「ホワイトカラー・エグゼンプション」をめぐる誤解

労政審の労働条件分科会が、
ついに雇用ルール改革の最終報告をまとめた。


明記されたのは、

「一定の条件を満たすホワイトカラーの会社員を労働時間規制の対象外とする制度の創設」

及び

「残業代の割増率引き上げ」

一方、今回も見送られたのは「解雇の金銭解決制度」*1
といった感じで一般的には報道されているようだ。


残念なことに、この報告を受けて早速、
危機感を煽るメディアのネガティブキャンペーンが始まりつつある。


ニュースを見ても、不敵な笑みを浮かべる経営側委員と、
「これは労働者の命にかかわる問題です」と真顔で力説する
労働側委員の、極めて対照的な姿が描かれており、
年が明ければ、制度改革反対の大合唱が巻き起こるのは必至だろう。


某野党の幹事長(元党首)などは、

ホワイトカラー・エグゼンプションという言葉自体が分かりにくい。残業代不払い法案といえば分かりやすい」*2

などといちゃもんを付けられているようで、
早く政争の道具にされそうな雰囲気である。


既に本ブログで何度も不満を表明しているように、
この制度の対象者が、ホワイトカラーの中でも

・労働時間では成果を適切に評価できない業務に従事する者
・業務上の重要な権限及び責任を相当程度伴う地位にある者
・業務遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしない者
・年収が相当程度高い者

というごく一部の恵まれた層の社員にしか適用されない、という事実や*3

「残業代を含む現在の年収がそのまま除外制度適用後の年収となるため、原則的には賃金は減らない」(日経新聞2006年12月28日付朝刊・第3面)

という重要な事実が存在しているにもかかわらず*4
それらは意図的に看過されているかのようにさえ思える。


そもそも、始業時間と終業時間を決めて、
その枠にはめられて管理されるような仕事のやり方が
ホワイトカラーにふさわしくない、ということは、
一度そういう仕事を経験した人であれば容易に分かることだろうに、
同じような意識を共有できる「労働者」の声が
聞こえてこないというのは、何とも寂しい限りである。


自分のポジションは何としてでも守り抜く、
社内外のクライアントの助けを求める声には全力で応える、
その積み重ねが、見た目“過重な労働”につながったとしても、
働いている側としては一向に厭わない。
仕事というのは、生活の糧を稼ぐ手段であると同時に、
一種の自己実現の手段なのだから、
そういう志を是とする発想があってもよいと思うのだ。


それを、あたかも奴隷や中毒症状の患者であるかのように決め付け、
「家庭」だの「自分の時間」だのを大事にせよ、
という一方的な価値観を押し付けるが如き、
「労働者の味方」たちの言いようには、
正直怒りを通り越して、ただあきれる他ない。


もちろん、使用者側の言い分を鵜呑みにしてはならない、というのは
言うまでもないことである。


「自らの裁量で働く時間を自由に決められる」とうたいつつ、
定時出社・終電超え残業を強いる“見えない圧力”が
掛けられるおそれがあるのは否定できないし、
本人の同意要件だの、適用対象の限定だの、といった“安全柵”が
なし崩しに取っ払われる懸念も否定はできないだろう。
本来、裁量労働制の適用範囲を広げればある程度対処できるはずの話を
あえて、「労働基準法の適用除外」にする、というやり方の裏に何があるかも、
勘ぐり出したらキリがない。


だが、今回導入が検討されている制度は、
使いようによっては、これまでの仕事の非効率的な仕事のやり方、
すなわち、自分の業務に特化してある程度専門的な仕事を日々こなす一方で、
部下の仕事の中身を完全には把握できていない管理職が、
これまた淡々と上から降ってきた仕事をこなす、
という古典的な仕事のやり方を覆す可能性を秘めている。


もし、現在の案がそのまま導入されるならば、
労働時間規制除外の対象となる、ということは、
「自らの裁量で働く時間を自由に決められる」という
お墨付きをもらうことに等しい。


勝手知らぬ上司の世迷い言など聞き流せばよい。
定時出勤を迫る先輩には、「適用除外者」としての権利を堂々と主張すれば良い。
そして、自分の仕事に対して誠実に、全力を尽くすよう試みれば良い。


“労基署来るからはよ帰れ”の大合唱で仕事を妨げられることもなければ、
月末、年度末になって、受けたこともない「残業命令」の
“特殊な事由”をでっちあげるために、
上司に代わって頭を悩ます必要もないのである*5


当初は超少数派かもしれないが、
今回この制度とセットで導入が検討されている、超過勤務手当の割増率増加が
あわせて導入されれば、
企業としては、ある程度の能力知識をもった労働者に
規制除外を適用せざるを得なくなるから、
どんな会社においても、この制度の“恩恵”を受ける者が
一定の比率を占めるようになるだろう。


そうなれば、しめたものである。


こういった秘めた可能性に思いを馳せることなく、
安易に「コスト削減」的発想でこの制度を導入する企業が出てくるとすれば、
その会社の人事部門が何年か後に慌てふためく姿を
自分は容易に思い浮かべることができる・・・(笑)。




現実“だけ”を見て、建前どおりにならない実態を憂うのはたやすい。
だが、明確な“建前”が示されるということは、
それによって現実を変えていく道につながる、ということでもある。


“建前”に現実を近づけるには、少なからぬ周囲との戦いを招くかもしれない。
そして、戦うには勇気と根気が必要だ。


だが、やってできないことはない。
一人の力で会社全体を動かすことは不可能でも、
自分の周りの環境を変えていくことくらいはできる。


いかにしがないサラリーマンであっても、
自分の意思で働く意欲、変えていく意欲を持ち続けている限りは、
「奴隷」の待遇に陥ることは決してないのだ*6


そう思うがゆえに、自分はこの新しい制度が、
政争の具に貶められて、歪められることなく、
まっとうな形で導入されることで、
ホワイトカラー革命の一里塚となることを切に願うのである。


まぁ、昨今の政治情勢を見れば、
そんな期待も泡と消えるであろうことは、
重々覚悟しているのであるが・・・*7

*1:原文を見ていないので、他にも重要事項が提示されている可能性はたぶんにあると思われるが、とりあえず今の時点では、報道されているものを前提に検討する。

*2:日経新聞2006年12月28日付朝刊・第2面コラムより。

*3:ゆえに、街角のインタビューで「信じらんなーい」と能天気な声を上げている多くの一般サラリーマン(もちろん筆者も含む)にとっては、今の時点では縁のない制度というほかない。

*4:もっとも、後者は筆者自身がソースにあたっていないので本当にそうなのか、ここでは断定はできないが。

*5:そして、それによってますます残業時間が増えてしまうことも。

*6:たとえ、いかに毎日長時間労働を強いられていたとしても、である。逆に、定時出社、定時退社の“一見お気楽サラリーマン”でも、自分の意思で変えていく意欲を失った瞬間に、「奴隷」という謗りを受けることは免れ得ないだろう。

*7:だからといって、今の政権を応援しようなんて気にも到底なれないのであるが(笑)。

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