「引用」要件の新たな展開

某宗教団体の名誉会長の写真(複製の上一部切除したもの)をホームページに掲載した行為が某宗教団体の複製権侵害、公衆送信権侵害、同一性保持権侵害にあたるとして争われた事件の地裁判決が出された。


東京地判平成19年4月12日(H18(ワ)第15024号)*1


当事者が当事者だけに、法律論とは違うところで話題になりそうな事件であるが、著作権法をめぐる重要論点に新たな一事例を加える、という意味でも興味深い事件といえる。


以下では、本件における主要な争点、特に「引用」要件充足性をめぐる判旨の是非について、最近の裁判例と見比べながら見ていくことにしたい。

本件写真の著作物性

本件で問題になった写真は、

聖教新聞社が発行する機関誌「聖教グラフ」平成2年7月11日号に掲載された」

もので、

「縦長のカラー写真で、ほぼ中央に身体を左斜め前に向け、顔のみを正面に向けた姿勢で、スーツの上に、黒色及び紫色の地に金色の刺繍等をあしらったローブをまとい、黒色に金色の縁取り等が施された式帽をかぶって直立しているCの全身を撮影したものであり、その背景には壁と床、及び、壁に掛けられたゴブラン織りの絵が配された」

というものであった。


実はこの写真をめぐって争われたのは初めてのことではなく、後に「引用」要件の関連で検討する予定の東京高判平成16年11月29日(原審:東京地判平成15年2月26日)でも同じ写真の複製権侵害が争点になっていたのであるが、その時と同じように、本件においても以下のとおり写真の著作物性が肯定されている。

「Bは、本件写真の撮影に当たり、背景、構図、照明、被写体であるCの表情等に工夫を加えて撮影していることが認められるから、本件写真にはBの個性が表現されている。したがって、本件写真は、Bの思想又は感情を創作的に表現したものということができ、著作物性を有する。」(12頁)


「写真」の著作物性については、厳密に見ていけばもう少しシビアな判断になっても不思議ではないところであるが、後述するように、本件でも上記平成16年東京高判でも、ほとんどデッドコピーに近い態様で写真が使われているから、ここはすんなりと片付けるのが正解なのだろう。

複製権侵害、同一性保持権侵害の成否と故意・過失

被告による本件写真の使用態様は、

「本件写真を白黒にし、やや不鮮明な態様で再製した上で、その上下左右の一部を切除した」(13頁)

というものであるから、被告の行為が複製権侵害行為にあたりうるのは間違いないように思われる*2


だが、本件の特徴として、被告が掲載した写真が、原告発行の媒体(聖教グラフ)から直接とられたものではなく、

「インターネット上のホームページ「自由の砦」に掲載されていた被告写真をコピーして被告ホームページに貼り付けたものと認めるのが相当である」(13頁)

とされたものであったことから、同一性保持権侵害については争う余地が生まれることになった。


裁判所がいうとおり、

「著作物を一部改変して作成された同一性保持権を侵害する複製物をそのまま複製し、本件のように、自らのホームページに掲載する行為も、客観的には著作物の改変行為であり、著作権法20条1項の同一性保持権侵害行為に当たるというべき」(14頁)

だとしても、被告自身は“引用元”の写真を単にそのまま複製した、という認識しかなかったために、

「同一性保持権侵害行為についての故意又は過失の有無」

が別途検討されることになったのである。


裁判所は結局、

「「自由の砦」に掲載された被告写真は、Cが自らの意思に基づいて積極的に撮影を許した写真を、Cないし原告に批判的な者がこれを無断でコピーして用いていることが一見して明らかである。そして、このような使用形態においては、元の写真を一部切除したりするなど何らかの改変が加えられたりすることはままあることであり、実際、本件写真は、平成2年から平成13年にかけて、改変を加えられた様々な態様で用いられており、被告もこのことを認識し得たはずである。それにもかかわらず、被告は「自由の砦」に掲載された被告写真が、元の著作物に改変が加えられているものか否かを確認することなく漫然と被告ホームページにコピーしてこれを掲載したのであるから、本件写真の同一性保持権について、少なくとも過失があるものと認められる」(15頁、太字筆者)

と本件の特殊性に配慮する形で被告側の過失を認めたが、このような特殊な事情がない場合には別の結論にもなりうる余地はある、と思わせるような含みを残している点が注目される*3

