最高裁判所裁判官・国民審査対象各裁判官の個別意見について(2021年版・その2)

4年間、という歳月の重さゆえ「連載」となってしまったこのシリーズだが、後編は第二小法廷・草野耕一裁判官から。
(前編は↓のエントリーをご覧ください。)
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

第二小法廷

草野耕一(弁護士出身)

2019年2月就任 2025年退官予定

まだ就任されてから2年8カ月ちょっとだが、就任直後の2019年中から積極的に個別意見を出しておられ、その中身も、歴代最高裁裁判官の中で一、二を争うくらいのインパクトを与えているものが多い。

あまりのインパクトゆえに、既にこのブログで紹介したものもいくつかあるのだが、そういったものについては過去のエントリーも引きつつご紹介することとしたい。

<反対意見>
■最大決令和3年6月23日(令2(ク)102)*1
夫婦同氏制をめぐる大法廷決定において、「福利の比較衡量」という切り口から、PDF7ページ分の反対意見を大展開された。
「夫婦同氏制を定めた本件各規定が,上記のとおり国会の立法裁量の範囲を超えるほど合理性を欠くといえるか否かを判断するに当たっては,現行の夫婦同氏制に代わるものとして最も有力に唱えられている法制度である選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民各位の福利とそれによって減少する国民各位の福利を比較衡量することが有用であると考える(ここでいう「福利」とは,国民各位が個人として享受する利益を意味するものであって,個人を離れた「社会全体の利益」や「特定の共同体又は組織の利益」は含まれない。)。憲法24条2項が,婚姻及び家族に関する制度について「個人の尊厳」に立脚したものであることを要請していることに照らすと,国民各位の福利に還元し得ない価値を考察の対象から排除して検討することは,同条適合性の判断に適していると考えられるし,また,このような観点からの検討は,(最終的には一定の価値判断を下すことが避けられないものの)論理則や経験則を用いて議論の妥当性を検証する余地を大きくすると考えられるからである。もっとも,比較衡量する福利が同種のものであるか,あるいは,関係する当事者間で取引の対象となり得るものである場合は格別,そうでない場合の福利に大小の順序付けを行うためには一定の価値判断が必要であるから,福利の比較衡量に関しても国民の代表者である国会の立法裁量は尊重されてしかるべきである。しかしながら,選択的夫婦別氏制の導入によって向上する福利が同制度の導入によって減少する福利よりもはるかに大きいことが明白であり,かつ,減少するいかなる福利も人権又はこれに準ずる利益とはいえないとすれば,当該制度を導入しないことは,余りにも個人の尊厳をないがしろにする所為であり,もはや上記立法裁量の範囲を超えるほどに合理性を欠いているといわざるを得ず,本件各規定は憲法24条に違反すると断ずべきである。なお,婚姻制度の中には,社会の倫理の根幹を形成している規定が含まれており(例えば重婚の禁止や近親婚の禁止を定めた規定がこれに当たる。),そのような規定については,国民各位の福利に及ぼす影響を微視的・分析的に考察するだけでは当該規定が国民にもたらしている利益の全体を把握することが困難であるかもしれない。しかしながら,戦前の「家」制度の下であれば格別,これを否定した現行の憲法と家族制度の下で,夫婦同氏制を定めた本件各規定が社会の倫理の根幹を形成している規定であるとみることが不適切であることは明らかであろう(さらにいえば,もし,夫婦同氏制に,人々の行動や意識の相互依存的関係を通じて,社会の構成員全般の福利を向上させる働きがあるとすれば,福利の比較衡量を行うことに対して上記と同様の方法論上の懸念が生じ得るが,そのような働きの存在が検証可能なほどの具体性をもって主張されたことはない。)。
「選択的夫婦別氏制の導入によって向上する国民の福利について氏は名とあいまって人を同定する上での重要な要素の一つであり,それまでの人生において慣れ親しんできた氏に対して強い愛着を抱く者は社会に多数いるものと思われる。これらの者にとっては,たとえ婚姻のためといえども氏の変更を強制されることは少なからぬ福利の減少となるであろう。さらに,氏の継続的使用を阻まれることが社会生活を営む上で福利の減少をもたらすことは明白であり,この点は共働き化や晩婚化が進む今日において一層深刻な問題となっている。婚姻に伴い戸籍上の氏を改めても社会生活上は旧姓の継続使用が可能である場面が拡大してきているものの,旧姓を使用し得る機会にはおのずから限度がある以上,二つの氏の使い分け又は併用を余儀なくされることになり,そのこと自体の煩わしさや自己の氏名に対するアイデンティティの希薄化がもたらす福利の減少は避け難い。以上を要するに,夫婦同氏制は,婚姻によって氏を変更する婚姻当事者に少なからぬ福利の減少をもたらすものであり,この点を払拭し得る点において,選択的夫婦別氏制は,確実かつ顕著に国民の福利を向上させるものである。なお,夫婦同氏制の下で氏を変更する婚姻当事者が被る福利の減少の一つとして「婚姻の事実を秘匿する利益」を確保することが困難となるという点が挙げられるので,この点について敷衍する。婚姻しているか否かという事実は,年齢,出身地,学歴などと並ぶ重要な個人情報であり,そうである以上,婚姻していることを秘匿したいと望む者がいるとすれば,その要求は尊重に値する。もっとも,婚姻の事実を秘匿したいと願う者たちの婚姻関係についても,その事実を知ることに福利の向上を見いだす他者がいることも事実である(例えば,企業の経営者にとって従業員が既婚者であるか否かを知ることは人事管理等の観点から有益であろう。)。しかしながら,婚姻の事実を秘匿することが尊重に値する利益であると認める以上,他者の婚姻に関する情報に需要を抱く者は当該他者に対して一定の誘因(インセンティブ)を与えることと引換えに婚姻に関する情報の開示を求めるべきである(さすれば,婚姻の事実を開示する不利益よりも提示された誘因の価値の方が大きいと思う婚姻当事者は情報を開示するであろうし,考え得る誘因よりも婚姻に関する事実を知ることの価値の方が大きいと思う情報需要者は当該誘因を現実に提示するであろう。)。情報の開示をめぐる交渉には一定の取引コストが発生するが,その点を考慮したとしても,情報の開示を当事者の交渉に委ねる方が(選択的夫婦別氏制はこれを可能とする。),婚姻当事者の意思に反して婚姻の事実を無償で開示することにつながり得る制度(夫婦同氏制がこれに当たる。)よりも関係当事者の福利の総和が増大することは明白であると思われる。」
