令和元年改正会社法がこれからの季節にもたらすインパクト。

暦の上では3月、となると、そろそろざわつき始めるのが会社法界隈のならわし、というべきだろうか。

3月期決算会社が年度末に向けてラストスパートに入り、来るべき「6月」に向けて動き出す中、それなりのボリュームがある12月期決算会社は月末に一足早い株主総会シーズンを迎える。

そこから間断なく始まっていく「株主総会」というビッグイベントの季節。

1年前は、ちょうどこの頃から「新型コロナ」の脅威が目に見えて広まっていき、もっぱらその話題だけでシーズンが終わってしまったようなところもあった。

今も依然として首都圏は緊急事態宣言下だから、リスクが消えたというわけでは全くないのだが、6月、9月、12月、といくつもの波を超えてある程度「感染症対策オペレーション」も定着しつつある状況*1だけに、「初めてのバーチャル総会」に踏み切るような会社を除けば、昨年ほど冷や冷やする経験はしなくても済む可能性は高い。

だが、今年はまた違う波が押し寄せようとしている。

それは、関係者の方々には改めて申し上げるまでもない「令和元年会社法改正」

元々、この改正自体は、当初、過去に議論されてきたものに比べるとテクニカルな改正、という印象が強いもので、国会論戦でも話題になった株主提案権の濫用制限*2や、株主総会資料の電子的提供制度の創設、上場会社等の社外取締役設置義務化、といった「目玉」はあるものの、全体としてみれば”小粒”の改正事項が多い、と受け止める人も多かったはずだ。

そう、確かに一つ一つを見れば小粒で、細かい話が多いのは確かなのだが、細部にまで目を行き届かせないと思わぬところでトラップにはまる、というのもこの世界の怖いところ。

しかも、これまでは4月1日施行、5月1日施行と、3月決算期末の会社には優しかった「施行日」の設定が、今回に関しては何と「3月1日施行」ということで、6月総会の会社はもちろん、3月総会の会社にすら、施行後ただちに影響が及ぶ、というこれまでにない事態になったことが、ここに来ていろんなところにじわじわと波紋を広げているような気がする。

例えば、今月に入るか入らないかくらいのタイミングで開示され、先週くらいからは手元にも届き始めた12月期決算会社の定時株主総会の招集通知などは、一見変わっていなさそうで、役員選任議案の注記にちょっとだけ新しい項目が付け加わっている。

「候補者を被保険者とする役員等賠償責任保険契約を締結しているとき又は当該役員等賠償責任保険契約を締結する予定があるときは、その役員等賠償責任保険契約の内容の概要」

役員等賠償責任保険契約、いわゆるD&O契約に関する規律が会社法上設けられた(430条の3)、ということは以前から話題になっていたし、これに対して利益相反取引規制が適用されない(第2項)、とか民法108条が適用されない(第3項)、ということが明記されたことには意味があるとしても、これらの保険の内容について取締役会の承認決議を経た上で対応していた会社は既に多かったと思われるし*3、「全員特別利害関係がある中でどうやって決議を取るんだ!?」といった頭の体操のような話はあったものの*4、何となく慣習的に定着していた運用も多かったから、この実体的規律に関しては、そこまでの影響はない、というのが自分の印象でもあった。

ところが、そこからさらに「開示」にまで踏み込まれたことで、実務は騒がしくなる。

会社法施行規則が定めたのは、先述した役員等の選任に関する議案における開示(規則第74条1項6号など)と、事業報告への記載(規則121条の2)だが、3月期決算会社だけが意識すればよかった後者の話とは異なり、前者に関しては微妙な施行日と「締結する予定があるとき」という微妙なワンフレーズによって、3月中の総会で役員選任を行う会社にまで影響が及ぶことになってしまったのである。

興味深いのは、この3月総会の招集通知が、ほとんどの会社にとって「初開示」となることもあってから、通常なら”横並び”になることが多いこの手の記載が、会社ごとに非常に個性的なものになっている、ということだろうか。

元々、1月の時点で、泣く子も黙る全国株懇連合会が公表した株主総会参考書類への「記載例」*5では、

「当社は、役員等賠償責任保険契約を保険会社との間で締結し、被保険者が負担することになる…の損害を当該保険契約により塡補することとしております。候補者は、当該保険契約の被保険者に含められることとなります。また、次回更新時には同内容での更新を予定しております。」

