振り回される大学教育に同情す。

日経新聞の朝刊1面で、8日から「ニッポンの教育・第2部「学び」とは何か」という連載が始まっている。


要約すると、「最近の学生が「学ぶ目的」を見失っている」という嘆き節に尽きるのであるが、個人的には「何だかなぁ」と思うところも多々あり(苦笑)。


例えば、一例として、加藤新太郎新潟地裁所長への取材を元に、司法研修所入所“受験勝ち組”の気質の変化、という話題が取り挙げられており、

①試験に必要なことだけを予備校で効率的に学ぶ効率型学習の弊害
②公的な職業に就くという意識の乏しさ
③人生をどう生きるかといったビジョンを語れない

という“気質の変化”の3点のうち、特に①について、

「特に深刻なのが効率型学習の弊害で、試験に無関係な知識が驚くほど欠如している。研修所は2004年度から2年間、3年生判事補向け研修で古典を読ませた。05年度の課題図書は「ソクラテスの弁明」「武士道」「君主論」など。以前なら定番だったはずの古典を、司法修習生の最優秀層とされる裁判官の大半が読んでいなかった。」

と指摘した後に、

「医学部や司法試験は受験社会の頂点。合格者は社会的地位や高収入が半ば保証されるだけに、学力に加え、高い志と豊かな人間性が求められる。その根幹が揺らぐのは、どこかで学びがねじれ、劣化しているからだ」(以上、2007年2月8日付け朝刊・第1面)

と結論付けるあたりは、記者が単なる悪意をもって書いているとしか思えない・・・。


裁判官に必要な人間性が、古典を読むだけで得られるのであれば、苦労はしない。閉鎖された空間で培われた「教養」や「職業意識」は、特権階級としての偏屈なプライドにもつながりかねないものでもある。


仮に、今の学生がそのようなプロセスを経ずして、法曹の領域に足を踏み入れるようになっているとしても、その分、“普通の人間”としての俗物性(笑)を身につけているのであれば、“国民の目線に立った司法”という観点から、それはそれで大いに評価されるべきことのはずだ。


東大名誉教授の寺崎昌男氏の指摘として、

「深い人間理解が欠かせない医師や法曹など高度な専門職にこそリベラルアーツが必要だ。欧米ではリベラルアーツを基礎に専門教育があるが、日本にはそれがない。教養教育といいながら専門科目の初歩を教えるだけだった」

というコメントをわざわざ掲載して、それに対して肯定的な評価を与えていることにも疑問が残る。


学生や企業に“即戦力”となるための“実践的な学問”の重要性を強調して説き、「4年間総専門教育化」の流れを推し進めてきたのは、他でもないメディア自身であり、特に経済誌である日経新聞は今でも同様の立場をとっているように思えるからだ。


これは明確な矛盾、というほかないだろう。


ちなみに筆者の場合、法学部の法律専攻コースに在籍しながら、学部での4年間で法律の専門教育をほとんど受けていない。その代わりに数学だの論理学だの古典だの政治思想史だの心理学だの・・・と自分の興味のむくままに手を出して本を読み漁っていた、いわばリベラルアーツの申し子である(苦笑)。


だが、今、学問への意欲を駆り立てる「基盤」にあるのは、世のさざ波(今の環境で荒波というのはおこがましい)に身を投じてから直面した数々の矛盾を何とかしたい、という思いであって、学部時代のかすかな記憶(それは決して雑学知識以上のものではなかったw)ではない。


世の中での経験を積んでいない現役の学生が「学問の面白さ」を見出せないのはある意味当然のことで、大学における学問の質が“劣化”していくのは、学校教育の問題というより、社会から学校への“リターン”が容易には叶わない現状のシステムの問題だと自分は思うのである*1


まぁ、いつの時代でも、現役の学生は、「気力がない」と批判され、大学は「十分な教育を提供していない」と非難されるものだ。


5年前も、10年前も、そして、今批判記事を頑張って書いている記者の方々が大学に在籍していたであろう20年〜30年前も、同じような批判を受けていたことは、当時の新聞のコラムでも読めば、すぐに分かること。


大学が過度に大衆化して、俗物的な人間の“生産工場”のようになってしまうのは、筆者としても決して美しいことだとは思わないが、かといって、たかだか4年間しかない教育について、やれ“実利的な専門性強化だ”とか、やれ“リベラルアーツが重要だ”とお題目を唱えたところで、世の中が格段に良くなるわけではないだろう。大学に多くを求めすぎるのが、今も昔も、この国の悪いところだと思う。


人生は長い。それも大学を卒業してからの方が格段に長い。だとすれば、手を講じるべきところは、もっと他にあるのではないか、と思う次第である。

*1:多くの社会人にとっては、一端仕事を辞めて大学に入るのが困難な途である、ということに加え、受け容れる大学の側でも、そういった元・社会人に“お客さん”以上の扱いをしていないところに本質的な問題があるように思われる(特に法学系は顕著に・・・以下自主規制w)。