「ア 婚姻当事者の福利に及ぼす影響 婚姻当事者にとって,夫婦で同一の氏を称することにより家族の一体感を共有することは福利の向上をもたらす可能性が高い。したがって,選択的夫婦別氏制を導入したとしても夫婦同氏を選択する夫婦も少なからず輩出されるはずであり,夫婦別氏を選択するのは,氏を同じくすることによってもたらされる福利の向上よりも上記 で指摘したところの福利の減少の方が大きいと考える夫婦だけであろう。これを要するに,選択的夫婦別氏制を採用することによって婚姻両当事者の福利の総和が増大することはあっても減少することはあり得ないはずである(なお,婚姻両当事者は多種多様な福利を分配し合える関係にあるのだから,両者の福利の総和が増大すればいずれの婚姻当事者の福利も増大する可能性が高い。)。」
「イ 子の福利に及ぼす影響 むしろ問題となるのは,夫婦別氏を選択した夫婦の間に生まれる子の福利である。なぜならば,子は,親とは別の人格を有する法主体であるにもかかわらず,親が別氏とすることを選択したことによって生ずる帰結を自らの同意なく受け入れなければならない存在だからである。そして,親の一方が氏を異にすることが,子にとって家族の一体感の減少など一定の福利の減少をもたらすことは否定し難い事実であろう。しかしながら,夫婦別氏とすることが子にもたらす福利の減少の多くは,夫婦同氏が社会のスタンダード(標準)となっていることを前提とするものである。したがって,選択的夫婦別氏制が導入され氏を異にする夫婦が世に多数輩出されるようになれば,夫婦別氏とすることが子の福利に及ぼす影響はかなりの程度減少するに違いない。また,現行法上,親は,子の福利に影響を与え得る諸事項(養育・監護,教育等)に関して大幅な裁量権を有しており,親が自己の正当な福利を追求するためにやむを得ず子の福利の最大化を達し得ないことがあるとしても,実現を断念される子の福利が子の人権又はこれに準ずる利益とはいえない限り,当該親の所為が裁量権の逸脱に当たるとは一般に考えられてはいないであろう。このこととの整合性(インテグリティ)という点から考えても,夫婦となる者が夫婦別氏を選択するか否かを決定するに当たり夫婦自身の福利と子の福利をいかに斟酌するかについては,これを親(夫婦)の裁量に委ねることが相当であり,夫婦別氏とすることが子の福利の最大化を妨げることがあるとしても,それは,夫婦が自らの福利を追求することを阻む事由とはならないというべきである。」
「ウ 親族の福利に及ぼす影響 (略)」
「エ 慣習としての夫婦同氏制 上記アからウまでに論じた者以外で婚姻当事者が夫婦別氏とすることによって福利の減少が生ずる者が存在するとすれば,夫婦同氏制が長きにわたって維持されてきた制度であることから,夫婦同氏を我が国の「麗しき慣習」として残したいと感じている人々かもしれない。しかしながら,選択的夫婦別氏制を導入したからといって夫婦を同氏とする伝統が廃れるとは限らない。もし多くの国民が夫婦を同氏とすることが我が国の麗しき慣習であると考えるのであれば,今後ともその伝統は存続する可能性が高い。また,人々が残したいと考える(「正の外部性が強い」といってもよいであろう)伝統的文化は我が国にたくさんあるところ(里山の景観,御国訛りのある言葉遣い,下町の人情味溢れる生活習慣,鎮守の森,季節を彩る諸行事など),これらの伝統的文化が今後どのような消長を来すのかは最終的には社会のダイナミズムがもたらす帰結に委ねられるべきであり(そのダイナミズムの中にはもちろんそのような伝統的文化を守ろうとする運動も含まれる。),その存続を法の力で強制することは,我が国の憲法秩序にかなう営みとはいい難い。夫婦同氏制もそのような伝統的文化の一つといえるのではなかろうか(さらにいえば,関係当事者以外の者に対して生み出す正の外部性という点においては,夫婦同氏制は上記に例示した伝統的文化よりもその効用が不明確であるように思える。)。したがって,選択的夫婦別氏制を導入した結果,夫婦同氏が廃れる可能性が絶対にないとはいえないとしても,それが現実のものとなった際に一部の人々に精神的福利の減少が生ずる可能性をもって,婚姻当事者の福利の実現を阻むに値する事由とみることはできない。」
「オ 戸籍制度に及ぼす影響 選択的夫婦別氏制の実施を円滑に行うためには戸籍法の規定に改正を加えることが必要であり,その内容については法技術的に詰めるべき部分が残されている。しかしながら,選択的夫婦別氏制の導入に伴い上記改正がされたとしても,戸籍制度が国民の福利のために果たしている諸機能(親族的身分関係の登録・公証機能,日本国民であることの登録・公証機能等)に支障が生ずることはないであろう。」
「以上によれば,選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民の福利は,同制度を導入することによって減少する国民の福利よりもはるかに大きいことが明白であり,かつ,減少するいかなる福利も人権又はこれに準ずる利益とはいえない。そうである以上,選択的夫婦別氏制を導入しないことは,余りにも個人の尊厳をないがしろにする所為であり,もはや国会の立法裁量の範囲を超えるほどに合理性を欠いているといわざるを得ず,本件各規定は,憲法24条に違反していると断ずるほかはない。」


