2019年5月のまとめ

10連休の途中から始まった5月。
連休が明けても、世の中のカレンダーとは別次元の時の流れの中に身を置く形になって、少々もどかしいところもあるのだけれど、その分、ブログの更新だけはコンスタントにできるようになって、それだけはありがたい、の一言に尽きる。

ブログへのアクセスの方も、おかげさまで、月末の第三者委員会関係のエントリー等も盛り上げていただき、ページビュー26,000弱、5月としては4年ぶりの水準を回復(セッションは14,500強、ユーザー8,000強)。

まだまだしばらくは、ゆったりとした時の流れが続くことになるだろうけど、ブログも仕事も、地道にちょっとずつ、自分らしいスタイルを創り上げていければと思っている。

<ユーザー市区町村(5月)>
1.↑  新宿区 1,066
2.↓  港区 944
3.→ 大阪市 806
4.↑ シカゴ 749
5.↓ 横浜市 678
6.→ 千代田区 454
7.→ 中央区 297
8.↑ 渋谷区 285
9.↓ 名古屋市 278
10.圏外京都市 156

傾向はそんなに変わっていないのだけど、全体のアクセス増加に応じてどこのエリアからのアクセスも数字が伸びていて、リピーター率も向上しているのはちょっと嬉しい。

<検索アナリティクス(5月分) 合計クリック数 2,590回> (2019年5月30日まで)
1.→ 企業法務戦士 305
2.→ 企業法務戦士の雑感 33
3.↑  企業法務 28
4.圏外 双葉社 特徴 24
5.↑ 東京スタイル 高野 19
6.↓ 矢井田瞳 椎名林檎 17
7、↓ 学研のおばちゃん 10
8、↑ 企業法務 ブログ 10
9.圏外 法務 ブログ 10
10.↓ 読売オンライン事件 9

こちらも全般的に「企業法務」とか「法務」といったキーワードでの検索が増えているのは、目指している方向に近いのかな、と思った次第。

最後に新しい企画として、5月中に当ブログを経由してAmazonで購入された書籍のランキングも載せておくことにしたい。

<書籍売上実績ランキング>
1 「改正民法と新収益認識基準に基づく契約書作成・見直しの実務」

改正民法と新収益認識基準に基づく契約書作成・見直しの実務

改正民法と新収益認識基準に基づく契約書作成・見直しの実務

2 「ビジネスパーソンのための契約の教科書」
ビジネスパーソンのための契約の教科書 (文春新書 834)

ビジネスパーソンのための契約の教科書 (文春新書 834)

3 「良いウェブサービスを支える「利用規約」の作り方」*1
【改訂新版】良いウェブサービスを支える 「利用規約」の作り方

【改訂新版】良いウェブサービスを支える 「利用規約」の作り方

4 「これでいいのか!2018年著作権法改正 (Kindle版)

今月取り上げた書籍が上位を占める中で、福井健策先生の名著がいまだに人気があるのは嬉しい限り。

ということで、これで5月も終了。本格的な夏が始まる。
どこかのタイミングでブログのタイトルも一新しようとは思っているけど、いろいろ大人の事情もあるので、もう少しお待ちいただければ幸いである。

*1:購入されたのは「初版」だったようですが、リンクは改訂新版にしておきます。

黒い羊。

世の中には、いろんな会社がある。

「年がら年中新しい人が入ってきては、先にいた人がどこか他の会社にいってしまう」というようなところもあれば、「定年以外の退職、転職は一大事」みたいなところもある。
どちらがいいとか悪いとか、という話ではないのだけど、後者のタイプの会社から抜け出す時の摩擦はどうしても避けられない。

それゆえに、覚悟を決めるまでの時間以上に、ことが決まってからの時間の方がはるかに重く、苦しい日々になってしまった。
一応、そんな日々も、まもなく一つの区切りを迎えることにはなるのだが、
これで終わった、というよりは、戦闘態勢整ってここからが本番、というのが今の心境である。

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最近の法律雑誌より~法律時報2019年6月号

昨日のエントリーに続いて、法律時報の最新号より。

法律時報 2019年 06 月号 [雑誌]

法律時報 2019年 06 月号 [雑誌]

特集「民事司法のIT化」

何といっても、特集が、この先数年、法曹界のホットイシューになるであろう「民事司法のIT化」というのが、本号の価値を高めている所以。

冒頭の総論的な論稿は、山本和彦・一橋大教授が書かれている(山本和彦「民事司法のIT化の総論的検討-本特集の解題を兼ねて」法律時報91巻6号4頁(2019年))のだが、民事訴訟、民事執行、倒産手続のそれぞれについて、これまでの経緯と現在議論されている課題について一通り解説されたうえで、

「平成前半には、IT化でも世界最先端に近い位置にいた日本は、その後半期にはIT後進国へ転落していった。民事訴訟のIT化の面でも、この間の日本は『失われた15年』と言ってよい時代であった。」(前掲5頁、強調筆者、以下同じ。)
「民事司法全体でみても、平成時代の前半は『改革の時代』であったのに対し、平成時代後半は『停滞の時代』であったと言って過言ではない。」(9頁)

と厳しい指摘を行い、さらに、

IT化に受け身で対応するのではなく、IT化を契機として民事司法の改革を積極的に図っていく『攻めのIT化』が重要になると思われる。その意味で、ポスト平成の新時代の民事司法は、再び『改革の時代』へ移行する可能性が高いように思われる。」(9頁)

