2年目の桜。

今日であれから1年。

当日のエントリーは感情を抑えてごくごくサラッと書いたし、別のSNSではとてもポジティブな自分を演出していたが、内心は全く穏やかなものではなかった。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

元々、40を過ぎても、一つの会社の肩書だけでしか生きられないような人生は嫌だな、というところが出発点になって、前々から心の中で温めていたプランではあったものの、いろんな看板を背負わされ、現場の最前線で指揮を執り続けていた状況の中で、構想を具体化するためにあれこれ画策するような暇は全くなかった日々。

それが一昨年から昨年にかけて、様々な環境が激変する中で、極めてドラスチックに、それこそ「清水の舞台から飛び降りる」というか、それとも「紐を付けずにバンジージャンプ」というべきか分からないようなリスクの高い道を選んだのが、1年前の自分だった。

そこから366日。

桜咲く近くの川べりの光景は一年前と全く変わっていないはずなのに、歩きがてら肌で感じた風は、去年よりずっと暖かかった。

飛び出す前から今に至るまで、自分を支えてくれている古巣の人々。
長年温めていた構想を実現させてくれた旧知の業界関係者や同業者の方々。
自分が何者であるかを知っていようがいまいが、日々絡んでいただけるSNS界隈の才気あふれるエンターテイナーの皆さん。
そして、環境の変化がなければたぶん出会えず、仕事をお引き受けするご縁にも恵まれなかったであろう、多くのクライアントの関係者の皆様方・・・。

自分が、これだけ多くの方々に支えられて生きているのだな、ということをこれだけ実感できたこともないかな、と思うくらい、嬉しいこと、感謝したいことに恵まれた一年だったのは間違いない。

そして、様々な、これまでとは異なる角度から「企業法務/企業内法務」の世界に改めて向き合うことで、そんなに自覚したことのなかった自分のアドバンテージだとか、逆に、「そういえばここはあまりやったことがなかったな・・・」という分野がまだまだ存在することとかにも、気付くことができた。

1年前は、「これから10年、20年、これまでの経験をただひたすら吐き出して、小出しにして生きていくしか道はないかな」という覚悟もしていたのであるが(そして、もちろんそういう一面もあるのだが)、今はむしろ、この歳にして新しい分野に足を踏み入れ、新しい知見を貪欲に吸収していける機会の方が多かったりもするし、単なる「法律の専門家」というポジションを超えて、経営のダイナミズムにコミットできる機会も劇的に増えた。

そんな「今」を、2年前の自分に伝えたら「何夢見てるんだよ」と一蹴されたのは間違いないし、1年前の自分ですら、たぶん信じはしなかっただろう。
だけど、それはまさに現実で、まさにここにある景色だったりもする。

***

元々自分の中での仕事の定義は「事業を進めること」、雑な言葉でいえば「金を稼ぐこと」に貢献してこそ法務、というものだから、「コンプライアンス」だとか、「リスクマネジメント」といった仕事は、自分の”本業”では全くないと思っていた(そして、それは今でも変わらない)のだけど、そうはいっても20年以上、様々な「危機」と隣り合わせに接していれば、自ずからリスクの類には敏感になる。

昨今の「COVID-19禍」において、世の中の人々を一番イラつかせているのは、最初に立てた見通しが次々と覆されていくことにある*1、ということなのではないかと思っていて、(それはそれで「パニックを防ぐ」等の様々な深謀遠慮はあるにしても)リスクに長く向き合っていた者としては、傍から見ていて一番フラストレーションがたまるところ。

なぜなら、あらゆる希望的観測を排除して、「最悪の事態」を想定するところからスタートするのが「リスクマネジメント」の要諦だから。そして、知らず知らずのうちに、そういう思考を染みつかせたのが、「現場での長年の法務経験」に他ならなかったからだ*2

逆にいえば、それが、自分自身を長く足踏みさせていた要因でもあったわけで、組織を離れる、という決断をする前も、いや、した後ですら、頭の中で最初に描いていたのは、

「このまま日々の収入ゼロで推移したら、あと何年、手元の資産で生き延びられるか」

というシミュレーションだったりもした。

幸い、経済的な面に関していえば、拍子抜けするくらいにシナリオの逆を行く形になったし、それ以外の想定していたあれこれも、思いのほか良い方向に予想を裏切られることが多かったのだけど、一方で、高熱を出して数日寝込んだ時の不安感だったり、昨年末くらいからそろそろ新しいスタッフを加えて規模を拡大しようかな、と思っていた矢先に起きた昨今の「新型コロナショック」だったり、と、リスクシナリオをさらにバージョンアップさせるような出来事だって、それなりにあったのは確かだ。

ただ、今確実なのは、一年前に動いていなければ、前向きな発想や生産性を失った組織の中で、朽ちて、消えていたかもしれない仕事への「熱」を未だに持ち続けることができていること。それだけは胸を張って言える。

この先、変わっていく世界の中で、荒波にのまれて吹き飛ばされる可能性は十分にあると思っているし、そもそも、決してリスクファクターが少ないとは言えない自分が、1年先、まだこの世で生き延びられているかどうかすら何の保障もないとは思っているのだけれど、とにかく今は、友人、知人に、大切なお客さま。そして、無謀な挑戦の背中を押し、今日まで支えてくれている家族の思いに一日でも長く応え続けていたい、そんな思いで生きている。

そしてささやかな希望としては、一つでも多くの会社の「法務」の礎を支えている方々に希望の灯を捧げること*3、それに尽きる。

次にまためぐってくるはずの桜の季節をどんな気持ちで迎えられるか、今はまだ想像もできないのだけれど、地に足を付けて一歩ずつ、小さな足跡を刻んでいければ、と思っているところである。

*1:2週間我慢すれば何とか・・・のはずが、その後も2週間、さらにまだまだ先に延び、それに合わせて様々なビッグイベントも何度も延期の判断を強いられている。

*2:新型コロナに関していえば、少なくとも3月を超えて4月に入っても状況が良化するはずがないだろう、ということは、隣の国の状況を見ても容易に推察できたことのはずで、だったらその先まで見越してどういう手を打つか、という話を3月の時点でしていてほしかったのに、その辺が見えてこないのがちょっとなぁ・・・という気はしている。もっとも、自分が想定した最悪シナリオに比べたら、今の足元の状況(これを書いている週末の時点では、東京の感染判明者はまだちょうど100人を超えたくらいの規模に過ぎない)はまだまだ余裕のあるレベルだと思うし、その意味で政府のこれまでの対応は、いつになく効を奏しているのではないか、と柄にもなく賛辞を送ってみたくもなるのだが・・・。いずれにしても、「最悪」のシナリオを出発点にすれば、たいていの場合、その手前で現実が止まってくれるから、精神的には穏やかに過ごせる、というところはある。

*3:さらに欲を言えば、自分自身が同時に使いこなせる「名刺」の数を増やしたい、というのもあるが、今日のところはそれはひとまず置いておく。

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