戦うべき時と場所。

「カネカ」のプレスリリースに関する前日付けのエントリー*1には、多くの方が目を通してくださっているようで、本当にありがたいな、と思っている。

で、自分は、あの記事を、あくまで法的観点からの分析をベースに書いたつもりだったのだが、若干”おまけ”的に言及した「プレスリリースのスタンス」に関して、その後、プロフェッショナルなブロガーの方が書かれた記事に接したので、ご紹介しつつ、前日のエントリーでは言及できなかったことを少し補足しておくことにしたい。

ご紹介する記事はこちら。↓

news.yahoo.co.jp

執筆されているのは、「ネットコミュニケーションの視点」というテーマで興味深い記事を提供しておられるアジャイルメディア・ネットワーク取締役CMOの徳力基彦氏なのだが、一連の騒動の流れを時系列で分かりやすく解説した上で、

「今回の炎上については、カネカ側の一つ一つの対応が、かえって騒動を大きくしてしまっているのは明白です。」

とコメントされ、さらに、

「個人的には、今回の騒動においては、カネカ側が炎上の初動から「弁護士的対応」に特化してしまったことが、騒動が拡大するような燃料投下を次々に行う結果を生んでしまっていると感じています。」

として、「なぜ弁護士的対応に特化すると、炎上対応を間違えてしまうことが多いのか」という点について、以下のポイント3点を挙げた上で、それぞれについて詳細に解説しておられる。

■社会的な適切さではなく、法律的に適法かどうかの基準を重視してしまった。
■世間とではなく、退職した社員とカネカとの戦いだと思ってしまった。
■対応方針が決まるまで、推定無罪で対応してしまった。

「裁判所での裁判を想定して法的基準を軸に対応をする」ことを指すものとして徳力氏が定義した「弁護士的対応」という表現に対しては、日頃から多角的な視点を踏まえてアドバイスを行っている弁護士の方々から「違う表現にしてくれ~」というぼやきが出てきそうな気もするし、本件の対応には、「法律的に適法かどうか」という基準に照らしても疑義があるのは、昨日のエントリーで書いたとおり。

なので、どちらかと言えば、徳力氏の分析を踏まえて今回のプレスリリースを定義するなら、「弁護士的対応」という表現よりは、

「裁判での主張」的対応

といった方が、法務界隈の方々にはニュアンスが伝わるかな、と思うところである*2

もちろん、解説されている内容に関しては、プレスリリースの内容、スタンスから、広報部門の対応のまずさに至るまで、まさにそうだよね、と膝を打つ指摘ばかりで、大いに共感させていただけるところが多かったのはいうまでもない。

そして、最後に書かれている「二つの選択肢」(6日のコメントを最後のコメントとして口を閉ざすか、それとも、これまでの常識を根本から見直し、世間にもう一度説明するか)についても*3、感じ入るところは多かった。

*1:戦う相手を間違えるな。 - 企業法務戦士の雑感

*2:訴訟代理人の流儀にもよるが、裁判になった時の当事者の主張が、後々舌をかまないギリギリまで過激なものになるケースは時々あるし、特に労働事件に関しては、双方の「針小棒大」的な主張の応酬になることも稀ではない。

*3:おそらく本件では前者の道をたどることになるのだろうけど。

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戦う相手を間違えるな。

やはり、今日エントリーを上げるのであれば、この話題に触れないわけにはいかない。
本日時点で以下のWebサイトに掲載されている、「当社元社員ご家族によるSNSへの書き込みについて」というコメントについて、である。

www.kaneka.co.jp

本件のこれまでの経緯に関しては、Twitterの各種まとめサイトや「日経ビジネス」等でも取り上げられているところなので、あえてここでは書かないが、一言で申し上げるなら、伝統的な家庭内の役割分担が大きく変化した「令和」の時代の話としては、

「会社側の配慮がなさすぎる。その後の対応も稚拙にすぎる」

という話。

で、「それに対して、どういうリアクションをするのだろう」とそれなりに多くの人々が固唾をのんで見守っているところに、当事会社がWebサイトのトップページに、

「元社員の転勤及び退職に関して、当社の対応は適切であったと考えます。」

というコメントをストレートに返してきたものだから、ちょっと仰天した、というのが、本日のハイライトだった。

このリリースに至るまでの対応も含め、危機管理、広報、IR・・・、といった観点から、当事会社の対応について突っ込みたいところは多々あるのだけど、これらの点については、既に他の方がいろんなところで論じておられるようだから、それをここであえて問題提起するまでもないだろう。

ただ、長年、企業法務に従事してきた者として一点だけ突っ込みを入れておきたいところがあるとしたら、以下のくだりだろうか(強調筆者、以下同じ)。

3. 当社においては、会社全体の人員とそれぞれの社員のなすべき仕事の観点から転勤制度を運用しています。 育児や介護などの家庭の事情を抱えているということでは社員の多くがあてはまりますので、育休をとった社員だけを特別扱いすることはできません。したがって、結果的に転勤の内示が育休明けになることもあり、このこと自体が問題であるとは認識しておりません。
4. 社員の転勤は、日常的コミュニケーション等を通じて上司が把握している社員の事情にも配慮しますが、最終的には事業上の要請に基づいて決定されます

元々、当事会社の対応の是非、という話からは離れて、「転勤命令自体は法的に問題なかった」というコメントをされている方は、弁護士等の専門家の中にも多かったから、会社としてもここは自信を持って強調したい、と考えて、上記のような表現になったのだろう。

だが、転勤命令の適法性に関するリーディングケースとされる最高裁判例(最二小判昭和61年7月14日、東亜ペイント事件)*1は、以下のように説示している。

「使用者は業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定することができるものというべきであるが、転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、使用者の転勤命令権は無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することの許されないことはいうまでもない」

