日本でも大きく報じられた、現役連邦最高裁判事、逝去のニュース。
「米連邦最高裁判所は18日、リベラル派のルース・ギンズバーグ判事が膵臓(すいぞう)がんによる合併症のため亡くなったと発表した。87歳だった。11月の大統領選に向け、後任人事が最大の焦点の一つに浮上する。」(日本経済新聞2020年9月19日付夕刊・第3面)
ディテールにこだわるなら、亡くなった判事の名前は「ルース・ベイダー・ギンズバーグ」であって、そこを安易に端折るべきではないし、連邦最高裁自身が彼女を「リベラル派」と定義づけることも、おそらくあり得ないだろうと思う。
また、あと2カ月弱に迫った「大統領選」の文脈で論じられるのは米国においても同様だろうからそこは仕方ないとしても、彼女の本当の功績は、ここ数年で脚光を浴びることになってしまった”政治的な立ち位置”ではなく、もっと長い、法曹としての人生に根差した本質的な活動の中にあったはずで、その意味でも、否応なく「政治的なアイコン」として語られることになってしまうこのタイミングでの逝去は、つくづく不幸なことではなかったか。
おそらく、この先1~2カ月は、現大統領が民主党系の人々の反対を押し切って大統領選前に「保守系」判事を指名するかどうか、というのが米政界の最大の争点になってくるのだろうが、健全な民主主義のプロセスの下、定期的に政権交代が成し遂げられる社会においては、時の政権が自分たちの思想に近い判事を指名する(そして指名され、議会に承認された判事の地位は終身保証される)というシステムも決して誤ったものではないと自分は思っている。
特に、次の選挙で民主党の大統領候補が当選し、議会もリベラル派勢力が支配的地位を占めることになった場合に、「暴走」を止められるのは連邦最高裁しかないわけで*1、そうやってバランスを保ってきたのがこれまでのアメリカ社会ではなかったか*2。
2016年にスカーリア判事が亡くなった時の対応*3との比較や、僅か4年の大統領任期中にゴリゴリの保守系判事を3名も指名して去る、というバランスの悪さは格好のツッコミどころではあるのだろう。
ただ、保守だろうがリベラルだろうが、職業法曹である以上、本来「思想」だけで判断を下すことはできないわけで*4、そういった本質的なところを抜きにして、ただ「党派性」だけで最高裁判事の指名のニュースが語られてしまうのは決して好ましいことではないはずだ。
ここ数年のギンズバーグ判事が、メディア等が描いているような、満身創痍の身ながら「政権交代までは」と踏ん張っていただけの存在だったのだとしたら、それはあまりに寂しいし、力尽きたタイミングも最悪、ということになってしまう。
本当はそうではなく、もっと大きな理念に突き動かされて現役を貫いたまま、87歳の生涯を閉じたのだと信じたいが、今となっては40年にわたる職業裁判官として存在を離れた「素」の一法律家としての彼女の肉声を聞くこともできないわけで、それは非常に残念なことだな、と思わずにはいられないのである。
ちなみに、ちょうど昨年、彼女を取り上げた映画を見たときにこのブログでも書いたエントリーがある。
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com
あの映画自体の(一種のプロパガンダとしての)出来はかなり良かったから、その時は、「今後は彼女の法廷意見に対してそれまでとは少し違う感覚を持つことになるのかな・・・」と漠然と思っていたりもしたのだが、結局、最新の連邦最高裁の判決に関してはそこまで掘り下げて読む機会自体がなかったし、いくつか掘り出した過去の判決の法廷意見を読んでも、当時の印象がさほど変わることはなかった。
よく言えばスタンダードな、悪く言えば面白みがなく、賢い法律家特有の難解さを伴う意見が多い判事、というのがざっくりとした感想になるだろうか。
そういった彼女の特性が、合衆国憲法の理念を法廷で最大限引き出すことにつながったのかもしれないし、「ならぬものはならぬ」という晩年の鋭い法廷意見にもつながった、と見ることもできるのだろうけど、自分にはこれ以上、彼女の法律家としてのあれこれを論じられるほどの材料もなければ、そのバックグラウンドとなる米国法の知識もない。
ただ、当時のエントリーでも書いたように、”56年間の夫婦愛”には、ちょっと心打たれるところもあっただけに、今は、彼女が人生の最後の最後まで背負わされた荷を下ろして、10年前に先立った夫・Martin D. Ginsburgのいる場所へ向かうことができた、ということをポジティブに受け止めたいと思っているところである。
*1:今の大統領の言動があまりにエキセントリックに報じられるがゆえに、何となく民主党リベラル派の方がまとも、と思っている人が日本国内には多そうだが、民主党政権下の米国が常に正義で満ちていたわけでもなければ、日本をはじめとするアジア諸国に心地よさを与える接し方をしていたわけでもない、ということは、この辺で思い出しておいた方が良い気がする。
*2:翻って我が国では、一見党派性のない最高裁判事の指名が行われているように見えて、「最高裁」という機関そのものが政権に寄っているのでは?と思えるようなことも過去には多々あったわけで、それに比べれば政治的なプロセスをきちんと踏んでいる分、米国の方がまだ遥かにマシな姿だと自分は思っている。
*3:オバマ大統領の任期の最終年で、大統領はMerrick Garland判事を指名したが、上院の共和党が抵抗して手続きに応じず、結果的にトランプ大統領就任後にNeil McGill Gorsuch現・連邦最高裁判事が指名されることになった。
*4:かつてに比べて党派色が濃くなっているのは事実なのだろうが、それでも最近伝えられるロバーツ長官の”中道転向”のような話に接すると、洋の東西を問わず、法曹ならではのバランス感覚が生きる場面というのはあるものだな、と勝手に思ったりもしている。