と、今進められている「改革」への強い期待を表明されているのが非常に印象的である。

また、各論についても、オンラインでの訴状提出や事件管理(杉山悦子・一橋大教授)、口頭弁論期日、争点証拠整理期日のあり方(笠井正俊・京大教授)、民事執行手続(内田義厚・早大教授)、倒産手続(杉本純子・日大教授)、ADR(山田文・京大教授)とそれぞれ読み応えのある論稿が掲載されているのだが、個人的には、「本人訴訟」をテーマにした垣内教授の論稿(垣内秀介「本人訴訟におけるIT化の課題と解決の方向」法律時報91巻6号23頁(2019年))における「アクセス後退の問題」を回避するための2通りの方向性に関する議論*1が、現状の関係者の問題意識をストレートに反映していて、議論の素材として有益だと思った次第。

町村教授の論稿(町村泰貴「民事裁判におけるAIの活用」法律時報91巻6号48頁(2019年))も、最新のトレンドをフォローされている上に、次に紹介する「小特集」のテーマとも関連していて興味深かった。

自分の率直な感想としては、対象が「民事司法制度」という国民共通のプラットフォームである以上、あまり野心的になって「今の技術でできること」を全て突っ込む必要はなく、大多数の関係者が無難に使いこなせるツールを段階的に導入する、という形で収めるのが一番合理的なやり方ではないかと思っているのだけど*2、一部のADR機関で最先端の技術を駆使した「実験」をやってみる、というのはそれはそれで意義のあることなのかもしれないな、と思っているところである。

小特集 先端技術のガバナンス法制をめぐる国内外の動向

こちらも、今はやりの「AI・ロボット」といった先端技術を念頭に置いた企画で、非常に読みごたえはある。

特に、慶応大学の大屋教授が書かれた論稿(大屋雄裕「技術の統制、統制の技術」法律時報91巻6号58頁(2019年))では、先端技術を統制するための法的な枠組みについて、「適切な権利保障と責任分配の枠組」という根源に遡って議論が展開されており、

人工知能技術は予見可能性・結果回避可能性の両面から過失責任主義の実効性に関する危機をもたらすと予想することができる。」(前掲・60頁)

といった指摘がなされたうえで、同時に「過剰規制の罠」として、「技術進化の抑制」や「規制に実効性を持たせるためのコスト」、さらに「萎縮効果」といったポイントが指摘され、「規制のあり方」について論じられた上で、最後は、

「本稿で検討したような適切な統制のあり方に対して国民の信任が与えられるようなプロセスが、新技術に関する規制の、あるいはもっとも重要な要素かもしれないということのみである。」(前掲63頁)

とまとめられており、考えさせられるところは非常に多い。

各論でも、リーチサイト問題について刑法的見地から具体的に議論されている論稿(深町晋也「インターネットにおけるリンク設定行為の刑法的課題-特にリーチサイト規制をめぐる解釈論的・立法論的検討を通じて」法律時報91巻6号64頁(2019年))もあれば、EUの横断的な規制動向を紹介する論稿(寺田麻佑「欧州(EU)における先端技術をめぐる規制の動向と日本への示唆」法律時報91巻6号77頁(2019年))も掲載されているなど、興味を引かれる内容になっている。

テーマがあまりに大きすぎて、具体的に煮詰まってくるのはまだまだこれから、という感も強い分野ではあるが、今いろいろと語られている技術そのものの「具体化」のスピードに合わせて追いかけていければ、と思っている。

「法律時報」らしいいくつかの論稿と、次号予告。

なお、特集以外にもいろいろ興味深い記事は多いのであるが、特に「法律時報」らしいな、と思ったのが、「代替わり儀式」を「違憲のデパート」と評した横田名誉教授の論稿(横田耕一「憲法精査不在の天皇代替わり」法律時報91巻6号1頁(2019年))と、死刑制度を「廃止」論ではなく「違憲」論として論じている阪口教授の論稿(阪口正二郎「死刑における手続保障の重要性」法律時報91巻6号98頁(2019年))である*3

また、最終ページ(168頁)に掲載されている次号予告で、特集が「AIがもたらす知的財産法の変容と未来」となっているのも気になっていて、これは1か月先までのお楽しみかな、と。

以上、盛りだくさんだった今月の法律雑誌特集は、これにて終了。
来月もこの企画を続けられることを願って・・・。

*1:なお、垣内教授は、「本人訴訟に関する限り、従来の紙媒体をベースとした取扱いを全面的に維持する」、「オンライン提出等を本人訴訟においても義務化し、紙媒体から電子媒体への一本化を図る」という極端な2つの選択肢をもとに議論されているのだが(前掲27~28頁)、現実には、「IT化」された手続の方が馴染みやすい「本人」というのも今後出てくるだろうから、「IT化の『例外』を認めるかどうか」という形で論じた方が建設的な議論がしやすいのではないか、と思うところである。

*2:模擬裁判等を見ておられる方々の話を聞いても、よりその思いを強くする。

*3:専門外の分野なので、詳しく解説することはできないのだけれど、こういう論稿が読めるのがこの雑誌の良いところだと自分は思っているので、紹介せずにはいられない。

最近の法律雑誌より~ジュリスト2019年6月号

本格的な月末モード、ということで法律雑誌も続々届いているわけだが、今回はどれも結構読み応えあるな、ということで、まずジュリストから。

ジュリスト 2019年 06 月号 [雑誌]

ジュリスト 2019年 06 月号 [雑誌]

