「裏番組」というなかれ。

先月のサウジアラビアでの「ジャパン・デー」に続き、今年はドバイでも「日本馬祭り」だった。

国内でも3歳時のGⅡ勝ちしかない矢作厩舎のバスラットレオン、ステイフーリッシュが国際GⅡ格のレースを次々と勝ったかと思えば、国内では1勝クラスの特別戦を勝っただけのクラウンプライドがUAEダービー(GⅡ)を制覇。

さらに、その後のGⅠ4レースは、日本馬2頭がゴール前で前年覇者に襲い掛かったドバイターフの劇的なゴールシーン*1と、シャフリヤールのドバイシーマクラシック優勝を筆頭に、レッドルゼルの2着(ゴールデンシャヒーン)あり、ゴール前で本命馬を交わし去ったチュウワウィザードの鬼脚3着あり(ドバイワールドカップ)と、いずれのレースも見せ場十分で、かつては崇め奉った「海外GⅠ」も、今や、JRAの一ローカル開催と見まがうような光景がそこにはあった。

で、こうなると、例年の如く寂しくなるのが国内のレースである。

馬だけでなく、騎手も川田騎手、ルメール騎手がドバイに飛んでいて、しかも三場分散開催、となれば、日本国内のどの競馬場を見ても何となくいつもと違う雰囲気になって、メインの高松宮記念も何となく”裏開催”モードになってしまう、というのがここ数年の常だった。

ただ、今年に関して言えば、それが良い方向に作用した。

美浦所属、今年で16年目の中堅騎手ながら、”ローカルジョッキー”の印象も強く、今年もここまで2勝しかしていなかった丸田恭介騎手が、8番人気のナランフレグを駆って、人馬ともに堂々のGⅠ初優勝

「人馬」ということに関して言えば、騎手だけでなく、開業30年目、御年67歳の宗像義忠調教師もGⅠ初制覇*2。さらに馬主も、生産者も、これが初重賞、初GⅠという記録尽くしの勝利となった。

土日で4勝を挙げてルメール騎手を追い抜いた横山武史騎手が、大本命のレシステンシアをハイペースに過ぎる逃げで潰す、というやや自信過剰気味にも見えたレース運びをすることがなければ、あるいは、次いで支持されていたメイケイエール、グレナディアガーズといった他のノーザンファーム生産馬たちが、大外枠に飛ばされていなければ*3、例年のように”残念ドバイ”のGⅠレースとして、さほど記憶にも残らない形で終わったかもしれない。

だが、そこでレースが荒れ、いつになく低人気馬が馬券に絡む決着となったことで、新しい歴史が生まれた。

来週になれば、少なくとも騎手の顔ぶれはこれまで通りに戻り、春のGⅠレースが淡々と行われていくことになるのだろうが、「裏」だったからこそ、様々な関係者を幸福にする決着が導かれた、ということは、しばらくは忘れずに記憶の片隅に残しておきたい、と思っているところである。

*1:同着優勝となったパンサラッサと吉田豊騎手が素晴らしかったのは言うまでもないが、この一年さっぱりだったヴァンドギャルドがこの争いに絡んだ、というのも同じくらいドラマチックな話だった。

*2:個人的には薗部博之氏のバランスオブゲームで重賞を勝ちまくっていた印象が強く、GⅠもとっくの昔に取られていた印象があったのだが意外にも今回が「初」である。

*3:雨が降って重くなった馬場で大外枠からの追い込み勝負を強いられれば、どんな馬でも苦労する。

結局は「やったもの勝ち」だったのか?

日経紙に長年連載されている『私の履歴書』。

どんな分野でも功成り名を遂げた方の半生記が面白くないはずがないのだが、今月はジャストシステム創業者の浮川和宣氏の回、ということで、「一太郎」の栄枯盛衰を目の当たりにしてきた世代としては、なおのこと興味を惹かれる話が多かった。

おそらくパソコンに初めて触れてからまだ10年くらいしか経っていない、という方には想像もつかない世界だと思うが、1990年代、日本のパソコンにインストールする文書作成ソフトといえば、一太郎」一択だった。

90年代半ば、大学の部室に置かれていたピカピカの”Windowsマシン”にインストールする表計算ソフトをLotusにするかExcelにするかは時々喧嘩になったが、「一太郎」を入れるのが必須だ、ということについては、誰もが疑いの目を向けることはなく、当然ながら大学生協の購買部で一番売れていたソフトウェアも、一太郎の当時の最新バージョンだった。

