新会社法を批判する人々

日経新聞の連載コラム『経済教室』で、
連日、新会社法批判が展開されている。


まず、月曜日の小幡績・慶大助教授(企業金融)。


個人投資家こそ主役」と銘打ったこの論稿、
冒頭で、

「法律にはグレーゾーンは存在せず、グレーゾーン取引はすべて違法取引だからである。」

というあっと驚く見解をご披露される小幡助教授は、
ライブドア村上ファンドの行動が
「買収を困難にする制度変更」を招いた、として、
彼らの行動と、それに伴う法改正の動きを
個人投資家保護の観点から批判する。


そして、新会社法については、
以下のように断罪する。

「筆者はこの新会社法も証券市場に今後混乱をもたらす可能性があると考える。株主総会で定款を変更すれば何をやってもよいという「定款自治」、そして取締役会に多くの権限をゆだねる「取締役会自治」が拡大することになった。」
個人投資家保護の観点から、これは危険な改悪である。なぜならば、株式の買占めやグループでの持ち合いにより、過半数の株式で完全に取締役会を支配し、三分の二以上の株式で、定款が変更できてしまうのに、これへの対抗力である法律による少数株主保護が失われたからだ。」(以上、日経新聞2006年6月19日付け朝刊第25面)

「定款自治」「取締役会自治」といっても、
大会社に関しては、ほとんど制度的な変更は加えられていない、
というのが新会社法の実態だと思われるから、
上記の批判の中には首を傾げざるを得ないものも多々あるのだが、
「現在の経営人や企業のニーズに答える観点で」
新会社法が施行された、というのは事実なので、
気持ちは分からんではない。


・・・と思っていたら、
さらに衝撃的な論稿が火曜日、同じコラムに掲載された。


伊丹敬之・一橋大教授。
いわずと知れた我が国における経営学の第一人者である。


伊丹教授は、「問い直される企業支配」と題したコラムの中で、
「株式会社の持っている特性と会社法の一種の欠陥」を指摘し、
自由な株式市場に生まれてくる“投機家”が、
様々な問題を引き起こしている、と述べられる。


そして、会社法の在り方について、次のように批判する。

「問題の本質は、市場取引をきちんと行わせるためのルール作りではない。企業を支配する権力を投機家が持ってしまうことを可能にする、市場のあり方と会社法のあり方なのである。」
「恐らく会社法自体に、株主にしか支配権力を与えていないという本質的欠陥があるのである。百歩譲って仮にその欠陥を仕方がないと認めたとしても、投機家の多い株式市場という状況の下での会社法の理念的強化は、投機家にさらに巨大な権力を与えるという不適切かつ危険な作業になってしまう恐れがある。」(日経新聞2006年6月20日付け朝刊第29面)

伊丹教授は、投資家と“投機家”を一応区別しているが、
実のところ、今の上場企業に群がっている人々は、
皆“投機家”といって差し支えないであろう(笑)。
(それは自分自身も例外ではない。)


どんなにきれい事を言っても、
一般市民が株式投資、という時に何を思い浮かべるか、
書店に並んでいる経済誌の見出しを見るだけで、
一目瞭然である。
ゆえに、結局のところ、
全ての“投資家”は村上ファンドにつながっている、
といわざるを得ない。


伊丹教授に限らず、経営学者の先生方は、
“企業”を“人の集合体”として把握する傾向にあるし、
それは企業活動のリアルな実態により即した見方、
ということができる*1


それゆえ、上記コラムでの発言のような“思い”を
もたれている経営学者の先生方も多いだろうし*2

「人間集団の運命を支配する権力である企業支配権が自由に市場で売買されていいのか」

という、伊丹教授の問題提起を読んで、
「良くぞ言ってくれた」と溜飲を下げている読者も
多かっただろうと思われる。


本来、一体として論じられるべき、商法学と労働法学が、
完全に遊離したまま今に至っている現状を鑑みると*3
筆者個人としても、賛同できる部分は多い。


もっとも、株主による“支配”を弱めた場合に、
“人間集団”が果たしてより幸福になれるのか、
というのは別の問題として残る。


株主が“主役”になれなかった時代に主役を張っていたのは、
一握りの経営者たちだったのであって、
一部の会社を除けば、企業体を構成する個々の社員は
決して幸福ではなかった、というのが実態であろう。


ゆえに、株主による“支配権強化”を通じて
経営の透明度が増したことで、
結果として、企業の中の個々の“人間”たちも
一定の利益を享受しえるようになったのではないか、
という反論も成り立ちうるように思われる。


以上は、非常に難しい問題ではあるが、
“会社”という組織体について論じる上で、
避けられない問題であるのは間違いない。


経済教室の一連のシリーズは、
伊丹教授の論稿をもって幕を閉じることになるようだが、
ここは是非、別の機会にでも、
商法学の先生方の“反論”を拝見したいものだと思う。

*1:社会一般の認識からすれば、“株主”に会社の所有者としての地位を当然の如く認める商法学徒の方が明らかに少数派であるのは間違いない。

*2:他に、神戸大の加護野忠男教授あたりも同様の趣旨を述べられていたように思われる。

*3:かつて別冊NBL等で、論じられた形跡はあるのだが、その後の議論の発展がどこまで進んでいるかは疑わしいし、今回の会社法改正においても、労働法学的見地からの分析が表立って登場しているシーンはあまり見かけない。

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