「コンプライアンス」の混迷を超えて。

先月発売のジュリストの特集は、珍しく(?)「コンプライアンス」を骨太に正面から取り上げようとする試みだった。

特に約30ページにわたり、企業におけるコンプライアンスの取り組みのあるべき姿について組織の在り方にまで踏み込んだ議論が戦わされている「座談会」*1は、読み物としては実に興味深いものだったように思う。

冒頭で語られる、多くの企業が「コンプライアンスのためのコンプライアンス」に陥っていることへの問題意識は、四者とも共通していて、特に、以下のような松木氏の語りを聞いて耳が痛くなる人々は実に多いことだろう。

「様々なコンプライアンスの問題が起きた結果、その対応の過程でいわゆるリスクベースのアプローチがきちんとされず、とにかくまずルールを作り、否応なしに守らせる、ルールを与えられたほうはただルールを守ることに汲々としているというような、過剰規制のような状況が発生してしまったのではないかと思います。そういう状況の下では、役職員がルールの目的を含め自主的、自律的に考えて判断し、何をしなければいけないのかを決めていくことを基本とする、きちんとしたコンプライアンス意識が醸成されません。その結果として、コンプライアンスというのは、本来は業務そのものの中に組み込まれているはずのものですが、これが阻害されてしまいます。それがある意味、その会社の企業文化になってしまっているというようなことが大きな問題なのではないかと考えています。」(18~19頁、強調筆者、以下同じ。)

だが、そこから先、”あるべき姿”を実現するためにどうするか、という話になってくると、紙面上で静かな激論が戦わされる。

野村修也氏が、

コンプライアンスリスク管理であることを十分理解しないまま走り出したために、法務部に近いような領域を形成してしまった感があります。統合的なリスク管理という観点から見ると問題があるわけで、ほかのリスク管理部門との連携が上手くいかず、孤立しているといった印象があるのですが・・・(以下略)」(19頁)

と議論を提起したところで、猛烈に反論したのが松木氏。

「このコンプライアンスと言われるような事象についての問題が起きてきたときに、私は経営法友会という企業法務部の集まりの代表幹事もしていましたが、この会のメンバーである会社の法務部長さんたちの間では、コンプライアンスの本質というのはリスクマネジメントであるということの認識は、その時点でかなり広く共有されていたからです。」(20頁)

と、先の野村氏の発言に”違和感”を表明した上で、

「実務的には、コンプライアンスを機能させていくためには、基本方針、各種の規定の作成、遵守のための全社の体制作りなど、いわゆる通常の企業法務とは違った仕事も出てきます。そのような状況の中で、コンプライアンスの担当部署を、どこに置くのが良いのかということが議論されたわけです。その時点でも、法務部門の主たる役割というのは正にリスクマネジメントにあるというのが、多くの法務部門の幹部の認識でした。したがって、若干、通常の企業法務業務とは違った要素があるかもしれないけれども、基本的にはリスクマネジメントそのものを担当している法務部門がコンプライアンス関連業務を担当するのが最もふさわしいというのが、大方の考え方だったのではないかと思います。」(20頁)

と、「法務部に近い領域・・・」というややもすると非礼にも聞こえる先の発言に正面から挑まれている。

法務部門が「契約書の文書チェック屋さん」、コンプライアンス担当部署が「基本方針とか規定等の単なる文書作成屋さん」という状況は本来のあるべき姿とはかけ離れたものだ、会社全体から見れば法務部は営業部の支援にとどまらずリスクマネジメントを含む営業部に対する牽制も同時に果たしていく必要があるのだ、と松木氏が熱く語られた「理想論」は、

松木さんがおっしゃったのはあるべき形で、それが結構できていないというか、法務は契約屋さんで、コンプライアンスというのは単に研修だけをやっていて、結局は変化対応力のあるリスクマネジメントを統括する部門がないという、そういった企業が割と多数なのかなという印象はあります。」(21頁)

という國廣弁護士の一言でバッサリと打ち砕かれている感があるし*2、この手の議論自体、これまた國廣弁護士の

「言ってみれば、企業体として1つの司令塔があって、ちゃんと情報が統合されればいいわけで、それが法務であろうが、コンプライアンスであろうが、あるいはリスク管理と名前を付けようが、それでいいのではないかと思うのです。この座談会の読者というのは、コンプライアンス部門なり、法務部門という名の付いた部門の人だとすると、今のような議論になりがちなのだけれども、企業経営側からすると、要するに中枢神経を持っておくこと、そこが世の中の変化に対応する情報収集及び判断、決断、実行ができる部門というものが必要だということで、それが法務なのかコンプライアンスなのかというのは、本質的な問題ではないような感じもするのです。」(25頁)

という一言の前では吹っ飛んでしまうのだが*3久々にジュリストで「法務」が熱く語られているのを見た、ということへの興奮ゆえ、やはりここに書き残しておかずにはいられなかった。