生貝直人=曽我部真裕=中川隆太郎「鼎談 EU著作権指令の意義」*1

今月のジュリストは、決して知財特集号ではないのだが、冒頭からかなりのボリュームで掲載されているこの鼎談をはじめ、全体的に知財色が強い構成になっている。

特に「EU著作権指令」*2は、ここしばらくインターネットコミュニティではかなり話題になっており*3、議論の末、今年4月に承認、5月17日に官報掲載されたばかりの極めてホットなトピックで、このテーマに関して一般法律雑誌であるジュリストが、ここまでしっかりとした企画を打ってくれた、というのは、知財業界的にも実に画期的なことだと思われる。

内容的にも、15条(Protection of press publications concerning online uses、記事中の訳は「プレス隣接権」)、17条(Use of protected content by online content-sharing service providers、記事中の訳は「フィルタリング条項」)の解説を中川弁護士が、権利制限規定の解説を生貝准教授が担当した上で*4憲法学者の曽我部教授も交えて、「著作権者の保護(利益分配含む)と利用者(の表現の自由)の調整」という大きなテーマを軸に骨太な議論がなされていて、実に面白い。

以下、少し長くなってしまい恐縮だが、後日の筆者自身の備忘を兼ねて、項目ごとに気になったところを引用しておきたい。

■15条関連(プレス隣接権条項)

報道機関が適正な収益を確保できるような何らかの仕掛けというのは、現在の状況としては不可欠だと思っています。」
「民主主義社会の中で報道は不可欠な役割を果たしますので、以前のようなビジネスモデルが成り立たなくなった現在において、どういう形で信頼できる報道を支えていくのかというのは、大きな問題になっていると思います。」
「もう1つは、表現の自由との関係で言うと、(中略)一般の個人ユーザーが委縮してしまうのではないかという批判が非常に強くなされていると聞きます。ただ、規定上は、これも先ほどお話があったとおり、かなり配慮をされていて、冷静に条文を読む限りは、あまりそういうおそれはないのではないかと思います*5。しかし、萎縮効果に関しては、文言だけではなくて、規制がどのようなものとして受け取られるかが重要ですので、条文上の工夫がされたからといって、それが一般ユーザーに伝わらず、結果として萎縮が生じてしまえば、やはり問題だということになりますので、その辺について注視が必要かと思います。」(以上、曽我部発言、前掲52~53頁、強調筆者、以下同じ)
「もはや各加盟国単位では、グローバルなプラットフォーム事業者と十分な交渉を行うことができない。本指令によるプレス隣接権の導入には、EU全体が結束して交渉力を高めていこうとする目的もあるのだと思います。」(生貝発言、前掲54頁)
EU全体となると、かなりの数の権利を処理していかなければいけないということになるので、その交渉を含めた手間やコストというのは相当掛かってしまうだろうと思います。(略、12条の集中管理団体の管理権限範囲の拡大規定に言及)まだ取組はこれからだと思うのですが、今後この指令が発効すると、いろいろなステークホルダー同士の協議が始められるのではないかと理解しております。」(中川発言、前掲54~55頁)

■17条関連(UGCフィルタリング条項)

「適法利用が最終的には救済されるとしても、一旦、自動処理ではじかれてしまうと、例えばアカウント停止になったりするわけで、結局、萎縮効果が発生する懸念はあります。そうなってしまうと、実質的には適法利用、あるいは表現の自由に対する制約が出てくるかと思います。逆に、事前のフィルタリングを緩め過ぎますと、こういう仕組みを導入する意義が減殺されてしまうので、事前の自動処理によるフィルタリングと事後の救済の仕組みとのバランスが気になるところです。」(曽我部発言・前掲58頁)
EUは共同規制の枠組みで、きちんとステークホルダー間で協議するということが仕組み上、取り入れられているところですので、その辺りを全体として捉えないと、単純にノーティス・アンド・ステイダウンのところだけがつまみ食いされるとちょっと危険だなと思っています。」(中川発言・前掲60頁)
EUのスタンダード作成路線がもたらす、我が国への立法的な影響というのも今後、様々な議論をしていく必要があるのだと思います。」(生貝発言・前掲60頁)

■権利制限規定

「(日本の判例について)著作権を守るほうについては、創造的な判例が展開しているわけですけれども、表現の自由については、明示的にほとんど考慮されない状況があり、そこは非常にバランスを欠いているかと思います。」(曽我部発言・前掲62頁)

思えば、ここ数年、EU域内だけでなく、日本でも米国でも「デジタル社会における著作権」のあり方について、激しい議論が繰り広げられてきていた。
その成果は、日本では「平成30年著作権法改正」という形で結実したが、既に様々なところで指摘されているようにまだ制度化には至っていない事柄も多数あるわけで*6、その意味で、今回EUが出した一つの「回答」から得られる気づきは多々あるのではないか(それがEUエリートの思惑通り「グローバルスタンダード」になるかどうかはともかくとして)、と思うのである。

いずれにしても、良記事が多いジュリストの中でも、極めて秀逸な企画だと思うので、著作権周りにご関心のある方には、是非ご一読をお薦めしたい。

なお、本号では、いつもの「知財判例速報」(小林利明「商品形態模倣とモデルチェンジ後の商品の保護範囲」(知財高判平成31年1月24日)ジュリスト1533号8頁(2019年))のほかに、弥永先生の「会社法判例速報」(弥永真生「他人と誤認されるおそれのある商号の使用と『不正の目的』(知財高判平成31年2月14日)ジュリスト1533号2頁(2019年))や、「商事判例研究」(高野慧太「写真に基づく絵画制作と翻案の成否、題材としての価値と損害-舞妓写生会事件」(大阪地判平成28年7月19日)ジュリスト1533号108頁(2019年))にも知財系の判例評釈が掲載されている。