「引用」要件充足性

さて、それでは本題の引用要件について、裁判所はどのような判断を示したのか見ていくことにしたい。


この種の係争に良く見られるように、本件でも被告は専ら原告を批判する目的でホームページを開設していたようで、裁判所が認定した写真の使用態様は、

「被告は,Cの過去の発言と現在の姿のミスマッチを指摘するとの考えから,被告ホームページにおいて「Cの御尊体アルバム」との表題の下に,まず「↓西洋かぶれの出来そこない!(笑)↓」と記載し,その下に,被告写真を掲載して,同写真に「名誉も地位も要りません。そのような人間が世界に一人ぐらいいてもいいでしょう(D博士との対談から」と。)の引用形式のコメントを記載した。なお,被告ホームページにおいては,その下に,Cを被写体とした写真を合計3枚掲載し,例えば「どこの組織のチンピラか」、「日本の破壊的カルトの代表者達」などのコメントを各写真の下に掲載している。」(16頁)

というものであった。


批判の内容の当否はともかく(いうまでもなく、本ブログではその種の論点には立ち入らない)、写真の上下にコメントを一行付す、といった程度では、モンタージュ事件最高裁判決(最三小判昭和55年3月28日)をはじめとする過去の判例・裁判例に照らしても、「引用」該当性を肯定するのは躊躇せざるを得ないのが現実であり、「引用」該当性を認めなかった本判決の結論自体にはさして違和感はない。


だが、気になったのは、結論を導いた以下のくだりである。


裁判所は、

「被告による被告写真の掲載行為を、著作権法32条1項の「引用」すなわち「公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われる」引用と認めることはできない」(16頁)

という結論を述べた後に、その理由として、

著作権法32条1項における「公正な慣行に合致」し,かつ「引用の目的上正当な範囲内で行なわれる」引用とは,健全な社会通念に従って相当と判断されるべき態様のものでなければならずかつ報道,批評,研究その他の目的で,引用すべき必要性ないし必然性があり自己の著作物の中に,他人の著作物の原則として一部を採録するか,絵画,写真等の場合には鑑賞の対象となり得ない程度に縮小してこれを表示すべきものであって,引用する著作物の表現上,引用する側の著作物と引用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができるとともに,両著作物間に,引用する側の著作物が「主」であり,引用される側の著作物が「従」である関係が存する場合をいうものと解すべきである。」(16-17頁、太字筆者)

という著作権法32条1項の解釈を示している。


このうち、後半の引用する側と引用される側の間の「明瞭区別性」及び「主従関係」(及び「他人の著作物の原則として一部を採録」)については、最高裁判決でも示された要件であり、我々としても見慣れたものである。


しかし、前半部分の

①「健全な社会通念に従って相当と判断されるべき態様のもの」であること
②「報道、批評、研究その他の目的で、引用すべき必要性ないし必然性があ」ること
③「絵画、写真等の場合には鑑賞の対象となり得ない程度に縮小してこれを表示すべきものであ」ること

といった要件は、筆者はあまり見たことがない。


かつて最高裁が示した「引用」要件がややもすると柔軟性にかける、と指摘する論者は多いようで、実際、近年の下級審判決においても、事案に即したオリジナルな32条1項解釈を示した例はいくつか見られるところである。


例えば、本件と同一人物の写真の無断複製が問題になった東京地判平成15年2月26日(H13(ワ)12339号)*4では、

「他人の著作物を引用して利用することが許されるためには,引用して利用する方法や態様が,報道,批判,研究など引用するための各目的との関係で,社会通念に照らして合理的な範囲内のものであり,かつ,引用して利用することが公正な慣行に合致することが必要である。」

とした「社会通念」というキーワードを用いたザックリとした解釈が示されているし*5、同じ事件の高裁判決(東京高判平成16年11月29日、H15(ネ)1464号)*6でも、おそらく同様の趣旨で、「公正な慣行に合致し,かつ,政治的に批判する批評の目的上,正当な範囲内で行われた引用」といえるかどうかが検討されている*7


また、「XO醤男と杏仁女」事件の高裁判決(東京高判平成16年12月9日、H16(ネ)3656号)*8では、「引用が被告小説に不可欠の存在である」という控訴人の主張に応える形で、

「被告小説の当該場面において,主人公である小悦の心情を描写するために,本件詩を用いる以外には他に手段がなかったとするだけの必然性を窺わせる説明はなく,被告小説において,主人公の心情を表現する手段として本件詩を掲載しなければならない必然性を認めることはできない。」

と、「必然性」に着目する視点も示されている。


それゆえ、少なくとも、本判決の上記①、②についてはこれまでの裁判例の中でも出てきていた、というべきなのかもしれないし、③については、「一部を採録」の趣旨を写真等に応用した*9ものと考えれば、不自然ではないのかもしれない。


