続「ホワイトカラー・エグゼンプション」

年の暮れにボソッと書いたエントリーが、
いつの間にかホットエントリー化していたようで(笑)。
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20061228/1167328947#tb


ブックマークに付いている一言コメントやいくつかのリンクなどを、
興味深く読ませていただいた。


筆者が“お花畑”と揶揄されるような理想論に陶酔するタイプの人間なのは、
昔からこのブログをお読みの方は良くご存知だろうから(苦笑)、
いまさら弁解しても仕方ないし、
会社や職種によって、今回の新制度(案)に対する受け止め方が
大きく異なるであろうことは重々承知の上で、
あえて筆者自身のポジションから見た視点だけで、
“ホワイトカラーの主張”のようなコメントを記した以上、
多少の批判は覚悟の上である。


自分としては、先日のエントリーも、
これまで本ブログに書いてきた一連のコメントの
延長のつもりで書いていたので、
あれだけ読んだ方からみると、若干舌足らずなところもあるかもしれない、
と思い、一応、過去のエントリーを紹介しておくことにする。
(拙い日本語で恐縮であるが(笑)。)
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060219/1140286264
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060412/1144861359


今回の分科会の最終報告の原文にまだ当たっていない以上断定はできないが、
年収要件に関する部分を除けば*1
過去の議論も、概ね今回の最終報告にあてはまるのではないか*2
と思っている。


なお、筆者のエントリーに対する批判に共通して見受けられるのは、

「現在の制度の下でさえサービス残業があふれているのに、新制度が理想どおり機能するはずがない」

というものだと思われるが、
サービス残業」を生み出す要因の一つに、
現在の労働時間制度の本質的な欠陥、すなわち、
頭脳労働者を画一的な労働時間の枠の中に押し込めようとする発想、
もある、という事実に照らすなら*3
現在の労働時間管理制度が“崩壊”しているからといって、
(現在の制度に対するアンチテーゼとして打ち出されている)今回の制度が
理念どおり機能しない、という“証拠”にはならないように思われる。


また、そもそも残業代がほとんど支払われていないのであれば、
その労働者が「ホワイトカラー・エグゼンプション」の対象となったとしても、
事情は何ら変わらないわけで、
ホワイトカラー・エグゼンプションが労働強化につながる」
という表現は必ずしも適切とはいえないだろう*4


使用者側に法令順守意識がない場合には、
現在の労働時間制度を維持したとしても、
結局は労基署なり司法当局なりのしかるべき機関が動かない限り、
労働者は救済されないのであって、
こういった状況の下では、
ホワイトカラー・エグゼンプション」を導入したからどうこう、
という次元で議論してもたいした意味はない*5


どんな制度でも、それによって利益を受けるものと
不利益を被る者が出てくるのは避けられないのであるが、
今回の制度の場合は、
後者の不利益は制度をいじったところで解決できない性質のもので、
逆に、前者として、労働時間規制除外の恩恵を受ける層(職種)が、
少なからず存在するわけだから、
一概に制度そのものを潰しにかかることはないのではないか、
というのが筆者の考えである。


あと、

裁量労働制の実態を見よ!」

という声も多かったが、
筆者が知る限りにおいて、裁量労働制適用労働者のワークスタイルは、
世で叩かれているような極端なものばかりではなく、
恩恵を存分に行使して(少なくとも一般の労働者と比べれば)、
ある程度自由な時間設計で仕事をしている方もいるのだから、
これまた、一律にネガティブな論調を張る根拠に用いるべきでは
ないのでは、と思っている。


ちなみに法務村の住人の場合、
元々出世や上司の顔色うかがいには大して関心がない上に、
明らかに法律の趣旨に反するような指示を受けようものなら*6
「裁判所(労基署でも可w)行きましょうか?」
と毒を吐くような連中は決して珍しくないので*7
そういう住人達を見慣れている自分の考えと、
世の常識的なホワイトカラーの方々の意見が食い違うのは
やむを得ないことなのかもしれない。


だが、結局、過重労働や理不尽労働から自分の身を守れるのは、
自分しかいないわけだから、
結局最後は「自分が「NO」を言わなければどうにもならない」
というのは職種を問わず、全ての働く者に
共通していることではないのだろうか*8


メディアにしても、どうせネガティブキャンペーンを張るのであれば、
彼らが恐れる「最悪のシナリオ」(現在の案がそのまま法制化されること)
に備えて、そのあたりを煽って啓発しておけば良いのに、
と思えてならない*9


以上、相変わらずお気楽な理想論で恐縮であるが、
何かの足しにはなるかと思い、続編を綴らせていただいた。


なお、今後は法案化⇒審議の過程に注目していくことになるが、
個人的には、労働時間規制除外者に対する
「個別同意要件」(同意の撤回の保障も含め)と「代償要件」が
どのように規定されるのかがポイントだと思っている。


特に後者は、細かい年収要件の数字を議論するより、
よっぽど重要になってくるのではないだろうか。


この点に関して、現在の裁量労働制レベルの規定
(ないし労働者側にとってそれ以下の規定)しか設けられないのだとすれば、
いくらお気楽な筆者でも、「それは考えものだろう・・・」と率直に思う。

*1:ちなみに、本日付の日経朝刊の社説が「合理的とは思えない年収基準になぜ固執するのか」という論陣を張っていたが、この新聞が書くと、仮に正論だとしても何となくきな臭く見えて仕方ない・・・。

*2:日付を見れば分かるように今年初めに研究会報告書が出た頃からこの話題をずっと追い続けていたのだが、その頃のエントリーにはほとんど反響がなかった。それがここに来てこれだけの反応とは、まさに一連の“ネガティブキャンペーン”さまさまというべきか。あらためて感謝せねばなるまい(笑)。

*3:どんな職場でも多かれ少なかれ仕事の繁閑はあるものだが、現在のように画一的に労働時間が設定されていると、多少余裕があるときでもそうでないときでも、同一の所定労働時間内で仕事をしなければならない、ということになってしまうため、使用者の側のみならず労働者の側にも、繁忙期の「サービス残業」を受容しなければならないというマインドが働きやすくなることは、良く指摘されているところである。

*4:この表現があてはまるのは、これまできちんと支払われていた残業代を失う労働者についてだけだと思われる。

*5:これが制度の問題ではなく運用の問題であることは明らかだ。

*6:例えば、裁量労働制適用職場なのに、毎日9時に来い、という指示を受けるなど。

*7:それでも実力があれば一定の評価をもらえたりもするし、転職も比較的容易にできたりもするので、さほどの抵抗はないようである(笑)。

*8:裁量労働制だって、適用に際しての「本人の同意」要件は存在するし、同意しなかった場合の不利益取扱いは明確に禁止されている(現行条文の規定ぶりだと、適用後の撤回の機会が十分に保障されていない、という問題はあるが)。あとは、自分が“我慢する”ことによって得られるメリットとデメリットを勘案して、“拒む”というカードを切るかどうかを選択することになるのだと思う。

*9:昔訴えた側が白い目で見られがちだったセクハラでも、「110番」にコールする人が増えるにつれて、訴える側と訴えられた側の立場が逆転しかかってきている、といった事象は存在するのであり(もちろん訴える側の不利益が完全に解消されたわけではないが)、新制度に対しても、行動を起こす人がそれなりに出てくれば、当初想定されていたよりは不利益が緩和される、ということはありうるだろう。

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