それが、いつからだろう。

しばらくPCに触らない社会人生活を過ごし、デスクワークに入った時に与えられたオフィスのパソコンには、容赦なく「Word」が入っていた。

初めて自分用にパソコンを買ったのはちょうど公取委がいろいろと動いた直後くらいだったから、確か、購入時には一太郎モデルとWordモデルを選べる方式になっていたような気がするが、会社で使っているのがWordなら、互換性を考えて私用PCもWordにせざるを得ない。そして気が付けばそれから数十年、外界から隔絶された法曹ムラに片足を突っ込んでいた時以外には、「一太郎」とかかわる機会は皆無で、最近ではその存在すら忘れかけていた。

そう、ソフトウェア開発会社として絶頂期にあったジャストシステムという会社を、瞬く間に突き落としたのは紛れもなく「Word」であり、「Windows」の強烈なブランド力とともにそれを日本のありとあらゆるパソコンにインストールさせたMicrosoftに他ならない。

だから、今月の「私の履歴書」でも、その頃の出来事がどう書かれるか、ということが一番気になっていて、それが掲載されたのが、今日、24日だった。

マイクロソフトについては、思うところがある。パソコンメーカーがウィンドウズを搭載する際に、当時シェアの低かったワードをセット販売するよう求めていたからだ。我々の一太郎を排除する目的は明らかだった。
「米司法省に続いて日本の公正取引委員会もこの問題を指摘し、ワードのセット販売を事実上強要していたとして、98年11月には独占禁止法違反で排除勧告を出した。」
「だが、独禁法違反が指摘されても、後の祭りというのが率直なところだ。
日本経済新聞2022年3月24日付朝刊・第48面、強調筆者)

この欄で半生を振り返る方の中には、誰もが知っているような著名事件でも、あえてストレートに書かずに「不幸な出来事が・・・」等々ぼやかす方は結構いらっしゃる。だが、浮川氏にとっては、四半世紀経っても強烈な憤りとともに蘇ってくる記憶だったのだろう。この部分の記述は実に端的でストレートなものとなっている。

Windows95」の発売から排除勧告が出されるまで約3年。運悪く、時代はちょうど多くの企業でワープロから廉価化したPCへと端末を移行し始めた時期とも重なる。

一度取り込まれてしまうと、互換性、継続性の関係で他のソフトウェアに切り替える動機が容易には湧いてこなくなるのがこの種のパッケージ戦略の恐ろしいところで、個人的には「一太郎」の方が優れていると思っていても、会社が大量購入したPCにWordがインストールされていれば、よほどこだわりと経費に余裕のある会社でなければ、さらに別の文書作成ソフトを入れる、ということにはならない。そして、それに合わせて多くのビジネスパーソンが「Windows経済圏(当時)」に取り込まれていく・・・。

今の時間軸で考えれば決して長いとはいえない「3年」という時間も、市場勃興期の縄張り争いの決着を付ける時間としてはあまりに長かった、ということなのだろう。この第23話に出てきた「後の祭り」という言葉はとても重かった。

もちろん、「一太郎」とジャストシステムの没落の理由をマイクロソフトの”バンドル作戦”だけに求めるのは一方的に過ぎる、という見方もあり得るとは思う。

そもそもスケールの大きな「OS」ベースで商品戦略を組み立ててきたグローバル企業の発想、今にも通じる強い営業力、前提としてそれがあったからこそ「Word」を隅々まで浸透させることができた、ということは否定しようもない事実だし、その状況が今の今まで変わらないのは、その後のWordそれ自体とIMEの進化によるところも大きい。

仮に「95」の段階で公取委が素早く動いて、瞬時に不公正な取引方法を中止させていたとしても、いずれは力業でシェアを奪われていた可能性は高かったと思われるし、さらに言えば、世界のMicrosoftさえ苦しめた2010年代の大幅なゲームチェンジの過程で、徳島の小さなソフト開発会社が生き残れた可能性を探す方が難しいような気もする。

ただ、”たら・れば”は禁物とはいえ、「一太郎」がシェアを落とすスピードがもう少し遅かったなら、歴史が違う方向に動いた可能性もまたあるわけで、それだけに、守る側にとってはもちろんのこと、攻める側にとっても自己の戦略に対する規制のエンフォースメントのスピード感というのは、極めて重要な要素になってくる。

一太郎の悲劇」をどう受け止めるかは、それぞれの方の立場によって異なるとは思うのだが、先に引用した「私の履歴書」の中の一文に触れ、どんな厳格な規制でも、行使されるまでのタイムラグは当然存在する、ということだけは、あらゆる立場の者に共通する一つの教訓として受け止めておかねばならないと感じた、ということを、最後に強調しておくことにしたい。

