そして年明けからもその流れのままいろいろと続いていくので)、ゆったりと回顧するような心情には至っていない、というのが正直なところである。

内向きな話をするなら、この一年は中間管理職としてのあれこれに苦悩し、多大な労力をそこに費やしているうちに過ぎてしまった。

年末の企画で、経文緯武氏の「法務組織の(中間)管理職は何をしているのか」というエントリー*1を読んで、考えさせられるところは多かったのだが、こと「現場仕事はできない、してはいけない、しない」という管理職の鉄則に関しては、完全に禁を破ってしまったところはあるし、「組織としての成果の最大化」という観点からは、

「任せるところは任せるけど、任せてもどうにもならないときは、(部下を一人二人切り捨ててでも)自分で状況を打開しなければならない」

というリアリズムに否応なしに支配されてしまったところもあるような気がする。

そして、「人が育つ(=経験と議論を通じて、技能知識と価値観が成熟していく)こと」で組織が成長していく、という自分が依拠していた思想が、今の世の中、そう簡単には通用しなくなっている、ということに気付いて、衝撃を受け続けた一年でもあった。

センスの良い人は、限られた一の経験の中からも十を学べるし、経験していないことでも想像力でカバーできるのだけれど、そうでない人は、企業の中に何年いようが、弁護士として何年経験を積もうが、単純なルーティンワーク以外の分野では何ら力を発揮できないし、発揮させる方向に持って行くことすら容易ではない・・・

今、というタイミングでそのことに気付いたことが、幸運だったのかどうかはわからないけれど、後々この一年がターニングポイントだったと思えるときが来るのかも、というのが激動の年を終えての偽らざる感想である。


世間に目を向ければ*2、巷では「AI」とか「働き方改革」等々のBuzzワードが飛び交い、遂には捕らえどころのない「リーガルデザイン」だの「リーガルテック」だのといった珍語(笑)まで溢れかえる状況にある。

だが、そうこうしているうちに、法務に限らず世の中全体で、スタンダードなことをスタンダードに、ちょっとずつ付加価値を増やしながらやり遂げる、という基本的なスキルが失われていないか、というのは気になるところなわけで、新しい言葉や新しい概念に飛びつく前に、今あるものをもっと磨き上げる努力をしろよ、と思わずにはいられないし、組織の内側のミクロな領域で感じたことと、今、世の中で起きている一種の病理現象との間に何らかの関連性があることは否定できないように思う。

来る2018年、”内憂外患”の状況は変わらないと思われる中で、再度自分が「外」に舵を切れるのかどうか保証の限りではないが、「ロビイング」(苦笑)の前に、やれることがあるだろう、ということは、多少なりとも訴えかけていく時期に来ているのかもしれないな、と。

そして、どういう形になるのかはわからないが、自分が長年携わってきた「法務」という業界を、真に「センス」のある人が正しく能力を発揮できる健全な業界に保ち続ける努力は惜しみなく続けていきたいと思うのである。

*1:http://tokyo.way-nifty.com/blog/2017/12/legalac-07c2.html?optimized=0

*2:といっても、今年はいつも以上に「外」に目を向けられる機会は乏しかったのだが・・・。

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