“言いたい放題”のokeydokey氏が、
「「顔真卿自書建中告身帖」事件判決と実務」というタイトルのエントリーで、
「告身帳」の“掲載料”*1が未だに徴収されているという例を挙げ、
このような実務慣行に疑義を投げかけられている。
(http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20051108/1131386619)
同氏が引用している文献を読んでいないので何ともいえないが、
“掲載料”の法的性質をこじつけるとすれば、
同氏が指摘するように、①「「図録」の管理手数料」*2とするか、
②「任意の寄附」と割り切るほかないように思われる*3。
確かに興味深い事例といえるだろう。
もっとも、この手の話は実務には多い。
有名な美術作品や建築物の所有者(オーナー)の多くは、
自らが保有する作品の“パブリシティ”を最大限活用しようと、
様々な試みを行っているが、
中でも多いのが、当該作品の無断撮影を禁止した上で、
自ら写真や映像素材を“貸し出す”という戦法である。
保有している作品が、典型的な“著作物”であれば、
複製禁止権の行使ということで説明できようが、
現実には、“公開の美術の著作物”に該当するものであっても*4、
ましてや著作物性のない(あるいは権利が消滅した)ものであっても、
上記の試みは厳格に適用される。
田村教授が『著作権法概説』の序章で書かれているように、
「ディズニーランドは、外からディズニーランド内のシンデレラ城を見る行為に対しては権利を主張できない」*5
というのが法の建前だが、
「外から見えるシンデレラ城のパブリシティを商業利用する行為に対しては、堂々と権利を主張する」
というのが、ディズニーランドの現実でもある*6。
そのような実務の一端を示すものとして、
「浅井コレクション」事件(大阪地判平成16年9月28日)*7というものがある。
これは、「浅井コレクション」の名の下に、
「1万余点の錦絵(浮世絵)、肉筆絵巻等の歴史的・美術的・資料的価値のある文化財を所蔵し、これを研究するとともに、それら文化財の写真映像、画像を印刷物・テレビジョン放送・ビデオテープ・レーザーディスク・CD−ROM・DVD−ROM等に利用することを希望する者に所蔵品写真を有償にて貸与し、その使用対価をもって上記コレクションの維持運営を行っている」
原告が、
コレクションの一つである錦絵『東京開花』を無断で書籍に掲載した被告に対し、
パブリシティ権侵害に基づく不当利得返還請求等を行ったものである*8。
顔真卿事件の最高裁判決や、ギャロップレーサー事件の最高裁判決を
知っている者にとっては、“トンでも訴訟”とでもいうべき事例だろうし、
裁判所も実際に両判決を引用した後に、
「なるほど、保護期間満了後の美術の著作物であっても、原作品の所有者に対価を支払って原作品の利用の許諾を求める例は幾多もあり、また原告のように、利用に関する特約として再利用の場合でもその都度更に対価を徴収する例があることは十分考えられるところ、原作品を複製したものを更に複製等した行為に対して対価を徴収できないとすれば、原作品の所有権者はそれだけ原作品によって収益を上げる機会を奪われ、経済上の不利益を被るということはできよう。しかし、これは第三者が著作物を自由に利用することができることによる事実上の結果にすぎないから、第三者が正当な権限なく利得したということはできない。原作品の所有権者が、著作権保護期間内は著作権等に基づき複製等を許諾する権利を有し、原告の主張するように同期間経過後は所有権者がパブリシティ権に基づき同権利を有するとするならば、著作権法が著作物の保護期間を定めた意義は全く没却されることになる。」
と述べて、あっさりと原告の請求を棄却している。
しかしながら、
本件に関しては、原告は結構本気だったと思われるフシもある。
原告が行っていたのは、