という表現が使われている。

随分とあっさりした記述のようにも思えるが、これは事業報告に記載すべき、とされている事項(規則121条の2)が

一 当該役員等賠償責任保険契約の被保険者の範囲
二 当該役員等賠償責任保険契約の内容の概要(被保険者が実質的に保険料を負担している場合にあってはその負担割合、塡補の対象とされる保険事故の概要及び当該役員等賠償責任保険契約によって被保険者である役員等(当該株式会社の役員等に限る。)の職務の執行の適正性が損なわれないようにするための措置を講じている場合にあってはその内容を含む。)

とかなり具体的に「概要」の中身が記載されているのに対し、株主総会参考書類での開示に関しては、先述のとおり、

「候補者を被保険者とする役員等賠償責任保険契約を締結しているとき又は当該役員等賠償責任保険契約を締結する予定があるときは、その役員等賠償責任保険契約の内容の概要」

というさっくりとした記述にとどまっていることや、紙幅に限りがある参考書類の特性を踏まえたがゆえのことなのだろう。

だから、このいかにも株懇らしい”書き方の流儀”に倣った会社も実際多かったのだが、この記載例をよく読むと、①(まだ選任されていない)「候補者」が「被保険者に含められる」というのは何となく居心地が悪いし、②「次回更新時には同内容での更新を・・・」というフレーズも何となく唐突な印象を受ける。

そのためか、蓋を開けてみると、随分と様々なバリエーションの「修正版」が登場している。

例えば、

「当社は、役員等賠償責任保険契約を保険会社と締結しており、被保険者がその職務の執行に関し責任を負うこと又は当該責任の追及に係る請求を受けることによって生ずることのある損害を、当該保険契約により塡補することとしております。各候補者が取締役に就任した場合は、当該保険契約の被保険者となります。また、被保険者の保険料負担はありません。なお、2022年1月に同内容での更新を予定しております。」(住友林業㈱、強調筆者、以下同じ。)

という記載は、前半こそ株懇モデルを踏襲しているが、後半に「取締役に就任した場合は」と入れることで①の違和感を解消し、加えて「保険料負担なし」という事業報告記載のエッセンスも取り込んでいる。

また、

「当社は取締役全員を被保険者とする役員等賠償責任保険契約を締結しており、被保険者である取締役がその職務の執行に関し責任を負うこと又は当該責任の追及に係る請求を受けることによって生ずることのある損害が填補されます。なお 、各候補者が取締役に就任した場合は、当該保険契約の被保険者となり、任期途中に当該保険契約を更新する予定であります。」(横浜ゴム㈱)

と、被保険者の範囲を記載した上で、①、②の違和感を解消するような記載に持っていった会社もある。

他の例としては、免責特約を明記した会社や、

「当社は、会社法第430条の3第1項に規定する役員等賠償責任保険契約を保険会社との間で締結し、被保険者が負担することになる株主代表訴訟費用、第三者訴訟費用及びその他付随費用を当該保険契約により塡補することとしております。当社取締役は当該保険契約の被保険者でありその保険料は全額当社が負担しております。なお、被保険者が犯罪行為等の違法行為を行った場合に生じる法律上の賠償責任等については塡補の対象外となっております。本議案において各候補者の選任が承認可決された場合、各氏は引き続き被保険者となります。また、次回更新時には同内容での更新を予定しております。」(バリューコマース㈱)

被保険者の範囲を全て開示した会社など、

「当社は、会社法第430条の3に規定する役員等賠償責任保険契約を締結しており、各候補者が当社取締役に再任又は選任された場合には、各氏は当該役員等賠償責任保険契約の被保険者となります。なお 、当該役員等賠償責任保険契約の内容の概要は、以下のとおりであります。
①被保険者の範囲 当社及び当社子会社の役員、管理職従業員、役員と共同被告になった場合の従業員、他の従業員又は派遣社員からハラスメントなどの不当労働行為を理由に損害賠償請求を受けた場合の従業員、並びにこれらの被保険者の配偶者又は法定相続人
②内容の概要・保険料:当社が全額負担・保険事故:第三者による損害賠償請求、株主による責任追及等の訴え」(AOI TYO Holdings㈱)

