「押印」論争をめぐる痛烈な意趣返し。

前々からくすぶっていた「ハンコの要否」をめぐる議論は、今年の春、多くの会社が好むと好まざると”リモートワーク”を強いられるような状況に陥って以来、ピークに達していた感があって、一部の事業者からの突き上げもあって、規制改革会議等でもかなりやり玉に挙げられるテーマとなっていた。

そんな中、6月19日付で突如として出された、内閣府法務省経済産業省の連名による「押印についてのQ&A」という文書。
http://www.moj.go.jp/content/001322410.pdf

日経新聞などは、さっそく、

「政府は19日、民間企業や官民の取引の契約書で押印は必ずしも必要ないとの見解を初めて示した。押印でなくてもメールの履歴などで契約を証明できると周知する。押印のための出社や対面で作業を減らし、テレワークを推進する狙いがある。」
内閣府法務省経済産業省は同日、連名で押印に関する法解釈についてQ&A形式の文書を公表した。契約書に押印しなくても法律違反にならないかや民事訴訟法上のルールを明確にした。」
「文書は「特段の定めがある場合を除き、押印しなくても契約の効力に影響は生じない」と記した。」
日本経済新聞電子版 2020年6月19日11時50分配信、強調筆者)

と、あたかも一大事であるかのように伝えているが、既に多くの人が指摘しているように、この記事に出てくる程度の中身は契約周りを長年扱っている法務系の実務家にとっては、今更何をかいわんや、という話だし、一方で当の文書は、法律のバックグラウンドが全くない人々に読ませるにしては、専門用語を使い過ぎている、ということで、一体誰に向けて、何のために出した文書なのか? と首をかしげている人も多いようである。

だが、自分は、この文書へのリンクを張っている法務省のページ*1に書かれている僅か2行の、

「今般,テレワークの推進の障害となっていると指摘されている,民間における押印慣行について,その見直しに向けた自律的な取組が進むよう,押印についてのQ&A【PDF】を作成いたしました。」(強調筆者)

という簡潔な前振り文を見て確信した。

間違いなく彼らは憤っている。

一部の事業者が唱える、あたかも不合理な「押印慣行」が国の法令、特に民事訴訟法228条4項によるものであるかのような言い草に。

そして、そういった一部の事業者の「規制緩和」の提言が、常に自分たちの商材のアピールと表裏一体のものになっている、ということに・・・。

既に1か月前の規制改革推進会議の第10回成長戦略ワーキング・グループに法務省が提出した資料*2からも、そういった”憤慨”ぶりは十分に見て取ることができたのだが*3、今回、三者連名で出した書面は、当時の回答よりも踏み込んだ「見解」を示したことで、より強烈に”怒り”を伝えることにもなった。

以下ざっと見ていくと・・・


冒頭の「問1.契約書に押印をしなくても、法律違反にならないか。」という問いへの答えは、ほんの軽いジャブに過ぎない。

・ 私法上、契約は当事者の意思の合致により、成立するものであり、書面の作成及びその書面への押印は、特段の定めがある場合を除き、必要な要件とはされていない
・ 特段の定めがある場合を除き、契約に当たり、押印をしなくても、契約の効力に影響は生じない
(強調筆者、以下同じ)(1頁)

また、続く「問2.押印に関する民事訴訟法のルールは、どのようなものか。」への回答も、民訴法228条4項の内容を淡々と説明するだけで、成長戦略WGでの回答に比べると少しトーンがおとなしくなったようにも読める*4

だが、続く「問3.本人による押印がなければ、民訴法第 228 条第4項が適用されないため、文書が真正に成立したことを証明できないことになるのか。」あたりから、回答は段々と踏み込んだものになってくる。

”文書の成立の真正なんて、争われなければ問題にならないし、逆に争われれば、証拠全般に照らして判断されるわけだから、「押印」だけが決定的な意味を持つわけではない”という趣旨のことを一通り説明した上で、

「このように、形式的証拠力を確保するという面からは、本人による押印があったとしても万全というわけではない。そのため、テレワーク推進の観点からは、必ずしも本人による押印を得ることにこだわらず、不要な押印を省略したり、「重要な文書だからハンコが必要」と考える場合であっても押印以外の手段で代替したりすることが有意義であると考えられる。」(2頁)