「上記所蔵文化財の利用に対応する目的で、「浅井コレクション所蔵品映像利用規定」(以下「利用規定」という。甲1)を定め、利用者から上記文化財映像、画像の使用申込みを受けた場合、原告所定の申請書により申込手続を取らしめ、利用規定を遵守する約定の下に、上記文化財映像、画像の利用を許諾している。また、原告は、所蔵文化財の写真フィルム又は印画を貸与して利用料金を徴収する方法によるのみならず、写真フィルム等の貸与専門の代理人を通じて間接的に上記写真フィルム等の貸与及び利用料徴収を行う方法により業務を遂行することもある。利用者が原告所蔵文化財の写った写真を既に所持し、あるいは他より入手し、又は既印刷物の複写等により原告所蔵品写真映像を利用したい旨申し出のある場合、原告は写真フィルム等を貸与せず、許可書の交付及び利用料金の徴収のみを行う。」
という試みであった。
そして判決を読むと*9、
「東京開花」にかかる写真使用許諾件数は、年平均12件、
利用規定に基づく料金は3万5000円、となっている。
所蔵している1万点のすべてに同じような引き合いがあるわけではないにしても、
トータルすれば、それなりの収入にはなってくる。
そして、このような「利用規定」にしたがって、
忠実に利用料金を支払う者が少なからずいる実態を鑑みれば、
無断で写真を掲載する“フリーライダー”を見逃すことは、
原告としてはできなかっただろう。
上記のような例以外にも、
「著作物性の疑わしい“素材”」をライセンス対象にしている例は、
世に多く見られる。
著作権法の真の意義が、
「保護の対象としていないもの」をパブリック・ドメインに置いて、
公衆の自由な利用に委ねるところにある、
と捉えるのであれば、
このような“権利者”の試みは、
著作権法の規律をオーバーライドする“けしからん行為”と
指弾すべきものなのかもしれない。
だが、パブリック・ドメイン尊重論者が拠って立つ、
“著作権法の規律”は、
パブリック・ドメインと権利者保護領域を明快に区別できるほど、
明確かつ成熟したものなのだろうか?
“応用美術”をめぐる議論を見ても分かるように、
裁判例の中で、著作物性が認められたものと、
そうでないものとの間の区別は決して明確なものとはいえない。
保護期間については、年数が明示されているという点において明確さがあるが、
当該“作品”の管理のために一定の投資を継続している所有者の
身になって考えれば、
50年と50年1ヶ月との間に有意な差を認めることは難しいだろう。
優れた才能の果実を“創作物”たらしめ続けることができるかどうかは、
その作品の維持のために所有者が行う投資にかかっている、
というのも、また事実である。
だとすれば、所有者のインセンティブを保護するために、
一定のオーバーライドを“大目に見る”のみならず“積極的な存在意義を与える”
という考え方もとりうるのではないか、と思うのである*10。
*1:「告身帳」を直接撮影するのではなく、図録の写真をもとに掲載するときに、所有者である書道博物館に掲載料として5000円を支払わねばならない、というもの。これは「著作権の消滅後に第三者が有体物としての美術の著作物の原作品に対する排他的支配権能をおかすことなく原作品の著作物の面を利用した」典型的な例である。
*2:原作品を美しく“保存”するために所有者が費やしているコストを鑑みて支払うべき対価、とでもいうことができようか。
*3:③「図録」に掲載されている「写真」そのものの著作権に基づく対価、と構成する手もあるが、この手の写真は被写体となっている「元・著作物」と同一視できるだけに、少し苦しい。
*4:「公開の美術の著作物」であれば、著作権法第46条所定の事由に該当しない限り、利用することができるというのが原則であるはずだが・・・。
*6:広告の片隅に「シンデレラ城」が映っているだけでもクレームの元になるから辞めておけ、というのが広告業界の人々の行動規範となっている。
*7:http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/Listview01/70B982345ABA22244925701F002DFAEE/?OpenDocument
*8:被告が、原作品の所蔵先を「神奈川県歴史博物館」と誤表示したことについては、不競法2条1項14号(虚偽事実の流布)に基づく損害賠償請求もあわせて行っている。
*9:あくまで当事者の主張をベースとした“事実”ではあるが。
*10:田村教授も、あくまで例外的位置づけ、としながらも、「成果開発のインセンティブ」を一定程度保護する必要性は認められている((田村善之『不正競争法概説〔第2版〕』525頁(2003年)。