明暗を分けたもの−天理教と霊友会の違い−

宗教法人と言えば分派活動がつきもの。そして分派活動の末に待っているのは名称をめぐる争い・・・


と断言してしまうとちょっと語弊があるかもしれないが、商標の世界でも、どこかで聞いたことのあるような事件が形を変えて登場した。


題して「インナートリップ霊友会インターナショナル」商標異議取消事件。

知財高判平成20年9月17日(H20(行ケ)第10142号)*1

原告:X
被告:特許庁長官


本件は、霊友会、株式会社いんなあとりっぷ社を異議申立人とする商標登録異議事件(異議2007‐900228号)において申立人の主張が認められ、商標登録を取り消す旨の決定が出されたことから、原告が知財高裁に取消訴訟を提訴したものである。


商標の構成は、先ほども触れたように、

「インナートリップ霊友会インターナショナル」*2

というもの。


霊友会」といえば、昔深夜のラジオで、有名人が若者向けに語りかけるCMを良く耳にしたものだが、いろいろ調べてみると、教義の解釈(?)をめぐって複数の宗派に分裂した状態が続いているようで、原告の主張の中でもそのようなくだりが登場してくる(6頁など参照)。


そして、本件で登録異議を申し立てたのが本家本元の霊友会(宗教法人)、原告は、分かれたグループの一つである「ITRI日本センター」のマネジャー、と来れば、これはもう立派な“典型紛争パターン”ということができるだろう。


* * *


さて、原審決で異議申立人によって主張されていた取消事由は「商標法4条1項8号」であり、特許庁は、

「他人の肖像又は他人の氏名若しくは名称若しくは著名な雅号、芸名若しくは筆名若しくはこれらの著名な略称を含む商標」(は登録を受けることができない)

とするこの条項を、「霊友会」の名称を含む本件商標に適用することにより、登録取消という結論を導いた。


そして結論としては、知財高裁もこの判断を是認し、以下のように述べて原告の請求を退けたのである。

「商標法4条1項8号は「他人の肖像又は他人の氏名若しくは名称若しくは著名な雅号,芸名若しくは筆名若しくはこれらの著名な略称」を含む商標について,その他人の承諾を得ているものを除き,商標登録を受けることができないとするものであるが,この規定の趣旨は,人が,自らの承諾なしに,その肖像,氏名,名称等を商標に使われることがない人格的利益を有していることを前提として,このような人格的利益を保護することにあるものと解するのが相当である(最高裁平成17年7月22日判決・集民217号595頁)。」
(略)
「もっとも,同号の適用に当たり,他人の氏名,名称等を含む商標について,当該他人の人格的利益を侵害するおそれのある具体的な事情が存在することは,著名性を要する雅号,芸名,筆名及び氏名,名称,雅号,芸名,筆名の各略称に関して,著名性の有無を判断する際の1要素となり得ることは格別,同号の規定上,人格的利益の侵害のおそれそれ自体が,独立した要件とされているものではない。」
「しかるところ,上記第2の1の(1)のとおり,本件商標の構成中の漢字部分のうち,第1字目は「霊(靈)」の,第3字目は「会(會)」のそれぞれ異体文字と認められるから,同部分は実質的に「霊友会」と書されているのと同じというべきであり,この点は,原告も争っていない。そして「霊友会」は本件の登録異議申立人である霊友会の名称(フルネーム。甲第15号証の1,2)の表記そのものであるから,本件商標が,他人の名称を含むものであることは明らかであり,かつ,当該「他人」である霊友会の承諾を得ていないことは,原告も自認するところである。そうすると,本件商標は,商標法4条1項8号により商標登録を受けることができないものであるといわざるを得ない。」
(10-11頁)


* * *


ここで、「人格的利益の侵害のおそれ」を要件とするかどうかが一つの争点となっている背景には、原告が、「どこかで聞いたことのあるような事件」、すなわち「天理教事件」に関する最高裁判決を引用して、