ここで「濫用」というフレーズが使われていること、さらにこれに続く判旨が、

当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であつても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもつてなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべきである。」

と、「濫用」となる場合を狭く限定するかのような内容になっていることから、「使用者の転勤命令に関する裁量は広範に認められる」というのが、これまでの人事業界、というかサラリーマン社会の定説だったのは確かである。

しかし、ここで重視すべきは、今から30年以上も前、「男性労働者は会社の言う通りに動くのが当たり前」だった時代ですら、最高裁が「転居を伴う転勤」が「労働者の生活関係に少なからぬ影響を与える」ということを指摘していたこと、そして、「転勤命令権は無制約に行使することができるものではない」と言い切っていることだと自分は思っている。

そして、「業務上の必要性」が認められる場合ですら、転勤命令が「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるもの」であるときは、「特段の事情あり」として、当該命令が無効となる余地があることを最高裁は認めている、ということも指摘しておかねばならない。

昭和61年最判以降に出された判例の多くが、上記規範のあてはめの場面で「通常甘受すべき程度」をかなり高いレベル(労働者にとっては厳しいレベル)まで認め、使用者の転勤命令の有効性をフレキシブルに認めてきた、という実態はあるのは事実だが、この「程度」に関する評価は、時代とともに当然に変わってくるもので、帝国臓器製薬やケンウッドの事件で配転命令の有効性が肯定されていたからといって、今、それと似たような事実関係の下で、最高裁が同じ判決を書くとは限らない*2

ましてや、(現時点での当事者側の主張をベースにするならば)本件においては、転勤命令を食らいそうになった当事者の「不利益」が、「通常甘受すべき程度を著しく超えない」と言い切れるだけの理屈を探す方が難しいように感じられる*3

それなのに、なぜ、上記3~4のような強気のリリース文になるのか・・・。


企業が何らかのプレスをする場合には、「多少見解が分かれるような話であっても、「強気」のコメントを打たないといけないとき」というのが必ずある。
新しい技術やサービス等に関し、世の中でもそれらに対する見解がまだ定まっていない場合(したがって、「強気」の見解を押し通すことによってそれをデファクト化することができ、しかもそれによって世の中の便益が高まる、といえるような場合)などは〝攻め”の観点から強気に出た方が良い結果になることが多いし、逆に、反社会的勢力からクレームを付けられているような場合であれば、”守り”の観点から「強気」で突っぱねても、それによって非難を受ける可能性は低いだろう。

だが、本件は、明らかにそのようなケースではないし、「強気」で言い切ったプレスリリースの内容自体、読んだ者に好印象を与えるものでは全くない*4

「中の人」としては、いきなりのツイートで会社が火だるまになったこともあって、”何としても外敵を撃退してやろうという義侠心”から、「強気」のリリースを出してきたのかもしれないが、それは蛮勇。

一連のツイートとその背景にある多くの人々の”共感”は、まさに今の時代の世相を的確に反映したものなのだから、当事会社が社会から「優れた会社」として評価を受けたいと望んでいるのであれば、それは戦うべき相手ではなかった

SNSで沸き立っている人が考えるほど、SNS上の評判は企業の業績に直結するものではないし、BtoB主体の会社となれば、それはなおさらなのだけど、「戦う相手」を間違えて無駄なエネルギーを放出している組織の中で仕事をするのは実に空しいし、そういった空気がこの先も持続するようなら、組織は確実に疲弊する。

今回はとっさにやむなく「強気」のコメントを出してしまったものの、その裏でひそかに平行して、この会社が「古い日本企業的な価値観」とも戦ってくれている(今後の転勤命令の運用を多少なりとも見直す等)のであれば、まだ救いはあるのだがなぁ・・・と老婆心ながら思わずにはいられない。

*1:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/925/062925_hanrei.pdf

*2:昭和61年最判以降の判決はあくまで事例判決に過ぎないので、ややこしい判例変更の手続きをとるまでもなく、ちょっとでも事案が異なっていれば、判断がガラリと変わる可能性はある。

*3:こういうことを言うと、「転勤命令に関する使用者の裁量がなくなってしまう」とか、「転勤命令がフレキシブルに出せないようになってしまうと、今の日本の終身雇用システムを維持できない」等々の反論が必ず来るのだが、一定以上の規模の会社であれば、当事者の利益や希望に最大限配慮しても、人を回せるだけの余裕はどこかにあるし(大きな組織では、現在の職場で仕事をし続けたい人もいれば、「上司と合わないので今すぐ他の部署に行きたい」と思っている人とか、「将来の出世につながるなら多少の場所的不利益も厭わない」と思っている人もいるのだから、本人の利益への配慮を強めたとしても、会社の選択肢がなくなるわけではない)、そもそも「終身雇用」なんて話自体がもはや砂上の楼閣のようになりつつある今、一貫したキャリアや人脈形成を寸断させるリスクがある「会社都合の異動」を野放図に認める方が、日本の雇用システムの危機につながる、ということも自覚する必要がある。かつて使用者側に配転の裁量を認めることのメリットとして説明されていたことの多くは、今の時代には通用しない、というのが自分の認識である。

*4:特に「元社員から5月7日に、退職日を5月31日とする退職願が提出され、そのとおり退職されております」というくだりなどは、この「元社員」がそのように記載した退職願を出すまでの間にどれほどの有形無形の圧力を受け、どれほど逡巡したか、容易に想像がつくところだけに、「社員が勝手にそうしたんだから、会社には責任がない」的なコメントには怒りしか湧いてこない。

