100回目を飾った有言実行。

本来なら「第100回」の記念大会、ということで、もう少し盛り上がっても良かったのだろうが、この国で新年早々から続いた災厄が熱を冷ましてしまった感もあった今年の箱根駅伝

とはいえ、前日の時点では、中止やむなし・・・という噂もまことしやかに流布されていたから、降り立った空港の待合室のテレビに「いつもの光景」が流れていたのを見たときは*1、心底ほっとしたものだ。

で、今年の結果は・・・といえば、「連覇&2年連続三冠確実」といわれた駒澤大学青山学院大学が往路で逆転し、そのまま首位を譲らずに10区まで走り抜ける、というドラマを演じて堂々7度目の優勝。

「初優勝」で世の中を沸かせたのはついこの前のことだと思っていたのに、気が付けばこの10年で7度も栄冠を手に入れ、歴代優勝回数の比較でもすっかり名門校入りしたのだから、もう何といったらよいか・・・。

その全てを成し遂げた原晋監督が名将と称えられるのは今に始まったことではないが、今年に関して言えば、何よりも凄いとおもったのが、大会直前に発売されたNumber誌の生島淳氏によって書かれた記事(原晋「最高のゲームを楽しむために」Number1087・1088号14頁以下(2023年))の中で、「駒澤にも勝てるチャンスがある」と宣言し、それを見事に描いた通りのレースプランで達成したことに他ならない。

「ピークを作れば必ず反動がある。私としては駒澤で27分台を出した選手たちが、箱根駅伝で成果を出せるのかどうか、それを見極めたいし、それほど慌てる必要もないと思っています。いまは、28分台のランナーを16人そろえたうえで、箱根駅伝に向け、それぞれのメソッドによる戦いが繰り広げられているんです。」(前掲16頁)

「記念すべき大会なのに、独走されちゃあ、盛り上がらないよね(笑)。盛り上げます。青学が。」と宣言し、駒澤が誇る27分台トリオを2区、3区で追い詰めて逆転した上での勝利だから、これぞまさに「予告ホームラン」

戦い終わって勝った後でなら、強気なことはいくらでも言える。でも、それを、戦う前に、ファンの目に触れる媒体で宣言すること自体が他の監督とは一枚も二枚も違うし、第100回、という記録に残る大会でそれをやり切ってしまう、というのは、比類なき指揮官にしかできないこと、というほかない。

今や、各大学の駅伝監督の多くが、自分が学生時代に箱根を走っていた世代の方々である。「名選手、名監督にあらず」というのはスポーツの世界に限らずあることで、華々しく活躍したプレーヤーであればあるほど、違う立場でチームを率いることになったときに苦しい思いをする、ということは、自分も身に染みて分かっているからこそ、藤田敦史監督(駒澤大)をはじめとする箱根路の元スターたちの率いるチームをどうしても応援したくなってしまう。

だが、今回に関して言えば、情けは無用、とばかりに、新監督の船出を見事に打ち砕いた経験豊富な名将の迫力が、全てに卓越していた・・・。


どんな強豪校にもいつかは黄金時代の終わりが来る。

今年走ったメンバーの学年構成を見る限り、来年、再来年くらいまではガクッと落ちることはないようにも思えるが、好走した下級生が上級生になって順調に走れるとは限らない、というのはこの世界の常だし、仮に活躍し続けたとしても、存在が大きすぎるゆえに、その下の世代と断層が生じることだってあり得る。

だから1年後、2年後、どういう光景になっているのかは全く想像もつかないのだけれど、今は、偉業を成し遂げたチームとその監督に最大限の敬意を表したいと思っている。

*1:といっても、時間帯的に既に往路優勝校がゴールテープを切った後、ではあったのだが・・・。

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