「本件商標の使用により霊友会の人格的利益を侵害するおそれがある場合に初めて、本件商標が同項の「他人の・・・名称」を含む商標に該当するものと解すべき」(5頁)
「本件商標の登録が霊友会の人格的利益を侵害するものということはできない」(9頁)

と主張していた、という事情がある。


天理教事件最高裁判決は、天理教教会本部と袂を分かった「天理教豊文教会」による「天理教」を含む名称の使用が、不競法違反ないし名称権侵害にあたるか、が争点となったものであるが、最高裁は、宗教法人の活動は不競法の適用対象外である、とした上で、

(1)被上告人が,宗教法人法に基づく宗教法人となってから約50年にわたり「天理教豊文分教会」の名称で宗教活動を行ってきたこと(その前身において「天理教豊文宣教所」等の名称を使用してきた時期も含めれば80年)。
(2)被上告人が従前の名称と連続性を有し,かつ,その教義も明らかにする名称を選定しようとすれば,現在の名称と大同小異のものとならざるを得ないと解されること。
(3)被上告人は,中山みきを教祖と仰ぎ,その教えを記した教典に基づいて宗教活動を行う宗教団体であり,その信奉する教義は,社会一般の認識においては,「天理教」にほかならないと解されること。
(4)被上告人において,上告人の名称の周知性を殊更に利用しようとするような不正な目的をうかがわせる事情もないこと。

と言った事情をあげて、名称権侵害をも否定した*3


そして本件でも、

(1)ITRI日本センターの構成員は、昭和5年以降、60年以上にわたり1つの宗教団体として活動してきた。
(2)(3)霊友会と一線を画することになったとはいえ、ともに開祖であるA及びBを恩師と仰ぎ、その教えに従って宗教活動を行う宗教団体であり、その信奉する教義は、社会一般の認識においては「霊友会」にほかならないこと。
(4)原告ないしITRI日本センターが霊友会の名称の著名性を殊更に利用しようとする不正な目的はないこと。

(以上、8-9頁)

と、天理教事件と同様の事情があるから、「本件商標の登録は霊友会の人格的利益を侵害するものではない」というのが、原告側の言い分であった。


* * *


商標法4条1項8号の規定には、「人格的利益の侵害のおそれ」を要求するような文言はどこにも存在しない。


そして、本判決が引用している平成17年最高裁判決は、同号の趣旨が「人格的利益の保護」にあると判示しているものの、それはあくまで、

「著名な略称」該当性を判断するに際して、「指定商品・役務の需要者の認識ではなく“一般に受け入れられていたか否か”を基準とすべき」と説くために、規定趣旨を持ち出したに過ぎないもの

と理解することができるものであるから、本件のように、商標に用いられているのが「他人の名称」そのものである場合には、「人格的利益」云々を取りざたすまでもなく同号該当性が認められる、という解釈も当然出てくることになろう*4


その意味で、原審決の判断を維持した本判決の結論は支持しうるものだし、ここで終えてしまっても問題はなかったように思われる。


だが、注目すべきは、裁判所がこれに続いてさらに、

「他人の氏名を含む商標であっても,その使用が当該他人の人格的利益を侵害するおそれが全くない場合には,商標法4条1項8号の適用がなく,当該商標の登録を受けることができると解するとしても,本件においては,本件商標の使用が霊友会の人格的利益を侵害するおそれが全くないとの事実を認めるに足りる証拠はない。」(12頁)