また、レギュラー連載の「知的財産法とビジネスの種」では、鼎談にも登場されている中川隆太郎弁護士が、商業建築デザインに関して、知財諸法による保護の実態と、昨今の法改正の動き等をコンパクトにまとめられており(中川隆太郎「商業建築デザインの保護と利用のバランス」ジュリスト1533号90頁(2019年))、こちらも資料価値は高い*7

読み終えた時に、本号が「知財特集号」のように思えた理由も、その辺にある。

特集 PPP/PFIの現在

これもジュリストらしい渋い企画で、メインの記事は、今や最高裁判事になられた宇賀克也・前東大教授が司会を務める座談会(宇賀克也[司会]=赤羽貴=榊原秀訓=寺田賢次=濱田禎「座談会 20年目をむかえたPPP/PFIジュリスト1533号12頁(2019年))。
自分が大学院に籍を置いていた21世紀の初め頃は、実務家教員が開講していた講座の中に「PFI」をテーマをするものも多く、導入当初はそれだけ日本国内での期待も大きかった、ということだろう。

座談会の中でも紹介されているように、モデルにした英国でPFI自体が下火、というか、世論の攻撃を浴びまくってほぼ絶滅の危機に瀕している、という実態は率直に見つめる必要があるし、法制度上「行政」と「それ以外」の間のギャップが大きい我が国で、民間のリソースを公共施設の運営に活用することの難しさも認識する必要はあると思うのだけれど、自分は民間に委ねるべき公共施設や社会インフラはまだまだあると思っているし、行政機関が「直営」するものと「民間委託」するものの選別や、委託する場合にサービスの質を下げずに効率的に運営させるためのインセンティブを与える仕組みづくり、といったところももう少し考えていく必要があるのではないかと感じている。

どこまでが「法」の役割なのか、というのはなかなか難しいところではあるのだけど、英国でも、上記のような役割分担やインセンティブ付与ルールは、すべて国・自治体と運営事業者との間の「契約」で決まっている、ということを考えれば、いわゆる行政法的アプローチを超えたところにまで踏み込んで、議論の幅を広げていかないといけないのではないか、と思うところである*8

連載 新時代の弁護士倫理

前号では、末尾の「研究者の視点から」のコメントがかなり強烈だったこの連載*9
今回は「弁護士報酬と預り金管理」をテーマに、引き続き座談会が行われている(高中正彦[司会]=石田京子=加戸茂樹=山中尚邦「弁護士報酬と預り金管理」ジュリスト1533号64頁(2019年))。

「弁護士報酬」に関しては、

「旧報酬規程と異なる独自の報酬体系を作るということは実際には容易ではありません。やむを得ない面もあるのではないかと思います。」(加戸発言・前掲65頁)

といったトラディッショナルな弁護士の実態から、一部の大衆系大型法律事務所の

「インターネット広告で広く事件を集めてくることができる弁護士は、広告中で弁護士報酬を分かりやすく掲載していることが多いと思いますが、逆に言うと、弁護士報酬について定額制など算定の容易な方式を採用しなければ顧客の勧誘ができないという関係にもあると思います。」(山中発言・前掲65頁)

という状況まで*10、現状が生々しく描かれているし、「債務整理事件処理の規律を定める規程」において、独禁法の抵触問題を回避して「上限規制」を盛り込んだ経緯や、「完全成功報酬制(コンティンジェント・フィー)」を認めるかどうかの議論等、興味を惹かれる内容は多い。

「1皿幾らという回転寿司屋のような明朗会計をするためには、定型的にせざるを得ないのですが、他方で仕事を定型的に処理するのは、それはそれで問題があるとされています。そこが弁護士業務のジレンマではないかと思います。」(加戸発言・前掲77頁)

というコメントに、弁護士報酬に関するすべての問題点が集約されているように自分は感じたし、自分自身、これから「自分の仕事にどれだけの値段を付けるのか?」ということを自問自答していかないといけない身だけに軽々にコメントしづらいところはあるのだが、弁護士だけでなく、「弁護士に依頼する人々(そして支払うフィーにいつも悩まされている人々)」にこそ読んでほしい記事だな、と思った次第。

なお、今回の「研究者の視点から」は比較的穏当なコメントに収まっているのだが、大澤彩教授の論稿(大澤彩「弁護士報酬と依頼者の『弱み』」ジュリスト1533号79頁(2019年))が、消費者契約法規制の枠を飛び越えて、

「事業者が依頼者である場合にも報酬の想定困難性は存在しうる。契約において一方当事者に存在する『弱み』は、時に『事業者』にも存在することから、『弱み』=消費者法の問題としてとらえるだけでは不十分であることを示している。」(79頁)

とまで踏み込んでいるのは、また別の意味でアグレッシブ、というべきなのかもしれない*11

*1:ジュリスト1533号ⅱ頁、52頁(2019年)

*2:DIRECTIVE (EU) 2019/790 on copyright and related rights in the Digital Single Market and amending Directives 96/9/EC and 2001/29/EC、 https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/HTML/?uri=CELEX:32019L0790&from=EN

*3:例えばYou Tubeは、現在でもhttps://www.youtube.com/saveyourinternet/のようなキャンペーンを行っている。

*4:これらの解説も制定経緯を含めて非常にわかりやすく書かれている。

*5:本稿では、15条1項では、「適用されない場合」として以下の場合が明確に規定されていることが指摘されている。”private or non-commercial uses of press publications by individual users.””acts of hyperlinking.””in respect of the use of individual words or very short extracts of a press publication.”