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これぞ正真正銘の「必死のパッチ」

歳をとると、いろんなものに免疫ができてきてしまって、いわゆる”煽り”的な演出には、「感動」する前に引いてしまうことの方が多いのだけど、さすがに昨日の原口文仁選手の「劇的復活」には、いろいろと感じ入るところがあった。

「甘く入った4球目のスライダーを力強く一振りすると、打球は左翼手を超えてフェンスを直撃。勢いよく走った原口は「2~3年ぶり」というヘッドスライディングで二塁に到達した。復帰初打席で見事に期待に応え、笑顔で何度も拳を突き上げた。」(日本経済新聞2019年6月5日付朝刊・第29面)

キャンプインを前に、突然の「大腸がん手術」公表。
おそらくは、人間ドックを機とした早期発見だったのだろうけど、普通の勤め人でも結構堪えるシチュエーション、しかも彼は常に一軍当落線上にいる中堅プロ野球選手である。

2016年に育成選手の立場から一転して大ブレイクを果たしたものの、その後は激しいレギュラー争いの中でスタメンになかなか定着できず。
昨シーズンなどは、「代打」として持ち前の勝負強さを存分に発揮していたものの、最初から「自分は代打でいい」と思っているプロ野球選手などいないわけで、同じ捕手出身の矢野監督に代わって「これからアピールするぞ!」と思っていた矢先に突然のアクシデントで離脱、となれば、その理由が「がん」でなくても、大抵の人間ならしばらくは立ち直れないくらいの失意のどん底に落ち込んでしまうだろう・・・。

だが、それから半年も経たないうちに一軍復帰し、選手登録されたその日に、代打でタイムリーヒット

試合の行方がほぼ決まった9回、しかも、凡ゴロでも得点が入る一死三塁という場面で彼を起用した矢野監督の粋な計らいには「さすが」の一言だけど*1、そこで食らいついてヒットを打ち、しかも二塁までかっ飛ばす原口選手の根性も見上げたものだ。

今日の試合では、1点を追う5回、一死一、三塁という難しい場面で代打の一番手として登場したものの三振に倒れ、2日続けてのヒーローインタビューという栄誉には預かれなかったが、このまま体調を崩さずに一軍に定着してくれるのであれば、ここまで”そこそこ”の健闘を見せている前年最下位チームにとって非常に心強いのは、言うまでもないことである。

3年前にお立ち台で連呼して、甲子園でもちょっとした流行語になった「必死のパッチ」は、”本家”だった矢野監督の就任に伴い封印する予定だったみたいだが*2、グラウンドの内でも外でも名実ともに”サバイバル”な状況を耐え抜いてきている原口選手ならば、使っても誰も文句は言わない。

そして、体を張り続ける彼の姿を見てしまうと、「ちょっとやそっとのアクシデントで挫けるな自分」という思いも、また強く持たざるを得ない・・・。

できることなら、あと10日ちょっとのオールスターファン投票期間に、みんなで集中投票して*3、3年ぶりの大舞台にも立たせてあげたいところではあるのだが、自分としては、まずはこの先一試合、一試合の活躍を願うばかりである。

npb.jp

*1:「暗黒の3年」時代の監督と比べると、矢野監督の選手の使い方は上手だな、というのは今シーズンが始まってからずっと感じていることでもある。

*2:阪神・原口、『必死のパッチ』一時“封印”「矢野さんの言葉なので」 (1/2ページ) - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ)参照。

*3:捕手だと梅野隆太郎選手と共倒れになってしまうので、一塁手部門で集中投票したいところだけど、そううまくはいかないかな・・・。

四半世紀の蜜月が招いた気の毒な結論。

福井健策弁護士の興味深いツイート*1を拝見したこともあり、数日前にコメントした「マリカー」の知財高裁中間判決がアップされるのを今や遅しと待ち構えているのだが、残念ながらまだまだ時間がかかりそうなので、その間に見つけた別の興味深い判決をご紹介することにしたい。

本件は、デザイナーが、元取引先に対し、自分の制作したピクトグラム等の使用差し止めを求めて争った事件であり、「令和最初の『ピクトグラム』判決」とでも冠したい事例ではあるのだが、個人的には著作権侵害の成否に関する結論よりも、その前段の取引経緯と契約解釈をめぐる攻防の方に目を惹かれた、そんな事件である。

東京地判令和元年5月21日(平成29(ワ)37350)*2

反訴原告:有限会社エス・オー・ディ
反訴被告:株式会社ハードオフコーポレーション

本件の原告は、デザイン会社。新潟県新発田市に拠点を置く会社だが、代表者は「公益社団法人日本インテリアデザイナー協会の正会員で,ジャパンデザイナーズにも登録している」(4頁)ということで、調べてみると、デザイン会社らしい非常にお洒落なホームページも開設している。

一方被告は、大都会からちょっと離れたところで暮らしたことのある者にとっては、非常に馴染みのある「古物の売買及び受託販売等を目的とする株式会社」。
メルカリ等の台頭もあって近年の業績は苦戦気味だが、それでも立派な東証一部上場企業である。そして本社所在地は、これまた新潟県新発田市

両者の関係を簡単にまとめると、反訴原告は,平成4年10月以降平成29年5月31日まで、反訴被告が開店した全ての反訴被告の直営店及びフランチャイズ店(以下「既存店舗」)の開店等に当たっての店舗デザイン設計監理業務の委託を受けて既存店舗の店舗デザイン設計・監理業務を行ったほか、反訴被告のために、既存店舗等で使用するピクトグラムを制作していた。