<意見>
■最二小判令和元年9月13日(平成30(受)1874)*2
諫早湾干拓事業をめぐる請求異議事件で、経済的価値の利益衡量の視点を強調した意見を出されている。
最高裁が示した「模範解答」 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~をご参照のこと。


■最二小判令和2年10月9日(平成30(受)2032)*3
家裁調査官論文事件で、多数意見のプライバシー侵害に係る判断理由が自らの意見と異なる、として、以下のような論理で公表行為の不法行為該当性を否定した。
「Aが本件プライバシー情報を知り得たのは,ひとえにAが少年法に基づき本件保護事件を調査する権限を担当裁判官から与えられた結果に他ならない。そうである以上,Aが本件プライバシー情報を学術目的等に利用し得る場合があるとしても,被上告人の改善更生という同法の趣旨に抵触する態様で本件プライバシー情報を利用することは許されないというべきである。本件は,この点において,一般のプライバシー侵害案件に使われる判断枠組みだけでは適切な評価を行い得ない事案である。」
「Aは,本件保護事件が不処分により終了してから僅か半年後に本件公表を行っており,この時点において,被上告人は,高等学校の生徒として多感な時期にあったことがうかがわれる。また,原審の認定によれば,本件論文の記載内容は,被上告人に関する情報を有している読者が対象少年を被上告人と同定し得る可能性を否定することができないものであったというのである。しかも,本件プライバシー情報の中には,被上告人が幼年時代に経験した深刻な出来事等も含まれており,多感な時期にあった当時の被上告人が本件公表の事実を知ったならば,いかほどの精神的苦痛を受けたか,そして,そのことが被上告人の改善更生にいかほどの悪影響を及ぼしたか,これらのことに思いを致すと,おそれにも似た感慨を抱かざるを得ない。以上の点に鑑みれば,本件公表の目的が本件疾患の症例報告により公益を図ることにあったとしても,本件公表における本件プライバシー情報の利用は,被上告人の改善更生という少年法の趣旨に抵触する態様のものであったというべきである。」
「しかしながら,本件においては,本件公表によって被上告人が本件論文の対象少年であることが他者に同定されたということはできず,被上告人自身は,本件公表から7年以上が経過した後になって,被上告人の十分な成長を見届けたAが自発的に告知したことにより本件公表の事実を知ったことがうかがわれ,その結果と本件公表との間に相当因果関係があるということはできない(なお,Aによる上記の告知が,被上告人に対する不法行為に当たるか否かは別論である。)。そうである以上,本件公表によってプライバシー侵害の結果が現実化したということはできず,本件公表が被上告人に対する不法行為に当たるということもできない。」


■最二小判令和2年10月23日(令和2(行ツ)79)*4
参院比例代表選挙における特定枠制度が憲法43条1項に違反するかどうかが争われた事件において、違憲無効ではないという多数意見を支持しつつ、そもそも拘束名簿式比例代表選挙を「伝統的選挙制」と同等に扱うのは妥当ではない、として以下のように述べた。
「本件改正により導入されたいわゆる特定枠制度は,全面的に非拘束名簿式比例代表制により行われていた参議院比例代表選出)議員選挙の一部に拘束名簿式比例代表制を導入するものである。前記のとおり,拘束名簿式比例代表制は,政党内における当選人となるべき順位に有権者による投票結果が反映されないから,候補者及び当選人となるべき順位の決定が専ら政党に委ねられ,有権者は政党を選ぶことしかできない制度であるということができる。これに対し,伝統的選挙制は,有権者が候補者個人を直接選択することができる点で明らかな差異がある。また,非拘束名簿式比例代表制は,拘束名簿式比例代表制と同様に,政党の選択という意味を持たない投票を認めない制度ではあるものの,当選人となるべき者の順位が各候補者の得票数に応じて定まる点において,拘束名簿式比例代表制とは異なる。拘束名簿式比例代表制は,その選挙制度の仕組み自体が,伝統的選挙制に比して,国民と候補者ひいては当選人(議員)との距離が遠い制度であるということができる。」
「我が国においては,現行憲法の制定前後を通じ,昭和57年の公職選挙法の改正により参議院について拘束名簿式比例代表制が導入されるまでは両議院の選挙は全て伝統的選挙制により行われ,その後も,両議院のいずれについても過半数の議員は伝統的選挙制により選出される選挙制度とされてきた。上記の参議院の拘束名簿式比例代表制は,平成12年の同法の改正により非拘束名簿式比例代表制に改められたが,その理由として,拘束名簿式比例代表制が「候補者の顔の見えない選挙である」などの批判があったことは多数意見も摘示するとおりである。」
憲法は,両議院の各選挙制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の裁量に委ねており,国会は,その裁量により,公正かつ効果的な代表を選出する目標を実現するために適切な選挙制度の仕組みを決定することができることは,これまで当裁判所の判例が指摘するとおりである。拘束名簿式比例代表制には上記のように伝統的選挙制とは明らかな差異があり,また,同じ名簿式比例代表制でも投票結果を当選人となるべき順位に反映することができる非拘束名簿式比例代表制も選択し得るのであるから,国会が拘束名簿式比例代表制を導入するに当たっては,以上に述べたような選挙の仕組み自体の特性を十分に考慮する必要があると考えるところである。ただし,政党が国民の政治意思を形成する有力な媒体であることなどを踏まえれば,拘束名簿式比例代表制参議院議員選挙の一部に導入すること自体が国会の裁量権の限界を超えるものとはいえないであろう。そして,本件改正後の公職選挙法においては,参議院議員の総定数は248人であり,そのうち比例代表選出議員は100人であるところ,政党が特定枠の候補者となし得るのは,法文上,名簿登載者の一部の者に限定されていることなどからすれば,本件改正により特定枠制度を導入したことが国会の立法裁量の範囲に属さないとはいえない。」
「したがって,以上の見地に立って検討しても,本件選挙が違憲,無効となる余地はないものと考えるところである。」