*6:特に適正な利益配分に関する仕組みづくりに関しては、長らく停滞している印象がある。

*7:なお、中川弁護士は著作権法46条2号を根拠に「建築デザインが著作物でも、その写真を絵はがきとして販売するなどの行為につき著作権咎めることは、原則としてできない。」(前掲90頁)とさらっと書かれているが、絵はがきにしたくなるような建築物の場合、「美術の著作物」の要素を備えていることも多い(というか、「美術の著作物」から明示的に除外される、と判断する根拠がない)ことから、実務上は、法46条4号(「専ら美術の著作物の複製物の販売を目的として複製し、又はその複製物を販売する場合」)を拡大解釈して自制するか、許諾をもらいに行くことの方が多いのではないかと思う。蛇足ながら。

*8:既に日本国内でも、コンセッション契約の実例等は多々出てきているのだから・・・。

*9:最近の法律雑誌より~2019年5月号(ジュリスト、法律時報) - 企業法務戦士の雑感

*10:他に「事件受任前の法律相談料は無料という流れが相当程度に普及している」という状況等も指摘されている。

*11:個人的には、事業者から委任を受けた事件の報酬額についてまで外から介入するのは、さすがに行きすぎだと思っているのだけれど。

安易な「第三者委員会主義」への戒め。

月曜日の日経法務面、最近は担当記者の興味関心と自分の興味関心がマッチしていないせいか、週によって、主観的な”当たりはずれ”*1が大きいのだが、今回は中村直人弁護士の切れ味鋭いコメントに思わず目が留まった。

サブ的な位置づけの囲み記事*2だが、「相次ぐ品質不正・当事者の介入… 「第三者委は問題だらけ」」という見出しからしインパクトは強い。
そして、第三者委員会の「現状の問題点や、あるべき姿」について、某社の品質不正のケース(報告書公表後に新たな問題が発覚)や、不正統計問題をめぐる厚生労働省の報告書(当事者が作成に関与)の件などを挙げた上で、

「当事者と関わらない中立の立場でできる限り調査し、改善策を提示するのが本来の役割だ。」日本経済新聞2019年5月27日付朝刊・第11面、強調筆者、以下同じ。)

という大原則を指摘され、さらに、「求められる姿勢」として以下のように説かれる。

「2つのバイアスを排除する必要がある。1つは不祥事なのだから厳しく判断してほしいという世の中の期待だ。ただ裁判所にいったら勝てない証拠でクロと判断すべきではない。他方、依頼者にほどほどにしてほしいという希望がある場合も多いだろう。実際、第三者委が善管注意義務などの役員の責任まで認める例は少ない。証拠集めの限界を理由に責任を認める証拠はなかったと書くのは簡単だが無責任だ」

この辺のバランス感覚はお見事の一言に尽きる。

そして、スルガ銀行の調査時の例なども挙げつつ、

スルガ銀行でも3カ月間かけて膨大なメールなどを分析するデジタルフォレンジック(電子鑑識)をした。裁判所で通用する水準を意識し認定した事実は証拠とひもづけて報告書にまとめた
「ただ真摯に取り組んだ場合でも強制捜査権がないなど限界はある。そこで、どういう限界があったか説明するのが大切だ。調査できたことや証拠、認定ができなかったのはこの証拠がなかったからといった内容や足跡を報告書に残すべきだ」

と一歩踏み込んだコメントを残されているあたりにも、これまで成果を残されてきた超一流の実務家としての矜持が感じられる。

さらに興味深いのは、「真摯に取り組むべき」と指摘しつつも、以下のとおり昨今の風潮に釘をぐさりと刺しているくだり。

「調査の範囲自体も第三者委が決めるため、徹底的に調べる場合はタイムチャージで弁護士費用は高額になる。それをうまみがあるとみなす風潮はよくない。次の仕事につなげたいなどと考えれば依頼者との距離感を誤りかねない」

短いコラムながら、上記以外のコメントについても、まさに「御意!」と申し上げるしかない見事な現状分析と指摘だけに、読者の皆様にも是非ご一読をお薦めしたいところである。

・・・で、これに自分自身が気になっていることを付け加えるならば、そもそも「何でもかんでも第三者委員会にやらせる、という風潮自体がおかしくないか?」というのが今の問題意識。

これが、例えば調査前にメディア等に大々的に報道されたような事案で、中村弁護士も指摘されているような「世の中の期待」(これは当然、不祥事なんだから皆頭下げろ、首にしろ、といった〝悪い意味”での期待である)の重圧がのしかかっているような場面であれば、「中立的な第三者」に調査を委ね、解明された事実の下できちんと責任判断をしなければいけない、という要請は当然出てくる。
また、調査対象者が会社の最高幹部レベル、という場合も、社内調査だとどうしても萎縮効果が生じてしまうから、第三者の力を借りる、というのは理解できるところ。

しかし、最近の「第三者委員会報告書」の中には、まずきちんと社内の統制システムを機能させて調べ尽くすのが先なのでは?と思うものも結構見受けられるような気がする。
特に、現場レベルで起きている類の話*3を調査対象とするケースなどは、現場のことを分かっている社内の人間がまずきちんと調べた上で進めていかないと、いくら「第三者」を立てても、なかなか問題の本質にはたどり着けずに終わってしまうだろう。いくら「弁護士」の看板を持っている人でも、誰しもが調査対象の会社なり、業界なりの内情に必ずしも通じているわけではないのだから・・・。