元々、反訴被告の代表者は新潟県内でオーディオ専門店を経営していたのだが、ブックオフフランチャイジーとして「ハードオフ」の直営1号店を新潟(紫竹山店)に開業したのが平成5年2月の話。そして、反訴原告はこの1号店開設にあたってのデザインを平成4年10月頃に手掛けて以降、四半世紀近くにわたって、実に343店の「ハードオフ」と、500店を上回る「オフハウス」「モードオフ」といった系列ブランドの店舗のデザインを手掛けてきた

判決の中では、反訴被告代表者が「反訴原告を反訴被告のチームの一員として取り扱っており,反訴原告は反訴被告の主要な会議に全て出席することが求められ,それら
の出席に伴う費用を負担していた」(22頁)ことまで認定されているし、これに対して、反訴原告代表者から「アルバイトが出席するような細かな打合せまで反訴原告に出席を求めないでもらいたい」とか、「反訴被告の野球大会やマラソン大会に出席を求めないでもらいたい」といった指摘がされた(21頁)といった事実も出てくるのだが、両代表者は、同じ地元で昭和62年に勉強会を通じて知り合って以来の仲。

間違いなくそこには「蜜月」の関係があった。

それが明確に暗転したのが、平成29年5月に、反訴原告の一部社員が退社し、同年6月1日以降の反訴被告の新規店舗に関しては、退社した社員が設立した会社(株式会社アークスペース)が店舗デザイン設計監理業務を受託するようになったこと。

その前年くらいから、反訴原告と反訴被告の間で報酬の値上げ等をめぐっていろいろと紛糾はしていたようで、退社社員に設計監理業務を委託することになった背景にも反訴原告が「引き継がせたいと申し入れ」た(22頁)、という経緯があったようである。
しかし、反訴原告がそのバーターとして申し入れた「反訴原告標章と反訴原告ピクトグラムの制作料及び使用料として,新規出店する店舗数に応じて1店当たり10万円を10年間支払い,その後の支払額と支払期間については改めて協議することや,反訴原告が作成した反訴被告の店舗に関する図面,写真等のデータやそれらを作成するために必要なパソコン,ソフトウェア,机等の機器類及び物品を合計3000万円で買い取る」といった条件は、反訴被告によってあえなく却下され(22~23頁)、結果、反訴原告が平成29年12月1日,反訴被告らに対し,「反訴原告標章及び反訴原告ピクトグラムのデザイン料,使用料相当額の損害賠償金,従業員引き抜きの不法行為による損害賠償金などの支払を求める訴訟」新潟地方裁判所新発田支部に提起、一方、反訴被告は、著作権に基づく「差止請求権が存在しないことを求める債務不存在確認請求訴訟」東京地裁に提起する、という泥沼の展開となってしまったのである*3

本件訴訟で反訴原告が問題にしている行為は、大きく2つに分けられ、1つは「平成29年6月1日以前に反訴原告が制作した標章やピクトグラムを反訴被告がそのまま使用していること」、もう1つは、「平成29年6月1日以降に、反訴被告が新たに作成した標章やピクトグラム(反訴原告はこれらが平成29年6月1日以前に自らが制作した標章、ピクトグラムと類似していると主張している)を使用していること」である。

そこで、以下、それぞれについて、裁判所がどのような認定判断を行ったのかを見ていくことにしたい。

反訴原告・反訴被告間の契約解釈について

「反訴原告・反訴被告間の「蜜月」関係が崩れた後も、反訴原告が制作した標章やピクトグラムを反訴被告が無償で利用できるか?」という争点に関し、両当事者は極めて対照的な主張を行っている。

<反訴原告の主張>
「反訴原告と反訴被告の間には,反訴原告が反訴被告から直営店,フランチャイズ店の店舗デザイン設計監理業務の委託を止めることを停止条件として,反訴被告が反訴原告に対して標章やピクトグラムの制作料,使用料を支払う旨の合意が存在していた。この合意は,反訴原告が反訴被告から直営店及びフランチャイズ店の店舗デザイン設計監理業務の委託を受ける限り,反訴原告は反訴被告に対して上記各標章,ピクトグラムの使用を無償で許諾し,これらの制作料,使用料を請求しないという合意,反訴被告が反訴原告に直営店及びフランチャイズ店の店舗デザイン設計監理業務の委託を止めた場合には,反訴原告の反訴被告に対する上記各標章,ピクトグラムの無償使用許諾は終了し,反訴被告が反訴原告にそれらの制作料,使用料を支払うという合意を内容としている」(7頁)

<反訴被告の主張>
「反訴原告と反訴被告の間では,反訴原告が作成したロゴ及びピクトグラムの制作料及び使用料等は「店舗デザイン設計一式」などの名目の料金に含まれており,その支払がされた後は,当該ロゴ及びピクトグラムについて反訴被告が包括的に使用することを認める旨の合意がなされていた」(8頁)

本判決の中には、直営1号店の「看板・店舗デザイン料 一式」として支払われた50万円を皮切りに、各店舗の開設、改装の都度、支払われたデザイン料の金額が次々と登場してくる。

相場的にそれが高いのか?それとも安いのか?と問われると何とも言えないところはあるのだが*4、元々報酬額の決め方も含めて、原告・被告間の”信頼関係”に全てが委ねられていたのは間違いないように思われ、それゆえ、前記の反訴原告、反訴被告双方の主張のコアとなる部分に関しても、その内容が記載された書面は存在しない、という状況になっていた(23頁)。

そのため、裁判所は、さらに踏み込んで、当事者間の契約内容を「反訴原告と反訴被告の取引その他の状況」から認定することになったのだが、それによって導き出された回答が、以下のくだりである。