最大判令和2年11月18日(令2(行ツ)78)*5
2019年参院選の定数配分をめぐり、3.00倍の較差を「違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあったものとはいえず」違憲ではない、とした多数意見の結論に賛同しつつも、「それに至る理由は多数意見とはいささか異なる」として、以下のようにジニ係数を駆使した論証を駆使して、ドラスティックな「条件付き合憲論」による問題解決を提唱された*6
「投票価値の不均衡問題に関してこれまで当審が用いてきた主たる指標は「最大較差」である。確かに,最大較差は簡明な概念であり,しかも,当審と立法府のいずれもがこの指標を使ってこれまで様々な議論を進めてきたという経緯を踏まえると,当審と立法府の間の相互作用の歴史に鑑みて合憲・違憲の判断を行おうとする場合には取り分け有用な指標であるといえるであろう。しかしながら,最大較差は,最も大きな投票価値を与えられている有権者と最も小さな投票価値しか与えられていない有権者の違いのみに着目した概念であるがゆえに,最も小さな投票価値しか与えられていない有権者がいかに自分が不利益を受けているかを訴えるための指標として用いるのであれば格別,選挙制度全体における投票価値の配分の不均衡を論ずるための指標としてはいささか精度を欠いているといわざるを得ない。そこで,最大較差を補完する分析概念として,利益配分の不均衡を評価する指標として統計学上広く使われているジニ係数を用いることを考える
「当審が参議院議員定数の不均衡が違憲状態にあると認定した平成22年選挙と平成25年選挙のジニ係数はそれぞれ22.97%と20.55%である(図2は平成25年選挙のローレンツ曲線を示している。)。これらの値と比べると14.22%という本件選挙のジニ係数はかなり低い数字であり,本件選挙における議員定数の不均衡状態は,平成22年選挙時や平成25年選挙時の状態に比べればかなり改善されているといえる。しかるに,現在の選挙区選挙の総定数,選挙区割り及び各選挙区に最低2人の定数を配分することを前提とする限り,本件選挙当時の各選挙区への定数の配分は投票価値の不均衡に最大限配慮したものであり,れ以上のジニ係数の改善を望むことは非現実的である。なぜならば,有権者1人当たりの議員数が非
常に多い都道府県(福井県佐賀県)の議員定数を2人未満とすることが憲法上許されないと解する限り(この点について異なる解釈を採る可能性について3(2)項で述べる。),状況を改善するためには有権者1人当たりの議員数が慢性的に少ない都道府県(神奈川県,東京都,大阪府等)の議員定数を増やすしかないが,それを行うためには議員定数が4人か6人の都道府県の定数を減らすしかなく,そのような選挙区であって有権者1人当たりの議員数が比較的多い選挙区はほとんど残っておらず,強いてそれを実行すれば,確かにジニ係数は僅かに改善するものの,他方において,本件選挙で宮城県新潟県において起きたように有権者1人当たりの議員数が更に少ない都道府県を生み出してしまう結果となるからである。」
「しからば,選挙制度をどのように変更すれば投票価値の不均衡を改善することが可能となるのか。また,考え得る改善案を踏まえて当審としていかなる判断を下すことが適切であるのか。これらの点について,以下検討を加える。」
(略)
「以上の点に鑑みるならば,大ブロック選挙区案と自由区割り案のいずれに関しても,その実施は立法府憲法上与えられている裁量権の範囲内において自律的に決定すべきことであり,それを立法府が実施しないことを理由に当審が違憲判断を下すことは,選挙制度の立案を国会の裁量に委ねた憲法47条の趣旨に反するといわざるを得ない。」
「次に,投票価値の不均衡を解消することはできないものの,状況を大幅に改善し得る改善案,より具体的にいえば,ジニ係数を現在の半分以下とする程度の改善を見込める案について考える。思うに,そのような改善案は理論上はいくつか考え得るが,そのうちで,国民の一定割合以上の支持が得られるであろうものは次の二つだけではないであろうか。その第一は,現在の比例代表選挙を廃止し(あるいはその定数を大幅に減少させ),廃止(又は大幅な減少)によって生じた余剰定員を有権者1人当たりの議員数が少ない選挙区から優先的に割り当てていくというものである(以下,この案を「比例区廃止案」という。)。例えば,比例代表選挙を全廃し,これによって生ずる100人の余剰定員を(本件選挙の各選挙区の有権者数を前提とした上で)上記のように割り当てた場合,ジニ係数は6.19%に減少する(図4はそのローレンツ曲線を示している。)。もう一つの改善案は,現在の選挙区割りを前提として1人を含む奇数の議員定数から成る選挙区を作り出すというものである(以下,この案を「奇数定数案」という。)。徹底した奇数定数案を実施すれば,比例区廃止案と同等か,場合によっては,それ以上にジニ係数の引下げを見込むことができる。しかしながら,上記二つの改善案のいずれに関しても当審がその実施を立法府に求めることには問題があるといわざるを得ない。第一に,比例区廃止案は大選挙区の長所を最大限に有している比例代表選挙を廃止(あるいは定数を大幅に減少)するという重大な政策判断を伴うものであり,司法府が,立法府比例区廃止案を実施しないことをもって違憲状態であるとの判断をし,その実施を立法府に強いることは憲法47条の趣旨に反する。第二に,私は奇数定数案の実施は憲法上可能であり,その実施が国政に及ぼす影響はこれまでに論じたいずれの改善案よりも小さい
と考えるものではあるが,全ての選挙区の議員定数を偶数としている現行の制度が憲法46条の趣旨に最もかなうものであることは否定し難く,そうである以上,司法府が,立法府が奇数定数案を実施しないことをもって違憲状態であるとの判断をし,その実施を立法府に強いることもまた憲法47条の趣旨に反するといわざるを得ない。」
「では,投票価値の不均衡の大幅な改善はできないものの,現状に少なからぬ改善を加え得る案としてはいかなるものがあるか。最初に思い至るのは,有権者1