”梯子外し”もここまで来ると・・・

自分はファッションに疎い。だから、”ファッション・ロー”などと銘打った話ができる実務家や学者の先生方に対しては、ただただ畏敬の念しかない*1

だが、そんな自分も「ルブタン」のヒールの靴底が赤いことは知っている。

別に国内外のドラマで主人公が履いてるのを見たとかそんな洒落た話ではなく、知っている理由は唯一つ、あの忌まわしき色彩商標制度の導入時に↓のような資料を散々見ていたからに他ならない。
https://www.jpo.go.jp/resources/shingikai/sangyo-kouzou/shousai/shohyo_wg/document/05-shiryou/07.pdf

もちろん、それは自分だけの話ではなく、あの2010年代の真ん中くらいの時代に商標の世界にどっぷりはまっていた者であれば、まさに「新しいタイプの商標」を象徴する時代の申し子、レッドソールこそが、第25類で最初に色彩商標の登録を受けるにふさわしい、と誰もが思ったことだろう。

だが、クリスチャン ルブタンが出願した商願2015-29921号は、出願1年後の拒絶理由通知から始まった長い審査官との戦いの末、2019年7月30日に拒絶査定を受け、今もなお査定不服審判の渦中にある*2

他の出願も含めた色彩商標への特許庁の対応を見れば*3、こういう結果になることも十分予測できたのではあるが、当事者にしてみれば、世界各国で認められてきた「PANTONE 18-1663TP(G)=赤」がようやく日本でも、と思ったところでこの仕打ちだから、”梯子を外された…”という思いもきっとあるに違いない。

そして、そんな失望に輪をかけるような判決が、本日公表されている。

題してルブタン vs ゴム底パンプス~残酷な日本の不競法」

以下、この判決がいかに原告・クリスチャンルブタンにとって酷なものであったか、ということを簡単にご紹介することとしたい。

東京地判令和4年3月11日(平成31年(ワ)第11108号)*4

本件の原告は、「クリスチャン ルブタン」のデザイナーかつ代表者と、製造販売会社。
これに対し、訴えられた被告は婦人靴を販売する株式会社エイゾーコレクションという会社である。

原告は商標出願時に用いたものと全く同じ図を使って「靴底部分に付した赤色」を特定し、それを「商品等表示」とした上で、

「被告商品の製造、販売及び販売のための展示は、原告商品と混同を生じさせるなど、不正競争防止法2条1項1号及び2号に掲げる不正競争に該当する

と主張した。

被告商品がいかなるものか、ということは、引用した公開判決文PDFの末尾(37~38頁)を見れば一目瞭然だが、確かに靴底は赤い

いかに商標権を取れていない国だからといっても、そこはかつて米国ではイヴ・サンローランとも訴訟で争った原告のこと、八潮市を本拠に廉価なパンプスを売り捌く会社に「赤い靴底」を使われることなど到底許容できなかったのだろう。裁判所が要約しても5ページ半にもなる怒涛の主張で「靴底の赤」の商品等表示該当性を力説した。

「特別顕著性」という一ひねり入った要件の充足が必要になるとはいえ、商標権を取得しづらい商品形態やいわゆる”トレードドレス”で、不競法に基づく請求が認められたケースは過去にもある。

だから、そこは世界のルブタン、特許庁に外された梯子をここで綺麗にかけなおして、「日本には不競法がある!」と高らかに宣言できるはずだった。

だが、東京地裁は以下のように述べて、原告の請求を退けた。

「不競法2条1項1号は、他人の周知な商品等表示(人の業務に係る氏名、商号、商標、標章、商品の容器若しくは包装その他の商品又は営業を表示するものをいう。以下同じ。)と同一又は類似の商品等表示を使用等することをもって、不正競争に該当する旨規定している。この規定は、周知な商品等表示の有する出所表示機能を保護するという観点から、周知な商品等表示に化体された他人の営業上の信用を自己のものと誤認混同させて顧客を獲得する行為を防止し、事業者間の公正な競争等を確保するものと解される。そして、商品の形態(色彩を含むものをいう。以下同じ。)は、特定の出所を表示する二次的意味を有する場合があるものの、商標等とは異なり、本来的には商品の出所表示機能を有するものではないから、上記規定の趣旨に鑑みると、その形態が商標等と同程度に不競法による保護に値する出所表示機能を発揮するような特段の事情がない限り、商品等表示には該当しないというべきである。そうすると、商品の形態は、①客観的に他の同種商品とは異なる顕著な特徴(以下「特別顕著性」という。)を有しており、かつ、②特定の事業者によって長期間にわたり独占的に利用され、又は短期間であっても極めて強力な宣伝広告がされるなど、その形態を有する商品が特定の事業者の出所を表示するものとして周知(以下、「周知性」といい、特別顕著性と併せて「出所表示要件」という。)であると認められる特段の事情がない限り、不競法2条1項1号にいう商品等表示に該当しないと解するのが相当である。そして、商品に関する表示が複数の商品形態を含む場合において、その一部の商品形態が商品等表示に該当しないときであっても、上記商品に関する表示が全体として商品等表示に該当するとして、その一部の商品を販売等する行為まで不正競争に該当するとすれば、出所表示機能を発揮しない商品の形態までをも保護することになるから、上記規定の趣旨に照らし、かえって事業者間の公正な競争を阻害するというべきである。のみならず、不競法2条1項1号により使用等が禁止される商品等表示は、登録商標とは異なり、公報等によって公開されるものではないから、その要件の該当性が不明確なものとなれば、表現、創作活動等の自由を大きく萎縮させるなど、社会経済の健全な発展を損なうおそれがあるというべきである。そうすると、商品に関する表示が複数の商品形態を含む場合において、その一部の商品形態が商品等表示に該当しないときは、上記商品に関する表示は、全体として不競法2条1項1号にいう商品等表示に該当しないと解するのが相当である。」(25~27頁、強調筆者、以下同じ)