「反訴原告は,前記(略)のような紛争が生じるまで,反訴被告に対して一貫して反訴原告標章及び反訴原告ピクトグラムの使用料を請求することはなかった。また,基本的にそれらの制作料を書面で請求することはなかった。かえって,反訴原告が,ピクトグラムの制作料を書面で請求した場合には,反訴被告は,明示的にその支払を拒んだ。そして,前記(略)のとおり,そのような支払の拒絶があった後も,反訴原告は新たにピクトグラムを作成し,反訴被告に納品し使用料等の請求をすることはなかった。反訴原告は,口頭で制作料の請求をしたことがあった旨も主張するが,仮にそのような事実があったとしても,反訴原告は反訴被告に対し,前記 のとおり,長年にわたり,「デザイン料」などを多数回請求してその支払を受け,また,店舗のデザイン料についての交渉等をして反訴原告の希望に沿った値上げがされたこともあったにもかかわらず,上記のとおり,使用料を請求せず,書面による制作料の請求を基本的にしなかった。」
「これによれば,反訴原告と反訴被告間では,反訴被告は,反訴原告標章や反訴原告ピクトグラムを別途制作料や使用料を支払わずにこれらを使用し続けることができることを前提としていたとみるのが相当である。したがって,反訴原告と反訴被告間では,反訴原告標章及び反訴原告ピクトグラムを,別途制作料,使用料を支払わずに使用し続けることができる旨の合意があったと認めることが相当である。」(24頁)

かつては、大阪市が制作を委託したピクトグラムの「契約期間満了後」の使用権限の有無に関して、大阪地裁が(現場の実務者の視点で見ると)極めてエキサイティングな契約解釈を行った事例があったが*5、それに比べると、上記のような契約解釈の方が自分にはしっくりくる。

もちろん、デザイナー側の視点でみれば、「未来永劫包括的に利用できる」と記載された書面が存在しないにもかかわらず、反訴被告による無償での継続使用を認めるなどけしからん、という感想が出てきても不思議ではないのだが、ここは、そもそも、次の論点にも関連する本件での標章やピクトグラムの”独創性”の乏しさが、多少なりとも判断に影響したところはあったのかもしれないな、と個人的には思っているところである。

著作権侵害の成否について

さて、反訴原告・反訴被告間の契約内容を前記のように解する、となれば、あとに残るのは、反訴原告との契約打ち切り後に反訴被告が自ら制作したピクトグラム等を、反訴原告が著作権を根拠に止められるか、という論点だけ。

この点に関しては、残念ながら、最高裁HPにアップされている判決文の「別紙」が省略されているため、具体的にどのような標章、ピクトグラムが比較され、争われたかは、各自で想像するほかない。

ただ、

「反訴被告標章1と反訴原告標章1が同一性を有する部分についてみると,これらは,深緑色の長方形(横長)の中に白いアルファベット文字が配置されていること,そのアルファベット文字の書体,大きさ,文字間の間隔及び配置のバランス,全ての文字が円の構成要素とされていること,「OFF」と「USE」のアルファベット文字の上部に三つの白丸で弧を描くような装飾が施されていることなどで共通している。」
アルファベット文字について著作物性を肯定するためには,その文字自体が鑑賞の対象となり得るような美的特性を備えていなければならないと解するのが相当である。反訴被告標章1と反訴原告標章1のアルファベット文字が反訴被告の店舗で使用等をするために様々な工夫を凝らしたものであることは反訴原告が主張するとおりであるとしても,それらの工夫による反訴被告標章1と反訴原告標章1のアルファベット文字は,いずれも「オフハウス」という名称をよりよく周知,伝達するという実用的な機能を有するものであることを離れて,それらが鑑賞の対象となり得るような美的特性を備えるに至っているとは認められない。また,その余の共通点については,いずれもアイデアが共通するにとどまるというべきであり,仮にアイデアの組合せを新たな表現として評価する余地があるとしても,それらはありふれたものであるといわざるを得ないから創作性は認められない。」
「したがって,反訴原告標章1と反訴被告標章1は,表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において同一性を有するにすぎないから,仮に反訴原告標章1が著作物であるとしても,反訴被告標章1を作成等する行為は反訴原告の複製権又は翻案権を侵害するものとはいえない。」(29~30頁)

「反訴被告ピクトグラムの作成,使用等により反訴原告ピクトグラムについての反訴原告の著作権が侵害されるか否かを検討するため,反訴原告ピクトグラムと反訴被告ピクトグラムが同一性を有する部分についてみると,反訴原告ピクトグラムと反訴被告ピクトグラムは,いずれも,反訴被告で取り扱う商品である具体的な工業製品の外観を示した図といえるものである。そして,これらは,Tシャツの前部中央に表示された表現が異なる反訴原告ピクトグラム4-01ないし4-03及び反訴被告ピクトグラム4-01ないし4-03を除く全てについて,具体的な形状が異なる製品を選択してこれを表現したものである。したがって,反訴原告ピクトグラムと反訴被告ピクトグラムは,基本的に,同じジャンルの製品を選択してその外観を表している点において共通するにとどまるといえるものである。また,反訴原告ピクトグラムと反訴被告ピクトグラムにおいて,選択された製品の配置の角度,複数の製品の種類の選択,レイアウトにおいて共通するものはあるが,これらは,いずれも,アイデアであるか同種の表現を行うに当たり通常考え得るありふれた表現といえるものであり,反訴原告ピクトグラムと反訴被告ピクトグラムが創作性のある部分において共通するとはいえない。また,反訴原告ピクトグラム4-01ないし4-03及び反訴被告ピクトグラム4-01ないし4-03におけるTシャツの形状は概ね同じであるが,これらは極めてありふれたTシャツの形状であり,その形状についての表現に創作性があるとは認められない。」
「これらを考慮すると,反訴原告ピクトグラムと反訴被告ピクトグラムは,表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において同一性を有するにすぎないから,仮に反訴原告ピクトグラムの全部又はその一部が著作物であるとしても,反訴被告ピクトグラムを作成等する行為は反訴原告の複製権又は翻案権を侵害するものではない。」(30~31頁)