人当たりの議員数が多い選挙区に関して合区を実施することであろう。合区は既に実施されており,合区を増やすことは,これまでに述べた各改善案とは異なり現行の選挙制度に重大な変更を加えることなく実現し得るものである。しかしながら,合区を増やしてもジニ係数に著しい変化は生じない。なぜならば,議員定数の変動がジニ係数に及ぼす影響という点において最も効率的な改善方法は有権者1人当たりの議員数が少ない選挙区の議員定数を増やすことであり,最も非効率的な改善方法は有権者1人当たりの議員数が多い選挙区の議員定数を減らすことであるところ(この点は1項に記した①と②の合理的仮定から必然的に導き出される結論である。),有権者1人当たりの議員数が多い選挙区に関して合区を実施して当該選挙区の議員定数を減少させることはこの最も非効率的な改善方法の実施に他ならないからである。」
「他方において,合区には,①対象選挙区の有権者の政治参加意識に悪影響をもたらす,②対象選挙区の間に大きな人口差がある場合,より人口の少ない選挙区の住民に被差別感が生ずるなどの弊害が生ずることがつとに指摘されており,しかも,合区の対象となる選挙区の多くは過疎化対策に腐心している地域である。これらの諸点を比較衡量すると,合区を増やすことを怠っているがゆえに現行制度は違憲状態にあるとすることが適切な判断であるとはいい難い
「もっとも,合区を増やせば余剰定員が発生するのでそれを有権者1人当たりの議員数が少ない選挙区の議員定数の増加に充てることが可能となり,これは前項で論じたところの最も効率的なジニ係数の改善方法に当たる(図1のローレンツ曲線と図5のローレンツ曲線がジニ係数において2%弱の差しか生じていない一つの理由は,本件選挙にお主党・公明党等の改正案と同じ議員定数の増加を諸般の方法〔選挙区選挙の総定数を2人増やすことを含む。〕を通じて達成しているからである。)。そうすると,効率的にジニ係数の改善を図り,しかも,一部の選挙区の住民に疎外感や被差別感を与えることなくそれを達成するには,総定数を若干名増員し,これを有権者1人当たりの議員数が少ない選挙区の議員定数の増加に充てる方法が有効であることが分かる。例えば,本件選挙時において東京都と神奈川県と大阪府において各2人ずつ議員定数を増やしていたとすれば(すなわち,本件選挙の対象となる議員数を合計で3人増やしていたとすれば),それだけで本件選挙のジニ係数は11.76%となり,実際(14.22%)より約2.5%の改善を達成し得ていたのである。増加される議員数が少数である限り,その実施を国会に求めることが憲法43条2項等の趣旨に反することもないであろう。」
「ただし,総定数を増加させる方法は,国民に一定の負担を求めるものであるという問題をはらんでいる。もとより,増員された議員は国民の福利向上のために尽力するであろうし,国会も運営コストの増加を可及的に回避すべく努力するであろうが,議員数の増加は結果として国会の運営コストを高める公算が大きい。このことを踏まえて考えると,当審が議員定数の増加により投票価値の不均衡の改善が可能であることを理由に違憲判断を下すためには,投票価値に不均衡があるからという抽象的理由だけでは不十分であり,新たな負担を求めることについて国民の理解を得るに足る具体的事実を司法の場において明らかにすることが必要であろう。」
「以上の検討によれば,総定数を若干名増加する方策により投票価値の不均衡を効率的に改善することが可能であるといい得るものの,この方策が国会の運営コストを高める可能性があることからすれば,この方策を十分に講じていないことをもって本件選挙時における投票価値の不均衡が違憲状態であるとの判断を直ちに下すことは困難であるといわざるを得ない。ただし,上記の考えに一定の修正を加えればこれを実践的問題解決能力を備えた見解となし得るように思われる。それは,投票価値の現状における不均衡状態を一応合憲とは認めるものの,投票価値の不均衡が存在することによって一定の人々が不利益を受けているという具体的かつ重大な疑念(以下「不利益疑念」という。)の存在が示された場合にはこれを違憲状態と捉え直すというものである(以下,この考え方を「条件付き合憲論」という。)。条件付き合憲論が求める不利益疑念の立証は,決して投票価値の不均衡と一定の人々が被っている不利益の間の因果関係の厳密な証明を求めるものではない(そのような証明はそもそも不可能であろう。)。ただし,問題とされている不利益の発生に影響を及ぼし得る他の要因も考察の対象に加えてもなお投票価値の不均衡と当該不利益との間に有意な相関関係が存在することを示すことは必要であり,かつ,それで十分である。」
「条件付き合憲論は、3(4)で述べた問題点を克服するものである。すなわち、不利益疑念が立証されれば,追加の負担をしてでも投票価値の不均衡を改める必要があることについて国民の理解を得ることが可能となろう。さらに,条件付き合憲論の下では,不利益疑念を払拭し違憲状態を解消するためには議員数を何人程度増やすべきであるのかが明らかになるため,議員数を何人程度増やせば違憲状態を解消し得るかを当審として示すことが可能となる(この点について敷衍すれば,例えば,不利益疑念の立証手段として,一定数の有権者〔又は「一定数の住民」〕当たりの議員数を説明変数の一つとする重回帰分析を用いれば,当該説明変数の回帰係数が有意な値でなくなるためにはどの選挙区の議員定数をどれだけ引き上げたらよいかを考えることにより不利益疑念の払拭に必要な議員増加数を特定することができる。)。不利益疑念の立証がなされることによって初めて,当審は,いかにすれば違憲状態を解消し得るかを理由中で示した判決を下し得るのである。以上の理由により,私は条件付き合憲論こそが当審の採るべき立場であり,本件においては不利益疑念が立証されていないがゆえに,現状における投票価値の不均衡が違憲又は違憲状態にあるとはいえないと考えるものである。なお,不利益疑念が発生する状態は二つに大別して考えることができる。その一つは有権者1人当たりの議員数が少ない選挙区の住民がひとしく不利益を受ける場合であり,もう一つは,一定の政治的信条を有する人々が,各自が居住する選挙区のいかんにかかわらず不利益を受ける場合である。前者の不利益が発生するとすればそれは国の都道府県に対する交付金補助金の配分など,計測が容易な事象に関するものである場合が多いであろうから,(不利益が実際に生じている限り)伝統的な統計学の技法によって疑念を立証することができるであろう。後者の不利益は,例えば一定の政治的信条を有する国民が有権者1人当たりの議員数が多い選挙区に偏在していると仮定した場合において,当該信条が過度に国政に反映されることの結果として当該信条にくみしない国民に関して発生するものである。このような不利益に関しても実証分析の手法を工夫すれば(不利益が実際に生じている限り)不利益疑念の証明は可能であると思料する。」

