著作権法50年、歴史の重み。

今年もめぐって来た終戦記念日

自分はもちろん「戦後世代」ではあるのだが、物心ついた時はまだ「戦後40年」になるかならないかだったから、終戦75年」というフレーズが繰り返し出てくるのを聞くと、何とも言えない気持ちになる。

成人した頃は、「戦争を知らない若い世代」の代表格であるかのように取り上げられてきた我々も、もはや”古い側”に属するようになって久しいわけだが、それでも「戦後」世代の中で自分たちが徐々に古い世代の側に寄っていく、ということは、この国が再び戦争に巻き込まれていないことの証なわけで、今年はいつもにまして、そのことのありがたさを噛みしめていたところだった。

で、その話から持って行くのは些かこじつけ感もあるのだが、今年は1970年(昭和45年)の現行著作権法公布からちょうど50年*1、ということで、『論究ジュリスト』誌で著作権法50年の歩みと展望」と銘打った大々的な特集が組まれている。

論究ジュリスト 2020年夏号(34号) (ジュリスト増刊)

論究ジュリスト 2020年夏号(34号) (ジュリスト増刊)

  • 発売日: 2020/08/05
  • メディア: ムック

一言でまとめるなら、

著作権法に少しでも関心のある者にとっては実に贅沢な、必ず手元に置くべき豪華版」

ということになるのがこの特集で、特に冒頭の座談会は、中山信弘東京大学名誉教授、高部眞規子・知的財産高等裁判所長、福井健策弁護士、という著作権法の世界で一時代を築いた方々に、2018年著作権法改正を実質的に仕切られた秋山卓也・前文化庁著作権課課長補佐(大阪大学准教授)、さらに情報法の成原 慧・九州大学准教授が加わり、田村善之・東京大学教授が司会を務める、という贅沢過ぎる布陣で、このメンバーが「立法の歴史」と「裁判例の歴史」を骨太に振り返って議論するのだから、通常の法律雑誌なら相当長く感じられるような30ページ弱の紙幅でも、まだまだ続けてください・・・という気分になる。

他の優れた文献を紹介する時と同様、ここで下手な解説を付けるより、「とにかくまず買って読んでください!」と訴えかけるだけに留めておく方が、本来は正しい姿なのだろうと思うが、それでもあえてご紹介するなら、まず、「立法の歴史」を振り返る章の中で出てくるのが、

・プログラムを著作物として認めるか否か
私的録音録画補償金請求権の創設とその後の運用について
著作権の存続期間の延長について
著作権の一般的制限条項の導入について
・ダウンロード違法化問題について

という5つの大テーマ。

最初の3点に関しては、それぞれのテーマに密接にかかわった参加者が当時を振り返りつつ、「今」の視点から評価を加える、という構成になっているのだが、私的録音録画補償金請求権が実質的に崩壊するきっかけとなった出来事について、中山名誉教授が、

「ところが遺憾なことに、ある団体の求めに応じた著作権課長が、これは政令指定の範囲内に入る、つまり課金すべきということを述べ、それによって訴訟が勃発してしまった。私はこの種の問題で訴訟というのは最悪だと考えておりまして、多少時間がかかっても、もっと議論をして決めるべきだったろうと思います。」(9頁、強調筆者、以下同じ。)

と述べられていたり、存続期間の延長問題に関して、福井弁護士が、

「国内の特定団体の政策意図を、国際的な約束という形を取って実現しようとする、TPP成立のためなら、TPP11で延長が凍結されたときに国内の立法は止まらなければいけなかった。ところが止まらない。それはどんな力によって止まらなかったのか。そういうルールメークをめぐる問題もあった。」(12頁)

と鋭く指摘されるなど、単なる”歴史回顧”にはとどまっていない。

また、生々しい記憶がまだ残っている後半の2トピックに関しては、「一般的制限条項」検討当時の政策立案者の意図を、秋山准教授が「政策の妥当性と実現可能性のバランス」(13頁)というキーフレーズを用いて丁寧に説明されていたり、「ダウンロード違法化問題」に関して、田村教授が「政策形成過程の変化」を指摘されたり*2、と、これまた単純な回顧ではない踏み込んだ分析がなされているのが印象的である。

一方、「裁判例の歴史」の中で出てくるのは、

江差追分事件
・パロディ・モンタージュ事件
・カラオケ事件・(まねきTV事件)・ロクラクⅡ事件

の3つの最高裁判決。

江差追分事件に関しては、当然ながら調査官解説を担当された高部所長の独壇場で、その後の判例の定着状況も含めて解説しつつ、「原告著作物と被告作品の一部のみが共通する場合」の判断基準をめぐる見解対立に触れて、「田村さんに代表される見解」からの自説批判にチクりと一言。これに対して田村教授が、

フェアユースがなかなか条文に入らない状況下での裁判官の役割を発揮する場所として、本質的特徴という要件のところで、手掛かりを見いだしていこうというのが高部さんの戦略なのではないかと思います。そういったことは私も賛成したいところですが、ただそれを類似性という著作権の保護範囲を明確に決める、構成要件的なところで実現するかどうかについて意見が見られるだけではないかと思っております。」(20頁)

とやんわりまとめる、という知る人ぞ知る面白さが見事に反映されているし*3、続くパロディ・モンタージュ事件の項では、「引用」要件が最高裁判決当時の2要件説から総合考慮説に変わってきている、という動きが紹介されつつも、「批評研究型の典型的な引用では、2要件はやはり判断に使いやすい」という福井弁護士のコメント(22頁)や、中山名誉教授の

