ここのところ世の中の動きが何かと慌ただしいのだが、最高裁でも月に二度の大法廷判決、というのはなかなかのインパクトだった。
特に話題になっている「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」の違憲判断(最大判令和5年10月25日)*1に関しては、今ここで詳細を論じられるほど深い検討をしているわけではないので軽々にコメントすることはできないのだが、行き着くところとしては、「戸籍上の性別」にどれだけの社会的意義を認めるか、という話に尽きるような気がしていて、そこに重きを置くかどうかで、今後の審理も含めた様々な判断への受け止め方がかなり変わってくるだろうな、とは思う*2。
一方、もう一つの大法廷判決、2022年参院選での「一票の格差」をめぐる判断(最大判令和5年10月18日)*3については、
「本件選挙当時、平成30年改正後の本件定数配分規定の下での選挙区間における投票価値の不均衡は、違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあったものとはいえず、本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたということはできない。 」(強調筆者)
という完全合憲判決で、反対意見を書かれたのも宇賀克也裁判官のみ、ということで、メディアでの取り上げられ方も比較的控えめだったな、という印象。
ただ、注目すべきこととしては、この前の参院選をめぐる大法廷判決(最大判令和2年11月18日)でも「不平等状態にあった」という意見を書かれた三浦守裁判官(検察官出身)に加え、今回尾島明裁判官(裁判所出身)までもが同様の「意見」を書かれている、ということで、結論としては多数意見を支持されているとはいえ、また新しい潮流の発現を感じさせる。
そして、何よりも今回の大法廷判決に強烈なインパクトを与えているのは、前記令和2年大法廷判決と同じロジックながら、より踏み込んで「一票の格差だけ」を論じ続けることへの疑問を投げかけた草野耕一裁判官の「意見」であろう。
「憲法は、国民の利害や意見を公正かつ効率的に国政に反映させるために選挙制度をどのようなものにするのかの判断を国会の裁量に委ねているのであって、投票価値の平等は、選挙制度の仕組みを決定する上で絶対の目標とすべきものではなく、選挙制度に内在する政策的諸問題の解決を図りつつ可及的に実現されるべきものである(投票価値の均衡に至高の価値を見いだす論者にとってこのような表現は「逃げ口上」のごとき印象を与えるかもしれないが、選挙制度を多角的視点から論じることは重要であり、投票価値の不均衡の問題の重要性のみを必要以上に強調することは、現行の選挙制度に内在する他の重要な諸問題を論じる機会を奪ってしまう危険性を内包している。飽くまでも一例であるが、現在の国民と将来の国民との間における福利の適切な配分の観点から選挙権に係る年齢制限の問題につきどのように考えるか、などといった問題も重要であろう。)。」
「本件選挙当時における投票価値の不均衡につき、違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態(以下、本意見において「違憲状態」という。)にあったと判断するためには、選挙制度に内在する政策的諸問題をいかに解決するかという点に関する国会の裁量権に掣肘を加えることなく投票価値の不均衡を改善し得る制度改革案を模索し、そのような改革案が存在するにもかかわらず国会がその実施を怠っているといえることをもってその前提条件とすべきである(なお、そのような改革案の存在は当審が現行の選挙制度が違憲状態であると判断するために必要とするものであって、国会が自ら裁量権を行使して他の改革案を実施し、もって違憲状態を解消することを妨げるものではない。この点を含意させるべく、以下、上記の改革案を「デフォルト改革案」という。)。」(29頁)
「定数増加案は都道府県本位選挙制度の理念も(国会自体には不利益が生じないために)国会の立法裁量権も否定することなくジニ係数を効率的に改善し得るという点において最適なデフォルト改革案といい得るが、国会活動の効率性の低下という具体的不利益を国民にもたらすものでもある。この点に鑑みるならば、定数増加案の存在を根拠として投票価値の不均衡が違憲状態にあるというためには、投票価値の不均衡が存在することによって一部の国民が実際に不利益を受けているという疑念(以下「不利益疑念」という。)の根拠となる事実が立証されるべきであろう(これを立証するためには投票価値の不均衡と一部の国民が受ける不利益との間に有意な相関関係がある程度の立証で足りると解すべきであることは前回意見で詳述したのでここでは繰り返さない。なお、不利益疑念の根拠となる事実が立証されることは、どの選挙区の定数をどれだけ増加させれば不利益疑念が解消され、ひいては違憲状態が解消されるのかを見極める上においても有用である。)。しかるに、本件においては、不利益疑念の根拠となる事実の立証は一切なされていない(なお、最近公表された研究論文では、少なくとも交付金の配分に関する限り不利益は生じていないことを示唆する検証結果が報告されている。齋藤宙治・田中亘「参議院議員定数不均衡と交付金配分-草野耕一裁判官の「条件付き合憲論」を踏まえた統計分析の試み-」『社会科学研究』第74巻参照)。」(31~32頁)
上記意見に対しては、「選挙区の単位としてできる限り都道府県を用い続ける制度を優先させて検討を行うべき」として、「定数増加案」といういかにも顰蹙を買いそうな案を「デフォルト改革案」とする論理構成自体に、合憲の結論に持っていくための恣意性を感じる、という反発も当然出てくるだろう*4。
ただ、これまで、「一票の格差」=「悪」ということを所与の前提として、選挙のたびに繰り返されてきたワンパターンな主張に辟易していた者にとっては、草野裁判官の意見は実に新鮮なものに映るし、このアプローチの下でも「疑念」の存在を裏付けるような論証ができてこそ、「一票の格差解消」運動の説得力が増すのではないかと思っている。
いみじくも、つい先日行われた参院徳島・高知選挙区補選で、徳島県内の投票率が23.92%、という衝撃的な低さを記録したことで、これまでの「格差解消」の方向性にもまた変化が訪れる、そんな気がするだけにこの後の動きに注目してみたい。
*1:令和2年(ク)第993号、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/446/092446_hanrei.pdf
*2:この辺は「夫婦同氏制」の問題とも共通するところは多い気がする。
*3:令和5年(行ツ)第52号、第53号、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/431/092431_hanrei.pdfほか
*4:筆者自身も今の時代に「都道府県」という単位に固執することにどれだけの意味があるのだろうか・・・と思っているクチではある。