判決文に現れる個性

何となく注目していた「宮本から君へ」事件。

この日、最高裁で高裁判決を破棄して、助成金不交付処分を取り消した、というニュースを見て、おっ、と思うとともに、要約された判決要旨を聞きながらもしかしたら・・・と思っていたら、やっぱり第二小法廷の判決だった。

最二小判令和5年11月17日(令和4年(行ヒ)234)*1

「被上告人は、本件出演者が出演している本件映画の製作活動につき本件助成金を交付すると、被上告人が「国は薬物犯罪に寛容である」といった誤ったメッセージを発したと受け取られて薬物に対する許容的な態度が一般に広まるおそれが高く、このような事態は、国が行う薬物乱用の防止に向けた取組に逆行するほか、国民の税金を原資とする本件助成金の在り方に対する国民の理解を低下させるおそれがあると主張する。このことからすると、理事長は、本件処分に当たり、本件映画の製作活動につき本件助成金を交付すると、本件有罪判決が確定した本件出演者が一定の役を演じているという本件映画の内容に照らし、上記のような公益が害されるということを消極的な考慮事情として重視したものと解することができる。しかしながら、本件出演者が本件助成金の交付により直接利益を受ける立場にあるとはいえないこと等からすれば、本件映画の製作活動につき本件助成金を交付したからといって、被上告人が上記のようなメッセージを発したと受け取られるなどということ自体、本件出演者の知名度や演ずる役の重要性にかかわらず、にわかに想定し難い上、これにより直ちに薬物に対する許容的な態度が一般に広まり薬物を使用する者等が増加するという根拠も見当たらないから、薬物乱用の防止という公益が害される具体的な危険があるとはいい難い。そして、被上告人のいう本件助成金の在り方に対する国民の理解については、公金が国民の理解の下に使用されることをもって薬物乱用の防止と別個の公益とみる余地があるとしても、このような抽象的な公益が薬物乱用の防止と同様に重要なものであるということはできない。 そうすると、本件処分に当たり、本件映画の製作活動につき本件助成金を交付すると、本件出演者が一定の役を演じているという本件映画の内容に照らし上記のような公益が害されるということを、消極的な考慮事情として重視することはできないというべきである。そして、前記事実関係等によれば、理事長は基金運営委員会の答申を受けて本件内定をしており、本件映画の製作活動を助成対象活動とすべきとの判断が芸術的な観点から不合理であるとはいえないところ、ほかに本件助成金を交付することが不合理であるというべき事情もうかがわれないから、本件処分は、重視すべきでない事情を重視した結果、社会通念に照らし著しく妥当性を欠いたものであるということができる。 」(PDF5~6頁、強調筆者、以下同じ)

本判決は裁判官全員一致の意見によるものであり、特段の個別意見は付されていない。

だが、被上告人が不交付決定の理由としていた「薬物に対する許容的な態度が・・・」云々といった理由に対して、何ら迷いを見せずに「にわかに想定し難い」「公益が害される具体的な危険があるとは言い難い」とスッキリ切ってのけたところに、自分は今や第二小法廷の重鎮となった草野耕一裁判官の存在を感じずにはいられなかった。

もちろん、この背景には、

「芸術的な観点からは助成の対象とすることが相当といえる活動につき、本件助成金を交付すると当該活動に係る表現行為の内容に照らして一般的な公益が害されることを理由とする交付の拒否が広く行われるとすれば、公益がそもそも抽象的な概念であって助成対象活動の選別の基準が不明確にならざるを得ないことから、助成を必要とする者による交付の申請や助成を得ようとする者の表現行為の内容に萎縮的な影響が及ぶ可能性がある。このような事態は、本件助成金の趣旨ないし被上告人の目的を害するのみならず、芸術家等の自主性や創造性をも損なうものであり憲法21条1項による表現の自由の保障の趣旨に照らしても、看過し難いものということができる。」(PDF4頁)

という価値判断があり*2、それゆえ、消極的な考慮事情として重視しうる「公益」を、「当該公益が重要なものであり、かつ、当該公益が害される具体的な危険がある」場合というふうに狭く解したため、という事情もあるのだが、繰り返して読めば読むほど、冒頭の「薬物事件で有罪になった出演者がいることを助成金不交付の理由にすること自体がナンセンスだろ!」というところから、全ての判旨のロジックが生み出されているように感じられるのだ。

そして、ここには、これまでも合理的思考の下で情緒的な日本人の感覚を「麗しき慣習」*3とか「他人の不幸に嗜虐的快楽を覚える心性」*4と皮肉り、断罪してきた”草野ロジック”が色濃く反映されているように思われる。

残念ながら、世の中、草野裁判官ほどの合理的思考に基づいて行動できる者は多くない。

甲子園を目指す野球部から紅白歌合戦に至るまで、この国では「責任の連帯性」が異常なまでに追求される。
そして、そんな社会では、「一部出演者の不祥事でお蔵入りした」と囁かれる映像作品も実に多い*5

本件は、交付内定が出た後の不交付決定、というあまりに露骨過ぎる事案だったから、正面から争うことで最後の最後に決定取り消しにまでたどり着くことができたが、タイミングが悪ければ、より不透明な形で助成金を受けるための「撮り直し」を事実上強要されるようなことになる事態も十分考えられるし、何より公金給付とは無関係のメディア関係者の根拠なき”忌避感”にまでメスを入れられるか、といえば、それもかなり微妙だ。

だから、今回の一事例判決を以て世の中が大きく変わる、ということまでは期待しない方が良いとは思うのだけれど、できることならこれが過剰な「狩り」の風潮に一石を投じるものとなってくれれば、というのが、今の率直な思いである。

*1:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/502/092502_hanrei.pdf

*2:この辺は三浦守裁判官のテイストが強くにじみ出ているように感じられる。

*3:選択的夫婦別氏制に関する最大決令和3年6月23日での反対意見、最高裁判所裁判官・国民審査対象各裁判官の個別意見について(2021年版・その2) - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*4:逮捕歴に関するTwitter投稿の削除に関する令和4年6月24日判決の補足意見、断罪された「隣の不幸は蜜の味」思考。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*5:本件で「影の当事者」となったピエール瀧氏との関係でも、一時は「あまちゃん」の再放送が難しくなったのではないか、という噂すら流れていた。幸い、そこまでの過剰反応をされることもなく、寿司屋の板前の演技はしっかり今年の再放送でも流れていたのであるが。

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