約9か月ぶり、2度目の緊急事態宣言が首都圏に発出され、一夜明けた朝。
急に何かが変わるなんてことは全く期待していなかったのだが、それにしても・・・というくらい街中の光景はそれまでと同じように見えた。
自分の場合、ここしばらく「通勤ラッシュ」なんてものとは無縁の生活をしているのだが、それでも出かけるときは電車に乗るし、お昼時になれば定食屋に入り、休憩したくなったらカフェに行く。
そして、そこで目にした光景も全くいつもと変わるものではなかった*1。
強いて言えば変わったのは、夜の光景。
それも20時前後の電車の中の光景、だろうか。
それは、明らかに混んでいた。
当たり前だ。
居酒屋はもちろん、いつもなら仕事帰りの人々を迎え入れるはずのカフェから定食屋まで、ことごとく律儀に要請を守って20時には「店内飲食禁止」でお客さんを追い出しにかかるものだから、その前後の時間にいつも以上の数の人々が帰路につき、電車の車内に流れ込む。
今朝の朝刊などを読むと、大手企業が全社員原則在宅に切り替えた、といった話も出ていたが、既に大きく二極化した世の中で、今回の宣言を機に出社しなくてよいオペレーションに切り替わった幸運な従業者は、首都圏の全就業者のほんの数パーセント程度にとどまるのではなかろうか。
かくして外食難民はコンビニに殺到し、棚の弁当はこの時間にしては・・・というくらい減りが早かった。
昨年の春先に比べれば、マスクがない、とか、トイレットペーパーが・・・といった類の話は、今回ほとんど聞かない。その手のものに関しては、当時の極端な需給バランスの悪さは夏頃までには解消し、まだまだ潤沢に物資があふれている。
だが、「食い物」だけはそうはいかない。
別に遊びほうけて帰りが19時、20時になっているわけではない。昼間の仕事を全力でやって、ちょっと所定労働時間をオーバーして、ようやく晩飯に・・・と店に駆け込み、「今日から変わった」事実に気付き、かといってデパ地下も既に閉まっており、仕方がないので自宅の最寄りのコンビニに立ち寄った人も多いはず。それなのに、残っているのは店内調理後○時間経過してすっかり冷めきってしまった弁当1、2個だけ、というのは、あんまりではないか。
この連休中に、各コンビニチェーンが知恵を絞って物流を改善してくれると信じたいが、こういった状況が続くようだと、先に早めに飯を食ってからもう一仕事、という対応も考えざるを得ないわけで、そうなると、「そういえば昔、午後8時で閉まる社食に仕事を中断して駆け込み、盛りそばをすすった後に、日が変わるまで残業したなぁ・・・」などという二度と思い出したくない記憶まで蘇ってくる。
1年経っても未だ未知の部分が多い疫病だけに、封じ込めるためにどういうアプローチを取るか、様々な考え方はあって良いと思う。
ただ、「居酒屋の営業中止」とか、「3人以上での飲食店入店禁止」といった、よりピンポイントで効果が出そうな方法もあるのに、一人で黙々と食べる客がほとんどの定食屋やファーストフード、さらにはちょっと一息つくだけのカフェまで十把一かけらに「営業時間短縮」という一手で攻めることが合理的かどうか、ということはちょっと考え直しても良いのではないかと思う。
「感染が爆発一歩手前で止まる」という現時点でのベストシナリオで推移した場合でも、この先2カ月くらいは今の状況が続くことが確実だと思われるだけに、そんなに長い間、「外食難民」「息抜き難民」を生み出して良いのか・・・という問題意識は、誰かがどこかで持っていてほしいものだな、と*2。
まぁ、自分の中では新型コロナの話は今回の「宣言」で一区切りかな、という感じで、今気にしているのは、米国の政治情勢も起爆剤となって連日上がり続けている株価がどこで調整局面に入るのか、とか*3、既に先を見越して動き始めている市場金利上昇のインパクトだとか、それによって各国の通貨価値がどういう方向に動くのか、とか、おそらく今年の後半くらいからそれまでの反動で物価が一気に上がってくることにより黒田日銀総裁の”悲願”も遂に叶うのか・・・等々、コロナの先に訪れてきそうな物事ばかり。
ただ、そういった物事に関する”予測”の答え合わせをするためには、まずは、自分自身が目の前の「疫病危機」を乗り越えなければいけないわけで、様々な状況をにらみつつ。ちょっとでもリスクの低いところを探して日々を過ごす、そのことにまずは注力しなければ、と思った次第である。