開会式は”始まり”に過ぎない。

ああだこうだ言われながら何とかここまで来た・・・ということで迎えた東京五輪2021開会式

23区内で生活していても、近隣に競技会場があるわけでもなければ、車で移動することもない。

以前なら、それでも仕事の関係で好むと好まざると”ムード”に巻き込まれざるを得ないようなところもあったが、今はそんな煩わしさとも無縁だから、「57年ぶりの大イベント」と言われても、これまで実感が湧くことは全くと言ってよいほどなかった

とはいえ、どこの国で開かれていようが「オリンピックは見る」というのが自分の流儀。

特に開会式に関しては、直前まで”炎上マーケティング”さながらの様々な混乱が報じられていたこともあり、一種の”怖いもの見たさ”で久しぶりに地上波にチャンネルを合わせて眺めていた。

式典を構成していた一つ一つのプログラムについては、式典の最中から百花繚乱、SNS上で様々なコメントが飛び交っていたし、自分も所々で感じたことは呟いたから、改めてまとめるなら、パフォーマーの方々の体を張った演技は素晴らしかった(グラウンド上のロープアートやタップダンスからピクトグラムまで・・・)*1し、MISIA国歌独唱も今の日本国内の人選としてはベストオブベスト*2。ドローンを使った映像やプロジェクションマッピングの技術にも安堵した・・・というのが前向きな感想。

一方で、プログラム全体としての統一感は薄いんじゃないか、とか、伝えようとしていたメッセージが消化不良になってしまっていたのではないか、という疑問も当然ある。

「復興五輪」を掲げていながら、冒頭のカウントアップのスタートは2013年の「招致決定」からで、その背景にあった2011年の出来事が正面から取り上げられる機会はなかったこと、さらに、本当は新型コロナのずっと前から「東京五輪」に向けた動きには変調の兆しが多々見えていたのに*3、あたかも「新型コロナ禍」だけが時計の針を止めたかのように表現することの違和感は消えない*4

ただ、そういった複雑な感情を抱いてしまうのも、これが自分の国で行われている五輪であるがゆえ、この五輪の背景にある歴史や、五輪開催をめぐるゴシップ等々を知り過ぎているからであって、もしこれが異国で行われていた開会式で、何の先入観も持たずに見たらここまで変な感情を抱くこともなかっただろうから、ここまでの話に関してはこれ以上はもう良いかな、と思っている*5


むしろ、今回の開会式に問題があったとしたら、日が替わる直前まで「約4時間」もかかってしまったという事実の方で、特に選手の入場行進はあまりに長すぎた*6

もう何大会も前から「開会式が長すぎる」「アスリートファーストじゃない」と言われ続けている中で、今大会は「密集防止」という観点からも、”簡略化”を断行するには絶好の機会だったはず

行進するのは国名のプラカードと、旗手と、せいぜい選手団長と主将、副将くらいまでにしておけば、大幅な時間短縮はできただろうし、入場後の規律も保てたはずなのに、現実にはマスクを付けている以外はいつもの五輪と全く変わらないダラダラとした行進を2時間も続けてしまった。

入場テーマにゲーム音楽が使われたこと自体は画期的だったかもしれないが*7、行進に時間がかかりすぎてそれを繰り返し流さないといけなくなってしまった、というのはどうなのか・・・。

あと、最後の聖火リレーについても突っ込みたいところはもちろんあって、特に長嶋茂雄松井秀喜王貞治という国民栄誉賞トリオを登場させたことに関しては、”昭和”世代のバイアスを強く感じざるを得なかったし、逆に大坂なおみ選手を最終点火者にしたことについては、逆方向の政治的なバイアスを感じて、それはそれで複雑な気分になった。

大坂選手に関して言われていることのうち、人種云々に関しては、日本生まれの彼女が日本国籍を選択して、日本代表として五輪に出場している、という時点であれこれ言われる余地など一片もないと思うのだが*8「五輪」の最終点火者としてよりふさわしいアスリートがいなかったのか?という観点から眺めれば、議論されるべき余地は多々あるはずだ。

国際的なスポーツのトッププレイヤーで話題性もある、ダイバーシティというテーマにもまさにうってつけだから是非うちの看板に!というのは、広告業界的な発想としてはあり得るだろうが、そこに男女問わず、日本の五輪の歴史を紡いできたこれまでのレジェンド達への敬意はあったのだろうか?