といった本判決の説示を読む限り、侵害を否定した結論に自分が違和感を抱くことはなかった。

反訴被告代表者に、第1号店の企画段階から店のコンセプト等を聞かされ、それを具現化するために標章(ロゴ)やピクトグラムを作ってきた反訴原告にしてみれば、いかにデザインがシンプルでも、それに込められたデザイナーとしての思いや、そこにたどり着くまでの労力は、どれだけ強調してもしきれないくらいのものが、おそらくあるのだろうと思う。

しかし、そういったものが「著作権法」の世界で法的に評価されるかどうかは、全く別の話になってくるわけで・・・。


この判決の結果だけ見れば、「著作権で保護を受けるのが難しい以上、反訴原告(デザイン会社)としては、最初に引き受けた時から、『契約』の中に、契約が終了しても対価をもらい続けられるような条件を入れておくべきだった」という総括はできるのだろうけど、自分は、後付けで「平成4年の時点でそこまでしておくべきだった」とまで言ってしまうのはどうかな、と思うし、反訴原告と反訴被告がそんなに細かい決め事までしなくても25年近くカウンターパートとしてやってこれた、というところに日本的な美しさを感じる。

そして、だからこそ、こじれた末のこの帰結が、(当不当は別として)反訴原告にとっては実に〝気の毒”だな、と思わずにはいられないのである。

*1:https://twitter.com/fukuikensaku/status/1135755523725250561

*2:民事第46部・柴田義明裁判長、 http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/700/088700_hanrei.pdf

*3:後者に関しては、反訴原告(デザイン会社)から本件反訴請求が出たことにより、反訴請求の判決段階では既に取り下げられている。

*4:最初見た時は、こんなに安いの?という印象を抱いたのだが、一店舗ごとの金額はそうだったとしても、新規出店のたびに・・・ということまで考えると、また違う見方もできるかな、ということで。裁判所も「反訴原告は相当の額に及ぶ売上げを得ていたことが優に認められ,反訴原告は,反訴被告の直営店,フランチャイズ店に関するデザイン設計料に関する契約に基づき,相当の利益を享受した」(26頁)と判断し、後述する契約解釈の一つの裏付け材料として用いている。

*5:もって他山の石とせよ〜著作権利用許諾をめぐる落とし穴 - 企業法務戦士の雑感参照。

「14季ぶり」という事実への衝撃。

昔は熱狂的にハマっていたのにいつのまにかその熱が醒めてしまった、というものはいくつかあって、欧州のフットボールもその一つ。
かつては主要国のリーグ戦はもちろん、UEFAチャンピオンズリーグも、グループリーグから細かく追いかけていたのだけど、ここ数年は、新聞で結果だけ見て、「いつの間にかトーナメントが始まってるな~」、「今年は●●が勝ったのか~」と軽く流す程度だった。

今年(2018-2019シーズン)に関して言えば、準決勝がそれなりに劇的な展開だったこともあって、結果的に英国勢同士の対決になった*1ことくらいはフォローしていたのだが、関心度合いとしては、今朝の新聞を見て初めて決勝戦の結果を知った程度。

だが、自分が記事を見て一番びっくりしたのは、勝ち負け以上に以下のくだりだった。

「サッカーの欧州チャンピオンズリーグ(CL)は1日、マドリードで決勝が行われ、リバプールが2-0でトットナムとのイングランド勢対決を制し、14季ぶり6度目の優勝を果たした。」(日本経済新聞2019年6月3日付朝刊・第32面)

*1:個人的には、順当に勝ち上がると思っていたバルセロナが2ndレグでまさかの0-4敗退、ということの方に衝撃を受けていたのだが・・・。

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浮気はしちゃダメ、と痛感した一戦。

しばらく続いていたG1連戦は今週で一区切り。
今開催からは2歳新馬戦も始まって、いよいよ新しいシーズンのスタート、といった感があるのだが、自分は、「競馬を見始めた時にはまだ最下級条件が『400万下』だった」世代である。
その後の歴史をたどっても、「1000万」「1600万」という数字より、「900万」「1500万」という数字の方に馴染みがあるゆえに、「1勝クラス」「2勝クラス」という分かりやすすぎるクラス分けがどうにもしっくりこなくって*1、勝率的には散々な開幕週となってしまった。

そんな中、せめてメインのG1、安田記念だけは・・・と思って気合を入れてはみたものの、人気落ちで「ここが狙い目!」と勝負をかけたサングレーザーは、直線最内を突いて、あとちょっと!の雰囲気は醸し出したものの*2、前残りの展開に泣いて5着まで。

そんなこともあろうかと、本命が飛んだ時の〝押さえ”にしたはずだった軸馬・ダノンプレミアムも、スタート直後、名手・武豊騎手をしても御せなかったロジクライの斜行で思いっきり不利を受けて最下位に沈む大惨敗・・・。

同じく不利を受けたアーモンドアイが、ラストの豪脚空しく「3着」という微妙な着順にとどまったことを考えると*3、どうしようもなく負けた分、まだあきらめがつく、と言えばつくのだけれど、やっぱり「強い馬が順当に勝てなかった」というレースは、見終わった後の気分がよくない。

そして、何よりも、今日、一番後味が悪かったのは、逃げたアエロリットが、しっかり残って連に絡んでしまったこと。
つい数週間前、↓のようなエントリーで讃えた馬を、買わなかった結果がこれだ・・・。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

