イタイ判決(その1)

最近、著作権に関する事件の下級審裁判例がいろいろと出ているのだが、その中から、ちょっとイタイものをいくつかご紹介。


まずは、同じ師を持つ研究者同士が書籍の発行をめぐって争いになった、ありそうで(判決にまで至ったケースは)あまり見かけない事件。

東京地判平成19年5月28日(H17(ワ)第15981号)*1


事案の概要を簡単に説明すると、

(1)原告、被告双方の指導教官である訴外Cの発案で、両者は共著「租税論」を執筆し、平成12年3月15日に株式会社税務経理協会から出版した(共著の出版にあたり、両者は章ごとに出版を分担)。
             ↓
(2)その後、被告は本件書籍(「現代租税論−理論・法・制度」)を執筆し、平成16年5月1日に税務経理協会から出版
             ↓
(3)原告は、本件書籍が、共著「租税論」の原告執筆部分の著作権を侵害する、として平成17年8月4日に被告と税務経理協会を相手取って訴訟を提起。

ということになる。


それ以外の事実関係については、当事者間に争いがあって裁判所もきっちりとは認定していないのだが、本件書籍も元の書籍も、大学での講義の便宜のために、入門用教科書として執筆されたものであることは間違いないようだ(実売部数は被告の授業を受ける青山学院大学の学生600名を含めても僅か1137部に過ぎない)。


そして、在庫がなくなったにもかかわらず、原告が何らかの事情により再版を承諾しなかったため、苦慮した被告が新学期の教科書に使えるように、自ら単著として実質的に同じ内容の書籍を出したことで、今回のトラブルに発展した、というのがことの背景にはあったようである*2



・・・であれば、本件書籍が元の書籍に、

類似するのは当たり前だっ!(笑)


ということになろう。


実際、同じく被告となっていた税務経理協会と原告の間では、平成19年3月28日に、

1.協会が原告の著作権著作者人格権の侵害を認め、原告に謝罪する。
2.本件書籍を回収するとともに、在庫品を破棄する。
3.「著作権法上の問題があることが判明したため絶版とします」という旨の広告を「税経通信」に掲載する。
4.被告は原告に対して30万円の和解金を支払う。

という内容の和解が成立しており、本件被告にとって、まともに争ってもほぼ勝ち目はなかった訴訟だったように思われる。


被告の側の主張はかなり苦しい。


例えば、

「共著は,以下の,共著出版に至る経緯に関する後記(ア)ないし(エ)記載のとおり,原告及び被告共通の恩師であるCの発案により,租税論における原理・原則・定説をわかりやすく解説するための初学者用の教科書として制作され,執筆に当たり,全体構造,ページ数,ベースとすべき複数の著作の指定,使用する用語,文体等に至るまで,逐一詳細に同人の指導・指示を受けて作成されたものである。したがって,共著中の本件著作物に内容上の創作性がないことはもちろん,その表現の具体的形式もいわば不可避的に選択されたものであり,原告個人の個性が表れているとはいえず,創作性がない。」(6-7頁)

と言ってみたり、

「原告も被告も,Cの指揮監督下において,その手足として原稿作成作業に従事していたものであるから,共著の実質的な制作者は,Cにほかならない。」(7頁)

と言ってみたり、と、研究者としての自身の労苦を無にするような主張をせざるを得なかったところに、「類似性」「依拠性」では争い得ない本件の苦しさがあったといえるだろう。


事実認定によると原告の方が研究者としては先輩格、とのことなのだが、両者の主張から現れてくる“事実”を眺めると、野暮な憶測をめぐらすまでもなく、最初の共著を書いた後に原告と被告(あるいは師匠のC教授)の間に何らかのトラブルがあっただろうことは容易に想像が付く。


それゆえ、恩師の母校(そして自らの母校でもある)で教鞭をとる被告としては、“譲れない何か”があったのではないか、と感じざるを得ないのだが、そんな当事者の“思い”に応えてくれるほど、裁判所は優しくない。


原書籍の「著作物性」を否定しにかかった被告の主張は、

著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(著作権法2条1項1号)、対象となる書籍などについて著作物性を肯定するためには表現それ自体において創作性が発現されること、すなわち、表現上の創作性を有することが必要とされるものである。そして,表現上の創作性とは,独創性を有することまでは要せず,著作者の何らかの個性が発揮されていることで足りると解すべきであるが・・・(以下略)」
「そして,既に明らかとされている原理・原則・定説を解説する場合についても,これをどのような文言,形式を用いて表現するかは,各人の個性に応じて異なり得ることは当然である。したがって,原理・原則・定説を内容とする租税論の入門的教科書であっても,わかりやすい例を用い,文章の順序・運びに創意工夫を凝らすことにより,創作性を有する表現を行うことは可能であり,記述中に公知の事実等を内容とする部分が存在するとしても,これをもって直ちに創作性を欠くということはできず,その具体的表現に創作性が認められる限り,著作物性を肯定すべきものと解するのが相当である。」(太字筆者、以上18頁)

という常識的な論理によって、いともあっさりと退けられ*3、その結果、約124万円の支払を命じられることになった*4


さすがに謝罪広告については、既に税務経理協会が広告掲載を行っていたこともあって、「著作者である原告の名誉又は声望を回復するための手段が十分講じられているというべきである」として退けられたが、

「訴訟提起前から現在に至るまで、被告は、自己の著作権著作者人格権侵害行為の重大性についての認識が乏しい面がうかがわれる」(23頁)

という指摘もなされており、全般的には被告にとって極めて不名誉な結果になってしまった、ということができるだろう。


筆者は、別に経済学者の系譜には何ら興味がないが、“閉じた環境”において諍う人間の性、にはそれなりの興味がないわけではない(苦笑)。


ゆえに、この事件にはいろいろと思うところあり、といったところだろうか。


なお、本判決の別紙として、当事者の主張の詳細な対比表が、争われている書籍の箇所の引用と合わせて掲載されており、しかも、それぞれの対比部分について判決本文には引用されていない裁判所の「判断」が記載されている*5。さすがに全部眺める気力はなかったが、東京地裁第29部における著作物性や著作物の類否の判断基準を見定めるには格好の教材、というべきかもしれない。

*1:第29部・清水節裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070529132538.pdf

*2:被告側の主張によれば、そのことは訴外Cも承知しており、むしろ積極的に「単著でお出しなさい、書籍名も授業名のとおり租税論としなさい。」と指導を受けたとのことである(11頁)。

*3:同一性、依拠性、過失も当然に肯定され(複製権・翻案権侵害肯定)、その上氏名表示権侵害も認定された。

*4:請求額は184万円なので、この種の訴訟での認容率としては高い方だと思われる。

*5:http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070529133049-1.pdf

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