実務サイドからさらに斬り込んだ「放映権」へのアプローチ~ジュリスト2022年4月号より

時代は変わった。

プロ野球中継(もっぱらパ・リーグのみ)は、テレビではなく「Yahoo!プレミアム」で見るようになって久しい。

サッカーといえば今やDAZNの独壇場で、加入していなければW杯予選すら見られない時代になってしまったし、逆にこれまでライブの映像に触れることが難しかった女子サッカーソフトボールの国内リーグ戦がアプリで見られるようになったりもしている。

そして極めつけは今日の村田諒太とゴロフキンの世紀の一戦の独占生配信。

普段は、こと動画視聴に関しては宝の持ち腐れのようになっている「Amazonプレミアム」だが、今日ばかりは会費を払っててよかった・・・と心から思った*1

ということで、ビジネスという観点からは年々大きく変わってきているのが「スポーツの試合映像の放映」の世界なのだが、そんな中、ジュリスト誌で久々にこの話題に触れる機会があった。

しばらく連載が続いている『実践 知財法務』シリーズの第6回として掲載された、小坂準記弁護士の「スポーツー放映権に関する契約の最新実務」*2である。

思えば、この前に同じジュリスト誌に掲載された『スポーツビジネスと知的財産』という特集記事を横目に箱根駅伝を見たのは、もう4年前の正月のこと。

その中の論稿の一つが池村聡弁護士の「プロスポーツと放映権」*3で、かの論稿では、巨額の取引が行われている実態がありながら法的には何ともつかみどころのない「放映権」を”理屈”を使ってどう説明するか、という高度な思考実験の一端に触れさせていただいたものだった。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

当時思ったことは↑のエントリ―にも少し書き残しているのだが、今回ジュリストに掲載された小坂弁護士の論稿では、この2018年の池村論稿も引用しつつ、放映権を”理屈”で説明しようとする試みに対し、実に思い切った姿勢が示されている。

「法的根拠を議論する実益は、放映権の帰属主体や無断撮影者への差止請求の可否に差異が生じるといい得るかもしれない。しかし、放映権の帰属主体は、プロスポーツ競技団体ごとに誰が管理・保有するのかを規約などによって明確にしていることが通常であり、実務上問題にならないように思われる。」
私見としては、そもそも放映権は明文規定に根拠のない権利であることに加え、放映権の内容も契約ごとに外延が多様であるため、法的根拠を上記①から③*4の見解のいずれかに限定する必要性は乏しく、むしろいずれの見解も法的根拠になり得ると解すべきであろう。」(以上69頁、強調筆者、以下同じ。)

これまで何となくお約束のように繰り返されてきた「法的根拠」をめぐる議論にバッサリと終止符を打つ一言。

さらに、その理由は次の項で明確に示されている。

「放映権を販売するために必要な権利を明確にする観点から、放映権の法的権利の内容や法的根拠を分析してきたが、実務上、これが契約書において明記されることは稀である。放映権契約書では、どのような媒体、目的等で放送・配信を行うのか、ということを列挙して許諾を行うことが通常であり、著作権法上の支分権で必要な権利を列挙したり、その法的根拠を明記して契約書を作成することは多くない。」
「もっとも大きな要因はビジネスにおいて実現したいことを明確に記載したほうが、契約当事者双方の理解に資するし、権利処理の『抜け漏れ』がなくなるためである。」(以上70頁)

契約書を形作るのは「法」ではなく、あくまでビジネスのニーズだ、という契約実務の鉄則を、これほどシンプルかつ明確に示した一文がこの『ジュリスト』という雑誌に掲載されたことがあっただろうか?と言いたくなるくらい美しい一文。

そして、これは放映権に限らず、全てのコンテンツライセンス契約、いや、ビジネスで用いられるありとあらゆる契約に共通することでもある、と自分は思う。

小坂弁護士は、これに続けて、

「このような実務慣行に照らせば、スポーツの試合映像のビジネスを担当する法務担当者にとって重要な能力は、放映権の法的権利の内容や法的根拠を理解した上で、①映像製作時に必要となる放映権を販売するために必要な権利をすべて販売者が保有・管理している状態にするという「ライツ・マネジメント能力」と、②映像販売時に必要となる契約書の文言で、放映権販売戦略に従った適切な放映権の外延を文言として作成(ドラフト)するという「ドラフティング能力」であると考えている。」(70頁)

と述べられた上で、それぞれの「能力」に含まれる要素を、想定される様々なシチュエーションを盛り込みながらコンパクトにまとめて説明されている。

付随して取り込まれる様々なコンテンツへの目配り、多様化する販売形態を意識した戦略立案の重要性、さらにSNS上のプロモーションのための映像の一部利用からNFTをめぐる問題*5に至るまで、具体的な内容は、実際に本稿に接して読み取っていただくのが一番だと思うので、ここにはあえて書かないが、凝縮された記述から著者の実務経験の豊富さまで感じとれる、実務家が書くならこうでなきゃ、という美しい論稿。

そして、攻め抜かれた8ページにわたる論稿の最後に記された以下のフレーズから、この先の実務とそれを担う方々の更なる盛り上がりが生まれることを期待して、本エントリーのひとまずの締めとしたい。

「『放映権』という権利は法律上、存在しない。契約によって定義される用語である。そして、著作権法は対応する支分権や権利制限規定を十分に持ち合わせておらず、常にビジネスの後追いとなる。」
「激変する時代のスポーツ分野における知財法務は、時代のトレンドを機敏に掴み、クリエイティブな発想力に基づいて権利を自ら創っていくものだと考えている。新しいスポーツの未来は、こうしたクリエイティブな思考と的確な契約書ドラフティングにかかっているのではないだろうか。」(以上75頁)

*1:もっとも、かなり安定したWiFi環境にいたはずなのに、動画の方は結構乱れっぱなしでフラストレーションもそれなりにたまる視聴ではあったのだが・・・。

*2:ジュリスト1569号68頁(2022年)

*3:ジュリスト1514号42頁(2018年)

*4:本稿では、放映権の法的根拠に係る従来の議論を①施設管理権説、②肖像権説、③主催者説の3類型に整理してまとめている。

*5:NFTの現在の”ブーム”に対する著者のコメントも興味深い(74頁脚注16)。

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