また、子会社で起きた不祥事の調査を親会社が「第三者委員会」に投げる、というのも、個人的にはちょっと違和感があって、それ自体がグループガバナンスが機能していないことを表してしまっているように思えなくもない。

もちろん、自社のリソースだけでは十分な調査ができない、という時に外部のコンサル会社等から人を出してもらう、というのは有効な対策だし、フォレンジックのような踏み込んだ調査をするために専門的な業者を使うのも当然あり得ることだとは思うのだけれど、そこであえて「法律事務所」に依頼をかける必要は本来ないはず。

業界的には、上記で中村弁護士が釘を刺したような風潮もある、と聞くところだし、一義的にはそれが依頼を受ける側のモラルの問題だ、ということは言うまでもないのだけれど、そもそも依頼する側が安易に「第三者委員会」に依拠してしまうことも、問題の背景にはあるような気がしてならない。


自分は、何らかの「不祥事」と言えるような事象が起きた時にもっとも評価されるべきは「立派な第三者報告書を作らせた会社」ではなく、「トップが自ら主導して的確な社内調査を行った会社」だと思っている。そして、多くの場合「外野から見守る」立場になる我々が、対象会社の安易な「第三者委員会」への逃避を招かないような風潮を作っていかないといけないのではないかな、と、今強く感じているところである。

*1:もちろん、自分が興味がなかった、というだけで、記事としていいとか悪いとか、という話ではないので、誤解なきよう・・・。

*2:記事リンクは、https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190527&ng=DGKKZO45212770U9A520C1TCJ000

*3:品質偽装などはその典型だし、先般話題になったNGT48の話なども、本来は中できちんと処理すべき話だと思う。

これが、日本ダービーだ。

先週日曜日、外国人騎手の騎乗馬がまたあっさり勝ってしまったこともあり、エントリー*1の中では、

「最後のダービーくらいは日本人騎手にも意地を見せてほしい」

と書いておきながら、深く考えずにサートゥルナーリアを本命&絶対軸に据えてしまった自分。
前走を余裕残しで勝ち切った無敗かつ超良血の皐月賞馬に死角なし、と考えたのが自分だけではなかったのは、「単勝1.6倍」という一本かぶりのオッズからも明らかだったのだが、今日のレースは、そんな安直な選択をした全ての者に深い反省を促すものだったように思う・・・。

11万人の大観衆を前に、いつになく入れ込みが激しかったサートゥルナーリアの鞍上は、これまた今回がダービー初騎乗のレーン騎手。
そして、そんな数少ない不安材料は、ゲートが開いた瞬間の出遅れ、という形で見事に露見した。

もし、今回”暴走”に近い大逃げ*2を打ったリオンリオンの鞍上が、経験の浅い横山武史騎手ではなく父親の方だったら、落ち着いたペースの中で本命馬が立て直すチャンスがあったかもしれない。

だが、超ハイペースの澱みない流れの中では、最初のちょっとしたリズムの狂いが最後まで響く。

角居厩舎の2頭目、本来であれば「ペースメーカー」の役回りを演じても不思議ではなかった最内枠のロジャーバローズが、2番手ながら最短の進路を通って事実上単騎逃げの形になり、失速したリオンリオンを横目に、前が止まらない馬場の特性を生かして”独走”態勢に入る。

そして、後続の混戦から抜け出してそれを追いかけられたのは、ダノンキングリーただ1頭だけ。

最後の直線、後方から追いかけて、さらに伸びてくるかと思われたサートゥルナーリアは、競り合いの中で再び沈み、最速の3ハロン上がりタイムを記録したもののヴェロックスの後塵まで拝する4着、馬券圏外へと消えた*3

前週のオークスをさらに上回る「2分22秒6」という驚異的なタイムと、勝ったロジャーバローズの93.1倍という単勝オッズを見れば、特殊なコースコンディションの下での特殊なレース、として片づけてしまうのは簡単だろう。

ただ、「波乱」といっても、皐月賞の上位3着はきっちり2~4着を占めており、勝ったロジャーバローズにも京都新聞杯2着の実績があること、1着、2着を占めたのはこのレースでも滅法強い(過去10年で4勝)ディープインパクト産駒であること、そして何より上位3頭に騎乗していたのは、今の日本を代表する一流騎手で、ダービーも何度も経験してきた浜中俊戸崎圭太川田将雅という騎手たちだったことを考えると、「不利な材料」が多すぎたサートゥルナーリアがこけただけで、数年後に見返せば至極順当な結果だった、と言われても決して不思議ではないような気がしている。


ちなみに、デビュー3年目に菊花賞を勝ち、その後、一時期、”ミッキー”を冠した馬たちの主戦騎手としてG1タイトルを獲りまくった浜中騎手も、ここ1,2年は何となく影が薄い存在になりかけていたのだが、実質昭和最後の年に生まれ、ちょうど30歳、という節目で迎えた彼が今年のダービーでタイトルを手に入れたことで、池添騎手、川田騎手に続く関西〝内国産”騎手の系譜を受け継ぐことができたのは実に良いめぐりあわせ。

また、ノーザンファームが上位を独占することも稀ではなかったこのレースで、ディープインパクト産とはいえ、勝った馬が新ひだか町(飛野牧場)、2着馬が浦河町(三嶋牧場)の生産馬だった、というのも、いろいろとワンパターンになりかけていた今の日本の競馬界の「この先」を考える上では一筋の光明になったのではないだろうか。

