2016年10月1日のメモ

というわけで、新しい月の始まり。

カレンダー上、週の半ばで月が切り替わると、頭では分かっていても感覚が付いていかず、週末になってようやくカレンダーをめくる、ということも結構あるだけに、金曜日で月が終わって土曜日が「1日」というパターンは結構安心する。

タブーを打ち破り続ける都政に落としどころはあるのか?

2020年の東京オリンピックパラリンピックをめぐり、総費用が「当初の4倍に当たる3兆円超」に膨らむという試算をぶち上げ、調査チームに大胆なコストカット策を提言させたかと思えば、豊洲の“空洞”問題では「組織内の連携不足」をあぶり出す*1

小池百合子東京都知事の就任により、皆何となく胡散臭い、と思っていた事柄の裏側が、これだけの短期間で次々と白日の下に晒されることになるとは、選挙の時点で何となく1票を投じた都民も大方予想していなかったのではないだろうか。

一つの行政組織でありながら、部門ごとに全く別の“会社”になってしまっている「東京都」の異様性は、かかわったことのある人なら誰にでも分かることだし、一般市民の目から見ても、それぞれの部局ごとにホームページを立ち上げている様を見れば、何となく普通じゃない、ということに気付くはず。

その意味で、縦割り、蛸壺化が招いた意思決定構造にメスを入れ、あるべき姿を示すことには大きな意義はあると思う*2

ただ、豊洲にしても、五輪にしても、タイムリミットは明確に設定されているわけで、東京都と都民以外にも利害関係者が多数いる、という現実を考えると、理想を追うだけでは到底、合理的な解は導けない。

百戦錬磨の都知事のことだから、どれだけ風呂敷を広げたように見せても、最後にはそれなりの落としどころを考えているだろうとは思うのだが、ひとたび世論に火が付けば簡単には止められなくなる、ということも、他の地域ではよくある話だけに、しばらくはハラハラしながら見守り続けることになるのだろう。

「再雇用後」をめぐる名古屋高裁判決

定年退職後の再雇用に関し、名古屋高裁が比較的インパクトのある判決を出したようである。

トヨタ自動車で事務職だった元従業員の男性(63)が、定年退職後の再雇用の職種として清掃業務を提示されたのは不当として、事務職としての地位確認と賃金支払いを求めた訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁藤山雅行裁判長)は28日、訴えを棄却した一審判決を一部変更し、約120万円の賠償を命じた。地位確認は認めなかった。」(日本経済新聞2016年9月29日付朝刊・第42面)

かつて「国敗れて・・・」と言わしめた藤山裁判長のコートだけであって、相手が地元随一のグローバル企業だろうが容赦ない、といったところだが、記事に引用されている、

「全く別の業務の提示は『継続雇用の実質を欠き、通常解雇と新規採用に当たる』」
「適格性を欠くなどの事情がない限り、別の業務の提示は高年齢者雇用安定法に反する」(同上)

といったくだりが一般的な規範として一人歩きしてしまうと、実務的にはそれなりの影響が出てしまいそうな気がする。

事務職→清掃業務、という配置転換が、一般的に見てかなりの不利益を伴うものであることは否定できないし、それゆえに導かれた結論自体は理解できるものなのだけれど*3

吉野家を改めて好きになった「私の履歴書

9月の日経紙朝刊に連載されていた「私の履歴書」。
主人公は、安部修仁・吉野家ホールディングス会長だったのだが、これが実に興味深いものだった。

音楽の世界で目が出ず、アルバイトで入った吉野家で正社員に取り立てられて・・・というエピソードも、通常の企業人の「履歴書」にはない展開でなかなか面白かったのだが、やはり今回の物語の最大のヤマ場は、創業者の下で急成長を遂げていた吉野家が80年前半に失速し、会社更生法の適用に至るまでの攻防と、その後セゾングループの傘下に入って復活を遂げるまでの道のりだろう*4

あくまで本人視点で書かれているものだから、美化されたり、少々の脚色をされたりしているところはあるだろうけど、それでも、傾いた会社にありがちな経営の混乱だとか、会社更生の手続きに入ってからの弁護士との緊迫したやり取りといったところは、渦中で会社の屋台骨をギリギリのところで支えていた方だからこそ書ける、貴重な証言録だった*5

そして、その後のエピソードからも、いったん潰れた会社に踏みとどまって立て直す、というできることなら誰も味わいたくない苦労をしたからこそ、浮き沈みの激しい飲食業界でその後の30年を乗り切ってこられた、ということも随所に感じられて、企業人向けの“教科書”としては、極めて秀逸なものになっていたのではないかと思う。