座談会の後半で論じられる「過剰コンプライアンスからの脱却」や「有事対応」といったテーマでの、(流し読みする分には面白いが)きちんと整理しようとすると、一貫しているように見えて拡散している議論を逐一取り上げることはしないし*4、座談会での俯瞰的な議論のムードの後に続く特集の記事が、結局はいつもの法令解説記事のトーンにかなり引き戻されている*5ことへのツッコミもここではしないでおく。

コンプライアンス」という本来は哲学的・理念的な話を、会社の「具体的な施策」として落とし込むことの難しさは、実際に現場でそれをやったことのある者にしか絶対に分からないから、それを知らない「外部」の方の話は、(たとえそれがどんなに面白い話だったとしても)実務的には一ミリも役に立つことはない。

また、そもそも、時々耳目を集める”不祥事”が世を賑わすからといって、俗に”コンプライアンス違反”と捉えられる事象が増えているかのように認識するのは明らかに錯覚で、かれこれこの20年、実際に起きた「違反」の数自体は明らかに減っているから*6、「形式的なコンプライアンス対応が間違っている」という前提で展開される論説は常に眉に唾を付けて読む必要もある*7

「企業不祥事をなくすべきだ」的な話にしても*8生身の人間が企業活動に参画している限り、悪意ある行為に起因する”不祥事”の発生を完全になくすことはできないのであり、「不祥事ゼロ」にするために対応のアプローチをあれこれ模索するくらいなら、何か起きた時に迅速に”火消し”するためのリスク対応機能を強化する方が、よほど会社にとっても、ステークホルダーにとっても有益な帰結となるだろう。

したがって、読み物としては面白いが実務資料としては推薦しない、というのが、今回の特集記事に対する率直なアプローチということになるが、一方で、(アドバイスとして読まずに)論じられている一つ一つのトピックなりエピソードなりを素直に拾い上げていけば、読者がそれぞれの属する組織で取り組む上でのヒントが見えてくるのもまた事実。

人を増やして議論すればするほど、話があらぬ方向、抽象的な方向に拡散していって収拾がつかなくなる「コンプライアンス」という厄介な難題*9に取り組む上では、徹底的に現場で起きていることに向き合って自分の頭で考えるしかない、ということを再確認させてくれるという点で実に意義のある座談会だった、ということは、強調しておきたいと思っている。

*1:野村修也[司会]=國廣正=佐々木清隆=松木和道「座談会・変化の時代のコンプライアンス」ジュリスト1568号14頁以下(2022年)。

*2:そして自分も、この國廣弁護士の認識こそ偽らざる現状に他ならない、と思うところである。

*3:「とにかく自分は教科書を読むのが好きですみたいな人たちに、リスクセンスを持てよと言っても、なかなか難しい」(29頁)という発言に象徴されるように、國廣弁護士の法務・コンプライアンス部門への見方にはちょっとバイアスがかかりすぎているようにも見えるので(少なくともムービングターゲットを追いかけるよりも勉強の方が好き、という人種は自分の知る限り、決して法務の世界においても多数派ではない。)、あまり持ち上げたくはないのだが、少なくとも今回の座談会で一番リアリズムに徹した発言をされているのは間違いなく國廣弁護士なので、その意味では的確な人選だったのだろうと思う。

*4:これはもう実際に買って記事を読んでいただくに限ると思う。

*5:とはいえ、通常の記事よりは”マインド”面を意識して書かれている記事は多い印象で、また記事の一つが山口利昭弁護士のさすが、な論稿であることを考えると、いつもとは違う異色の特集、と言っても良いのだろうが。

*6:これは体感治安と実際の犯罪認知件数の関係とも似たようなところがあって、特に「企業のコンプライアンス違反事象」に関して言えば、過去には、あまりに当たり前過ぎて取り上げられることすらなかった違反事象の”暗数”が膨大な数存在したことを考えると、実際の数としては誰がどう見ても「激減」しているというほかない。

*7:もちろん「形式的コンプライアンス対応」だけでは、意図的に誘発される不祥事、特にトップが主導する不祥事を防ぐことは難しいのだが、そういった類の「不祥事」は、いかに「実質」に力を入れたところで防ぐことはできないし、せめてできることがあるとしたら、早期に明るみに出してダメージを小さく抑えることくらいだろう、と自分は思っている。

*8:今回のジュリストの座談会ではさすがに前面には出されていなかったものの、一部の参加者からは、そうあるべきだ、という雰囲気が伝わってきているような気もする。

*9:個人的には、企業が抱える様々な問題を全て「コンプライアンス」という言葉で包含して一元的に対策を打とうとするから混乱するのであって、看板は掲げつつも個々の問題についてはリスクベースで分析して日常業務に落とし込む、というプロセスを丁寧に踏んでいけば十分に実効性のある対応になるはずなのだが、概してそれでは満足しない「外野」の存在が話をまたややこしくする傾向がある。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html