*1:気が付けば、昨秋の再来・・・。 - 企業法務戦士の雑感参照。

*2:さすがにダービーで最初の1000mを57秒8で飛ばす、というのは人気を背負った馬としてはあり得ないだろう、と・・・。

*3:ダービー初騎乗だったレーン騎手の問題を指摘する、という説明をするのは簡単なのだが、そのレーン騎手は、最終レースの目黒記念でこれまで戸崎騎手や北村友一騎手といった日本人の名手たちが手を焼いてきたルックトゥワイスの末脚を見事に引き出して(しかも驚異的なコースレコードで)同馬に初重賞のタイトルを獲らせており、本来であれば他の外国人騎手と比べても非の打ちどころがないようなレース運びをする騎手だけに、いかに「ダービー」の環境が過酷か、ということもまた改めて感じさせられた。

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最近の法律雑誌より~BUSINESS LAW JOURNAL 2019年7月号

月末に差し掛かってきたこともあるので、そろそろ法律雑誌の特集でも。

今月第一弾は、不定期購読のBLJ。
特集が「海外取引における最近のトラブル類型と対応策」ということで、ここは迷わず購入させていただいた。

Business Law Journal 2019年 07 月号 [雑誌]

Business Law Journal 2019年 07 月号 [雑誌]

定期購読されている方が既に感想をアップされている中(BLJ 2019年7月号 - dtk's blog(71B))、後追いになってしまう感はあるのだが、気づいた点をいくつか書き残しておくことにしたい。

特集「海外取引トラブルにおける法務担当者の役割」

企業内実務者の論稿が巻頭の1本のみ、それ以外は弁護士の解説記事、というBLJらしからぬ構成になっている、ということで不満をお持ちの読者もいらっしゃるのかもしれないが、個人的には中尾智三郎さん(三菱自動車法務部担当部長/三菱商事)の記事一本だけでインパクトは十分だし、「内側から見た海外取引法務」のエッセンスは概ね伝えきれているのではないかと思っている。

小見出しを抜粋するだけでも、「契約書はビジネスの取扱説明書」、「交渉では決裂を恐れない」、「契約交渉ではビジネスとの連携を図る」、「失敗事例から学ぶ再発防止策」、「契約の世界を現場に浸透させる」、「個々の専門性を磨く」と、この論稿がこの種の話のスタンダードテキストになっている、ということが分かるだろう。

もちろん、古くから海外をフィールドに事業を行い、それに対応した法務部門の体制も充実している商社、メーカーと、そうでない会社とでは、海外事業部門の「法務」に対する意識や、法務部門との関係に異なる面は多い。

冒頭の「契約書」の重要性を説かれるくだり一つとっても、

契約書の内容は、法務だけではなく事業部門の担当者もしっかりと把握していなければなりません。本来、契約書はビジネスの取扱説明書であり、ガイドラインとなるものだからです。」(中尾智三郎「海外取引トラブルにおける法務担当者の役割」BUSINESS LAW JOURNAL136号24頁(2019年)、強調筆者、以下同じ。)

というコメントには何の異論もないのだが、その前提となっている「事業部門の担当者の多くは、いまだビジネスと契約書は別個の存在であり、契約書は法務マターとして法務に一任しておけばよいと考えがち」というところは、そのまま当てはまらない会社も多いのではないかと思う*1

また、

交渉まで担当しないかぎり、契約書は『読めない』『書けない』『分からない』ように思います。」(前掲25頁)

というのも、本当におっしゃるとおりなのだが、契約交渉に法務部門が同席する習慣のない会社でそれを実現するためには、そこに至るまでの信頼関係を築くための地道な努力が必要で、そう簡単な話ではない。

トラブルへの対応に関しても、

「トラブル対応における最後の砦となるのは法務ですから、みんなが慌てていたとしても、冷静沈着でなければなりません。」
「実際、ビジネス現場が『相手が悪かった』と非難する場合の多くは『契約書が悪かった』事案であったりします。先に述べたように、基本的には契約書に書いてあることがすべてですから、『そうはいっても・・・』『理屈ではそうだけど・・・』といった言葉は禁句です。相手にとって裏切ったほうが得な契約書であったのならば、裏切られても仕方がないということです。」(前掲26頁)

と、いかにも商社の方らしいドライさが前面に出ているのだけど、事実を確認して、明らかに相手方の対応に非があると思えるような場合に、「契約書が悪いので無理ですね」などといってことを片付けてしまったら社内の法務部門の存在意義などない、と自分は思っていて、「振り返り」をする前に、屁理屈的な文言解釈でも、契約締結前のやり取りでも、使える材料は何でも使って”取り返す”努力はしていかないといけない*2

ということで、バックグラウンドの違いからくる突っ込みはいくつかあるのだけど、

「国際交渉において求められるのは、法律を振り回すことではなく、言葉を使い回してビジネスを実現することです。交渉の現場にいるのは『国際交渉人』であって『国際弁護士』ではありません。法務担当者は優秀な国際交渉人を目指すべきです。」(前掲25頁)
「複雑な契約書の交渉・作成を担った法務担当者には、締結後すぐに、交渉の経緯をまとめた引継書や解説書を残しておくことをお薦めします。」(25~26頁)*3
「法務の本質は、『処方』を出すことではなく、リスク分析や法解釈といった専門性を活かして、事業部門の担当者と一緒に、『怪我』のないビジネスを作り上げていくことにあるからです。」(前掲27頁)

といったフレーズには実務のエッセンスが凝縮されており、こういったところを読むだけでも、今回の特集目当てに一冊買った甲斐はあったなぁ、と思った次第。

なお、中尾氏の豊富なご経験に基づく実務エッセンスと世界観をより堪能したい方には、昨年出版された以下の書籍を強くお勧めしておく。
(海外法務に関する書籍としては、現時点ではナンバー1だと自分は思っている。)