「鑑定書事件などはむしろ私は将来的にはフェアユースとして解決すべきではないかと思っております。引用をこれだけ広く解釈してしまうと、何でもありだというような感じになってしまう恐れを持っております。」(22頁)

といったコメントが、さらに、最後の侵害主体論に関する各判決に関しては、判決内容そのものに対する評価以上に、

「このまねきTV事件、ロクラク事件の2つの最高裁判決が出て、それが権利者の側の利益にかなうような判決であったためにそちらの側のステークホルダーが安心したと言うか、むしろ逆に立法により後退することを恐れて、その結果、立法が頓挫したかのように理解しております。」
(立法の方で要件をきちんと詰めていけば)「一律に差止めか否かという形ではない制度解決も視野に入れた、裁判所ではなしがたいさまざまな調整ができたのではないかと思います。その意味で、やや不幸な経緯をたどった事件であったのではないかと思っております。」(田村発言・25頁)

といったコメントが目を引くところである。

このほか、think Cやクリエイティブ・コモンズ、さらには最近の「一般市民が結集して政策形成過程に関わろうという機運」(秋山発言・27頁)についても取り上げるなど、様々な角度から骨太に現行著作権法下のルール形成過程を振り返るこの座談会は、何度読んでも飽きることのないコンテンツだと言えるだろう。

この特集では、さらに続けて、現行著作権法の施行の年に誕生された上野達弘・早稲田大学教授の「著作権法50年の歩みと展望」以下、実に11本の論文が収められている。

いずれも『論究ジュリスト』にふさわしく、各執筆者の見解が明確に打ち出された個性的な論文が揃っているので、できることならすべてご紹介したいところではあるのだが、いかに字数無制限のブログだからといって、そこまですると永久に書き終わらなくなってしまうような気もするので(少なくとも今夜中には無理である・・・)、以下、各論文のタイトルと執筆者のお名前(敬称略)のみご紹介して、この場を締めることにしたい。

上野達弘 「著作権法50年の歩みと展望」
小島立  「国際化への対応」
横山久芳 「応用美術と著作権法
潮海久雄 「著作者人格権の歴史と展望」
島並良  「権利制限制度の歩みと展望」
本山雅弘 「著作隣接権50年の歩みから見えてくるもの」
谷川和幸 「公衆送信権
前田健  「侵害主体論」
今村哲也 「権利の利用」
奥邨弘司 「技術的手段実効性確保規定のこれまでとこれから」
比良友佳理「著作権表現の自由

 
なお、最後に一言申し上げるなら、自分の場合、そもそも初めて著作権法という法律に真面目に向き合ったのが20歳を優に過ぎてからだったから、「戦前」がただの歴史の中の出来事にしか感じられないのと同じで、「旧著作権法」もまた、古い判例の中に出てくる「昔の法律」でしかなかった。

逆に言えば、学び始めた当時から当たり前のように今の著作権法の条文と解釈論がすべての前提になっていたわけだが、改めて振り返れば、ちょうどその頃は、まだこの「50年」の中間点くらいに過ぎなかったわけで、その後、そこからの急速なインターネットの普及とデジタル化の進展、今回の特集でも多くの執筆者がフォーカスしている「第3の波」と言われる歴史の大きなうねりを追いかけ続けることができたのは、実に幸運なことであった*4

なので、この点に関しても、「現行著作権法世代」の真ん中から古い方の世代に入りそうな状況になっていることを喜ぶべきなのだろうが、ただ一つ、「戦後」と「現行著作権法」とで違うところがあるとすれば、前者は永遠に続いてほしいが、後者はそうではない、ということくらいだろうか。

この先の50年の歴史の中では、おそらく日本国内の法制度の枠組みのみならず、ベルヌ条約の枠組みすら激変する可能性は十分にあり得ると思っているので、(それをどこまで見届けられるかは分からないが)ドラスティックなリフォームを経て、自分が「旧法世代」と言われる日が来ることを楽しみに、この先も追いかけていければ、と思っているところである。

*1:当初「施行」と書いてしまっていましたが、「公布」が正当ですので訂正します。ご指摘ありがとうございました。

*2:加えて福井弁護士の冷静かつ鋭いコメントは、ここでも見事なまでに一連の改正の問題点を指摘している。

*3:なお、なかなか取り上げる機会がないのだが、田村教授らが最近公刊された『プラクティス知的財産法Ⅱ・著作権法』の中でも、この見解の対立がコンパクトに整理されているのだが、そこでは高部所長の見解(「色あせ基準説」)について、「少なくとも写り込み事例に関しては、2012年改正で立法的な対応が図られたために(30条の2)、この見解を採用する必要性はその限りではなくなった。パロディに関しても、32条の引用の法理により対処しようとする見解もあり、かりにその立場に与する場合には、②-1説を採用する必要性はさらに乏しくなる。」(34~35頁)と、かなり念入りな批判的検討が加えられている。

今回の座談会でも随所に出てくるように、高部所長ご自身は「引用の肥大化」にはかなり懐疑的な姿勢で臨まれているように思われるだけに(座談会14頁、23頁)、依然として両見解の併存状態は続くのかもしれないが、また新たな事例とともに、新たな展開があるのか、ということには注目しておきたいところである。

*4:今や、生まれた時には既に「ホームページ」と呼ばれるものがあって、自分の写真を無防備にアップロードされていたような世代の人々が、大学を卒業して社会に出てくるような時代なのだから・・・。

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