もちろん、彼女を選択肢から外したのには理由があって、「休み明けは必ず好走するが、2走目になるとガクッと成績が落ちる」というデータとか、鞍上が前走の横山典弘騎手から戸崎圭太騎手に乗り替わったこと*4とか、ヴィクトリアマイル以上にペースが速くなって差し馬天国になる、という展開予測とか、考えれば考えるほど「今回は選択肢に入れなくていいか」と思えていたのは確か。

だが、現実にはダノンプレミアムの致命的な出遅れもあって、今回もそんなに激しく突かれることもなく余裕の単騎逃げ。
そして、前走と比べると、最初の200mこそ速かったものの、400~800mくらいのラップで少し緩め、直線に入ってからは再び二の脚で突き放す、という実に理想的な展開だったから、テレビを見ながら声援を送りつつも、心境は実に複雑だった。

アエロリットが「現実路線」に切り替えたことが、驚異的なレースレコードながら、ヴィクトリアマイルのノームコアのコースレコードには及ばず、それゆえに微妙に盛り上がらない、という、勝ち馬・インディチャンプにとっては気の毒な結果につながってしまったのだが、アエロリット自身は、今回も、最後に失速した前走と全く同じタイム(1分30秒9)で走っているわけで、「インディチャンプ以外の馬(特に追い込み勢)に本来の力を出させなかった」という点で実に素晴らしいレースぶりだったな、と。

そして、「一度でも感動を与えてくれた馬」は、そう簡単に選択肢から外さずにじっくり追いかけていかないといけないな、という過去何度も味わってきた教訓を、彼女は再び思い出させてくれた。

だから、もしかしたら次のレースではこっぴどく裏切られることになるかもしれないけど、それでも今日の悔しさに比べれば・・・という思いで今はいるのである。

*1:「1600万下」の違和感がいつのまにか消えたのと同じで、所詮は慣れの問題だとは思うのだけれど・・・。

*2:何といっても上がり3ハロンのタイムが32秒9だから、普通ならきっちり差して馬券圏内に入っても不思議ではなかった。

*3:先週のダービーでの角居調教師に続いて今週はシルクレーシングが「人気薄の方が勝ってしまって微妙な空気」を演出することになってしまった。もしかしたら、もうしばらくこの流れが続く可能性もあるので、宝塚記念まで忘れずに覚えておくことにしたい。

*4:嫌いな騎手ではないのだが、G1で彼が乗ると、どうにも来ない気がして反射的に選択肢から落としたくなる。

気になる「マリカー」事件の真の争点

「そういえば、ちょっと前(といっても訴訟が始まったのは2年前の話だが・・・)に話題になったなぁ」という感のある記事が前日の朝刊に載っていた。

「ゲームキャラクター「マリオ」の衣装を客に貸して公道カートを走らせる行為が知的財産の侵害かどうかが争われた訴訟の控訴審で、知的財産高裁(森義之裁判長)は30日、衣装貸与などが不正競争行為にあたり、任天堂の利益を侵害しているとする中間判決を言い渡した。中間判決は訴訟の途中で一部の争点について判断を示す手続き。知財高裁は損害額を算定するため審理を継続する。」(日本経済新聞2019年5月31日付朝刊・第39面)

昨年の東京地裁判決に続き、知財高裁でも被告側の行為の不正競争行為該当性が認められた、ということで、原告の任天堂も高らかにカチドキのプレスリリースを出している*1のだが、自分が個人的に気になったのは、何で「中間判決」をわざわざ出したのだろう、という点。

残念ながら、本日時点ではまだ最高裁HPに上記の判決文はアップされていない。

そこで、当時はスルーしてしまった東京地裁判決を改めて読み直して、今訴訟がどういう展開になっているのか、ということをちょっと推理してみることにしたい。

東京地判平成30年9月27日(平成29年(ワ)第6293号)*2

本件の原告は言わずと知れた任天堂株式会社。
被告は、株式会社マリカー改め、株式会社MARIモビリティ開発とその代表取締役A。

原告が差止、損害賠償請求の対象にしたのは、主に「マリカー」の表示や、「マリオ」や「ルイージ」等のキャラクターを連想させる人形やコスチュームの営業上の使用行為だったのだが*3、これらに関しては、訴訟になる前から被告がレンタルするカートが公道を走るのを見た多くの人が「無許可でやって大丈夫?」と心配するような状況だったから、実のところ最初から勝負は見えていた。

それでも被告側は、「マリカー」の表示の使用に関しては、自ら実施した利用者の属性に関するアンケートを証拠提出して、

「本件レンタル事業の需要者は,外国人旅行者,在日米軍関係者又は在日大使館員などの訪日外国人であるところ,原告は,原告文字表示マリオカート及び原告文字表示マリカーが訪日外国人において周知かつ著名であることについての主張立証を行っていない。」(18頁、強調筆者、以下同じ。)

という反論を試みたり、被告が「マリカー」の登録商標(登録第5860284号‐2,11、12)を保有していることをもって、「使用権限あり」との抗弁を出したりしているし、コスチュームの使用に関しても「商品等表示としての使用」に当たらない、という主張を行っている。

そして、

「関係団体のウェブサイト上に,英語,フランス語,中国語,韓国語及び日本語で,「ゲーム『マリオカート』(Mario Kart)とは全くの別物です」という趣旨の記載がされており,本件レンタル事業と原告とは一切関係がないことが明示的かつ対外的に示されている」(19頁)

という極めつけの反論まで試みた。

だが、いかに反論を展開したところで、”世界のスーパーマリオ”相手では分が悪い。

裁判所は「マリカー」の表示に関しては、

遅くとも平成22年頃には,日本全国のゲームに関心を有する者の間で,広く知られていた」「日本においてゲームに関心を有する層は相当広範囲にわたっていることは明らかであり,観光の体験等で公道カートを運転してみたい一般人も含まれ,原告文字表示マリカーは,日本全国の本件レンタル事業の需要者において広く知られていた」(以上51頁)