しかし、従来から存在する明瞭区別性、主従関係、といった要件に上乗せする形で、「必然性」や「鑑賞の対象となり得ない程度の縮小」といった要件を課すとなると、いささか「引用」が認められる余地が狭くはなり過ぎないか、といった懸念が生じることは否めない。


そして何より、「健全な社会通念」というマジックワードの存在が、「引用」要件充足性の判断基準を不透明なものにしているように思える。


本件では、上記解釈に続いて、

「被告は,前記認定のとおり,Cが名誉欲を露わにした行動が多いと考え,これを強く非難する目的で,被告ホームページに被告写真を掲載し,上記コメントを掲載したものである。しかし,被告がCの宗教者としての上記行動を非難する記事を創作するために,他人の著作物である本件写真を使用しなければならない必然性はなく,宗教者としてのCの上記行動を非難するのであれば,ほかにさまざまな表現方法によることが可能なはずである。また,本件写真は,上記認定のようなものであり,本件写真を被告ホームページにおけるように,Cを揶揄するような態様において使用することは,本件写真の著作者の制作意図にも強く反し,本件写真の著作者が正当な引用として許容するとは到底考えがたいところのものである。」(17頁)

という当てはめが行われており(上記説示に続いて主従関係を否定する当てはめが行われている)、前半部分は引用の「必然性」の話だから、おそらく「健全な社会通念」に対応するのは上記後半部分、ということになるのだろうが、これだけ見ると、「社会通念」の話というより、「著作者自身が許容しうるかどうか」を基準として判断がなされているようにさえ思えてしまう。


だとすると、元の著作物(写真の被写体等も含む)を攻撃的に批判する類の著作物で行われる「引用」は、軒並み「健全な社会通念に反する」ということになりやしないだろうか(大概、そのような批判は、批判される側の人間を不快にさせ、「元の制作意図に反する」という思いを抱かせやすいものになりがちだからだ)。


裁判所が言わんとすることは大体想像が付くし、その内容自体はおそらく妥当なものだと思う。だが、それを言葉にして表現する際に、ややもすると誤解を招きかねない表現になっているのではないか*10、そう思うがゆえに、筆者としては、本判決の結論自体は妥当と考えるものの、その結論に至るまでの間に裁判所が示した「引用」該当性判断要件それ自体について、疑問を投げかけておくことにしたい。


おそらく、事柄的には(少なくとも)高裁まで行くだろうから、そこで本件に対してどのような判断が下されるのか、が注目されるところである。

*1:民事第46部・設楽隆一裁判長・http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070417100022.pdf

*2:被告側は、複製物が白黒で目の粗い写真になっていることをもって、「本件写真の創作上の本質的特徴を再製したものではない」と主張しているが、批評素材として用いるだけの大きさで掲載されている以上、やや苦しい主張だったというべきだろう。

*3:通常、同一性保持権侵害が否定されても複製権侵害が認められれば結論はあまり変わらないのだが、本件のように「引用」要件充足性が問題になってくるケースでは、議論の実益は十分にあるといえるだろう(著作権法50条の規定ゆえ、利用者側が「引用」を主張して完全なる勝利を収めるためには、著作者人格権侵害も否定しておく必要がある)。

*4:第29部・飯村敏明裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/7446113AC60A722149256D39000E3048.pdf

*5:結局、「本件写真ビラは,専ら,公明党,原告及びDを批判する内容が記載された宣伝用のビラであること,原告写真1の被写体の上半身のみを切り抜き,本件写真ビラ全体の約15パーセントを占める大きさで掲載し,これに吹き出しを付け加えていること等の掲載態様に照らすならば,原告の写真の著作物を引用して利用することが,前記批判等の目的との関係で,社会通念に照らして正当な範囲内の利用であると解することはできず,また,このような態様で引用して利用することが公正な慣行に合致すると解することもできない。」という理由で、要件該当性は否定されたのであるが。

*6:第2部・篠原勝美裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/95E80C5443AC78464925701B000BA391.pdf

*7:結果は地裁判決と同じく「非該当」とした。

*8:知財3部・佐藤久夫裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/AE2ADBF33CA8B9134925701B000BA3A5.pdf。余談だが、本判決の裁判長を務める設楽判事も当時この合議体に入っていた。

*9:もっとも、当の「モンタージュ事件」自体が写真の「引用」が争われた事例だったのであるが。

*10:「健全な社会通念」などという大それた言葉を用いなくても、引用先著作物のジャンルで通常行われている「慣行」(いまだ「慣行」が存在しないパイオニア的表現技法であれば、「客観的に見た引用態様の妥当性」)を基準にするか、明瞭区別性、主従関係といった他の要素に従って淡々と処理した方が良かったのではないかと思う。

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