オグリがいた時代

思い出とともに語れる馬が、また一頭この世を去った。

「1980年代末から90年にかけて競馬ブームの主役として活躍し、「怪物」の異名を取ったオグリキャップ(牡)が3日、北海道新ひだか町の診療施設で死んだ。25歳だった。同馬は3日午後、けい養先の北海道新冠町の牧場で放牧中に脚部を骨折し、搬送先で息を引き取った。7月半ばにお別れの会を行う。」(日本経済新聞2010年7月4日付朝刊・第33面)

自分が競馬に凝り始めたのは、オグリが有馬記念を勝って、スターホースとしての地位を確立したくらいの時期*1だった。


ゆえに、自分は、

「地方から出てきて重賞6連勝で一躍スターダムにのしあがる」

という応援していて一番ファンになるタイミングを逃しているわけで、その後猫も杓子も“オグリ、オグリ”と叫ぶようになればなるほど*2、冷ややかな目でかの芦毛馬を見るようになっていったような気がする*3


しかも、自分があの頃好きだった馬は、オグリと同期のミスターシクレノン*4


時々は同じG1の舞台で顔を合わせているのに、ほとんどの場合においてオグリの10分の1の存在感も発揮できず、多くの俄かファンは出走していたことすら気付いていない。オグリが出走していない春の天皇賞宝塚記念で2着、3着を勝ち取るような活躍をしているのに、秋になると圧倒的なオグリ人気の前に霞んでしまう・・・


そんな状況を目の当たりにしていると、オグリに対する憎しみばかりがつのるわけで・・・


伝説に残る引退レースとなったあの有馬も、個人的にはメジロライアンミスターシクレノンでワン、ツー取ってほしいレースだったのに、あの激走のおかげで全てがパー。


血統背景もあってか、引退して以降は“並以下のかわいそうな馬”になってしまったし*5、後になってオグリを取り巻く複雑数奇なドラマ*6があったことに触れたりすることで、共感できるところもいくつか出てきたりはしたのだが、それでも今回の訃報のように“時代を代表する馬“として彼が取り上げられる機会に接してしまうと、それはそれでいろいろと複雑な思いはある。


なお、前記記事の中では「引退レースに騎乗した」という修飾句とともに、武豊騎手のコメントが掲載されているのだが、あの有馬記念とその年の安田記念にしか載っていない武豊騎手のコメントよりも、もっとふさわしい(元)騎手はたくさんいるわけで(特に河内騎手と南井騎手のコメントは絶対必要だろう)、この辺のセンスについてもいろいろと思うところはあるのだが、今日のところはまぁこの程度にしておこう・・・。

*1:というか自分が初めて目の前で馬が走るのを見たのが、あの「スーパークリークが失格した」有馬記念だった。

*2:平成元年〜2年くらいの秋シーズンには、授業(特に土曜日)に出てくる教師でさえ、“明日はオグリは来るんかねぇ”的なことを季節の挨拶代わりに生徒に問いかけたりもしていたものだ。

*3:他人が持て囃すものに対しては、何となく冷ややかな目を向けてしまう。そんな自分の性格は10代の頃から全く変わっていないのだ(苦笑)。

*4:最近のファンだとミスタートウジンの兄、といった方が通りが良いか?

*5:むしろ旧8歳まで走って(しかも8歳にして重賞制覇。当時としては驚異的な話だ)、現在も功労馬として余生を満喫しているであろうシクレノンの方が馬生としては幸せなのかもしれない。

*6:馬主の話とか笠松時代の主戦騎手の話だとか・・・。

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