と、あっさり周知性を認めた上で*4

「本件レンタル事業の需要者には日本語を解する者が含まれる。それら日本語を解する需要者について混同のおそれが認められるにもかかわらず,被告会社の行為が全て不正競争行為に該当しないとすることは相当でない。被告らの主張は,本件における需要者として日本語を解する者が含まれないことを前提とする点においては採用することができない。」(54頁)
「(筆者注:打消し表示を行っている事実が認められるとしても),原告又は原告と関係があるとの混同のおそれが生じなくなるということはできない。また,公道カートの車体に表示された打ち消し表示の文字は,停車中のカートに近寄って見なければ判読できない程度に小さいから,本件レンタル事業の利用者に対する効果も確実とは言い難い上,同カートを公道上で目撃する需要者が直ちに認識できるものではない。」(55頁)
「被告会社が本件商標の登録を出願したのは平成27年5月13日であるところ(略),前記(略)で述べたとおり,その5年程度前である平成22年頃には,既に原告文字表示マリカーは原告の商品を識別するものとして需要者の間に広く知られていたということができる。被告標章第1を使用する被告会社の行為は不正競争行為となるところ,上記事情を考えると,原告に対して,被告会社が本件商標に係る権利を有すると主張することは権利の濫用として許されないというべきである。」*5(55~56頁)

と、被告側の主張(反論)、抗弁をことごとく退けた。

また、裁判所はさらに、「マリオ」や「ルイージ」「ヨッシー」「クッパ」といった原告のキャラクターの表現そのものに関しても商品等表示としての周知性を認め、著作権侵害に基づく請求の実質的な審理を行う以前に、不正競争防止法を根拠として被告側行為の差止めを認めている*6

被告側も、かろうじて「外国語のみで記載されたウェブサイト及びチラシ」に関しては「マリカー」表示の周知性に基づく請求を退けたり、被告会社の代表取締役Aが会社と連帯して損害賠償責任を負うという結論を回避する*7という成果は上げているのだが、全体としては「完敗」という結果になっているし、地裁判決が認定した事実関係等を前提とする限り、地裁判決で被告会社の責任が認められた部分に関しては、知財高裁で審理してもそう簡単に結論は変わらないだろう、と思わせるには十分で、今回、知財高裁が、地裁判決からわずか半年ちょっとであっさりと被告側の責任を認める「中間判決」を出したのも頷けるところである。

公表された地裁判決文の中の損害額の”ブランク”

さてそうなると、本件訴訟の真の争点はどこか? という話になってくるのだが、地裁判決をよく読むと、認容された「1000万円」という損害賠償額が、実は「一部請求」(「(被告らは)7490万円の損害賠償義務を負うところ,原告は,被告らに対し,その一部である1000万円の支払を求める。」というのが原告の請求原因の記載となっている)である(37頁)、ということに気付く。

地裁判決では、裁判所が使用料損害と弁護士費用を合わせ、原告の一部請求の額との関係では、あたかも〝ニアピン賞”といった様相の「1026万4609円」という数字をはじき出したのだが、これは責任自体を争っている被告側にとってはもちろん、原告にとっても、念頭においていた「全部請求」の額とは大きな乖離がある数字。

原告・被告双方が第一審の主張の中で示していたはずの損害額算定の基礎となる数字は、公表されている判決文の中では〝●●●”となっていることもあって、なかなか推し量るのは難しいのだが、シンプルに考えるならば、第一審での「完勝」を受けた原告側が控訴審段階になって請求額を増額し、被告側もそこを主戦場として激しく争っている、そのため、知財高裁も「中間判決」という形で「侵害論」の結論を早めに出した上で、「損害論」をじっくり審理する(あわよくば和解決着を狙う)という進め方になった、ということなのかな、という推測は働くところ。

原告としても本件訴訟で「損害を取り戻す」ことを主目的にしているわけではなく、「フリーライド商法」への〝一罰百戒”効果が達成できればそれでよい、というのがおそらく本音だろうから、メディア等での報道の動向も見ながら進めていく、ということになるのかもしれないが、自分としては、「侵害論」で事実上の決着がついた今、最終的に被告が支払わされる金額のスケールがどのあたりの線で落ち着くのか、「真の争点」の行方を気にしながら、本件をもう少し追いかけてみることにしたい。

*1:https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2019/190530.html

*2:民事第46部・柴田義明裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/072/088072_hanrei.pdf

*3:他にも被告の商号登記の抹消登記請求等も行っていたが、口頭弁論終結前に被告が自主的に商号を現在のものに変更したため、この部分は判決で命じられるまでには至っていない。

*4:もっとも「日本語を解しない者」に関してはさすがに「広く知られていたとは認められない」としている(51頁)。

*5:なお、被告側は被告商標に対する異議申立てが特許庁によって一度退けられた、ということも抗弁の根拠事実としていたが、被告商標に対しては現在無効審判2件が係属しており、本件での裁判所の認定等も踏まえて商標が無効化される可能性も高いように思われる。

*6:リンク先の判決文の末尾に実際の写真等が出ているが、被告側の使っているコスチューム等は、原告のキャラクターを精緻に再現したもの、というよりは、〝何となくそれらしい雰囲気を出した”という類のものだけに、著作権侵害を主戦場とすることなく、不正競争防止法だけでカタを付けた、というのは事案の解決の仕方としてはベストだと思うところである。

*7:この点に関しては、代表取締役A氏を代理しているのが内田・鮫島法律事務所だけに、さすが・・・と思わざるを得なかった。

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