と、「テレワーク推進の観点」という留保を付しつつも、「押印省略」、「押印以外の手段での代替」をプッシュ。

「問4.文書の成立の真正が裁判上争われた場合において、文書に押印がありさえすれば、民訴法第 228 条第4項が適用され、証明の負担は軽減されることになるのか。」においても、「二段の推定により証明の負担が軽減される程度は、次に述べるとおり、限定的である。」と、”ピント外れの問題提起をするんじゃねぇ!”と平手打ちをするかのごとき解説を述べ、さらに「問5.認印や企業の角印についても、実印と同様、「二段の推定」により、文書の成立の真正について証明の負担が軽減されるのか。」 という問いをわざわざ立てて、印鑑証明書のない認印による押印に「二段の推定」を及ぼすのは難しいんじゃないの?という解説を加えた上で、

「そのような押印が果たして本当に必要なのかを考えてみることが有意義であると考えられる。」

と、さらにダメ押しのプッシュ。

役割分担としては、法務省の出番は、民訴法228条4項や「二段の推定」の解説のくだりまでで、その後の「有意義であると考えられる」のくだりは、他の省庁による”おせっかい”だと思われるのだが、ここでポイントになるのは、最後の”結論”が、「他の手段での代替」ではなく、完全な「押印省略」にまで踏み込んでいるということで、それも、もしかしたら現場の裁判官の意識以上に踏み込んだ解釈を示しているんじゃないか・・・?と思いたくなるような、法務省担当パートの思い切りの良さがあってこそ、である*5

そして、いろんな意味で衝撃が走ったであろうと思われるのは、やはり、最後の問い、「問6.文書の成立の真正を証明する手段を確保するために、どのようなものが考えられるか。」 に対して示された回答だろう。

① 継続的な取引関係がある場合
・取引先とのメールのメールアドレス・本文及び日時等、送受信記録の保存(請求書、納品書、検収書、領収書、確認書等は、このような方法の保存のみでも、文書の成立の真正が認められる重要な一事情になり得ると考えられる。)
② 新規に取引関係に入る場合
・契約締結前段階での本人確認情報(氏名・住所等及びその根拠資料としての運転免許証など)の記録・保存
・本人確認情報の入手過程(郵送受付やメールでの PDF 送付)の記録・保存
・文書や契約の成立過程(メールや SNS 上のやり取り)の保存
電子署名や電子認証サービスの活用(利用時のログイン ID・日時や認証結果などを記録・保存できるサービスを含む。)
(4~5頁)

上記①、②については、文書の成立の真正が争われた場合であっても、例えば下記の方法により、その立証が更に容易になり得ると考えられる。また、こういった方法は技術進歩により更に多様化していくことが想定される。」
(a) メールにより契約を締結することを事前に合意した場合の当該合意の保存
(b) PDF にパスワードを設定
(c) (b)の PDF をメールで送付する際、パスワードを携帯電話等の別経路で伝達
(d) 複数者宛のメール送信(担当者に加え、法務担当部長や取締役等の決裁権者を宛先に含める等)
(e) PDF を含む送信メール及びその送受信記録の長期保存
(5頁)

もちろん、これまでにも、「交渉の過程で、相手から”言質”をとったメールのやり取りはきちんと保存しておけ。いざとなれば、それだけでも合意の事実は証明できる」とか、「メモ書きのPDFをメールに添付して、それに対する承諾の返信をもらっておけ。それさえしておけば契約締結は後回しでもいい」といった類の話は、これまでにも散々してきたし、現に全てが終わるまでそれで乗り切ったこともある。

だが、そういった対応はあくまで”非常手段”というのが、自分の認識ではあった。

それが、「押印」に代わる「真正証明手段」として役所のお墨付きを与えられる日が来るとは・・・。 しかも、代替手段の”本命”とみなされていた電子署名、電子認証サービスと並列で・・・。

これまで、規制改革要望を挙げていた事業者たちの主張のキモは、「電子署名等の電子的な認証手段」に「押印」と対等な地位を与えるべき、というところにあったはずだし、それにより自らが展開するサービスを「押印」に代わるものとして普及促進させていくことも容易になる、というある意味非常に分かりやすい構図だった。

しかし、お上を散々突いた結果出てきたのは、

そもそも、(文書の成立の真正を証明する、という点で言えば)ハンコにだってそこまでの重みはないよ。メールのやり取りを残しておけば十分だよ。

という、大方の想定を二、三歩飛び越えてしまうような見解で、ここに、当局の「規制改革要望者」に対する、ある種の意趣返しのようなものを感じたのは自分だけではないはずだ。