そして何よりも、まだ五輪という舞台では何ら足跡を残していない大坂選手に、ある種の政治性すら感じさせる「最終点火者」という看板を背負わせることでアスリート生命にマイナスの効果が生じないか、ということも考慮されるべきではなかったか。

もし、彼女を起用するという案が出てこなければ長嶋茂雄氏に点火させる、という案が通っていた可能性があるのだとしたら*9、日本を救ったのは間違いなく大坂選手、ということになるだろうし、今大会、大坂選手が勝ち進んで金メダルまで持っていくようなことになれば、全ては杞憂となり、我々はただただ彼女の天賦の才と日々の努力に脱帽するほかない、ということになるのだが、”持ち上げた後に落とす”ことも稀ではないのがこの国のメディア。そして、登り詰めた場所が高ければ高いほど、引きずり下ろす力も強まるのもこの国の常、ということは、気に留めておく必要があると思っている。


開会式は、あくまで最初の「1日目」に過ぎない。

いつもの五輪なら、開会式を無事終わらせたらあとは流れに乗って・・・なんてこともできるのかもしれないが、今は足元でも他国に目を移しても新型コロナ感染者の増加傾向が止まらず、陽性判明で競技参加断念、という選手も連日出ている、という状況だから、大会がいつ途中で打ち切りになっても不思議ではない。

今は「辛うじて及第点」という評価の今年の開会式が、後々「素晴らしい式だった」と評されるか、それとも「失敗の象徴だった」と評されるかは、まさにこの先の15日間を無事乗り切れるか、にかかっているだけに、これ以上爆弾が暴発しないことを、そして、大会の”象徴”に祭り上げられてしまった大坂選手が、少しでも良い状況で”自分の出番”に臨めることを願っている。

*1:おそらく企画も構成も二転三転して、リハーサル段階に入ってからも様々なご苦労はあったのでしょうから・・・。

*2:個人的には女性シンガーなら平原綾香MISIA、だと思っていたのでこれは良かった。

*3:大会運営一つとってもスタジアム建設費問題からマラソンコースの移転問題まで迷走を繰り返した時期は長かったし、国内では競技団体をめぐるトラブル・選手に対するパワハラ問題等が各所で顕在化、海外でもドーピング問題等で国・地域間の深刻な対立が生じた時期でもある。さらに世の中の景気自体が2017年~2018年くらいをピークに下り坂に突入していた。

*4:そもそも、今こういう状況になっていることを知ってしまっている我々が「2013年」の「歓喜」の絵を見せられても皮肉にしか見えない。

*5:5年前の引継ぎセレモニーを見た時に願った「最高のチームで最高のショーを!」という願いはかなわなかったが(↓参照)、大会が1年延期され予算も切り詰められた状況で、この”精一杯”が全く評価されないのだとしたら、関係者は気の毒というほかない。k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*6:橋本聖子組織委員長とバッハIOC会長の”演説”が長すぎた、という意見も多いがそこに費やした時間はせいぜい20分程度で、式を長引かした最大の原因は「入場行進」にあるのは間違いない。

*7:自分くらいの世代になると、ゲームを「下」に見る、というような感覚は全くないし、音楽の世界でも「オーケストラの演奏会でゲーム音楽が楽曲として使われる」なんてことはザラだったから、全く違和感はなかった(ストレートに連想したのは、同じような曲調で長年馴染んできた「本馬場入場」だったりもしたのだが・・・)。逆に、関係者の喜びあふれるコメントに接して、「え、これまでそんなコンプレックスを持たれてたの?」とむしろ驚いたくらいである。

*8:そもそも純粋な「日本民族(?)」なんてどこにも存在しないのだから、国籍以外の要素で「日本人」の中に線を引こうとすること自体がナンセンスな発想である。

*9:そんな安直な発想をする関係者がいるとは考えたくもないが、そんな話になっていても不思議ではない恐ろしさが今の組織委にはある。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html