火のないところにも煙は立つ。

昨年の今頃、米国でも日本でも燃え盛っていた“トヨタ・バッシング”が信じられない形で終焉した。

「米運輸省と米航空宇宙局(NASA)は8日、トヨタ自動車のリコール(回収・無償修理)問題で、電子制御システムに欠陥はないとの調査結果を発表した。トヨタの主張が全面的に認められたことで、同社の経営を揺るがした品質問題は収束へ向け前進した。」(日本経済新聞2011年2月10日付朝刊・第3面)

1年前に「運転をやめよう」と叫んでいた運輸長官が「娘に勧めた」云々と弁解するあたりは、どこかの国の首相の“かいわれパフォーマンス”を彷彿させるのであるが、いずれにせよ、呆れたコペルニクス的転回である。

GMの経営破たんに象徴されるように、かつての米国名門企業が凋落する中、「米国市場シェアNo.1」に躍り出てしまったことが、昨年の“トヨタ・バッシング”の背景要因になったのは間違いないところだろう。

どんなに“コンプライアンス”だの何だの、と叫んで、一生懸命取り組みを行ったところで、こういった“悪意ある風評被害”を受けてしまうとどうにもならないわけで、空しささえ感じてしまうエピソードである。

当時は、わが国のメディアにも、米国での報道を後追いする形で、トヨタの危機管理対応の“ズブさ”や、日常的な取り組みの不備を指摘する論調のものが多かったように思う。

元々“皆に愛される”タイプの会社ではないし、(自分も含めて)アンチが多い会社だけに、何か事が起これば日米問わずバッシングの対象になることは免れえない運命にある会社なのは事実だとしても、今回のような事例を捉えて、「ほら見たことか」と囃したてたところで、

「それじゃあ、どうすれば防げたのか?」

という前向きな答えは、出て来ようもない。

当時のトヨタは、事故情報を収集して的確に分析していたからこそ、“重大ではない事故”と判断したのだろうし、仮に“煙が立った”当時、迅速に対応して、真摯に調査した事実に基づくアピールをいくらしたところで、バッシングは収まるどころか、かえって激しくなった可能性はあるわけで・・・。

「火のないところにも煙は立つ。そして、火のないところに立つ煙を防いだり、消したりすることは容易にできることではない。」

後付けの議論で無意味な“教訓”を論じたりすることのないように、我が身も省みつつ、↑の言葉を、よく心に留めておきたいところである。


なお、これは決して海の向こうだけの話ではない。

むしろ、運輸省NASAまで入れてきちんと調査した上で、運輸長官が結果を報告して“ケジメ”を付けた今回の事例は、我が国における“風評被害のその後”と比べると、むしろマシなようにも思えるところで*1、我が国の然るべき官庁にもメディアにも、“過ちは潔く認める”節度ある対応を望みたいところである。

*1:もっとも、今回の調査結果が肝心の米国の中でどれだけポピュラーなものになっているのか(我が国のメディアが伝えているほど大々的に市民に向けて伝えているのかどうか)は、自分の知るところではないのだが。

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