表現の自由を“殺す”のは誰か?

最近、雑誌社を相手取った名誉棄損訴訟で、高額の損害賠償請求が認容されるケースをよく見かけるが、そんな傾向にさすがに危機感を抱いたのか、日本雑誌協会がずいぶんと振りかぶった「見解」を発表したようである*1


残念ながら雑誌協会のHP上には、まだ見解の全文が公表されていないようなのであるが*2、記事の中から断片的に拾える内容は、以下のようなものである。

「雑誌ジャーナリズム全体を揺るがせかねない事態」
「4000万円を超える高額の賠償金額算定法は極めてあいまい」
「雑誌編集活動を委縮させる効果を狙ったものと言わざるを得ない。司法による言論への介入」

と、何とも勇ましい。


確かに、本ブログでも紹介したように*3、最近の判決の中には、ちょっと行きすぎでは・・・と思いたくなるようなものもあるのだが、一方で、講談社週刊現代)や新潮社(週刊新潮)のように、負け続けている雑誌社の報道姿勢や問題とされた記事等を見ると、さもありなん・・・と思わされることも多々あるわけで、一慨に「司法が悪い」と決めつけてかかるのも、ちょっと問題だろうと思う。


新聞のように公式ソースから迅速に情報を得るのが難しい、といった事情や、活字離れが進んでいる今、新聞と同じようなスタンスで記事を書いていたのでは、あえて雑誌を買おうという読者をひきつけることができない、といった懐事情、として「取材源の秘匿」等の事情で、訴訟での主張立証活動が思うようにできない、といった状況があることは一応理解できるのであるが、裁判で負けるのはやはりそれなりの理由があるわけで、“自分たちのみが正義”といったスタンスでは対応できない何かがあるのは間違いない。


まだ訴訟にはなっていないが、今でもまだ尾を引いている感のある「朝日新聞記者銃撃事件実行犯手記」問題のようなケースもあるところで、鮮烈な見出しを付けて売り出そうとした記事がことごとく名誉棄損だの虚偽の記事だの、ということになれば、「表現」を受け取る側も、どうしても離反していくことになってしまう。


そうなったら、「表現の自由」もへったくれもないだろう*4



情報を発信する側と受け取る側との間で一定の信頼関係がなければ、継続的に「表現」活動を続けていくことは難しいのだから、個人的には、華やかな“見解”を出す暇があったら、まず各社で足元を固める方に力を注いでほしい・・・と思ったりもするのであるが・・・。


いろいろと考えさせられることが多い。

*1:日本経済新聞2009年4月21日付朝刊・第35面。

*2:http://www.j-magazine.or.jp/

*3:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20090205/1234020600

*4:たとえ雑誌を構成する記事の9割が有益な記事で、問題を引き起こす記事が残りの1割以下にすぎなかったとしても、一たびその「1割以下」の部分が問題を引き起こせば、従来の読者に対して好ましくない印象を与えることは否めないように思われる。