「これを本件についてみると、原告表示は、別紙原告表示目録記載のとおり、原告赤色を靴底部分に付した女性用ハイヒールと特定されるにとどまり、女性用ハイヒールの形状(靴底を含む。)、その形状に結合した模様、光沢、質感及び靴底以外の色彩その他の特徴については何ら限定がなく、靴底に付された唯一の色彩である原告赤色も、それ自体特別な色彩であるとはいえないため、被告商品を含め、広範かつ多数の商品形態を含むものである。そして、前記認定事実及び第2回口頭弁論期日における検証の結果(第2回口頭弁論調書及び検証調書各参照)によれば、原告商品の靴底は革製であり、これに赤色のラッカー塗装をしているため、靴底の色は、いわばマニュキュアのような光沢がある赤色(以下「ラッカーレッド」という。)であって、原告商品の形態は、この点において特徴があるのに対し、被告商品の靴底はゴム製であり、これに特段塗装はされていないため、靴底の色は光沢がない赤色であることが認められる。そうすると、原告商品の形態と被告商品の形態とは、材質等から生ずる靴底の光沢及び質感において明らかに印象を異にするものであるから、少なくとも被告商品の形態は、原告商品が提供する高級ブランド品としての価値に鑑みると、原告らの出所を表示するものとして周知であると認めることはできない。そして、靴底の光沢及び質感における上記の顕著な相違に鑑みると、この理は、赤色ゴム底のハイヒール一般についても異なるところはないというべきである。したがって、原告表示に含まれる赤色ゴム底のハイヒールは明らかに商品等表示に該当しないことからすると、原告表示は、全体として不競法2条1項1号にいう商品等表示に該当しないものと認めるのが相当である。」(27頁)

公表されている判決文PDF別紙の写真だけではちょっと分かりにくいかもしれないが、幼い頃から田舎の「しまむら」の広い店内で転がされていた身としては、判決が指摘するような「質感」の違いは痛いほどよく分かる。

原告にしてみれば、「だからこそ自社のブランドを毀損させないように差し止めるんだ」ということになるのかもしれないが、後述するように裁判所が原告の「赤」の周知著名性をそこまで高く評価しなかった本件では、そのような”違い”の存在が原告にとっては完全に裏目に出た。

