月曜日に飛び込んできた著名作曲家の訃報。
そして、速報記事で紹介された曲名に刺激されて動画サイトを訪ね、そのままハシゴして寝不足のまま今日の朝を迎えた方も多かったのではなかろうか。
「「また逢う日まで」「ギンギラギンにさりげなく」など、昭和期にヒットした歌謡曲を多数手掛けた作曲家の筒美京平(つつみ・きょうへい、本名=渡辺栄吉=わたなべ・えいきち)さんが10月7日午後3時ごろ、誤嚥性肺炎のため東京都内の自宅で死去した。80歳だった。」(日本経済新聞2020年10月13日付朝刊・第43面、強調筆者)
手掛けた楽曲は3,000曲と紹介され、レコード・CDの通算売り上げ枚数は作曲家では歴代トップの7,500万枚超。
歴史に残るヒットメーカーとして名を残された故・筒美京平氏だが、誤解を恐れずに言えば、自分は故人が手掛けた楽曲に、これまでそこまでの”存在感”を感じたことはなかった。
もちろん、80年代、ラジオから、テレビの歌番組から、さらには親戚が持ってきたカセットテープから流れてきて、まだ幼かった自分の頭に刷り込まれた”歌謡曲”の中には、筒美氏が手掛けられたものがかなり多く入っていたはずだし、同世代の人間とカラオケに行き、「あぁ懐かしい」という曲で盛り上がった末、最後に「作詞・松本隆、作曲・筒美京平」のテロップを見てもう一度「おおっ!」となる経験も何度もしている。
だが、正直なところ、自分は「これが筒美京平サウンドだ」と言って語れる材料は何一つ持っていない。
これが小室哲哉、織田哲郎といった平成のヒットメーカーともなれば、有無を言わさず、イントロだけで書き手の個性をアピールしてきて、「この曲誰の曲だったっけ?」なんてことすらどうでもよくなってしまうし、筒美氏と同時代からヒットを飛ばしていた荒井由実、中島みゆきにしても似たようなところはある。
それが専業作曲家とシンガーソングライターの違い、と言われてしまえばそれまでだし、そもそも故人が強力なヒットを飛ばし続けた60年代、70年代の曲が、自分にとっては”懐メロ以前”のものでしかないから、その時代を生きた人々にとっては自明な彼の「個性」が分からないだけなのかもしれないが、いずれにしても、そんな背景から、最初に訃報を目にしたときの感想は「よくある昔の人のそれ」と同じレベルのものでしかなかった。
それが・・・
新聞記事に掲載されている「代表作」は、(おそらく記事を書かれた記者の好みも反映された)ほんの一部に過ぎない。
日経紙では、なぜか4曲も掲載されている1985年の一番目の曲として、斉藤由貴の「卒業」がピックアップされているから、良い音楽とは何かということが非常によく分かっておられる方が書かれたのだろうとは推察する。
- アーティスト:斉藤由貴
- 発売日: 2017/07/19
- メディア: CD
だが、この時代の筒美京平作品のリストをズラッと見せられて、当時のインパクトで選ぶなら、中山美穂だけは絶対に外しちゃいけないはず。
- アーティスト:中山美穂
- メディア: LP Record
さらに、様々な方が作られたリストにもあまり入っていなくて、別の記憶から思い出して確認したらやっぱり、というのが、永遠の歌姫、本田美奈子。
- アーティスト:本田美奈子
- メディア: LP Record
ということで、蘇った懐かしい記憶とともに、さすがは時代を超えたヒットメーカー・・・と脱帽させられたのだった*1。
もちろん、時々脱線して関連動画を見ながら同時に思い出していたのは、「誰が曲書いてるか」なんてことはほとんど意識せず、純粋に尖ったカッコいい曲を追いかけていた小中学生時代の自分には「筒美サウンド」はあまりにベタに感じられていたのかな?(だから無意識のうちに避けてた?)ということだったりもする。
実際、「ああこの曲好きだった・・・」と寄り道してしまった曲の多くは、別の作曲家の方の曲だったり*2、洋楽のカバーだったりすることも多かった。
洋風の”ポップス”と歌謡曲の融合を追求し続けた筒美氏の路線は、80年代に急激に流れ込んできた洗練された”リアル洋楽”の前にかすんでしまったような気もするし、それが「お茶の間でみんなで眺められる歌番組」の衰退の時期と重なったことも”世代交代”に拍車をかけた*3。
80年代の最後、サンミュージックが鳴り物入りで売り出した田村英里子が、「作曲・筒美京平」の看板にもかかわらず、決して売り上げ的には芳しい結果を残せなかった時点で、もう潮目は変わっていた、ということなのだろう。
ただ、どんな世界、どんな業界でも、ともすれば自分の”尖った個性”を押し出してひけらかすことばかりが求められ、それが褒めたたえられる傾向も強い今の時代には、
「歌い手に合わせて『売れる』曲を書く」
という故人の徹底した職人魂がかえって際立って見えるところもあったりする。
主役はあくまで歌い手なのだから、書き手の顔を消してでもその良さを引き出す。そして、そういうポリシーの下では、「無個性こそが『個性』」、というべきなのかもしれないし、それが長年ヒットメーカーで居続けられた秘訣なのかもしれないな、ということも何となく思ったりする。
ということで、亡くなられた方を悼むエントリーとしては、いささか失礼な感想もところどころで述べてしまったかもしれないが、全ての仕事に通じる普遍的な思想を自らの音楽で表現されてきた故人には、やはり最大限の敬意を表するほかない。
そして、また賑やかになった天国の紅白歌合戦を羨みつつ、心よりご冥福をお祈りする次第である。