とまさに多士済々といった感あり。

さらに興味深いのは、

「当社は、会社法第430条の3に基づき、以下の内容を概要とする役員等賠償責任保険契約を締結しております。各取締役候補者はすでに本保険契約の被保険者となっており、再任後も引き続き被保険者となります。本保険契約は2021年7月に更新の予定であります。
【保険契約の内容の概要】
①被保険者の範囲
 当社の取締役及び監査役、並びに当社の国内主要子会社の取締役及び監査役(契約後に就任したものを含みます)
②被保険者の実質的な保険料負担割合
 保険料は会社負担としており、被保険者の保険料負担はありません。
③填補の対象となる保険事故の概要
 被保険者の業務の遂行に起因して損害賠償請求がなされたことによって被る損害(法律上の損害賠償金及び争訟費用)について填補されます。
④役員等の職務の適正性が損なわれないための措置
 被保険者の故意、違法な私的利益供与、犯罪行為等による賠償責任に対しては填補の対象とされない旨の免責条項が付されております。」(大塚ホールディングス㈱)

といったように、まさに事業報告での記載を先取りするような開示を行っていた会社もあった、ということである。

自分はすべての保険会社のD&O保険の契約条件を見たわけではないが、一種の約款ビジネスである以上、この種の保険商品における被保険者の範囲や填補される保険事故、免責特約等の内容が、保険契約者となる会社ごとに大きく異なるとは考えにくく、

「株式会社が抱えているリスクを投資家が評価する際に保険契約の内容等がその指標として機能するため、株式会社が締結している役員等賠償責任保険契約の内容は、株主にとって重要な情報であると考えられる。」(前記一問一答・129頁、強調筆者)

という建前的な説明も、どちらかといえば読み流していたから*6、淡々と定型文で書けばよいではないか、と思っていたのだが、これだけ様々なバリエーションが世に出てくると、結ばれている保険契約の中身そのものより、

「何をここで開示すべき事項として捉えているか?」

という総会担当者や、その方々にアドバイスする顧問弁護士のセンスが問われているような気がして、正直ドキドキする。

ここで導き出されるべき答えは一つではない。

今や「取締役」の概念すらフリースタイルで論じる会社が出てくるような時代、あくまで民事的な規律としての性格が土台にある以上、同じ法律、同じ省令でも、その解釈は会社それぞれ自由であって良いと自分は思う。

ただ、いかに「最初」の開示タイミングだったとはいえ、これまで”個性”を没却させることこそが美、とされてきたような雰囲気もあったこの世界で、全体から見れば”些末”かもしれない項目であっても、これだけ様々なスタイルが登場してきている、ということにちょっとした驚きはある。

そして、役員報酬の決め方から、ダイバーシティ実現のプロセスに至るまで、様々なものをより会社に開示させようという動きが強まっている中で*7、今回の会社法改正は横並びの脱却を加速させる一つの「きっかけ」になるのかもしれないな、と、思い始めたところである。

*1:といっても3月総会の会社にとっては、まだ「様子見」だった1年前とは大きく異なる対応を求められるところもあって、気は抜けないところだとは思うのだが・・・。

*2:ささやかな波乱の末に~令和元年改正会社法成立 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~のエントリー参照。

*3:これは株主代表訴訟担保特約部分の保険料の会社負担について、税務当局が出した見解(新たな会社役員賠償責任保険の保険料の税務上の取扱いについて(情報)|国税庁)の影響も大きかったのだが、今回の会社法改正をもって、これもいずれ昔話になるのだろう。

*4:この点については、令和元年改正を踏まえた『一問一答』でも、「被保険者である各取締役が自らを被保険者とする部分についての議決に加わることがないように、それ以外の取締役で、順次、別個に議決する」という考え方と「取締役の全員が取締役会の決議について共通の利害関係を有している場合には、第369条第2項は適用されないという見解」が併記されており(竹林俊憲『一問一答 令和元年改正会社法』144頁)、立法的な解決までは図られていない。

*5:http://www.kabukon.net/pic/study_2021_01.pdf8~9頁。

*6:あえて開示するとしたら「D&O保険をかけているかどうか」だけで十分ではないか、というのが正直な思いである。

*7:元々は上場企業を対象としたいわゆる柔らかくないソフトローの文脈で要求されていた事柄だったが、今回の令和元年改正でハードロー側にも、その動きがかなりしみ込んできたような気はする。

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