そして、この判決が恐ろしいのは、説示が上記の点にとどまらなかったことである。

「のみならず、前記認定事実によれば、そもそも靴という商品において使用される赤色は、伝統的にも、商品の美感等の観点から採用される典型的な色彩の一つであり、靴底に赤色を付すことも通常の創作能力の発揮において行い得るものであって、このことはハイヒールの靴底であっても異なるところはない。そして、原告赤色と似た赤色は、ファッション関係においては国内外を問わず古くから採用されている色であり、現に、前記認定事実によれば、女性用ハイヒールにおいても、原告商品が日本で販売される前から靴底の色彩として継続して使用され、現在、一般的なデザインとなっているものといえる。そうすると、原告表示は、それ自体、特別顕著性を有するものとはいえない。また、前記認定事実によれば、日本における原告商品の販売期間は、約20年にとどまり、それほど長期間にわたり販売したものとはいえず原告会社は、いわゆるサンプルトラフィッキング(雑誌編集者、スタイリスト、著名人等からの要望又は依頼に応じて、これらの者が雑誌の記事、メディアでの撮影等で使用するため原告商品を貸し出すという広告宣伝方法をいう。)を行うにとどまり、自ら広告宣伝費用を払ってテレビ、雑誌、ネット等による広告宣伝を行っていない事情等を踏まえても、極めて強力な宣伝広告が行われているとまではいえず、原告表示は、周知性の要件を充足しないというべきである。したがって、原告表示は、そもそも出所表示要件を充足するものとはいえず、不競法2条1項1号にいう商品等表示に該当するものとはいえない。」(27~28頁)
「また、前記認定事実によれば、原告商品は、最低でも8万円を超える高価格帯のハイヒールであって、靴底のラッカーレッド及びその曲線的な形状に加え、靴の形状、ヒールの高さその他の形態上の顕著なデザイン性を有する商品であるのに対し、被告商品は、手頃な価格帯の赤色ゴム底のハイヒールであることからすると、ハイヒールの需要者は、両商品の出所の違いをそれ自体で十分に識別し得るものと認めるのが相当である。さらに、いわゆる高級ブランドである原告商品のような靴を購入しようとする需要者は、その価格帯を踏まえても、商品の形態自体ではなく、商標等によってもその商品の出所を確認するのが通常であって原告商品、被告商品とも、中敷や靴底にブランド名のロゴが付されているのであるから、需要者は当該ロゴにより出所の違いを十分に確認することができる。しかも、原告商品のような高級ブランド品を購入しようとする需要者は、自らの好みに合った商品を厳選して購入しているといえるから、旧知の靴であれば格別、現物の印象や履き心地などを確認した上で購入するのが通常であるといえ、上記の事情を踏まえても、このような場合に誤認混同が生じないことは明らかである。」
「このような取引の実情に加え、原告商品と被告商品の各形態における靴底の光沢及び質感における顕著な相違に鑑みると、原告商品と被告商品とは、需要者において出所の混同を生じさせるものと認めることはできない。そうすると、被告商品の販売は、不競法2条1項1号にいう不正競争に明らかに該当しないものと認められる。」(28~29頁)

この合議体、ルブタンに何か恨みでもあるのか・・・?と思うくらい壮絶な「全否定」。

確かに、先にも述べた通り、質感の違い等を考慮すれば、「混同のおそれなし」という結論になるのはやむを得ないと思われるし、その結論を正当化するためなら、多少疑問の残るような需要者の行動に関する「経験則」を持ち出したり*5、何かと理由を付けてアンケート結果を否定する*6というのは、これまでの事例でも用いられてきた手法である。

ただ、その論点に行く以前に、「商品等表示に該当しない」というところで完膚なきまでに打ちのめされてしまったのが、原告にとっては正に痛恨事で、これは当事者にとって、商標権を確保できなかったこと以上にショックが大きい出来事だったのではないか、と思わずにはいられない。

当然ながら、これで原告側が引き下がるとは到底思えないし、いずれ、第2ラウンドの知財高裁での判断も示されることになるのだろうが、

「オーストラリア、カナダ、フランス、欧州連合、ロシア、シンガポール、英国、米国等の主要国を含む50か国において、識別力が認められた上で商標登録されている」(原告主張9頁)

という「靴底の赤」が、一度ならず二度までも、日本の法制度の壁に「識別力のある標章ないし表示」としての保護を阻まれた、というのは、わが国の商標法、商品等表示保護制度を考えるうえでも極めて示唆的な出来事のような気がして、今後の帰趨をもう少し追ってみたいと思う次第である。

*1:自分の知らない世界のことを語れる方々、というだけで尊敬に値するに十分だと思っている。

*2:https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/TR/JP-2015-029921/482FDA34028BAF70421334182C4BA71BBC84F5A69844354B3759098A1F025329/40/ja。経過記録を見ると「ファイル記録事項の閲覧(縦覧)請求書」のあまりの多さに圧倒されてしまう。

*3:3年の時を経て現実となった「色彩商標」への懸念。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~のエントリーも参照のこと。

*4:民事第40部・中島基至裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/030/091030_hanrei.pdf

*5:いくら高価な品だからといって、今どき全ての需要者が履き心地まで確認してから買うのか?等々、本件でも突っ込みどころはある。

*6:ちなみに今回は、この手の立証には強いはずのNERAエコノミックコンサルティングのアンケートを原告が証拠として用いているが、裁判所はそれでも「本件に適切ではない」として、判断には取り込んでいない。

ルメールは勝てなくても、競馬は続く。

ここ数年、主役を張ってきた馬たちが次々とターフを去ったこともあってか、今年は年明けから何となく”異変”の空気が漂っている中央競馬界だが、中でも一番の異変は、といえば、これまでもちょこちょこ書いてきたとおり、

ルメール騎手がこれまでのようには勝てなくなった。」

ということに尽きるような気がする。

年明けから本命馬で思わぬ負けを喫するレースが続き、国内では未だ重賞勝ち星なし。

数週間前にサウジアラビアに渡った時は、日本馬たちを操って何度となく勝利を飾り、「さすが世界のルメール!」と思わせてくれたのだが、運悪く帰国後に新型コロナウイルスへの感染が判明して2週間意図せぬ隔離休暇・・・。