明確に「反対」意見を表明されているのは、夫婦同氏制に関する大法廷決定だけだが、他の「意見」として述べられているものに関しても、結論は同じながらそこに至るまでの間の論理構成は実に独創性に富んでおり、その象徴ともいえるのが、2019年参院選一票の格差」事件におけるグラフを駆使した”政策提言”だろう。そして、これらの意見の多くがボリュームだけで多数意見を圧倒している。

いわゆる「法と経済学」的なロジックを駆使した論旨に対しては、好みも分かれるところだとは思う*7。ただ、ある意味、一貫して揺るぎない一連のロジックスタンスが最高裁の判断に新風を巻き起こしているのは確かで、それが下級審レベルでの主張の攻防にまで影響してくるようになれば、一種の予定調和の中で回っているようなところがある訴訟実務の世界も変わっていくのだろうな、と感じているところである。

続いて「補足意見」。ここでもユニークなものが多い。

<補足意見>
■最二小判令和元年9月6日(平成30(受)1730)*8
医療給付の支払主体が交通事故による損害賠償請求権を代位取得した場合の遅延損害金の起算日について、(不法行為発生時ではなく)「給付が行われた日の翌日」からの遅延損害金の支払請求を認めた法廷意見の結論を支持しつつ、その理由づけについて以下のように述べた。
「私は主文どおりの判決を下すべきであると考える点において多数意見に賛同するものの,それに至る理由においては多数意見といささか考えを異にするものである。結論からいうと,多数意見は上告人が後期高齢者医療給付を行った日以前の期間に対する遅延損害金を被上告人に対して請求できないのは当該遅延損害金の支払請求権が法58条所定の代位取得の対象外であるからとするが,私は当該期間に関してはそもそも遅延損害金は発生しておらず,したがって上告人がこれを取得する余地はないと考えるものである。以下そう考える理由を説明する。」
「一般論としていえば,不法行為の被害者には不法行為がなされた直後から様々な損害が現実化するものであり,これらの損害に対する賠償請求権に関しては遅延損害金もまた(多数意見が言及するところの判例法理によって)不法行為がなされた直後から発生するものである。そのような状況においては法58条やこれに相当する保険法制度上の諸規定が定める代位取得の対象を損害金の元本に限定すると解釈することに積極的意義があり,多数意見が引用している最高裁平成24年2月20日第一小法廷判決はまさにそのような事案に関する法理を示したものである。しかしながら,本件の後期高齢者医療給付の塡補の対象となった損害は,被害者が本件事故によって被った損害一般ではなく,被害者が特定の医療機関から特定の時期に医療役務を受けたことによって発生した金銭債務に関するものであり,このような損害に関しては,それが現実化してはじめて遅延損害金が発生すると解すべきであり,本件においてはそのような損害が現実化する都度後期高齢者医療給付が行われてきたとのことであるから,当該給付日以前においては遅延損害金が生じる余地はなかったと解すべきである。もっとも,金銭債務の弁済によって現実化する損害に関しても不法行為がなされた時に遡って遅延損害金が発生するという考え方がないわけではなく,現に,不法行為と相当因果関係に立つ弁護士費用の賠償請求権に関して当該不法行為の時に遡って遅延損害金が発生するとしている判決も存在している(最高裁昭和55年(オ)第1113号同58年9月6日第三小法廷判決・民集37巻7号901頁参照。ただし,同判決は勝訴判決の確定を支払条件とする弁護士費用(それは一般に「謝金」あるいは「成功報酬」と呼ばれている。)を対象とするものである。)。しかしながら,このような考え方を被害者が第三者に対して負担する金銭債務一般に及ぼすことは現代社会における人々の行動原理の重大な要素の一つである「金銭の時間的価値」という観念に抵触し,不法行為時から相当期間が経過した後に発生した金銭債務に関する損害の要賠償額を実体に比して過大とする傾向を生み出すものである。してみれば,前掲の昭和58年最高裁判決の法理は少なくとも本件には及ばないと解するのが相当であり,本件において上告人が後期高齢者医療給付を行った日以前の期間に対しては遅延損害金は発生しておらず,そうである以上,上告人がこれを取得する余地もなかったと考える次第である。」


■最二小判令和2年2月28日(平成30(受)1429)*9
貨物運送会社の従業員が自ら負担した対第三者損害賠償額を使用者に求償することの是非が争われた事件において、菅野博之裁判官との連名で、使用者、被用者の負担のあり方について法と経済学的視点での分析を交えた補足意見を書かれている。
判決に付された「意見」に込められた裁判官の思い。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~をご参照のこと。


■最二小判令和2年3月6日(平成31(受)6)*10
土地売買に関し、不動産移転登記の連件申請のうち、前件申請が無権限者によるものと判明した事例において、後件申請を委任された司法書士に注意義務違反あり、とした原審判決を破棄差戻とした法廷意見を補足して、以下のように述べた。
「職業的専門家は社会にとって有用な存在であり,その有用性は社会の複雑化と社会生活を営む上で必要とされる情報の高度化が進むほど高まるものである。そうである以上,専門的知見を依頼者以外の者に対して提供することを怠ったことを理由として職業的専門家が法的責任を負うことは特段の事情がない限り否定されてしかるべきである。なぜなら,職業的専門家が同人からの知見の提供を求めている者に遭遇した場合において,たとえその者が依頼者でなくとも当該職業的専門家は知見の提供をしなければならないという義務が肯定されるとすれば,知見を求める人々の側においてはわざわざ報酬を支払って依頼者となろうとする必要性が消失し,その結果として,職業的専門家の側においては安定した生活基盤の形成が困難となってしまうからである。のみならず,職業的専門家が依頼者に提供する役務の質を向上させるためには職業的専門家と依頼者の間において高度な信頼関係が形成されることが必要であるところ,それを達成するためには職業的専門家は依頼事項に関して依頼者の同意を得ずに依頼者以外の者に対して助言することはないという行動原理が尊重されなければならず,この点からも職業的専門家が依頼者以外の者に対して知見の提供を怠ったことを理由として法的責任を負うことは否定されてしかるべきである。」
「しかしながら,あらゆる法理がそうであるように上記の原則にもまた例外として扱われるべき特段の状況というものが存在する。対応可能な職業的専門家が一人しかいない状況において知見の提供を必要とする突発的事態が発生した場合はその典型であろうが,他の例として,次の三つの条件が同時に成立する場合も特段の状況と評価してよいであろう。① 法的には依頼者でないにもかかわらず職業的専門家から知見の提供を受け得ると真摯に期待している者がいること。② その者がそのような期待を抱くことに正当事由が認められること。③ その者に対して職業的専門家が知見を提供することに対して真の依頼者(もしいれば)が明示的又は黙示的に同意を与えていること。上記の場合,職業的専門家たる者は,その者の期待どおりに知見を提供するか,しからざれば,時機を失することなくその者に対して自分にはそれを行う意思がない旨を告知する法律上の義務を負っていると解すべきである。なぜなら,職業的専門家がそのような配慮を尽くすことによって社会はより安全で公正なものになり得るのであって,しかも,そのような配慮を尽くすことを職業的専門家に求めることは決して同人らに対する過大な要求であるとは考えられないからである。」
「以上の考え方を本件に当てはめて考える。まず,上告人は司法書士であり,司法書士は登記実務に関する職業的専門家である。したがって,前項で述べた原則によって上告人は依頼者以外の者に対して専門的知見の提供を怠ったことを理由として法的責任を負うことは特段の事情がない限り否定されてしかるべきである。しかるに,原判決が上告人の違法行為と認定したものは被上告人に対して適切な知見の提供を怠ったというものであり,他方,上告人の依頼者として認定されている者はオンライフとアルデプロだけであって,被上告人は上告人の依頼者とは認められていない。以上の事実に照らすならば,特段の事情が認められない限り上告人の被上告人に対する法的責任は否定されるべきであり,この点を看過した点において原判決は重大な法令解釈上の誤りを犯していると言わざるを得ない。しかしながら,本件会合は登記申請に用いるべき書面の事前確認等を行う目的で開催されたものであるが,同会合にはAと称する者(以下「自称A」という。)も出席しており,原判決の認定したところによれば本件会合に先立ってBは被上告人の代表者に対して自称Aの本人性を確認するために買主及び買主側司法書士に対して自称Aと面談する事前の機会を設ける旨発言している。これらの事実と本件会合に出席した司法書士は上告人だけであったことを併せて考えると,被上告人は,本件会合に出席した上告人が登記実務の専門家としての知見を用いて自称Aの本人性に関する助言を真の依頼者であるアルデプロはもとより被上告人に対しても行ってくれるものと真摯に期待し,そのことに対しては真の依頼者であるアルデプロも明示又は黙示の同意を与えていた可能性を否定し得ない。したがって,アルデプロが上告人の依頼者となるに当たって被上告人が果たした役割や被上告人とアルデプロとの間の人的ないしは経済的関係等に照らして被上告人が上記のような期待を抱くことに正当事由があったといえるとすれば上告人の被上告人に対する法的責任が肯定される可能性も決してないとはいえないのである。」
 「 以上の理由により,私は原判決を破棄してこれを原審に差し戻すべきであると考えるものであるが,差戻審において審理を尽くしてもらいたい事項は前項で述べた諸点に限られるものではない。なぜならば,仮に上告人が被上告人に対して自称Aの本人性に関して司法書士としての専門的知見に基づいた助言をすべき法律上の義務を負っていたことが肯定されたとしても,上告人がそのような義務に違反したか否かは記録上定かではないように思えるからである。この点に関して,差戻審の注意を喚起すべく二つの事実に言及しておきたい。すなわち,①本件においては東京法務局渋谷出張所の説明によって本件印鑑証明書が偽造であることが判明したとされているが,本件印鑑証明書の偽造性がどのような理由によって判明したのかについては記録上全く明らかにされていないという点及び②本件委任状には印鑑証明書等の提出によって人違いでないことを証明させた旨の公証人の認証が付されていたという点の二つである。①の事実は,印鑑証明書の真偽を判定するための決め手となる情報は一般に入手可能ではなく,そうであるとすれば,司法書士がこの問題に関して職業的専門家としての見解を責任をもって述べることはそもそも困難なのではないかとの疑念を抱かせるものであり,②の事実は,本件において用いらた偽造の手口は人物の同一性を判別してこれに認証を与えることの職業的専門家である公証人をも欺き得る程に巧妙なものであったことを示唆するものである。①の点に関して更にいえば,上告人が本件会合においていかなる意見を述べるべきであったかを論じるに当たっては,自称Aは本人ではないという事後的に明らかとなった事実をいわゆる「後知恵」として用いないように留意する必要がある。本件会合の時点においては自称Aの本人性は定かではなかったのであるから,上告人が自称
Aの本人性に疑問を挟む意見を述べるに当たっては,仮にアルデプロや被上告人が上告人の意見を尊重して取引を中止し,しかる後に自称Aが本人であったことが明らかとなった場合において,取引の中止によって利益を逸したと主張するやも知れぬアルデプロや被上告人に対していかにして自分が述べた意見の正当性を示し得るかについて憂慮しなければならなかったのである。差戻審には,以上の諸点を勘案した上で,本件において上告人にはいかなる意見を述べることが現実的に可能であったのかを見極めた上でしかるべき結論を導き出してもらいたいと願う次第である。」