そして、最近の政策要望にありがちな”オウンゴール事例”が、また一つ日本の歴史に刻まれることになってしまったともいえる*6

ちなみに、今回の三省庁連名の文書が出たからと言って、直ちに「押印文化」がなくなり、メールでのやり取りだけで全てが進むような世の中になるか、といえば、そんなことはなく、「認印」ですらなくなるのはまだまだ先の話だと思っている。

自分は、これまで事業部門や法務初心者への研修等の中で、「こういう場面では合意内容を『契約書』の形で残しておかないといけません」という話はしても、「こういう場面では契約書にきちんと押印をしないといけません」という話はこれまで一度たりともした記憶がない。

それは、今回の文書の中でも語られているとおり、「押印するかどうか」が契約の効力に決定的な影響を与えるものではなく、ましてや契約の合意内容に影響する話では全くない、ということを重々承知していたということもあるのだが、それ以上に、「押印の要否」や「どの印を押すか」という話が、全て総務とか会計といった別の部門が決めた社内ルールで決められていたことで、わざわざそんな「他人事」の解説に貴重な時間を割くのはもったいない、という思いがあったから、ということも大きい。

裏返せば、今回の文書が、いかに法務関係者にインパクトを与え、これまでの頑なな「押印主義」を改める方向に思考を向かわせたとしても、よく言えば「内部統制」、悪く言えば「惰性と昔からのしきたり」で続いている全社的な文化をひっくり返すのはそう容易なことではないだろうな・・・と思うところである。

急がせればそんなに時間はかからなかったとはいえ、自分自身でも交渉相手との契約なり合意文書なりをまく経験を度々してきた者としては、「せっかく内容に合意したのに、稟議で決裁をもらうまでに数日、さらに印鑑を押してもらうのに1日かかって、その上、相手への郵送手配やら何やらで、戻ってくるのを待っていたらいつになるやら・・・」という状態はできる限り避けたいと思っていたし、そういう仕事をしていた時に今回の文書を見たら、きっと”わが意を得たり!”と喜び勇んだことだろう。

だが、だからと言って、その時にこの文書を振りかざして長年根付いてきた「押印」ルールに抗するような動きをしたか? と問われればその可能性は100%なかった。

「慣習」の壁、というのはそれだけ厚くて、それを動かすには極めて大きなエネルギーを使う必要があるし、平時なら、「文書成立の真正証明」という要素を差し引いても、「押印」のプロセスを経ることによる社内的、自分的なメリットがまだまだ存在したからである*7

元々総務も法務もごっちゃになっているようなコンパクトな会社であれば、「ハンコ文化」を変えるためにそこまでエネルギーを使う必要はないはずだし*8、何よりも今は「緊急事態」を経て、ある程度の規模と歴史のある会社でも、「とりあえず変えよう」という発想が比較的受け入れられやすくなっているのは確かだから、先日のエントリー*9でもプッシュさせていただいたように、多くの会社で、印鑑に代わるものとして「バランスの取れた電子契約(署名)システム」が定着してくれればそれに越したことはないと自分は思っている。

でも、上で述べたような、論理的・合理的思考だけでは乗り越えられない「壁」はあるし、逆に、ひとたびそれを乗り越えた時に新しい仕組みがバランスの良いところで収まる保証もない

今回公表された文書は、仮に社内で首尾よく「ハンコをやめよう」という話になったとしても、「メールのやり取りで済むならそれでいいじゃん。なんで、わざわざコストをかけて電子契約システムなんて導入しないといけないの?」と揚げ足を取られる材料にもなり得るわけで、特に役員クラスの感度が高い会社であればあるほど、必要以上にドラスチックな、「行き過ぎた変化」がもたらされる可能性は否定できないのである。

ゆえに、先々を見据えて、特に「物事がうまくいかなかったときのこと」を見据えて動かないといけない法務部門としてはなかなか悩ましいところではあるのだが、どんな形で出てきた「見解」でも、うまく使いこなせばそれは新しい武器になる。

今回の文書で様々な前提がリセット&クリアされた今は、「どこで社内手続における形式的な担保と、仕事を進める上での合理性とのバランスをとるのが適切か」というグランドデザインを描き直すにはちょうど良いタイミングでもあるわけで、これを奇貨として、どんな会社でも、法務部門が説得力のある理屈と想定事例を打ち出すことで社内のルール作りの主導権を握れるくらいのポジションを取れるようになればいいね・・・と思うところである*10