そして、ようやく復帰したこの3連休の3日連続開催、中京の1レース目で1番人気馬で勝利を飾り、これでエンジン全開か・・・と思ったのもつかの間、次のレースから1番人気馬で連敗。翌日も2勝こそ挙げたものの、1番人気馬で4連敗を喫し、メインのスプリングステークスでも逃げた岩田康誠騎手の馬にハナ差届かない2着。

最終日の今日にいたっては、単勝1.3倍のレッドロワで6着に敗れて波乱を引き起こすなど、6レース騎乗して0勝、という散々な有様だった。

目下リーディングを走る川田騎手は、今年は例年に増して騎乗が冴えわたっており、(時々信じられないような取りこぼしもあるものの)現時点で重賞2勝を含む47勝、勝率29.2%。このペースで行けば年間200勝にも届く勢いだから、それと比べるのはちょっと酷だとしても、現時点での勝ち星が岩田望来騎手の37勝も下回る33勝にとどまっている、というのは、何とも”らしくない”状況だというほかない。

そういえば、これまで、下級条件戦の勝負どころでは当たり前のようにルメール騎手が騎乗していたノーザンファーム系のクラブ馬たちにも、今年は岩田(望)騎手や横山(武)騎手が乗る機会が随分と増えてきていて、それは勝ち星にも明確に反映されている(横山武史騎手はルメール騎手に次ぐ31勝)。

日本で活躍するようになってから、それなりに日が経っているとはいえ、まだ42歳。

武豊騎手を筆頭に、40歳代後半から50歳代になってもまだ一線で戦っている騎手が複数いることを考えれば、まだまだ老け込むような歳ではないはずなのだが、積極的に好位に付けて抜け出しを図る下の世代の騎手たちの騎乗と比較すると、今年のルメール騎手の騎乗には「慎重に過ぎて脚余す」的なものも多いように見受けられて、騎乗馬が人気になればなるほど馬券からは外したくなる…そんな衝動にすら襲われてしまう。

それでも多くのファンは、

「例年のスロースタートの助走期間が少し長くなっただけ。これから本格的なGⅠシーズンに差し掛かれば、必ずチャンスを生かしてくるだろうし、シーズンが終わるころには「定位置」に戻っているはず」

と心の中で思っているはずだし、自分も、今年こそ川田騎手に騎手三冠を!と期待しつつ、最後は逆転されるんだろうな、と思いながら見ているのは確かだが、調子の悪さが騎乗依頼を減らし、さらに調子を落とす負のスパイラルに突入させてしまう、というケースも多いこの業界で、果たして再び上昇気流に乗れるのかどうか・・・

残酷なことに、ルメール騎手が勝てなくても休んでも、いつもの年と同じように競馬は続く。

この2022年の終わりに、我々がどういう景色を見ることになるのか今の時点では全く想像もつかないが、来週から始まる怒涛のGⅠウィークでどれだけの存在感を示せるか、それが今年一年の運命も左右するように思えるだけに、時代が変わることへの恐れと期待を同居させながら、静かに見守りたいと思うところである。

「過ちては改むるに憚ること勿れ」とは言うが・・・。

昨年秋、政権が変わって以降、政府筋が大胆な政策変更をするケースを見かけることが多くなったな、という印象がある。

良く言えば「柔軟」ということになるのだが、一方で、政策に背骨がない、”大きな声”に振り回されているだけ、という見方も当然出てきても不思議ではない。

そして、そういった事例がここにきてまた一つ追加されたような気がする。

経済産業省国土交通省は18日、洋上風力発電の事業者を公募で選ぶ際の評価基準を見直すと発表した。これまでは発電コストの安さを重視していたが、運転開始時期の早さへの評価も高める方向で検討に入る再生可能エネルギーの導入を急ぎエネルギーの自給率を高める。サプライチェーン(供給網)の早期構築にもつなげるという。」(日本経済新聞2022年3月19日付朝刊・第5面、強調筆者、以下同じ。)

この大規模洋上風力発電プロジェクトの入札評価基準に関しては、このブログでも2か月前にエントリーを上げたばかりだった。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

昨年末、地元対策も含めてかなり前から綿密に準備していた有力候補を差し置いて、「供給価格」の圧倒的な優位性ゆえに、公募にかかっていた全海域を三菱商事連合が総取りしてしまったことへの驚きは、年が明けてからは一気に批判の声に変わり、いずれ何らかの形で見直していかないといけなくなるだろうな・・・と思っていた矢先に、既に昨年末に公表され、来る本年6月の受付期限に向けて各事業者とも入札準備のラストスパートに入っていたであろう「秋田県八峰町及び能代市沖」の公募占用指針を「改訂」。公募手続を一時ペンディングした上で評価基準を見直す、という今回の発表は、当局が手続きの無謬性を強調することも多いこの種の手続きにおいては、実に驚くべきことだと言える。

