必要なのは「見ない」勇気。

連休前にアップされて、X(旧Twitter)上ではそこそこリアクションがあったBusiness &Lawさんの座談会企画。

businessandlaw.jp

そんなに難しい話をしているわけでもないので、ここで改めて解説するような野暮なことはしないのだが、一点だけ、最後の「法務の展望」でのコメントに補足するなら、

「社内の全ての契約書の”審査”が仕事になってしまっている法務」

である限り、その中で看板を背負っている方々が報われる日は決して来ないだろうな、と自分は思っている。

もちろん、そういったプラクティスは、「法務部門」の存在を確立するために*1、あるいは、闇深い事業部門が水面下で処理していた契約に法務がコミットできるようにするために*2、それぞれの組織の先人たちがあえて築いたものであることも多いだろう。

ただ、最初はどんな高邁な理念がそこにあったとしても、それは時が経つことで忘れ去られ、後に残るのは無味乾燥な「作業」だけ、というのは世の常である。

「契約書を見る」というタスクは、本来、事業部等が行っている取引や諸施策の概要を把握し、事業部側の担当者と的確なコミュニケーションを取れるようにするための”一手段”に過ぎないし、法務の担当者が契約書だけをいくら眺めたところで、実質の伴った助言ができることはそう多くはない*3

だから、そうでなくても同じレベルの担当者を潤沢にそろえるのが難しい普通の会社の法務部門であればあるほど、そういったルーティンは極力なくしていくべきだし、それを残したまま「人手が足りないので外注化」なんて話になってくるのだとしたら、それは本末転倒の極みというほかない。

一度ルール化した「全件審査」をやめるには、おそらく導入したときの倍以上の勇気がいる。

やり方を間違えると、社内のステークホルダーに誤ったメッセージを発信してしまうおそれもあるから、コミュニケーションに細心の注意を払う必要もある。

だが、それでも、年の初めに掲げる目標としては、真っ先に「脱・契約書全件審査」を掲げることを自分は強く推奨したい。


時間は有限、各組織で抱えられる人的リソースも有限。人員を増やせばその分マネジメント工数がかさむし、外注に出したら出したで費用と外注先とのコミュニケーションコストは激増する。そんなのは分かり切った話なのだから、メリハリをつけて自分たちの価値を最大限発揮できるところに仕事をフォーカスさせずしてどうする・・・という話である。

この2025年、「労多くして報われない」という世界から脱却できる会社&組織が一つでも増えることを願ってやまない。

*1:組織内の理屈で言えば、一定のボリュームのルーティン作業が存在しないと、どうしても恒常的に独立した組織、というのは作りにくいので、そのために、あえて「契約書全件審査」という仕事を作った、という会社も決して少なくはないだろうと推察している。

*2:かつてはどんな会社にも、(大きな問題が起きるまでは)「外」の人間から契約に口を出されることを極力避けようとするトラディッショナルな部門が多かれ少なかれ存在していたから、そういう”抵抗勢力”が抱える契約を吐き出させて締結プロセスに透明性を持たせるために、「全件審査」を錦の御旗として掲げた、というケースも少なからずあったとは思う。

*3:リスクは「取引」そのものに潜んでいるのであって、契約書の字面の中に存在しているわけではない。取引自体が大きなリスクなく円滑に進められる限り、契約書内でのリスクヘッジが多少甘くてもそれが顕在化することはまずないし、逆に取引の建付け自体に大きなリスクが潜んでいる場合には、たとえどれだけ完璧な契約書を作成したとしても、争いたい側はありとあらゆる方法でそれを使って争いを仕掛けてくる。

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