■最二小決令和2年9月16日(平成30(あ)1790)*11
タトゥーを施術した被告人の医師法17条違反による処罰を否定した高裁判決を支持した決定において、法廷意見を支える観点から、「医療関連性を要件としない解釈」を適用することの不合理性について以下のように述べた。
「タトゥー施術行為は保健衛生上危険な行為であり,したがって医療関連性を要件としない解釈をとった場合,医師でない者がタトゥー施術行為を業として行うことは原則として医師法上の禁止行為となる。しかるに法廷意見で述べたとおり,医師免許取得過程等でタトゥー施術行為に必要とされる知識及び技能を習得することは予定されておらず,タトゥー施術行為の歴史に照らして考えてもタトゥー施術行為を業として行う医師が近い将来において輩出されるとは考え難い。したがって,医療関連性を要件としない解釈をとれば,我が国においてタトゥー施術行為を業として行う者は消失する可能性が高い。しかしながら,タトゥーを身体に施すことは古来我が国の習俗として行われてきたことである。もとよりこれを反道徳的な自傷行為と考える者もおり,同時に,一部の反社会的勢力が自らの存在を誇示するための手段としてタトゥーを利用してきたことも事実である。しかしながら,他方において,タトゥーに美術的価値や一定の信条ないし情念を象徴する意義を認める者もおり,さらに,昨今では,海外のスポーツ選手等の中にタトゥーを好む者がいることなどに触発されて新たにタトゥーの施術を求める者も少なくない。このような状況を踏まえて考えると,公共的空間においてタトゥーを露出することの可否について議論を深めるべき余地はあるとしても,タトゥーの施術に対する需要そのものを否定すべき理由はない。以上の点に鑑みれば,医療関連性を要件としない解釈はタトゥー施術行為に対する需要が満たされることのない社会を強制的に作出しもって国民が享受し得る福利の最大化を妨げるものであるといわざるを得ない。タトゥー施術行為に伴う保健衛生上の危険を防止するため合理的な法規制を加えることが相当であるとするならば,新たな立法によってこれを行うべきである。」
「最後に,タトゥー施術行為は,被施術者の身体を傷つける行為であるから,施術の内容や方法等によっては傷害罪が成立し得る。本決定の意義に関して誤解が生じることを慮りこの点を付言する次第である。」