興味深いのは、経済産業省国土交通省が連名で発表した2022年3月18日付のリリース文の書きぶり。

「今般のウクライナ情勢を踏まえ、エネルギー安全保障の面でも重要な脱炭素の国産エネルギー源として、再生可能エネルギーの導入を更に加速することが急務となっています。特に洋上風力発電については、2021年12月24日に公表された再エネ海域利用法に基づく公募結果により、実際に太陽光等と競争可能なコストの大規模電源であることが明らかになりました。」
「このように、エネルギー政策上、洋上風力発電の早期稼働を促す観点から、現在公募している「秋田県八峰町及び能代市沖」について早期稼働を促す公募内容とするべく、公募の実施スケジュールを見直し、今夏以降に新たに指定する促進区域と併せて、公募を実施することとしました。」(強調筆者)
再エネ海域利用法に基づく「秋田県八峰町及び能代市沖」における洋上風力発電事業者の公募を見直します (METI/経済産業省)

これだけ読めば、昨年末の公募結果で極めて低い「供給価格」を提示した事業者が落札したことへの問題意識は全く示されておらず*1、むしろ、「低価格」であることを前提にさらに「早期稼働を!」と事業者にプレッシャーをかけるような方向性を志向するもの、のようにすら思えてしまう。

ただ一方で、日経紙が今回の記事でも書いているような、

「公募を巡っては21年12月に秋田県沖と千葉県沖の3海域の事業者選定で三菱商事を中心とする企業連合が総取りした結果に対し、一部で不満の声が上がっていた。」
三菱商事側は1キロワット時あたりの価格を11.99~16.49円と設定した。普及が進んだ太陽光発電と競争できるほどの異例の安さが決め手となった。競合企業や国会議員などから「本当にできるのか」「国内の産業育成につながるのか」といった疑問が寄せられていた。」
「3海域の公募審査は240点を満点とし、半分の120点が価格への評価として配点された。運転開始時期の要素は20点の配点の一部にとどまる。運転開始を遅くするほど、電力価格を下げる余地も広がる自民党の再生エネ普及拡大議員連盟柴山昌彦会長)は早期運転への評価が不十分なことを問題視し、経産省に改善を求めていた。」
経産省内部でも「特定の企業連合だけに任せるのはエネルギー安全保障上の懸念になりうる」(幹部)との指摘があった。」
(前記日本経済新聞記事)

といった要素が今回の「手続中断」の背景にあるのも間違いないはずで、そうでなければ、「早期稼働」のために、既に始まっていた手続きの選定結果発表のスケジュールを遅らせる*2というチグハグな対応を正当化できるはずもない。

実際には入札の制度設計思想を激変させるような変更になる可能性が高く、しかもその発端は自ら行った最初の選定結果にあるにもかかわらず、あたかもウクライナ情勢」という外的要因で説明しようとするあたりは、依然として無謬性志向が強いんだなぁ・・・と変に感心してしまうところもあったりするのだが、それでもこれだけ迅速に見直しの動きを見せたこと自体が、大きな変化であり、進歩であることは間違いない。

「過ちては改むるに憚ること勿れ」とはよくいったもの。

今回の変更ではもっぱらスケジュールを「未定」とする以上には手が付けられておらず*3、従来の評価基準についてはそのまま残された状態で今世に出ているのだが、次のタイミングでそういった箇所も含めてガラリと変わってくるようなら、日本の公共的なインフラプロジェクトの世界での大きな歴史的転換点にもなり得るのではないか、とすら自分は思っている*4

ただ、一つだけ残念なことがあるとすれば、ここからいかに評価基準、審査基準を変えたところで、昨年12月に公表された先行3海域の選定結果が覆る、ということは決してない、ということ。そして、直近で入札審査が予定されていた案件と、昨年末に結果が公表された案件とで入札への参加を目指す主体がイコールではないことを考えると、何ともやりきれない気持ちになるわけで・・・。

願わくば、この「仕切り直し」が昨年涙を呑んだ事業者たちにリベンジの機会を与えるものになることを、そして、結果的にバランスの良い事業者の選定がなされた結果、昨年末に選定結果が公表された海域よりもこれから公募される海域の方で、先に洋上風力発電を開始できるようなことになったならそれは実に痛快な話だなぁ・・・などということを思いつつ、これからの行く末を見守りたい、と思っているところである。