ちなみに、「吉野家」には、学生時代から社会人になってしばらくの間、かなりのヘビーユーザーとしてお世話になっていたし、新幹線代をけちって使った夜行列車を降りて、まだ薄暗い早朝に駅前の吉野家で食べた朝定食(牛鮭定食)が胃袋に染み渡ったことも一度や二度ではない。

ここ数年は、足が遠のいていたのだが*6、毎朝、「履歴書」を読むたびに懐かしくなって、今月に入ってから久しぶりに何度か足を運ぶことになった、ということも一応ここで告白しておきたい。

朝ドラのラストシーンの難しさ

もう一つ、長く続いていたものの終わり、ということで、今年上半期の朝ドラ(連続テレビ小説)「とと姉ちゃん」が1日の放送をもって完結した。

いつもながら、最初から最後まですべてを視ることができたわけではないのだが*7、東京側の制作ということもあって、ここ数年の傾向どおり、戦争の不条理さや女性の社会進出の壁、といった問題を前面に出した“社会派”色がかなり強い内容だったし*8、主演の高畑充希のメリハリの利いた演技が冴えていて、非常に気持ちの良いテンポで進んでいくドラマだった、ということもあって、最後の一回までは概ね良い印象だったのだが・・・

制作側としては、始まって二週目から、専ら「写真」だけの登場になってしまった西島秀俊を最後の最後に登場させることで、“ファンサービス”したつもりだったのかもしれないが、あの最後の何分かで、それまでの引き締まったストーリーが一気に崩れてしまったことは否めない。

朝ドラに関しては、過去にも何度か似たような“ガッカリ”感を味わったことはあるのだが、今回はその前の花山伊佐次(唐沢寿明)の“遺言”のシーンが沁みるものだっただけに、なおさらそこでピシッと締めることができなかったのか、と。そして、こういう長編ドラマを綺麗に終わらせることがいかに難しいことなのか、ということを改めて感じさせられることになった次第である。

引退の秋

プロ野球のリーグ戦も間もなく日程終了、ということで、ここに来て「引退」のニュースが相次いでいる。

幸福にも“ラスト登板”“ラスト打席”の機会を与えられた選手も結構いたのだが、横浜DeNA三浦大輔投手などは、7回1死まで約120球を投げて8奪三振という力投を見せ、まだまだ現役を続けられたんじゃないかな、と思わせるラストだったし、タイガースの福原忍投手も、最終登板こそ「打者1人」に留まったものの、昨年61試合登板、2年連続ホールド王に輝いていたピッチャーだったことを考えると、“チーム事情”により引退を余儀なくされた、という感が強い。

球団の若返り方針等の様々な事情と、“まだできる”という思いとの間で折り合いを付けるのは容易なことではないと思うのだけど、今シーズン初めの松中信彦選手の苦闘などを見てしまうと、ファンとしても、“花道”を用意してもらえる間に辞めるのが華だよね・・・と思ってしまうところはあるわけで。

そして、しめやかに行われるセレモニーの陰で、かつて主力選手として活躍したにもかかわらず、“引退試合”はおろかシーズンを通して一軍での出場機会すら与えられずに球界を去っていく選手たちもいる、という事実に思いを向けずにはいられないのである。

*1:豊洲市場地下空間に関する特別調査チーム 自己検証報告書 http://www.shijou.metro.tokyo.jp/toyosu/siryou/team/掲載。

*2:せっかく五輪で初めてのメダルを獲って勢いに乗っていたカヌーの競技会場(海の森水上競技場)、しかもメダリスト本人が切望していた人工コース付きの競技場の話が白紙に戻りそうな雰囲気になっているのは、何とも気の毒というほかないが。

*3:もっとも、判決文の事実関係もまだ見られていない状況なので、そこは何ともいえないが。

*4:9月14日から9月20日付の朝刊に連載されたエピソード。

*5:そして、最後まで経営の第一線から退場することを余儀なくされた創業者への敬意で満ちていた、というところも好印象だった。

*6:吉野家から、というより、和食系のファストフード全般から足が遠のいていたような気がする。

*7:平日の普通の放送時間帯に在宅していることはまずないので、週末の再放送でまとめて視ることが多いのだが、それすらままならないことも時々あったりするので。

*8:前作の「あさが来た」には、主人公があまりに恵まれた環境で活躍しすぎ、という感もあったため、今回の作品の方がリアル感は強かった。特に、小橋家一の才女で、唯一女子大まで卒業して活躍していた次女が結婚を機に退職してしまう、というくだりは、あまりにシュール過ぎて、個人的には全く喜べないシーンだった。