■最二小判令和2年11月27日(令和元(受)1900)*12
監査事務所登録不許可処分の開示の当否が争われた事件において、「(品質管理委員会の判断を否定した)原判決を破棄差戻しとしたことの趣旨」として、以下のように述べた。
(岡村和美裁判官との連名)
「原判決は,被上告人らが本件会社の現金預金につき,監査対象事業年度末に現金実査等を実施したと認定した上で,現金元帳と通帳及び領収書等との突合(以
下「証憑突合」という。)を監査対象期間の全部につき実施することは監査手続として実効的でないと述べている。被上告人らがそもそも監査対象事業年度末に現金実査を行っていないことは法廷意見において指摘したとおりであるが,その点はさておくとしても,監査対象期間の全部について証憑突合を行うことが現金預金の監査手続として「実効的でない」という原審の見解には看過し難い誤謬があるといわざるを得ない。けだし,確かに監査の対象となる財務諸表が貸借対照表だけであれば期末の現金実査等だけで現金預金に関する財務諸表上の記載の正確性を確認し得るかもしれないが,金融商品取引法上財務諸表に含まれる会計書類は貸借対照表だけではないからである。特に,平成10年代に財務諸表に加えられたキャッシュ・フロー計算書は,監査対象期間全部におけるキャッシュ・フローを「営業活動によるキャッシュ・フロー」と「投資活動によるキャッシュ・フロー」と「財務活動によるキャッシュ・フロー」に分類した上でそれぞれの正味合計額を示すものであるから,その記載の正確性を監査するためには全期間に対しての証憑突合を行うことが確実で有効な監査方法であることは明らかであり,期末の現金実査等だけで記載の正確性を常に監査できるとは考え難い。しかも,本件会社が本件監査以前において営業活動によるキャッシュ・フローがマイナスとなるなどして企業としての継続性に疑いをもたれていたこと等を考えると,キャッシュ・フローの適正な監査を行うことは本件会社においてはとりわけ重要であった。以上の点に鑑みれば,監査手続としての証憑突合の実効性という点に関する原審の判断は経験則に関する重大な誤りであるといわざるを得ない。」
「もっとも,監査対象期間の全部について証憑突合を行うことが現金預金の監査手続として有効なものであるとしても,それを実施しなければ直ちに基準不適合事実が見受けられるといい得るかは証拠上必ずしも明らかではなく,結局のところ,被上告人らが証憑突合を本件会社の監査対象事業年度のうちの約5箇月半についてしか実施しなかったことをもって基準不適合事実が見受けられるといえるか否かが本件の中核的争点と考えられる。当審が本件を原審に差し戻したのはこの点を踏まえてのことであるが,この点に関して,原判決が,証憑突合がされた約5箇月半は「多額の現金移動があった期間」であったことを弁論の全趣旨によって認定していることについては特に留意を要する。被上告人らが「期中を通じて100万円以上の出納については証憑突合を実施した」と主張していることを踏まえて原審の認定した事実を合理的に解釈すると,「被上告人らが監査対象事業年度のうちの約5箇月半においてしか証憑突合を行わなかったのは,当該期間において100万円以上の現金移動を伴う取引(以下「多額現金取引」という。)が集中的に発生し,残りの約6箇月半においては多額現金取引は発生しなかったからである」ということになるのであろう。この点に関して差戻審の注意を喚起するため,以下のことを指摘しておきたいと思う。」
「(1) 第1に指摘すべきことは,監査対象事業年度に関する本件会社の有価証券報告書上,同年度における本件会社の営業活動による連結キャッシュ・フローの正味合計額はマイナス7億6884万5000円に上っているという点である。1年間のキャッシュ・フローの正味額がこのような巨額の値となる会社において,多額現金取引が,12箇月間に及ぶ監査対象事業年度のうちの約5箇月半においてしか発生せず,しかも,その約5箇月半においては,(多額現金取引が発生した日だけではなく)期間全体にわたって証憑突合を実施する必要性を認めるほど集中的に発生したなどということが現実に起こり得るものか疑問があり,慎重な検討が必要であろう。(2) 第2に指摘すべきことは,本件会社が設置した第三者委員会の作成に係る平成27年1月19日付けの報告書には,本件会社が監査対象事業年度のうちで被上告人らが証憑突合を行わなかった約6箇月半の期間の一部である平成26年1月から3月の間に3件の多額現金取引(取引対象額はいずれも2000万円を超えている)を行った旨の記述があるという点である。この記述内容が正しいとすれば,被上告人らが多額現金取引があった期間に限定して証憑突合を行ったという主張は成立し得ないように思われる。差戻審においては,以上のことを踏まえ,被上告人らが監査対象事業年度のうちの約5箇月半の期間に対してしか証憑突合を行わなかった理由は何であったのかを見極めた上で適切な判断をすべきものと考える。」


最二小決令和3年4月14日(令和2(許)37)訴訟行為の排除を求める申立ての却下決定に対する抗告審の取消決定に対する許可抗告事件 *13
覆った結論と、それでもなお残る懸念。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~をご参照のこと。


最二小判令和3年7月19日(令和元(受)1968)会計限定監査役に対する損害賠償請求事件*14
「会計限定監査役」の任務懈怠をめぐる最高裁の再逆転判決と、高裁に与えられた宿題。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~をご参照のこと。

意見の対象となった事例は多岐にわたるが、特徴的なのは、「上告審」という立場であるにもかかわらず、原審までの事実認定に対してかなり踏み込んだ「経験則」を示し、差戻審に対して「注意」を促しているものも散見される、という点だろうか*15

また貨物運送会社への使用者求償や、医療給付に伴い代位取得した損害賠償の遅延損害金に係る判断においては、やはり経済学的な視点がかなり意識されているように感じられる。

なお、今日投函された最高裁判所裁判官国民審査公報」に接したのだが、比較的少数意見を多く書かれる裁判官でも、なぜか「全会一致」や「多数意見」に与した事件の方を優先して記載することが多い「関与した主要な裁判」の項で、

諫早湾潮受堤防排水門開門請求異議事件(意見)
・貨物運送会社使用者求償事件(補足意見)
・タトゥー医師法違反事件(補足意見)

と自ら意見を付した3事件を取り上げ、さらに尖った意見を述べられた「一票の格差」と「夫婦別氏制不採用」の両事件を「その他の主要な裁判」として記載されているあたりに、「意見を述べてこそ最高裁判事という草野裁判官のご矜持を感じた次第である。


・・・ということで、少し懐かしい時期のものも含めてしみじみと読み返しながら書いていたら、既に膨大なボリュームになっていることに気付いてしまったので、続く岡村和美裁判官以降は、更に分けて、エントリーを書かせていただくことにしたい。

*1:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/412/090412_hanrei.pdf

*2:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/916/088916_hanrei.pdf

*3:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/764/089764_hanrei.pdf

*4:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/797/089797_hanrei.pdf

*5:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/841/089841_hanrei.pdf

*6:実際の意見はグラフも交えてPDF10頁以上の長さとなるが、全ては紹介できないので、以下ダイジェスト的に引用することとしたい。

*7:個人的には夫婦同氏問題に関して「福利の比較衡量」を持ち出された点に関しては、(おそらくは)一種のレトリックだろう、と思いつつも違和感を禁じ得なかった。

*8:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/903/088903_hanrei.pdf

*9:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/270/089270_hanrei.pdf

*10:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/286/089286_hanrei.pdf

*11:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/717/089717_hanrei.pdf

*12:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/873/089873_hanrei.pdf

*13:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/257/090257_hanrei.pdf

*14:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/486/090486_hanrei.pdf

*15:上に引用したもののほか、過去のエントリーの引用に留めているが、会計限定監査役への損害賠償請求事件も破棄差戻で、差戻審の事実認定にはかなりの注文が付けられている。

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