*1:入札条件を設定する側でありながら「公募結果により・・・明らかになりました」と書くのは個人的にはいかがなものか、という気もするが・・・。

*2:当初の指針では本年12月頃に発表、とされていたが、今回の見直しにより2022年中を目処に公募占用指針の再変更によりスケジュールを再設定する」(前記経産省国交省リリース)ことになるから、早くても1年程度は選定結果発表が後ろ倒しになる可能性がある。

*3:新旧対照についてはhttps://www.mlit.go.jp/kowan/content/001471043.pdf参照。

*4:できれば、「クリーンな基準の下で審査しているように見せて、実際には裁量点でかなり政策的な調整を加える」欧州や賢い他のアジアの国々を見習って、当局側がもう少ししたたかに入札審査を行えるようになれば、日本も一歩前に進めるのかもしれない。

三度目の奇跡と、完全なる神話の終焉。

もう散々メディアに報じられている話ではあるが・・・。

今回の宮城・福島地震での「やまびこ223号」の脱線事故は、自分にとっても二重の衝撃だった。

一つは、事故が起きたのが、「3・11」以前から、阪神・淡路大震災中越地震を契機に耐震補強を進め、2011年の災厄後、よりコストをかけて万全の地震対策を講じてきたはずの福島~仙台間の線区で、しかも営業運転中の列車が17両中16両脱線する、という「3・11」でも起きえなかった規模の事故になってしまったこと。

もう一つは、「脱線」が報じられた直後、見かけたTweet等の中に「復旧に明日の朝まではかかるかな」的な軽いノリのものがやたら目についたこと。

冗談を言ってはいけない鉄道事業者にとって、営業運転中の列車の脱線は、原発を運営する電力事業者にとっての「炉心溶融」とほぼ同義である。当然現場には運輸安全委員会による事故調査が入るし、現場検証を迅速に済ませたとしても、16両も脱線した列車を物理的に撤去するだけで2週間、3週間は優にかかる。さらに最低限の応急対策を施して列車を再び走らせるまでには、ざっくり見積もっても1か月くらいはかかるはずで、それは、まだ(自分の中では)記憶に新しい中越地震の時にも多くの人々が経験したはずなのに、それが共有されていないという残念さ・・・。

今回、居合わせた乗客・乗員から負傷者の報告は出ていないようで、それが不幸中の幸いであったことは間違いないのだが、一方で、そのことをもって「やっぱり日本の鉄道は安全だ」という”神話”を上塗りするのは、正直やめた方が良いのではないか、と自分は思っている。

中越地震時に「とき325号」が転倒を免れたことは今でも奇跡として語り継がれている。「3・11」で試験列車以外に脱線した列車がなかった、というのもそれ以上の奇跡だったと自分は思っている。そして今回も・・・ 三たび奇跡は起きた。

だが、「3・11」の時にも、分かる人は皆囁いていたとおり、これはただ「運が良かった」ということ以外の何ものでもない

今回事故が起きた福島~白石蔵王間は、「3・11」の時は、在線していた列車が1本もなかった区間*1。もし、数分でも地震波の到来するタイミングがずれて、このエリアを高速通過しようとしている列車が存在したらどうなっていたか。

また、事故にあったやまびこ223号は、東京発仙台行きの最終列車。人が動き始めてきた時期とはいえ、東京圏はまだ「まん延防止」発令中で、21時を過ぎれば人の動きはめっきり減る。ましてや各駅停車のやまびこで終点近くの区間、となれば、乗車していた方の人数も”平時”に比べれば格段に少なかったはずで、だからこその「負傷者ゼロ」だった、ということも念頭に置く必要がある。

もちろん、11年前も今回も、線路を支える高架橋が損傷こそすれど一本たりとも倒壊していないのは建設土木技術者の日々の尽力の賜物に他ならないし、今回の地震の第一波で緊急停止装置が作動したことも、脱線による被害を最小限にとどめた、という点で特筆すべき技術の力であることは間違いない。

ただ、それでも「脱線」を防げなかった、ということに問題の根深さがある。

そして、仮に1か月後”復旧”したとして、次に運行会社がどういう手を打つか、が「4度目」の帰趨を決めるような気がしていて、今は会社がその一歩目の選択を誤らんことを、祈るような思いで眺めているところである。

この良き日に、11年分の感謝を込めて。

今週に入って、外はすっかり春の陽気になった。

欧州からは停戦の報は未だ聞こえず、国内の新型コロナ感染者数も依然高止まりしている状況だが、それでも原油価格が落ち着きを見せ、”まん延防止解除”の報まで流れてくると、ちょっと世の中も変わり始めたかな、という気分になる。

個人的にも、今日は新しい、そして嬉しい出会いがいくつも重なった日。

だから、というわけではないが・・・

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