英文契約の考え方

英文契約の考え方


本特集のそれ以外の論稿は、弁護士が書かれた各論で淡々と読むしかなかったのだが、仲裁や事実上の対処法まで言及されている江口拓哉弁護士の論稿*4を除くと、「最近のトラブル類型と対応策」というテーマには必ずしもマッチしていないような気がした*5

また、全体的に取引類型に偏りがあるのも気になるところで、読者構成を考慮すると、代理店契約や調達契約、技術ライセンス契約がメインになってしまうのは仕方ないとしても、このご時世、もう少しO&Mとか、サービスノウハウ移転系の話にまで踏み込んで書いてもらえるとよいのだけどな、というのが、率直な感想である。

辛口法律書レビュー(2019年4月)

数ある連載記事の中でも、断トツでぶっ飛んでいるこの企画がまだ続いている、というのが自分は本当に嬉しい。

今月は「改訂新版 良いウェブサービスを支える『利用規約』の作り方」を「必読の一冊」として持ち上げつつ、

「中級者にとっては、本書のツッコミポイントをいくつ探せるかというのが、自分が中級者に成長したかどうかを測るバロメーターになるのである。」(企業法務系ブロガー「辛口法律書レビュー」BUSINESS LAW JOURNAL136号134頁)

と、ネタから本質的な指摘まで、こと細かく突っ込みを入れていく、といういつもながらの心憎い構成になっている。

自分はまだこの「改訂新版」を入手していないので、あくまでronnorさんの指摘を追いかけているだけなのだが、例えば「類似の他社サービスの利用規約を『部分的にマネしても基本的には法律上問題とならない』」というくだりに関して平成26年東京地裁判決*6に言及すべき、というのはその通りだと思うし、「法改正対応」と帯に書きながら、創設される定型約款規制について詳述していない、ということなのであれば、それはさすがに・・・と思うところもある*7

ちなみに、自分は、ここで取り上げられている書籍の初版が出た時に、以下のようなエントリーを書いた。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

なので、今回の「辛口法律書レビュー」の中では取り上げられていない部分(『契約関係』の整理・把握関係の記述について、どこまで改訂新版で踏み込めたか)の方に自分の関心も向いていたりするのだが、その辺は実際に読む機会があれば、改めて書いてみることにしたい。

その他の記事

自分の習性で(しかも今は時間的な余裕もあるので)、隅から隅まで目を通してみたのだけど、久しぶりに通常号を読むと、全体的に記事の中身がマニアックな方向に行ってないか、言い換えるとNBL化」してないか?というのが、ちょっと気になってしまった。

元々この雑誌は、編集部の方々の″実務目線”への強いこだわりの下、「企業内の法務の第一線で働いている人に本当に必要な情報を届ける」というコンセプトでできたものだったはず。だからこそ、以前は外部の弁護士の論稿も、単純に持ち込まれたものではなく、一定の企画コンセプトの下で組み立てられたものが多かったし、実名でも匿名でも生々しいコメントをそういった記事に添えることで、他の商業法律雑誌とは一線を画すものが出来上がっていたのだと思っている。

年月が経ち、様々な事情はあるのだと思うけど、自分は、BLJが、「書き手のニーズ」ではなく、「読み手のニーズ」に合わせた雑誌であり続けてくれることを願っているので、ここで改めて・・・*8

*1:「一任」という名の「丸投げ」ではさすがに困るが、どちらかと言えば「法務に関係しそうな中身はないのでこのまま進めます」と言い張る海外事業部門の担当者に「早期に法務部門にレビューさせる」習慣を身に付けてもらうことの方に、自分は多くの時間を割いており、「早く契約書のドラフトをこっちに回せ!」と叫んだことは一度や二度ではない。

*2:そして、それが奏功して良い流れに変わることだって現実には多々ある。その意味で「契約書」が全てではない、と自分は思っている。

*3:自分はここまですればベスト(実際にそこまでする気力体力があるかどうかは別として)、という点については何ら異論はないのだが、後々トラブルが生じた時に、そこに書かれた内容(交渉経緯時のやり取りをベースにした解釈)に縛られ過ぎると、かえって柔軟な解決を妨げるおそれもあるので、その点にだけは留意すべきだろう。先ほどの例とは逆に、自社の方が(契約当初の相手方の思惑に反して)“不誠実”にふるまわないといけないことだってあるのだから。

*4:「中国・ASEAN企業と締結する調達・販売契約のトラブルとその対応策」BUSINESS LAW JOURNAL 136号51頁(2019年)

*5:「トラブルを防ぐために契約書にこう書きましょう」というのは、「トラブルへの対応」という主題とは別の話だと個人的には思っているので。

*6:「規約」の著作権侵害が認められてしまった驚くべき事例。 - 企業法務戦士の雑感参照。

*7:ronnor氏が注6で書いている「不当条項規制」に関しては、自分なら実質的に変わるところはない(消費者契約法の規制をきっちりフォローしておけば良い)、とあっさり書いてしまうだろうが、改正民法施行に伴い約款をめぐるクレーム、トラブルが増加する可能性は否定できないだけに、このタイミングで出版するのであれば、そういった時の対応についてもきっちり書いておくのが望ましいだろうと思う。

*8:本編の記事よりも、広告として掲載されている早稲田大学大学院の「知的財産法LLMコース」に関する高林龍先生+修了生の対談記事の方が、BLJっぽい、と思ってしまったくらいだから。

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