最近驚いたこと、その1。
外資系の会社に勤める先輩に、東京での会合の誘いの声をかけたら、
「本社ごと大阪に移動しちゃったんで来れません」
とな。
ネタかと思ったら、ガイジンさんの会社は、本当にそんなことしているのかと(苦笑)。
その2。
海外赴任から一時帰国した友人が、当地を離れる際に同僚の現地人に言われたセリフが、
「お前は命が惜しくないのか?」
だったそうだ。
これは薄々気付いていたことではあるのだが、異国の、我々の目に触れないところでは、相当こっぴどい風評流布がなされている、ということを改めて感じさせられる。
翻って我が国はどうか、と言えば、昨日あたりから、食べ物がどうの、飲み水がどうの、と不安感を掻き立てるような公式リリースが相次いで、再びスーパーで買占めに走る人々が多数出没したとのこと。
情報が一切秘匿された状態で、風評だけが広まって、産地の農家が売るに売れなくなるよりは、情報をオープンにした上でそれなりの補償も見込める公式の「規制」がかけられた方が、トータルとしてはプラスになる部分は大きいのだろうと思う*1。
だが、同時に、世の中の意識が、特定のリスクにフォーカスされ過ぎているんじゃないか、と感じるのも事実。
今、日々放射線量を測定しているのと同じレベルで、日頃身の回りの大気中に浮遊している物質なり、水に混入されている物質の量なりを、我々はモニタリングしているのだろうか?*2
世の中で生きている限りは、リスクはつきもの。
普段実感していないだけで、小さなものから大きなものまで、生活にダメージを与えるようなリスクは、身の回りにいくらでも存在するのであって、いくら“時流”だからと言って、放射線物質ばかりに気を取られるのは、いくら何でも行き過ぎだろうと思う。
もちろん、自分の判断で「安全圏」に逃げ出そうとする人々を止めるつもりはないし、東京圏の中にいる人間が多少なりとも減ってくれた方が、消費電力量的にも、生活感覚としてもベターなのは事実なのだけれど*3、この程度のリスクで逃げ出してしまうような人々が、この先の人生何度も降りかかってくるであろう、より大きなリスクに耐えられるのか?と言えば、自分は疑問を抱かざるを得ない。
なので、自分は、今まで通りの生活で、霧雨なら傘なんてささずに歩いているし、水道水もいつも通りに飲んでいる。
「最後の一人」になってしまうと、いろいろとアタリが出そうなので(笑)、そこまで粘るかどうかは分からないけど、西日本に比べれば少々リスクに近いところで、どこまで平常心で日々を過ごせるか・・・
それを試してみて、とことん楽しんでみるのも悪くない。
肝を据えて、ギリギリまでリスクを許容した人間が最後まで生き残る・・・というのは、SF映画の中だけの話じゃない、と思うので。
とりあえず、今は日々の仕事を淡々とこなす傍ら、夏の大節電期に繁盛しそうなビジネスが何かないか、と、頭を巡らせておくことにしたい。