*1:法務省:押印についてのQ&A

*2:https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/meeting/wg/seicho/20200512/200512seicho05.pdf

*3:この時のワーキンググループに出てきている資料をすべて見れば、よりこの時の回答文書を味わい深く読むことができるはずである。第10回 成長戦略ワーキング・グループ 議事次第 : 規制改革 - 内閣府

*4:最後の「なお、文書に押印があるかないかにかかわらず、民事訴訟において、故意又は重過失により真実に反して文書の成立を争ったときは、過料に処せられる(民訴法第 230 条第1項)」という、一見蛇足のようにも思えるくだりなどは、繰り返される”ピンぼけ”的な要望に一矢報いるためだけに入れたように思えるところもあるのだが(現実に過料制裁が課されたという話はほとんど聞かないが、それ以上にまっとうな企業間の契約紛争で文書の成立が争われること自体が滅多にないし、争うことを憚らせる制度的担保もあるのだぞ、ということをここでは言いたかったのだと思われる)、この後に続く「回答」に比べればまだ穏健な部類のものだと言える。

*5:個人的には、押印の効果が「限定的な」「負担軽減」に過ぎないとしても、それがなくなってしまうと訴訟実務の現場には大きな変化を生じさせる可能性はあると思っていて、特に、これまで訴訟の場に出てくる契約書や合意文書には例外なく「押印」がなされていたことを考えると、それがなくなった時に形成される実務慣行(とりあえず相手方が成立の真正を争ってみる、というアクションを起こすようになる可能性もなくはないし、それがなくても、保守的な裁判官が挙証者側にあらかじめ文書成立の真正の証明を求めるような慣行が形成されてしまうと、そうでなくても面倒な訴訟手続きがますます面倒になることは間違いない。

*6:元々、どこかから借りてきたような民訴法ベースの覚束ない論理を駆使し、法的観点から「成立真正証明手段」としてのメリットを商材のアピールに用いようとしてきた一部の事業者の手法に対しては、かねてからたしなめる声も多かったところで、そのテンションで「規制改革」の方向に突っ込んでいったのをハラハラしながら眺めていた法務界隈の関係者も多かったと思うのだが、やはりこうなったか・・・というのが、自分の素朴な感想である。この件に限った話ではないのだが、本当に何かを変えようと思ったら、お上に向かって「今の規制に問題がある」、「今の法令に問題がある」と叫び始める前に、自分たちのやろうとしていることを阻む他の要因があるのではないか?、ということを冷静に分析、検討することが不可欠だし、「身内」たるユーザー側でもコンセンサスが得られず、十分に説得できるような理屈も持たずに突っ込んでいったところで、それによって得られるものは少ない(むしろダメージを受けることすらある)。日本にも、過去には新興企業のロビイングが成功した例はあるわけだから、そういった事例からもう少し謙虚に学ぶべきではないか、というのが、傍から見ていての率直な思いである(もちろん、よく煮詰まっていない話を軽々に受けてしまう最近の一部の役所の姿勢にも問題があると言えなくはないが、やはり一義的には「要望」する側の問題だと思う)。そうでないと、ありとあらゆる「規制改革の要望」自体が胡散臭いものと受け止められることになりかねないし、そうなってしまえば、社会のニーズを立法につなげていく、という健全なサイクルもまた機能しなくなってしまうので。

*7:法的な効力以前の問題として、「双方の印」が存在することは、「合意が成立した」ということを役員レベルも含めた関係各所に説明する上で圧倒的に楽なのだ。また、何度も何度もドラフトをやり取りしているような案件だと、最後に何らかの「印」を付けて残しておかないと、後になって自分自身どれが「完成した契約書」なのか、分からなくなってしまうことにもなりかねない。

*8:とはいえ、何かと「性悪説」で動きがちな経理部門の壁は、どんな会社でもまだまだ厚い気はするが。

*9:この先ずっと必要なものだからこそ、ちゃんとしたものを選びたい。~電子契約サービス選びに欠かせない視点 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*10:あるいは、今、法務のスタッフが煩雑な印章管理に労力を割いている、という会社なら「もう、押印は契約の効力に影響を与えない、裁判での立証にも決定的な影響を与えるものではない、って法務省経産省も言ってますよ。だから、これからの印章管理はうちじゃなくて経理部さんの方でやっていただけますか?」と押し付けてみるのも一案かもしれない。いずれにしてもここで大事なのは、「自分たちが損をしないこと」である。それに尽きる(笑)。

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