と述べ、人格的利益を害するかどうか、という点について、本件が「天理教事件と事案を異にする」ことを強調した点にあった。


知財高裁は、

「すなわち、天理教事件最高裁判決が、宗教法人の名称に係る人格的利益(名称権)について判示したものであることはそのとおりであるとしても,宗教法人の名称に係る人格的利益(名称権)を違法に侵害するか否かが問われているのは,他の宗教法人の名称の使用行為であり,当該他の宗教法人も,その人格的利益の1内容として,名称使用(教義を簡潔に示す語を冠した名称の使用を含む)の自由を有するゆえに,当該名称使用行為が違法な侵害行為とされるか否かの判断に当たっては,その名称使用の自由に配慮し,上記諸事情を考慮すべきものとしているのである。これに対し,本件において,宗教法人の名称に係る人格的利益(名称権)を侵害するおそれがないといえるかどうかが問題となるのは,商標の登録ないしその使用行為であり,かかる行為は,商標を使用する者の業務上の信用(商標法1条参照)という,取引社会における経済的利益に係るものであって(現に,本件商標に係る指定商品及び指定役務の大部分は,宗教法人の本来的な宗教活動やこれと密接不可分な関係にある事業と直接の関係を有するものではない。),宗教法人の名称の使用がその人格的利益に基づくのと比べ,法的利益の性質を全く異にするものであるといわざるを得ない。」
(13-14頁)

と述べた上で、

「そうすると,天理教事件最高裁判決が指摘したのと同様の諸事情により,本件における,本件商標の使用が霊友会の人格的利益を侵害するおそれがないといえるか否かの判断をなし得るというものでないことは明らかであり,かかる意味で,天理教事件最高裁判決は,本件と事案を異にするものである。」
(14頁)

としたのである。


* * *

天理教事件において問題とされたのが宗教活動及びそれと密接不可分の事業における名称の使用(それゆえ不競法は適用されず、名称選択の自由も最大限保障される)だったのに対し、本件で問題となっているのは、本来的な宗教活動とは関連しない経済活動に関する名称(商標)の使用(それゆえ商標登録の可否を論じることが可能であるし、名称選択の自由にも自ずから制約がある)である。したがって、前者の基準を後者にあてはめることはできない。」(判決の意訳)

・・・という理屈は確かに分かりやすい。


名称(商標)を使用する側の利益を純粋な経済的利益として整理した場合、それを「名称を冒用される側の人格的利益」と対比することにある種の違和感を抱かざるを得ないのもまた事実なのだが、商標法4条1項8号該当性判断の基準に関して原告の主張を前提とする限りは、そういう帰結になるのもやむを得ないといえる*5


何より、本判決を読むと、

「宗教法人としての名称使用の正当性を主張したいのであれば、「商標」などという“営利性の強いアイテム”を使って喧嘩するのではなく、違う筋でやってくれ!」

という知財高裁のメッセージが込められているように思えてならない。


本件商標の指定役務の中に、

第37類「医療福祉施設における清掃、仏壇及び仏具の修理又は保守」
第41類「ボランティア活動又は慈善事業活動に関する研修会・講演会・セミナー・講演会の企画・運営又は開催又はこれらに関する情報の提供」

といった役務が含まれていることからも分かるように、現実には、宗教的活動と「商標」で保護されるべき「業としての経済的活動」は紙一重なのだろうが、単なる宗教組織内部の“内輪モメ”を商標法や不競法といったツールを駆使した知財紛争にまで“高める”ことにさしたる意義があるとも思えないので、筆者個人としては、このスタンスで良いのではないかなぁ・・・と思うのであるが。

*1:第4部・田中信義裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080918102323.pdf、H20(行ケ)10143号もほぼ同じ内容である。

*2:「霊」と「会」の部分には異体文字が用いられているが、実質的に通常の漢字と同一であることが認定されているため、以下、通常の文字で記載する。

*3:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060123/1137955215

*4:なお、平成17年最高裁判決(国際自由学園事件)の評釈が、『商標・意匠・不正競争判例百選』に掲載されている(上野達弘「他人の氏名・名称等を含む商標(2)」別冊ジュリスト188号22-23頁)。

*5:個人的には、わざわざこのような“異種格闘技戦”をやるよりも、単純に「他人の氏名を含んでいるかどうか」という形式的要件で決着をつけるほうが無難だと思うのだが・・・。

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